2008年7月25日金曜日

高橋真梨子コンサート


東京国際フォーラムで開催された高橋真梨子のデビュー35周年記念・コンサートに行って来た。ニューアルバム「Swing Heart」が中心の全国ツァー最終日とあって、会場は多くのファンで埋め尽くされていた。
今回のチケットは、一度自分でネット予約したものの、店頭購入期限を過ぎてしまい入手できずにあきらめていたのだか゛、音友MKさんのまた友だちに高橋真梨子大ファンがいて、その人の仲間で行けなくなった人のものが廻りまわって私の手元に来たものだった。ラッキー!! 持つべき者は友達ですね。
「ジョニーへの伝言」(阿久悠/都倉俊一)で、ペドロ&カプリシャスのボーカリストとしてデビュー以来、35年間歌い続けて今なお多くのファンを魅了し続けているのはやはりすごいと思う。ペドロの時代にメンバーで楽器(フルートやサックス)を吹いていたヘンリー広瀬が、今はパートナーであり、またバンドマスターとして音作りしていることは、彼女にとっても心強いだろうし、信頼できるメンバーをバックに歌えることは歌手として大変幸せなことだと思う。その当たり、やはり35周年を超えたさだまさしによく似ている。
見目麗しき女性画像初登場・コンサートのリーフレットより
高橋真梨子の魅力は、何と言ってもその艶やかな歌声にある。キーは女性にしては低いけれども、声の伸び、トーンのやわらかさ・力強さは、59才の今もまったく衰えはなく、むしろ表現の多彩さがプラスしてますます磨きがかかっているようだ。特に私が魅かれるのは、歌の中身が゛おんな゛でなければ決して歌えない皮膚感覚、というか、男ではとても思い至らない言葉世界があって、それがいいんですねぇ~!「蜃気楼」とか、「はがゆい唇」とか、「桃色吐息」などは、ちょっとゾクゾクしますね。
アレンジも、ゆったりとしたバラードから、リズムカルなラテン、軽快なジャズ、パンチの効いたロックまで多彩な大人の味付けが心地良いし、ックを支えるHENRY BANDのメンバーも、ほとんど変わっていない。Gt:藤江晴稔、Ba:岡田治郎、Per:北沢マロ、Dr:山下政人、Woodwind(Sax & Cla):野々田万照、Key & B.G.Vocal:小松崎淳、コンサートマスター/Key & B.G.Vocal:宮原啓太、プロデューサー/Woodwind & Guitar & B.G.Vocal:ヘンリー広瀬。毎回、このバンドメンバーがバケツとか、工事現場のパイプとか色々集めて即興のパーフォマンス披露するのだが、これがまた可笑しいやら楽しいやら...
この夜も、デビュー当時の懐かしい歌メドレー(ジョニーへの伝言、五番街のマリーへ、ハート&ハード)や、アルバム『Swing Heart』から(オレンジ、not so bad)、毎回挿入するカバー曲(星の流れに)、そしてアンコールが6曲(for you、ごめんね、など)、そして、おしまいは総立ち手拍子でいつもの「グランパ」でフィナーレ。2時間40分・25曲の大満足のコンサートだった。

2008年7月19日土曜日

ジョージア・オキーフとサンタフェ(続き)


サンタフェは、1610年にスペイン系移民により創設された全米50州の中で最も古い街だ(ニュー・メキシコ州は1912年に47番目の州として合衆国に加わった)。スペイン植民地時代にプラザを中心とする街づくりがなされ、教会や総督邸、博物館や商店が建てられた後、中心から放射状に伸びる道路により、周辺の都市と農村部に発展したという。その後、街づくりに歴史的スタイルが導入され、プエブロ族の建築様式:日干し煉瓦色の概観(アビドー式)に統一され美しい街並みが生まれた。世界各地からの観光客が大変多いので、ホテルやブティック、レストランやカフェも軒を連ねて賑わっている。

キャニオン・ロードの彫刻ギャラリー:patricia carlisle fine art
アビドー式のと建物と花と樹木一杯の入り口・中庭が美しい All Photo by TAKA

標高2000m を超える高原に位置するサンタフェは、周囲の砂漠の山々や台地にかこまれながら、緑と花々に溢れる奇跡的に美しい街で、市内には東西に流れる小川に沿って樹木に囲まれた遊歩道があり、秋の気候では朝夕12℃、昼間27℃と寒暖の差が大きく、空気はからっと乾いていて気持ちがいい。

午後には、スコールがさっと来て、一雨降らせた後、また暑い日ざしが戻る。さらりとした空気と爽やかな風は、私が少年時代をすごした信州の気候とよく似ていて、何故か懐かしい思いが溢れた。Dejavuのようなちょっと不思議な気分...

この街で楽しかったのは、ニューヨーク、ロスアンゼルスに次いで多いという美術館・博物館・美術ギャラリーを次々と訪れたことだった。プラザ周辺だけでなく、キャニオン・ロードのギャラリー街、ミュージアム・ヒルの美術館群など、質・量ともに世界的にトップクラスというのも頷ける。難解なものはなく、おおむね気軽に楽しめるアートが多い。絵画・彫刻・ジュエリー(ターコイスが充実している)・インスタレーション...様々なジャンルに渡って、現代アートから始まり、ネイティブ・インディアンアート、ワイルド・アート(原野や馬などのモチーフ作品)、フォークロア・アート、などなど。特にキャニオン・ロードのギャラリーは、入り口や内部にプランターや鉢に植えられた花(ペチュニア・コスモス・セージなど)が溢れていて、とてもきれいだった。アートと一緒に花を楽しめたのは初体験だった。





左:サンフランシスコ⇔デンバー⇔エルパソへと連絡する、サンタフェ・サザン鉄道のひなびた SANTA FE

中:オキーフが好んで描いたダツラ(朝鮮あさがお/英名JIMSON WEED)の花、ホテル側の公園で見つけた
右:毎晩通った゛WILEE'S BLUES BAR゛、出演者がブイブイと鳴らすブルースギターにしびれっぱなし
美術館やギャラリーを巡って、心地良く疲れてホテルに戻ると、熱いシャワーを浴びてひと眠り。ホテルは朝食付きなので、朝はレストランで果物・サラダ・ヨーグルトやパンにハム・エッグ、果物ジュース・コーヒーなど軽くとってから出かける。近所に大きな食品スーパーがあり、ビール・ワイン・ジュースなどの飲み物から、果物・サンドイッチ・惣菜・肉・魚まで何でも売っているので、それを買い込んで昼食はランチと飲み物持参で歩き回る。午睡からさめると身体が軽くなっている。さて、今日は何を食べようかな?と、ガイドを参考にして決めてから夜の街に繰り出す。  
キシコ料理は、チリソースが効いていて旨かった。サンタフェ駅側のTOMASHITA'Sというお店で食べた時、ウェイターが必ず唐辛子の種類を゛赤か緑か?゛と聞くのだが、私の食べた緑チリは相当辛かった。焼いた肉も煮込んだ豆もチリがたっぷり入ってている。地元ビールも度数が高い(8から11%でワイン並み!)。すぐ酔いが廻ってくるのだった。RAILYARDはウェスタン料理のお店、カルフォルニアの白ワインで白身魚(鱸かな?)のソテーと空豆の茹でたのを食べたが、さすがに量が多い。空豆は゛どんぶり一杯゛と言う感じ、塩味が程よくておいしかった。一度だけKONAMIと言う日本食屋に出かけてみた。当地でも日本食の人気は高く、高級なお店も多いと聞いた。天麩羅・刺身・焼き鳥・野菜の入ったコースで食べてみたが、なかなか美味しかった。合わせて日本酒を少々。BGMで流れているJ-POPSの曲がわからず店員に訊ねて見ると、奥から板前が出てきて「小椋桂で~す!」と教えてくれた。この会話だけがこの旅で交わした唯一の日本語だった。

ゆっくり夕食をとってから、ひと歩きしてホテル近くのBLUES BARのカウンターに座る。この街は程よい広さなので、歩くか市周回バスで目的地への移動が出来る。バーボンウィスキーを飲みながら今夜の出し物を待っていると、デニムにT-シャツ姿の黒人のおっさんとドイツ系らしいがっしりとしたおっさん(私もおっさんだが...)がギターケースを肩にふらりと入ってきた。ひと言二言店のスタッフと言葉を交わしてからやおらギターを取り出し、チューニング。そして、ブルースコードでガンガン弾き始めた。しばらくしてもう一人の黒人のひげ親父が登場、3人でブルースをブイブイとかき鳴らし続ける。曲名は分からなかったが、2時間ほどのライブで私はすっかりしびれてしまった。
毎晩この店のカウンターに座って、ギターソロやバンドやミュージシャンのセッションを聴いて楽しんだ。それもやはり、至福の時間だった。お店のお客も老若男女それぞれが夜の時間を楽しんでいる風で、生活を楽しむことに意欲的なサンタフェの人たちに好感が持てた。最後の夜に、この店のネームが入ったキャップ型の帽子を記念に買ってお土産にした。


左:ちょうどフェスタの最中で、市の中学生バンドによるアメリアッチの演奏
右:市内を流れる小川に沿って遊歩道がある。木々と緑に溢れた心地よい空間
アートとミュージック、そして咲き乱れる花々を堪能したホリデーだった。高原の土壁に彩られた美しい街サンタ・フェ、また何時の日にか訪れてみたい。

2008年7月13日日曜日

ジョージア・オキーフとサンタフェ



猛暑日が続いている。梅雨はとっくに明けてしまったようだ。
さらっとした高原の空気、午後のにわか雨、花が咲き乱れる美しい街並み...サンタフェで過ごした一週間の日々が、とても懐かしく思い出される。
一昨年の秋、遅い夏休みをとった私は、前から計画していた気ままな一人旅に出かけた。インターネットで格安航空券を買い、現地ホテルの宿泊予約をして、成田→サンフランシスコ→アルバカーキと乗り継ぎサンタフェに着いた。5泊7日旅だが、゛アメリカの京都゛といわれるこの地にたどり着くには移動日が各1日要る。
ジョージア・オキーフは1986年に98歳で亡くなるまで、ニューメキシコ州・サンタフェの郊外にあるアビキュー村の砂漠にアトリエを構えて、晩年の約40年をこの地で作品制作を続けて過ごした。彼女の絵に登場する、ペターナルの丘、ゴーストランチ、野牛の骨と頭蓋骨、アビドー式の土壁の家...などのモチーフはお馴染みのものだが、私はオキーフが描く花の絵が大好きで、カレンダーは毎年輸入のものを銀座伊東屋で買い求め部屋に飾って楽しんでいる。

「色と対話」本美術展のリーフレット

ジョージア・オキーフの作品はアメリカ国内でも大変人気が高く、エドワード・ホッパー、アンドリュー・ワイエスとともに、アメリカ現代美術の先駆者としてコレクターも国内が主で、作品が海外に出ることは大変少ない。日本でもジョージア・オキーフの作品を集めて展覧会で紹介されたことは、西武美術館(すでに閉館してしまったが)主催で一度あったが、小作品が10数点と記憶している。
アメリカでは、シカゴ美術館のコレクションと、ここサンタフェのジョージア・オキーフ美術館のコレクションが充実していて、1997年に開館したこの美術館は、別棟のリサーチセンターも備えてジョージア・オキーフの作品展示と研究の中心施設となっている。膨大な作品の中から70点を選んで「色と対話」と題された企画展を見に来たのだった。前置きが長くなったが、オキーフファンの私としては、ここに来るのは長年の夢だったことがお分かりいただけたかな?












美術館の入り口・建物の外装はアビドー式の土壁で出来ている

代表作のひとつ「BELLA DONNA




丸2日間をこの美術館で過ごした。約70点の作品を飽かずに眺め続けた。 お腹が空けば、隣のカフェでランチを取ったりコーヒーを飲んだり。そう言えば、サンフランシスコから先は、一人の日本人にも会わなかった。美術館員も日本人の私が珍しかったのだろう、ひと言二言会話を交わしてはすっと離れていく。
オキーフ作品の素晴らしさは、現実の花を抽象に高めて表現したことだ。
畳一枚の大きさに描かれた大きな花、ペチュニアやドクダミ、ダツラやカラーなど...花をしっかりと見つめた人でなければ描けない、造形の美しさ・
色のグラデーションとコントラストの鮮やかさに満ちていて、修練されたデッサンと構成力で表現され、圧倒的な生命力で見る人に迫ってくる。
ニューヨークのギャラリーで初めてこの絵が展示されたとき、ある人は、「わいせつな絵だ!」と非難し物議をかもしたと言う。今まで見たことのない花の姿を前にして多くの観客は衝撃を受けた。これに対してオキーフはひと言も反論しなかった。確かに、生命の神秘を表現している花の絵が、女性の秘部を想像させる場合があるかもしれない。花芯は、神が作り上げたとしか言いようのない神秘的な構造で出来ているから。それを゛猥褻゛に結びつけるのは、発想する本人の精神性によるものであろう。
今となっては懐かしい話だ。
バイクに後ろ乗りするオキーフ
この美術館で過ごした2日は、本当に至福のひとときだった。
思い起こすたびに、今でも幸せな気持ちになれる。

2008年7月5日土曜日

食養生その②:理念


ご存知の方もいると思うが、食養生(マクロビオテックス)の基本的な概念は、1930年代に桜沢如一が始めた「食養運動」に端を発し、彼が1939年に出版した『新食養療法・マクロビォテック/健康と幸福への道』(日本CI協会発行)に表されている。彼は、゛正しき食物と正しき料理、正しき食べ方によって、人間は最大の幸福を得ることが出来る゛と言う信念に立ち、食物で病気を治す方法を様々な角度から提唱している。彼の主張は「生命の原理」を探求する余り、やや宗教運動的な色合いを持っていたり、現代医学に頼らない傾向もあるが、稚拙な部分は除くとして、病気を予防し健康に生きるについては大きな示唆に富んでいる。
その後、弟子たちの中から久司道夫氏がアメリカに渡り、゛クシインスティテュート゛を設立、マクロビォテックの教育普及に努めた結果、肉食・乳製品・加工食品に偏っていた多くのセレブ(知識人・実業家・俳優など)が病気から快復し健康を得たこと、また、高騰し続けていた成人病による医療費の抑制が実現できたことでその功績が評価され、゛アメリカで一番知られている日本人゛と呼ばれるに至っている。日本でのマクロビォテックの拡がりは、海外での自然食やオーガニックフード・日本食の評価高まりを受けて、逆輸入で進展しているところが注目点である。
桜沢如一の思想と実践は、現在日本CI協会、里真婦人が設立した゛リマ・クッキングスクール゛と、マクロビォテック・フーズの販売組織゛オーサワジャパン゛に受け継がれ、マクロビォテックの普及と教育に貢献するとともに、多くの継承者を生んでいることが特筆される。
食養生の基本理念を以下、挙げておきます。

食材の旬を知り、生かす。
食材の一番熟成した時期に入手し、最大限のエネルギーと旨さを得る。
もちろん、無農薬の有機栽培、食品添加物不使用、遺伝子組み換え作物不使用が原則。
季節はずれのもの、輸入食材は極力避ける。
一物全体
食材は皮や株を含め、丸ごと食べることで生命が維持できる。
身土不二
生まれ育った土地で季節に取れた食材を食べ、気候や水、空気や土壌すべての環境を体内に取り  込むことで身体のバランスを得られる。このため、環境汚染や環境負荷について真剣にならざるを得ない。
陰と陽のバランス
食材の持つ陰と陽をよく知り、バランスよく摂取する。
全粒の穀物(玄米や雑穀)を主食とし、有機栽培の野菜・豆・海藻類に天然醸造の調味料で陰と陽 の
バランスを考えて調味する。たんぱく質は植物性蛋白や魚介類を主とし、砂糖・乳製品・卵・肉類は
極力取らない。
クシマクロビオテックのHP http://www.kijapan.jp/103.html
この項つづく

2008年7月1日火曜日

シマフクロウとルリタテハ・歌詞


シマフクロウとルリタテハ①②           作詞:カルロス美希  作曲:TAKA

①それは 夏の昼下がり ひらひらと舞いながら
ルリタテハが翔んでゆく 美しい 羽の輝き
シマフクロウは恋に 落ちた

花から花へと軽やかに 蜜を吸って生きている
自分の巣など何もない その日暮しの ルリタテハ

ないないなーい 何にもなーい ないないなーい 持ってない
ないないなーい 知―らない そんな恋 知―らない

②やはり 夏のたそがれどき こころにひとつ灯された
甘い甘い瑠璃色の夢 孤独な シマフクロウが
知ったむねの熱い ときめき

おおきなほこらにどっしりと 闇にらんらん目を光らせ
枝から枝へ飛び移り 狩に精だす森の王者

ないないなーい 怖いものない ないないなーい 友もない
ないないなーい ありえなーい こんな恋 ありえない

ルリ色衣装を身にまとい  体をくねらせのびやかに
ふるわせながら慄きながら 踊りつづける はかないいのち

ないないなーい 知―らない そんな恋 知―らない
ないないなーい とんでもない そんな恋 とんでもない

森の支配者とは言いながら 恋の病は治せない
愛の恐れを抱ながら 胸の鼓動は 高まるばかり

ないないなーい とんでもなーい こんな恋 とんでなーい
ないないなーい やめられなーい この恋は あきらめなーい

☆さて、シマフクロウとルリタテハ、二人の恋の行方はどうなるのでしょうか?


シマフクロウとルリタテハ③④           作詞:カルロス美希 作曲:TAKA

③そして 秋の嵐の夜 はげしい風にあおられて
枝にたたきつけられたルリタテハ 瀕死の身体を
救いにきたのは シマフクロウ

ほこらにそっとそっと 運んでから やわらかしとねで水を飲ませ
びっしょり濡れた 翅乾かして 快復を願う恋の亡者

ないないなーい 死なないで ないないなーい 行かないで
ないないなーい 死なないで 僕をおいて 行かないで

④やがて来た朝の光 傷ついた身を抱き起こし
見つめあうふたりの 瞳と瞳 恋を知った
その日やってきた 別れのとき

森の王者は永遠の命 その日ぐらしはひと夏のいのち
迎えに来る死のときまで おどり続ける私の運命

ないないなーい この恋は とこしえに 終わらない
ないないなーい ふたりの恋は ないないなーい 終わらない 

ルリ色衣装を身にまとい  体をくねらせのびやかに
ふるわせながらよろめききながら 踊りつづける はかないいのち

ないないなーい この恋は  とこしえに 終わらない
ないないなーい ふたりの恋は ないないなーい 終わらない

☆ルリタテハは、シマフクロウの腕の中で静かに息をひきとりました。
そして、シマフクロウの心に刻み付けられたのは、
永久におどり続ける、ルリタテハの美しい姿でした...

ないないなーい そろそろ この歌は お終い
ないないなーい この歌は ないないなーい これでお終い。            2008/5/8