2008年5月30日金曜日

さだまさしコンサート

1976年グレープ時代のアルバム・三年坂

あの、紅白歌合戦の会場に行ってまいりました!さだまさしの熱狂的ファンの友人がチケットを押さえてくれて、NHKホールで「まさしんぐWORLDカーニバル」(すごいタイトル!)、を聴いてきた。ファンクラブ専用の企画なので、さだーのファンたちが会場にぎっしり詰め掛けていた。う~ん、40~60代中心かなぁ?女性の中に男性もちらほら混じる。

同じ事務所に所属する佐田玲子(実妹)やチキン・ガーリック・ステーキ(男性アカペラグループ)の歌が第一部、第二部は初めにゲストコーナーがあって、大沢たかおが登場、会場のどよめきと声援はすごかった。彼は、「解夏」や「眉山」など、さだーの原作映画に出演し、「解夏」では日本アカデミー賞の主演男優賞をとっているし、長身のナイスガイで元パリコレのモデルもしていたから人気の程は分かるが、さだーは「おれのときより拍手多いの、どういうこと?」と言って、会場を笑わせていた。この辺り、さだーのトークはふつうの会話で笑いをとるのがうまい。会場は和やかな雰囲気。
トークショーでひとしきりにぎやかだった後、さだーといつものバンド・メンバーの歌と演奏は、゛70年代゛がテーマで、懐かしい歌が次々と登場した。私はあまり詳しくないが、「案山子」、「つゆのあとさき」、「主人公」、「秋桜」などは若い頃よく耳にした曲だし、この夜は聞けなかったが、ヒット曲の「雨やどり」、「関白宣言」やグレープ時代の「精霊流し」、「無縁坂」なども70年代作品なのだ。
さだーのステージ構成はいつも同じで、2曲歌ってはトークを入れ、また2曲歌ってトークする、というスタイル。この夜も、相撲の話から始まって、世間を騒がせた゛吉兆事件゛とか、ツアーで廻った各地の話題を軽妙に話して、会場は爆笑の渦。その後に、しっとりと「秋桜」などを歌うので、とてもメリハリがあって気分も楽しい。
最近、NHK総合TVの「SONGS」という番組にさだーが出演し、その中で自分の歌について語っていたことがとても印象に残った。それは、あの「精霊流し」という曲は、゛17才の自分が45才になった自分を想像して詩と曲を作った゛、ということだった。そう言えば、若いのにずいぶん大人びた曲をつくるなぁ、という印象を持った覚えがある。それに付け加えて、毎年新しいアルバムを発表するときに、゛45才の自分が17才のころの自分を思い起こした曲゛を必ず1曲入れることにしている、と語っていた。
「まあ、いまだに借金返すために毎年全国廻ってコンサートしている!俺を早死にさせる気かよぉ~!」 と冗談交じりに話してはいるが、多数の曲を作り続けていけるスタンス、というかアプローチの仕方を垣間見た気がする。発想の仕方がいいよね。
そういえば私も、゛BOSSA BALADA゛というオリジナル曲の第一作に「HEART ON HEART」という曲を作った。それは、若いときの恋心を四季折々咲く花のすがたに託して歌ったものだが、あれは゛50代の私が20才の頃の私に向けて歌ったレクレイム゛だったか! と後から気づかされた。
3時間たっぷりのコンサートは、歌とおしゃべりと演奏、そしてゲスト出演で満足満足!という感じ。観客も7,500円のチケット代を高いとは思わないだろう。どんな企画やステージ構成でお客を楽しませてくれるか、という点で、さだまさしの超一級のエンタテイナー振りを楽しめた一夜であった。

2008年5月23日金曜日

BOSSA NOVA 探索


ボサノヴァ曲の習得(歌とギター)も、最近はずいぶんと環境が変わってきた、と感じている。ひと言で言うと、とても便利になった。
私が10年前にギターの弾き語りを始めた頃は、曲を覚えるのに、楽譜・コード・歌詞が載っている曲集を手に入れるか、レンタルか購入かでCDを手に入れて、耳から聴き歌詞表とともに覚えるかどっちかだった。もちろん、バンドスコアーもあったが、高価なのでめったに手は出せない。
だから、1曲をものにするのに時間が掛かった。何度も何度もCDを聴いては一生懸命覚えてようやっと物にしたものだった。
Samba em Preludio の入ったヴィニシウスのレコジャケ



インターネットの普及と日常の利用は、これをずいぶん容易にしたくれた。ブラジルのラジオ局にアクセスすれば、ボサノヴァ・サンバ・ショーロ・MPBなどの主要曲はほとんど無料で聴ける。それも、同一曲を色々なアーチスト版で比較して聴けるので、そのアーチストの個性も把握しやすいA)。オリジナルの歌詞とコード進行は、これも無料でアーチスト毎・楽曲毎に検索できるので、原曲を元にどんな味付けでコードを作るかのアレンジも試みることができるB)。そして、YOU-TUBEに至っては、お宝映像も沢山あって、ライブ演奏を動画でみながら、歌い方、弾き方の細部まで確認できるし、何と行っても表情や仕草まで見られるので、臨場感は鮮烈だ。これだって無料なのだから、環境としてはめちゃ・らくちん、に相違ない。

それでは、スイスイと曲をものに出来るか、というとそういうものではないことを、紳士淑女諸氏はお解かりのことと思う。やはり、何度か歌い込み弾き込んで、時間をかけて自分の体内フィルターを一度しっかりと通さないと自分のものにはならないですよね。これは、何時の時代も同じこと。

゛ボサノヴァの広い森゛に入り込んでから、この所私が感じているのは三つの事だ、テーマと言ってもいい。たぶんに個人的な主観としてお聞きいただきたいが、ひとつは、イタリアのバロック音楽(ヴィヴァルディ・コレッリ・アルビノーニ) ⇒ バッハ ⇒ エイトル・ヴィラ・ロボス ⇒ トム・ジョビン という流れ。変奏や対位法をベースにした美しいメロディラインと、作詞家の詩的・文学的な言葉がコンビして、都会的に洗練された曲たち、言わば゛きれい目ボッサ゛。テンポもゆっくりAdagio、マイナー系が多い。この流れには、ヴィラ・ロボスの「Bachianas Brasileiras(ブラジル風バッハ)」やパウリーニョ・ノゲイラの「Bachianhia 1」、ヴィニシウスとバーデン・パウエルの「Samba em Preludio」なども入る。

もうひとつは、Bahia:バイーアの血の流れ。アフロ・ブラジリアンの故郷バイーアから脈々と受け継がれているサンバとサンビーニャの歌とリズム。ジョアン・ジルベルトを筆頭に、カエターノ・ベロッソ、ジルベルト・ジル、大御所ドリバル・カイミ、アリ・バホーソ、女性ではクァルテート・エムシー、ガル・コスタ、アストラット・ジルベルトもそう、皆バイーア出身。曲のメロディは自由奔放、言葉は日常会話的、土着的で民衆の臭いがプンプン、言わば゛にぎやかなボッサ゛。テンポは早めのAllegro、メジャー系が多いか。ヴィニシウスも晩年はトッキーニョやバーデン・パウエルを率いて、アフロ・サンバ風の曲を何曲か歌っているが。

批判を恐れずややパターン的に分けたが、この流れも入り混じっている場合も多いし、タイプとして言えば、ジャズ・ボッサ、ボッサ・フュージョンとか、中産階級ボッサ(山手ボッサ)、貧乏人ボッサ(下町ボッサ)とか、海系、ナチュラル系、ロマンチック系とか、フレンチ・ボッサ、ボッサ・チルドレンetc...それぞれボサノヴァの一面を捉えたに過ぎない。それだけ多面的で魅力に満ちた世界であることは確かだ。
最後のひとつは、゛オリジナル性゛と゛DNA゛だ。憧れは別として、日本人の私はどんなに努力し研鑽に研鑽を重ねても、ヴィニシウスにはなれないし、トム・ジョビンにはなれないだろう、もちろんジョアン・ジルベルトにも。だからと言って、歌もギターもより高みに向かって磨きをかけるのを放棄するのか、と言うとそういうことではない。
今、ボサノヴァを弾き語り、また仲間とバンドを組んで曲を楽しむことの意味合いをよくわきまえていたいのだ。
何よりも、自ら音楽を楽しみたいし、仲間とそして聴いてくれる人達とそれを共有したい、とのスタンスがまずある。そして、先人たちが残してくれたボサノヴァの素晴らしい曲を、自分の表現として弾き、歌い、語りたいと思う。゛TAKAが歌うボサノヴァ゛として。一歩進んで言えば、自分の言葉とメロディ、コード進行とアレンジで、゛TAKAのボサノヴァ゛を歌いたいですね!

まだまだ、゛ボサノヴァの広い森゛に入ったばかり、一つ一つじっくり味わいながらやっていけばよいと思う。そのうち、自分なりの森の地図も出来るだろうし、BOSSA BALADAのオリジナル曲も増えていくだろう。皆さんの前で歌うこともあるだろうし、ライフ・ワークのつもりで楽しんでいこうと思っている。

(A)上部の白枠に曲タイトルをポルトガル語で入力し、右のBUSCARをクリック検索する。
http://b.radio.musica.uol.com.br/radio/index.php?param1=homebusca&check=musica&busca=garota%20de%20ipanema&de=16&ate=30
B試しに検索してみてはいかが?
http://bossanovaguitar.com/bossa_nova_words_music.html

2008年5月20日火曜日

BOSSA NOVA 入門

田町の゛中村善郎ボサノヴァ教室゛でギターを習い始めて、はや半年が過ぎた。数人で受ける月2回のレッスンがとても楽しくて、欠かさずに通っている。初日に、Noel Rosaの「Palpite Infeliz」の楽譜とコード表を渡され、いきなり弾き始めたときにはまったく付いてゆけなくて、頭を抱えてしまった。レッスンの終わりに、次回の楽譜を配ってもらい、予習して行ったら次は何のことはなかったのだけれど、そのときの冷や汗は、今でもいい思い出になっている。人間、時々、冷や汗をかくのはいいことだ。そう、新鮮な体験だったということですね。

師匠のCD発売のリーフレット


中村師匠が課題で取り上げている曲は、いわゆる有名なボサノヴァ・スタンダード曲はめったになく、サンバやサンビーニャの個性的な曲が多く、Pedro Caetano 、 Ary Barroso、 Dorival CayimmiChico Buarqueなどで、ヴィニシウス・ジ・モライス、トム・ジョビンやジョアン・ジルベルトなどの巨匠の曲に慣れ親しんでいる私にとってはとても新鮮に感じている。ボサノヴァ・ミュージシャンたちの曲は、詩・メロディ・歌い方・ギターの弾き方・アレンジ・楽器構成etc...ほんとに個性豊かで、これからどんな曲が加わっていくのかがとても楽しみだ。


歌が好きで、ここ10年ほどずっとギターの弾き語りを楽しんできた。ビートルズ、アメリカンポップス(E.クラプトン、カーペンターズ、B.バカラック)、シャンソン、ラテン(ジプシー・キングス)、J-POPS(井上陽水、ユーミン、大橋純子、高橋真梨子、ビギン、福山雅治、スピッツ)、演歌(テレサ・テン、美空ひばり、五木ひろし、桂銀淑)、昭和歌謡、等々...ほとんど、雑食だね!

でも、私が弾き語りしたいと思うのは、゛美しいことばと美しいメロディラインを持ち、なおかつ、複雑なコード進行を備えている曲゛、という選択基準が何時もあった。



70曲ほど、自分で弾き語る曲をマイクとUSB Audio Captureを使いパソコンに吹き込んだとき、私は一冊の本に出会った。師匠が書いた「ボサ・ノヴァ・ギターが弾ける本」だった。
その当時私は、自分に真にしっくりと来るサウンドと歌を求めて、ボサノヴァが聴けるライブハウスをあちこち行脚していた。横浜ドルフィー、江古田バディ、六本木ノチェーロ、四谷サッシペレレ...
そして、「ボサノヴァ名曲集(加々美淳&大久保はるか)」や「Bossa Nova,Samba,Shoro & MPB Songs Words & Music Authers(ブラジルの音楽出版サイト)」を見ながら、ボサノヴァのギターコードとリズムと格闘していた時期だった。



ボサノヴァのテンションコードを、指の形でパターン化し、Maj7からm7, m9, m6、7th, 9th, 7-13, 7-5
dim,etcまで、図式化したコード表はとても分かりやすく、一気にボサノヴァの世界に入っていける気がした。

昨年の夏のある日、渋谷の教会地下のライブハウスで、中村善郎氏のボサノヴァ・ライブを聴くことができた。そのつややかで柔らかな歌声とギターの音色・カッティングの素晴らしさに私は感動した。

「Manha de Carnaval」を聴きながら、涙があふれた。

演奏が終わった後、何故か持っていた「ボサ・ノヴァ・ギターが弾ける本」にサインをいただいて(私もかなりミーハー!)、その場で弟子入りを願った。師匠は、穏やかな声で「では、田町でお待ちしています。」と言われた。



レッスンの楽しさに加えて、課後、仲間と飲む黒ビールも美味しい(10時頃
からの飲み会、というのもすごいけれど)。ボサノヴァにまつわる色々な話
や情報も聞けることがまたうれしい。自宅でのコード研究や、スタンダード
曲の習得も少しづつ進んでいる。

ま、当分のところ、ボサノヴァ漬けですね。





2008年5月16日金曜日

飽食(ほうしょく)の五段活用

この一文は、何年か前に山本一力氏が食の雑誌に
書いたコラム記事の記憶に基づいていることをまずお断りしておく。全体はもう忘れているが゛飽食の五段活用゛という言葉は今も鮮明に覚えている。

戦後も、はや60年を超えた。カツどんを例にとって話せば、子供の頃家族で外出してデパートの食堂や料理屋さんでカツどんを食べれるのはほんとに年に何回もなかった。豚肉のカツ揚げと玉ねぎを醤油出汁ごと溶き卵で煮、甘辛く包んでご飯に乗せた丼は、もう、お宝:「宝食」という位に輝いていて、無我夢中で平らげてしまうのが常だった。

豆茶飯と白魚の澄まし汁 調理と撮影 by TAKA


そのうち、お肉屋さんやスーパーで豚肉が買えるようになり、夕食に母の作ってくれたカツどんも登場するようになった。゛やったぁ~、今夜はかつどんだぁ~!゛と言うわけで、戦後の高度成長時代の豊かさを実感することとなる。はや、「豊食」の時代となった。
やがて、近所の蕎麦屋でも、定食やさんでも、家庭でもごく当たり前にカツどんが食べられるようになり、サラリーマンのお昼のメニューでは、゛またかつどんかよぉ~!゛ と、「飽食」のランクにカツどんも下がってしまう。

核家族化が進み、家族の生活時間もバラバラになっていく。亭主は仕事付き合いと称し深夜の帰宅、お兄ちゃんは塾通い、お姉ちゃんはサークル活動でまた夜遅く、女房どのは一応レトルト・カツどんは用意するものの゛レンジでチン゛して食べて、と言うわけで、まったくのほったらかし:「放食」と成り果ててしまった。
ある日電車の中で、私は異様な光景に出くわした。運動部活の帰りらしい男子高校生グループ数名が、コンビニで買ったカツどん弁当を電車の床に座り込んで食べていたのだ。不潔な環境で、周りの迷惑顧みずワイワイ言いながらカツどんを食っている男子たち...もはや阿呆の域に達している。「呆食」の時代。

宝ー豊ー飽ー放ー呆、これがほうしょくの五段活用である。

中国輸入食材の農薬漬け、米国輸入牛肉の狂牛病不安、輸入食材に頼り食料国内自給率が先進国中世界最低の国日本、と言うような外的要因だけでなく、マスコミが取り上げるグルメ情報や健康に良いという特定食材のみを追い求める視聴者のわれわれ自身、食に対する基本的なスタンスもあやふやでメタボ症候群の解消に一喜一憂する年配者たち。この国の「食」を考えるとき、私はほんとにテンションが上がってしまう。

罪深い我等人間たちは、大地や海洋の生きとし生きるものたち(動物・魚介類・海藻類・野菜・果物・穀類など)を殺戮し、そのエネルギーを体内に取り込むことでしか生命を維持できない。食材となる自然の恵みにまず感謝することから「食」は始まる。そして食材を生産し届けてくれる生産者への感謝がそれに伴う。安ければよいという名目で、食材輸入のために膨大な燃料を消費し世界中にCO2を撒き散らして地球温暖化のトップを走るような方法はやめて、安全で、大地のエネルギーたっぷりの季節の食材を届けてくれる国内生産者を応援することがなぜ出来ないのか!?

呆食、にまで落ちてしまった「食」のコンセプト(何が健康に良くておいしいのか)と「食」に対するスタンス(姿勢)を回復しなくてはならない。日本の伝統食の素晴らしさを再認識し日々の食生活に生かすことに、ひとつの大きな鍵があると私は思っているのだが...

2008年5月6日火曜日

花写真の編集

  上野東照宮の夏牡丹・島の藤 Photo by TAKA
今年は花の季節が、例年より一週間から10日ほど早いように思う。桜の開花時を一喜一憂して待つのは世間様の常のことだが、それぞれの花にも開花期があって毎年早かったり遅かったり...色々と心を悩ませてくれる。
牡丹花の名所も各地にあるが、今回はまだ訪れたことのない西新井大師(東武大師線大師前駅)に出かけてみた。ここは牡丹畑が五ヶ所あり、さまざまな種類のボタンが楽しめるはずだった。ところが、残念ながら牡丹花はほとんど散り終わっていた。藤棚も散り終わり、芍薬が咲き始めていた。こういうことは、間々ある。行く前に確かめていくのも良いのだが、案内人がまだちょっと開いたばかりでも、゛咲いてますよぉ~゛などと言うこともあるのであまり当てには出来ない。
花たちは、人間様の都合などとは関係なく、自然の摂理に従ってその花を開く。土・日のお休みまで待っていてくれるほど殊勝でもない。だから、咲き始めや満開の見事な時期に出会えるのも、また、散り始めの寂しい時期に出会えるのも、いい機会と思ってその風情を楽しむことにしている。
そうして花たちを楽しんで撮った写真がここ5年分程たまっている。残すべき写真を選びながら、撮影した時期や場所・花の名・種類(属や科)を、PCで一枚毎にタイトルを入れて時折整理している。今年に入ってふと思い立ち、別のファイルを作り花の種類毎にまとめ始めた。これが結構たのしい。まだ途中だが、同じ花でも沢山の種類に分かれるものもあるので(桜花や梅花、バラや花菖蒲など)、数えてみたらざっと100種類を超えていた!?
植物園などで三脚を担いだカメラおじさんやおばさんとよく遭遇するが、彼らのように三脚を立てて迷惑かえりみず、バチバチと撮ることは私の場合は無縁である。やはり、花を良く見つめることが大切で、花の方から゛私はここが一番きれいよ!゛と声が聞こえたときにシャッターを押すことにしている。もっぱら小さなデジカメだけれど、これがポイントかな!
GWも過ぎると、これから芍薬・夏バラや花菖蒲・紫陽花の季節となる。
さて、今年はどこへ出かけようか?

2008年5月4日日曜日

チリメン山椒

毎年初夏のこの時期になると、市場に実山椒が出廻って来る。ほんの2~3週間のことなのだが、これを手に入れて実に付いたヘタを取り、竹ざるに一週間ほど天日で干す。

茶色に乾いた山椒の実を一年間煮物などの料理に使う。安い中国製の物も中華料理の食材として売られてはいるが、香ばしさと安全性を考えると買うわけにはいかない。

白きくらげのチリメン山椒 調理と撮影 by TAKA


常備采として作るのは、チリメン雑魚と白きくらげに実山椒の組み合わせが多い。白きくらげを水で戻してからチップ状に刻み、鍋で水分を飛ばし、雑魚と実山椒を加える。お酒、みりん、醤油(8:1:1の割合)を入れ、落し蓋で出し汁が少し残る程度まで煮る(15~20分位)。これで佃煮の出来上がり、砂糖や醤油を大量に使わないので、上品な旨みが楽しめる。


温かいご飯の上に乗せたり、お豆腐の上に乗せたり、おにぎりの中身、チーズと合わせてサンドイッチにしたり、お酒のつまみ、薄切り大根にはさんでみたり...八面六臂の大活躍!?。
料理の常則で、゛海の幸と山の幸゛の組み合わせは美味しい。バリエーションで、干しにんにくやオクラと組み合わせるのも楽しい。

鰤大根の煮付け、鶏スペアリブのビール煮、イワシの梅煮、ナスの丸煮、巾着ナスと隠元の漬物、
白瓜のカミナリ干し、また、実を擂って鍋物の隠し味にする等々...実山椒の香ばしさと味の深みは、唐辛子や胡椒とも違う香辛料として、日本人であることの悦びを教えてくれる。


京都や善光寺など、古都の佃煮やさんにはチリメン山椒を売っている店も多いのだが、大変高価である。デパ地下の総菜屋さんの場合も例外ではない。カルシウムやミネラルが豊富、栄養バランスもよく健康にもいい食材が、自分のひと工夫で日々の食卓に並ぶのは嬉しいことだと思う。あまりに便利になってしまい、何でも買える゛飽食゛のご時勢だが、見直すべき食の課題はまだまだたくさんあるように思う。
                   にんにくチリメンとおくらチリメン                          実山椒のざる干し                       

2008年5月1日木曜日

江戸五色不動巡り・その②

                     最勝寺 目黄不動尊 Photo by TAKA

前夜のBOSSAギター課後に仲間と飲んだ黒ビールがまだ体に残っている感じで、朝食を抜いて出発。まず、三軒茶屋の目青不動に向かう。天気は快晴、今日は暑くなりそう。
狛江・豪徳寺・乗り換えで三軒茶屋(東急世田谷線)着。竹園山教学院は駅のすぐ裏だった。
シャチノキの古木が枝を広げる静かな境内の横手に小さなお堂があり、目青不動尊が鎮座していた(本尊は秘蔵、青銅像が奉ってある)。一応お賽銭をあげ手を合わせてから拝顔、青銅製で確かに青いが金網越しのお顔の目は良くわからない、青目?
奉納所(社務所)を訪ねて、ご朱印をいただく(300円)。私は仏神に帰依するものではないが、寺社を訪れたときは、ご朱印を頂き少しお話を聴くことにしている。社の由来や近辺のことも教えてもらえるので。

渋谷に出て山手線で目黒着、駅からぶらぶらと坂を下り目黒不動まで歩く(15分位)。立派な本殿への階段を登ると瀧泉寺の大伽藍が現れる。恐らくこの不動が規模では一番大きいだろう。日本人の神仏観は、キリスト教やイスラム教の唯一神教と違い多神教である。文殊菩薩が学業を担当し、愛染明王が縁結びを、不動明王は徐災疫難をというように(あまり詳しくは知らないが)。目黒不動の境内には、様々な仏様が居られて、交通安全から商売繁盛までありがたくお守りしてくれるというわけである。ここも本尊は秘仏で(12年に一度開帳される)、60cm程の木像不動明王が鎮座しておられた。


ご朱印をいただいてからバスで恵比寿駅まで、お腹もちょうど空いて来たのでアトレの中で朝食兼昼食
を。私の好きな豆腐料理の由庵でランチをいただく。この店は店内のミニ工場で豆腐を作り出来立てをお客に出してくれる。ナチュラル味の豆腐と鶏ささみ肉、黒米ご飯(珍しく大盛り!)とワインゼリーのデザートが美味しかった。

由庵の豆腐入りランチ / 目白不動の額縁 / 最勝寺の案内プレート











目白不動は、山手線目白駅から歩いて15分、金乗院の境内の小堂に奉られている。どの不動様もそうなのだが、廃寺や震災・戦災などであちこちに移され本日に至っている。各寺の不動縁起(しおりをくれる)を見ると、その数奇な運命と現在に至ってもなお庶民の信仰を得ている不思議な力を感じる。右手に降魔の剣を持ち、左手に悪を縛る縄を持ち、背中に炎を背負い、憤怒の形相で岩の上に座している。人間のあらゆる災・疫・難を救うまでは一歩も動かず!という迫力は凄い。この寺の不動(本尊は秘蔵)は、カラフルな立ち不動で愛嬌があった。


山手線駒込駅から歩いて20分(東京メトロ南北線本駒込駅徒歩2分)、目赤不動は南谷寺境内の小堂に奉られている。ここも本尊は秘仏だが、智證大師作と伝えられる不動明王の霊像は素晴らしいものだった。眼力があり、背中の炎がメラメラと燃え上がるようだった。住職の奥方と思しき作務衣のご婦人にご朱印をいただく。若い修行僧や住職本人、墓守の老職や二代目奥方など、色々な方に書いていただく寺名文字に人柄や枯れ具合が出ていて興味深い。

文字は人をあらわす、とはよく言ったものだ。


さて、3時を過ぎて最後の目黄不動に向かう。駒込から山手線・総武線に乗り平井駅下車、歩いて15分ほど、荒川の堤防近くに最勝寺はある。ここの不動のみが本尊であった。奉納所から拝観をお願いして本堂でご対面、天平時代(729~766)良弁僧都作と伝えられる不動明王木像は、奈良の昔をしのばせる様な迫力溢れる坐像であった。一番不動明王らしい、というか仏の教えを伝える憤怒と慈悲の心を表しているように思えた。

さてさて、一日の小旅行を終えて平井駅まで戻る。やはり、目の色ではなかったけれども、五色不動と対面しその縁を訪ねる旅は、これを守って後世に残していこうとする寺守の方たちとの出会いであり、江戸の街並みをイメージしながらの心楽しい旅であった。やはり、五街道説が一番すんなりとうなずけるかな、と思えた。





                      ご朱印帳にいただいた各寺の毛筆文字、なかなか達筆

江戸五色不動巡り・その①

                     南谷寺の目赤不動尊 Photo by TAKA

私の時代小説好きは、司馬遼太郎に始まり、池波正太郎、藤沢周平、佐伯泰英と繋がっている。他に何人かの作家もいるが、好きになった作家のものはほとんど読み尽くしたうえ、二度三度と読み返すといういうものだ。さすがに三度読み返すとしばらくはその作家から離れたくなる。


中でも、江戸の町を舞台とした剣術小説、主人公秋山小兵衛の「剣客商売」、鬼平の「鬼平犯科帳」、青江又八郎の「用心棒日月抄」、坂崎磐音の「居眠り磐音江戸草子」などはとても好きなシリーズで、本人の剣捌きもさることながら、江戸市中の古地図を思い描きながら、情景をたどって行くが楽しい。
本所・深川下町のたたずまいや、江戸城近辺の武家屋敷、浅草寺や神田明神などの寺社に交じり、しばしば目黒のお不動さんも登場してくる。


あるTVの旅番組で、江戸の街を守るために、目黒・目白・目赤・目青・目黄の五不動が置かれ、将軍家と武士・庶民の信仰を集めたことを知った。
 

なに~ぃ!!なんかの語呂合わせか~! これは一度、我と我が目で見ないことには!

と言うわけで、連休の一日、早速探訪に出かけた。こちとら、思い至ったら早いからね。
目青不動尊 教学院の静かな佇まい / 泰叡山瀧泉寺 目黒不動尊 / 目黒不動の石楠花 Photo by TAKA

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五色不動の由来にはいくつかの説がある。
①三代将軍家光が、天下泰平を願い、江戸の守りの場所に設置した。
  陰陽説:四神と五色の組み合わせで出来ている。
   東・青・青龍、 南・朱・朱雀、 西・白・白虎、 北・黒・玄武、 中央・黄・皇帝 
   (この場合、五色の位置が一致しないが...)
  密教説:この世を成立させる五色による。
   地(黄)、 水(黒)、 火(赤)、 風(白)、 空(青)
②江戸五街道の出入り口を守るために設置した。
  東海道(目黒不動)、中仙道(目赤不動)、川越街道(目白不動)、甲州街道(目青不動)、日光街道   
  (目黄不動・永久寺)、水戸街道(目黄不動・最勝寺)
③不動さんの目の色が五色である。
  この説は誤りで、目の色ではなく、身体の色だと言う説もある。

ふむ~!謎が謎を呼ぶようでなんか怪し~い。この当たり詳しく知りたい人は次のHPを見てね。