2011年10月31日月曜日

久し振りの新曲は、『君は、いま輝いている』

新曲のリズムは、少しJazzy なWaltz です。
臀部筋肉疲労によるいわゆる゛ぎっくり腰゛は、思いのほか快復が長引いた。先週の火曜日(10/24)の午前中のことだったから、今日床上げをして部屋を掃除したり買い物に出たりして、日常のことが差し障り無くできるようになるのに一週間の休養が必要だった。患部筋肉の伸張と収縮がまだ速やかでないので、腰を曲げたり伸ばしたりする時には少し痛みと違和感がある。でも、かなり快復している。今朝は身体各所の筋肉を確かめながら、久し振りにストレッチをゆっくりとやった。
コルセットをして、木曜日の午後だけは仕事に出た。もう大分良くなっただろうと言う思い込みだったが、翌日の朝からは、歩くことが出来なくなった。腰痛を甘く見てはいけないのだ。絶対安静にしているのが一番なのだ。鎮痛剤貼りによる湿布は、2日程したら幹部に腫れが出て止めた。皮膚が湿布薬に負けたようだ。次に携帯カイロをタオルに包み、ズボンの後ろポケットに入れて患部を温めたが、2日程経つと、低温やけどのような発疹が出始めたので、これも止めた。一番効果のあったのはコルセットであった。着けていると身体に動きに対して、痛みが減少するのがわかった。
時間だけはたっぷりある。ここ4年程の自身のライブ録音を選んで聴いてみた。初期の歌とギター演奏の下手なこと! 自分でも冷や汗をかく思いだったが、なにか熱気のような物が伝わってきて懐かしくも面白かった。最近のバンドを組んでのライブは音の拡がりがあり、自身の歌も演奏も随分滑らかになってきたのがわかる。ただ、PAがいまひとつなので、全体の音バランスはこれからの課題と認識した。11月にライブを控えている「ザ・タペストリー」のリハを聴いてみると、少しづつ音がまとまってきているので、もうひと息だと感じた。
来年1月の国家試験に備えて、介護福祉士の受験ワークブック(分厚い上下2巻600ページ)を読み、重要項目をチェックしながら学習した。腰と筋肉の痛みはあっても、頭脳を働かせることは出来るので、ひとつの項目を読み終えたら、項目終わりにある一問一答式の問題を解いてみる。今一時間前に覚えたことをもう忘れているのにがっくりしながら、記銘したことを保持し、再び想起できるまで繰り返すしかないと自分に言い聞かせる。なにせ、介護・福祉関係の法律に始まり、心理学・家政学や、身体構造と病気の理解、老人や障害者の理解、コミュニケーション論...等々、広範囲な専門知識と技術に内容が亘っているので、大変であることは確かだ。受験など、何十年ぶりだろう。錆付いた頭脳に、鞭をくれながら取り組んでいる。
前の項(10/26)にも書いたが、今後このサービスを続けていく上で、病気の理解(その病気特有の症状や障害の出方)とそれを踏まえたサービスのあり方をもっと身につける必要を感じている。私のようにフルタイムでなく、半分ボランティアの気持ちでやっているにしても、難病の方のケアは増えてきているし、難病を抱えながらも日々生きていこうとしている利用者の方の気持ちを理解し、それに寄り添っていく態度と技術をもっと磨く必要を感じている。そのための勉強と、ひとつの形としての資格取得を思い立ったのだが、まぁ、頑張ってやるしかない。

先週の日曜日、蒸気吹き出しが壊れたまま霧吹き器で代用して使っていたスチームアイロンがとうとう壊れた。熱がまったく出なくなった。そして、今日清掃中に、クリーナーの吸い込み口に繋ぐホースのプラ金具が割れて使用不能となった。どちらも、以前住んでいた練馬区小竹向原のマンションに移る時に、リサイクル屋で入手した物だった。中古でその後13年以上使った物だから、もうとっくに元は取れているのだが、「耐用年数オーバー」とか、「金属疲労」という言葉が頭をよぎった。そう言えば、ベランダにある洗濯機もだましだまし使っているが、そろそろ寿命になる。電化製品は買い替えが効くが、人間様の身体はそういうわけには行かない。やはり、故障や怪我のあったときは身体を休めて、自然の治癒力で快復させるのが一番だと思う。色々な符丁が出て、何かが変わりつつあるのを感じているが、行く先をあれこれ仮想しながら、いい意味での心身の休養となった。

体調は最悪で、ちょうど、傷ついた野獣(例えば、オオカミ?)が巣の中で傷を舐め舐めじっと回復を待っているような時に、新しい歌が出来た。タイトルは、『君は、いま輝いている』。幻を見たのではなく、こころの中で熟成してきた思いが、歌になったのだ。
若いときに親交があり、いままた同じ思いを持って集った仲間たちの歌と演奏が、始めはよろよろ・バラバラだったのが段々まとまって、素敵なハーモニーをかもし出す様になった。まるで、音楽の神「ミューズ」に魅かれたかの様に。「♪ 若きこころ歌に乗せ、君はいま輝いている ♪」、何のことはない、我等がバンド、ザ・タペストリーのことである。サビのところは、QP村山の好きな「青春とは人生の一時期を指すのではない、心の若さを言うのだ」(ウルマン)という言葉からもらった。
私の作った曲では初めての゛ワルツ(Waltz)゛だ。ちょっとスゥィングして Jazzy なリズムにした。近々皆さんにご披露するつもりだ。皆で一緒に唄えるタイプの歌なので、ライブの時に一緒に唄えたらいいなと思っている。お楽しみに!

2011年10月26日水曜日

筋肉疲労蓄積でダウン、しばらくの休養となった。



北からの高気圧線の間隔が狭まり木枯らし一号が吹く日、私は臀部上部の筋肉を痛めて仕事は休養日となった。患部を温めるために、タオルに撒いた゛携帯用カイロ゛をズボンの後ろポケットに入れてブログを書いている。

予兆はすでにあった。先週の忙しいスケジュールの中で、身体の筋肉各所に張りが出ていて、大臀筋に強張りがあった。おまけに弁慶の泣き所の左上部歯肉が浮いて痛みが出始めていた。通常の仕事をこなす中、月曜日(10/17)は、昼間神代植物園にバラを見に出かけ、2時間以上しゃがんだり中腰で写真を撮っていた。夜は、楽しみにしていた小川尚子さんのライブに出かけ、遅くまで盛り上がっていた。
水曜日の夜は、我がバンド「タペストリー」の定例リハ、来月のライブ本番に向けて集中した3時間リハが続いた。私は本番のステージを想定して、重いギターアンプを持参し、エレベーターのないスタジオ三階まで上げ下ろししてリハに臨んだ。土曜日には、池尻の事業本社会議室で講習があり一日カンズメ、折りたたみのスチール椅子(一応薄いクッションが付いているが)にすわり、お尻の痛くなるのを我慢しつつ講習を受けた。


勤めていた商社系企画会社を定年退職する時に、その後どうするかを考えていた私に、都行政で社会福祉の仕事をしていた弟がひとつヒントをくれた。思いっきり゛音楽三昧゛の暮らしをしたいと思う反面、趣味で時間を消費をするだけの生活でいいのかという疑問と、これまでお世話になったり迷惑をかけたりの世間様に、何かお返しは出来るのではないか、という気持ちが入り混じっていた。

「もう70歳を越えている男性のヘルパーさんで、とても料理の上手な方がいて、元気で働いているよ!」、このひと言が後押ししてくれて、私は今仕事をしている事業所での講習を受けて資格を取りサービスを始めた。その後すぐ、地元狛江の地域包括支援センターでの仕事も加わった。好きな音楽や他の趣味にも傾注しながら、片方で時間の許す限り、口幅ったいけれど「世のため人のために」になるお世話していくことになった。これを私は70歳までは続けていこうと決めた。

それからもう、3年半経った。10数年続けている毎朝20分のストレッチで体調を整え、調子の落ちている時には無理しないように心がけてきた。サービスに入るには、こちらのスケジュールで選ぶことが出来るので、仕事は午前中だけのこともあるし、午後から出かけることもある。身体に大きな負荷が掛からないような予定でやらしていただいている。しかし、高齢社会では、圧倒的に生活支援や身体介護を希望する方たちが増えて来て、事業所は人手が足りない。当初は得意な料理を生かしたサービスもしていたが、事業所の要請で難度の高いサービスが徐々に増えてきている。

私の担当する利用者さんのケア・マネージャーは、元看護士さんということもあり、利用者は難病の方が多い。いわゆる特定疾患、例えばアルツハイマー病による認知症、脳神経障害のパーキンソン病、全身の筋肉が萎縮して行く筋萎縮性側索硬化症(ALS)、脳血管障害による片麻痺・全麻痺、ガン末期等々...身体介護度も高いので、程度の差こそあれ当然日常生活動作(ADL)のすべてにケアが必要となる。食事・入浴・排泄・更衣・身体整容・移動・コミュニケーションなど、これは視聴覚障害や知的障害の方も同様だ。サービスを始めてから、もう両手の指を2度数える位のお世話した方たちの死を見てきている。

そして、サービスのほとんどにトランスファーという移乗・移動が伴う。ベッド⇔車椅子、ベッド⇔トイレor 簡易トイレ、車椅子⇔入浴用車椅子、車椅子⇔乗用車など。この場合、介助者は利用者の身体に密着して身体を両腕で一瞬持ち上げて移す。利用者の全体重が介助者の腕・足・腰に掛かるので、細心の注意が必要だ。この仕事の職業病として介護スタッフは゛腰痛゛を多く経験している。それを避けるためには、゛ボディ・メカニックス゛という身体機能を利用した対応技術があり、「てこの原理」や「重心の水平移動」や「支持基底面積の広さ」など、利用者の残存能力を引き出しながら、利用者にも介助者にも負担をかけない方法を使って介助することが必要となる。

やや専門的な話になったけれど、腰痛対策には私もかなり気を使い、ボディメカニックスを駆使しながらサービスしてきたので、この3年半は腰痛なしで来た。多少腕や腰の筋肉が張っても、入浴後にバンテリンなどの鎮痛消炎剤を塗布したりして予防してきたのだが。今回は、体調が万全でない中、脳梗塞後寝たきりのNAさん(残存能力はほとんどない)宅でベッドからP.トイレへの移乗時に、右大臀筋上部に強い痛みを感じ、すぐ事業所統括のHO氏に来てもらい、サービスを代ってもらった。大事をとってすぐ帰宅、静養することとなった。予約していた歯科院に夕方出かけ、歯肉炎の治療とそれをを押さえる鎮痛剤と抗生物質を処方してもらった。

いわゆる゛ぎっくり腰゛は、腰椎や筋膜、仙骨関節の損傷や炎症に伴う痛みだから、もっと身体内部のはげしい痛みがあると思うのだが、私の場合はその一歩手前の筋肉痛だと思う。普通に歩けるし自転車にも乗れる。ただし、中腰から立ち上がるときや重いものを持ち上げる時にはまだ傷むので、もう1~2日静養に努めることとしよう。

 残念ながら、美味しいお酒はしばらく控えなくてはならない。

私の好物の銀杏と葱間(葱とマグロ)が入った゛あつあつおでん゛(左)


大根もこれから美味しくなる。鰤大根と銀杏ご飯(下)

調理と撮影 by TAKA







こんな時は、前に撮った料理写真を引っ張り出してみた。
旨いお酒を早く飲みたいなぁ!

2011年10月24日月曜日

秋バラの美しい季節になった。


中輪の「花霞」(日本・F)、白の花芯から花弁の縁に拡がる斑紅色が美しい。 All  Photo by TAKA
秋バラの季節だ。10月は結構雨が多く、それも週末に降ることが多かったので、行楽に出かけるのを躊躇する日もあったが、先週の週明け月曜日(10/17)に、神代植物園に出かけた。何せ、家から近いこと(チャリで20分)と、バラの種類の多さと手入れのよさではバラ園の中でもトップクラスなので、やはりここにくることが多い。

秋バラは春バラに較べると花数は少なく半分くらい。冬を越して充分休養した春と、猛暑を越して来た秋とでは、バラの体内エネルギーも蓄えの差が出るものと思う。しかし、花数の少ない分花色は濃くきれいになるので、秋バラを見逃しには出来ない。何度も来ている植物園なのに、国産の中輪・「花霞」(写真上)が咲き揃っているのを始めて見た。ツルバラの「カクテル」をやや大きくしたくらい、一重の花弁は、白から紅への色のグラデーションがきれいでとても愛らしい。丈の低い枝と幹が密集し、花と蕾がたくさん咲き揃っている様を見て、何故かアイドルグループの゛AKB48゛の女の子たちを連想してしまった。
 アメリカーナ(米・HT)の赤色は深紅で華やぎがある。バラの赤色も、ややオレンジがかった明るい色から、黒味がかった濃い色までたくさんの種類があるが、この花色はほんとに゛真っ赤゛だ。元気の出る色だと思う(左)。










同じアメリカ産(HT)の「サマー・シャンシャイン」(右)は、゛真っ黄色゛のバラだ。黄色バラは、白色が混じったり、花弁がすぐ変色して朽ちてしまうものが多い中で、このバラはほんとにきれい。
珍しい品種(米・HT)では、男性俳優の名を付けた「ヘンリー・フォンダ」があるが、このバラもやや濃い目の鮮やかな黄色で美しい。私は六会の日大バラ園で見たが、そう言えばしばらく訪れてないなぁ。





私の好きな「マチルダ」(仏・F、写真左) 、中輪の艶やかなこのバラの良さは、蕾が開き始めた時と、花が満開になった時、そして花弁がすべて開き切って扁平になった時、全部が美しいことだ。花色も衰えることがない。私は、南仏の小柄で洒落たフランス女性が微笑んでいる様をイメージするのだが、何故かハリー・ベラフォンテが歌う「Matilda」は、カリブのカリプソ・サウンドなのだ!
♪ Matilda, Matilda, She take me money, And run Ve-ne-su-ela ♪




同じフランス産の「シルバ」(HT・右)は、明るいサーモン・ピンクの中輪種、物腰柔らかで優しい女性をイメージさせる。でも、輪郭ははっきりしているから、シャンとして物怖じしないタイプか?
勝手な想像を逞しくしたが、春バラでは見られなかった種類をたくさん見ることが出来たし、この秋も美しいバラたちと出会えて写真に残すことが出来て、とても楽しかった。

2011年10月21日金曜日

ライブ訪問記:小川尚子 青山スパイラルCAY・ライブ


ACギターを弾きながら、しゃべり・かつ踊り・唄う尚子さんのエネルギッシュなステージ All Photo by TAKA

「いつの日もタカラモノ」・オリジナルアルバム Vol.6 発売記念ライブ、とタイトルした小川尚子さんのライブを訪れた(10/17日)。場所は、青山スパイラルビルのB1F、本格的ライブステージを持つタイ料理のレストランバーCAY、表参道・青山通りに面したビルのオシャレなライブスポットだ。私も久し振りに都心の夜を満喫した。

小川尚子さんのライブを聴くのは初めてだ。YAさん(後述)に、彼がジャケット・デザインし自らもレコーディング参加した(E.G)五枚目のオリジナル・アルバム「ヒコー少年」をいただいて、その゛ストレートで飾らない゛言葉で綴られた曲と歌が、ハートの温かさと熱いエネルネルぎーを秘めていることに心魅かれて、機会があれば一度ライブを聴きたいな、と思っていた。ちなみに、ヒコー少年は、「飛行少年」であり、「非行少年」ではない、念のため。

尚子さんは三重県桑名市出身で、19才の時にミュージシャンとして一度プロデビューしている。一年の活動後紆余曲折があり、結婚、二人のお子さんを育てた後、42才でまた歌を唄い始めたと言う。現在は横浜で音楽教室の講師をしながら、東京・横浜のライブハウス中心に活動しているとのこと(HPのプロフィルより)。ステージは、その゛桑名のオネエ゛が顔出しする本音トークが絶妙で、MCは吹き出しに次ぐ爆笑で大いに湧き、自ら゛ロックン・ローラー゛と名乗るパワフルな歌にまた会場が盛り上がると言う展開。オリジナル・ソングに挟んで、昭和歌謡(東京ブギウギなど)やオールディーズの「ROUTE66」なども唄う。レパートリーの幅がとても広いのは、きっと自分のハートに響く好きな歌をジャンルに拘らずに唄っているのだろうと感じられた。

 「昭和歌謡」から『星影の小径』をしっとりと弾き語りする尚子さん、バックは7人のプロ・ミュージシャン達
尚子さん(ご自分のことを゛なおねー゛と呼んでいるが)を支えるミュージシャンスタッフの面々がまた凄い。オリジナルアルバムに参加している方たちを拝見すると、2枚目のアルバム「ギュってしてね」からメンバーが揃いだし、5枚目の「ヒコー少年」でほぼレギュラーメンバーとなったようだ。細井豊(Pf/Accord)は、自分のバンド:センチメンタル・ロマンスの音楽活動をしながら、竹内マリア・加藤登紀子・薬師丸ひろ子等のレコーディングやステージに参加。長岡敬二郎(Perc)は、日本では少ないブラジル・パーカッションとバンディエロの専門家で、小野リサや南佳孝のレコーディングやステージに参加、今年(10~12月)も小野リサの台湾・中国公演に参加してアジア各地を廻っている。並木健司(Gt)は、「ジャズギター・スタンダード」(中央アート)等の教本を出版し、ギタリスト・アレンジャーとして活躍、NHK「生き物地球紀行」のサウンドトラックCD等のレコーディングにも参加...。
3人に加えて、大西真(Ba)、深沢剛(Harp)、今回からのアルバム参加の細川泰典(Fl)、平松加奈(Vio)達とのステージは、アルバム・レコーディングの直後ということもあり、乗りのよさといい、まとまりといい、とても豊かな音の広がりと掛け合いが感じられてよかった。信頼できるスタッフに囲まれて、尚子さんはとても気持ちよさそうに歌っていた。
今回のアルバムと、尚子さん・出演者全員のサインをいただいたカバー・ジャケット。尚子さんが皆さんを廻ってサインを集めてくれた、ありがとう!
今回のステージで歌った「いつの日もタカラモノ」は、彼女の二人の娘に対する思いを素直に歌ったバラードで、カントリー・ソングのような弾む気持ちとやさしさに満ちた母の思いが溢れていて好感が持てた。同じ作詞者(カナツカケイコ)による「For my soul ~どうしても伝えたいこと~」は、YAさんとの運命的な出会いを歌にしたもので、゛♪ 恋じゃなく 打算でもなく ふたつの魂が ふと出会った ♪゛と、ロックンロールの乗りのいいリズムで彼女は唄った。前アルバムの「ヒコー少年」には、このときのエピソードが、ライナーノートに詳しく書かれている。

YAさんは、私が昔商品企画会社をやっていたときに、デザイン会社代表としてお付き合いがあった方で、有名ミュージシャンのレコードジャケットを数多く手がけていた。20数年後、難病と戦っている彼と私は介護担当として再会する。これも運命が辿り寄せた出会いとしか言いようがない。それからもう一年半以上が経つが、進行する病に勝負するかのように、今もYAさんは週何日か都心の会社に仕事で出かける。何人かの担当が交代でお世話するが、週1日私は日常生活動作をお手伝いし、会社に出かけるまでをケアする。大変デリケートで難度の高いケアだ。

尚子さんはこのステージで、前作の「ヒコー少年」、「どうしても伝えたいこと」に次いで、「王様の憂鬱」を披露した。なんと、YAさん作詞・小川尚子作曲だった。何時の間に詞を作ったのか、それだけでも驚きなのだが、彼の生きる意志を感じて私は心が震えた。

『朝起こされて、食事もお風呂も着替えも、皆が助けてやってくれる
会社へは車で送ってもらい、着けば階段を車椅子ごと持ち上げてくれる

でも本当は、自分で着替えしたい、足で階段を昇りたい、
自分でやりたいんだ でもそれが出来ない

王様は何時も思っている 感謝しているんだ
いつかそれを伝えたいと 

そして、ぼくは明日と未来に向かって行く...』

そんな内容の歌だった。頑張れYAさん


それから、今回のライブで秀逸だったのは、このバンド演奏のPAコントロールだ。尚子さんのヴォーカル音はクリアできれいに立ち上がっていた。 それを10程度とすれば、他の楽器音は7~8。生音系のヴァイオリンとフルートは楽器直結の小型コンデンサーマイク(これは私もGtで使っているのと同じタイプ・写真左と左下)、ブルースハープはダイナミックマイクで入力。ピアノは裏側と表側で2本のマイクで。なんと、パーカッション(カホンとシンバル・バスドラム)は、頭上のマイクで拾っていた(ステージ全員写真を見てね)。


ACGt、ELGt、Ba、の弦系は、すべてアンプ直結。オペレーターのK氏にちょっと聞いてみたが、生音系とエレキ系、音量の大きなドラムスやサックス音をバランスよく整えるのには、入力のセッティングに気を使いますね、とのこと。それにしても、とても心地よい音だった。見事なPAコントロールに、さすが専門家は違うね、との思いで納得した。
会場のアンコールに応えて、最後にサンバの名曲「Tristeza」を尚子さん訳の日本語とポルトガル語を交えて彼女は歌い踊った。なんと、会場のお客さんもステージ前で二人で踊りだした。゛♪ ラララァ~ラ、ララララァ~ラ ラ~ラ ♪ ゛皆で楽しく一緒に唄った。この歌はライブのラストで唄われることが多いが、長岡氏のバンディエイロがリズムを刻み、並木氏のボサノヴァ・ギターがコードを刻み、会場は湧きに湧いて、エンディングにふさわしい盛り上がりとなった。
後日彼女のアルバム情報に目を通していたら、ファーストアルバム「月の輝く夜に」には、我が師匠・中村善郎がGtでレコーディング参加しているではないか! 彼女はボサノヴァギターを中村善郎に習ったとのこと。それでは、私と彼女は同じ師の門下生? ということで、また彼女に対する親しみがグ~ンと増したのだった。
以下、小川尚子さんのHPアドレスを載せておきます。

2011年10月9日日曜日

柿の実・栗の実、狛江周辺も秋らしくなって。


自宅近くの柿畑で鈴生りに実る柿の実、澄んだ青空とのコントラストが眩しい All Photo by TAKA
 のっけから尾篭な話で恐縮だが、最近立て続けに二度お腹がゆるくなり下痢をした。日中の気温が夏日で翌朝は10度近くも下がったり、一日中15度近辺を行ったりきたりなど、寒暖の差に身体がついていけずに体調を崩したのかなと思っていた。ただ、体調には日頃結構気を配っているほうなので、二度も続くのは何かおかしいなと思い、良く考えてみたら何のことはない、食べすぎだった。一度目は、そろそろ焼酎のお湯割りもいいなというわけで、夕食の惣菜にニンニクの紫蘇漬けをつまんだところ、なかなか旨かったのでつい食べ過ぎた(20粒くらい)。栄養価も高くしゃきしゃきという歯ごたえもいいので、何時の間にか沢山つまんでしまったらしい。♪今は夜中の三時ごろ~♪ にお腹がゴロゴロごろごろと鳴り出し、トイレでお腹の物をすべて下すこととなった。

もう一度は、最近出回ってきた秋の果物・梨(豊水)を食べ過ぎたこと。私の朝食はまず果物から始まるので、季節の果物を切らすことはないのだが、今の時期なら、ブドウ・柿・梨、リンゴもこれからおいしい。バナナやアボカドもよく食べる。
豊水は水分も多く甘味も強いので、美味しくてつい食べすぎた。何時もは半切れなのに、丸々一個食べてしまった。案の定、朝食から2時間位経って、お腹をすべて下してしまった、やれやれ!  養生からすれば、ほんとに゛もったいな~ぃ! ゛ということになる。リンゴならば、逆にお腹を固める方に作用するのだが、梨はいけませんね、気をつけねば。
栗畑でも、たわわに実った栗の実が、イガから顔を覗かせている。



私の住んでいる狛江は、木々を育てている造園業や野菜・果物を生産する農家がまだ多いので、植木畑や野菜畑・果樹園が多く残っていて、農家の玄関や軒先で自家畑で取れた野菜・果物を販売しているをよく見かける。大概は、一袋・一山100~200円で、売り場(と言っても、板張り小屋に台を乗せた程度)の脇にあるコイン入れ箱に自主的にお金を放り込み、品物を持っていくシステムだ。地元の主婦達もよく買っているのを見るし、私も時々利用させてもらう。今回も地元産の柿を買ったが、なんと二個で100円! 家で早速食べてみた。まだ充分熟していなかったせいか甘味がやや乏しかったが、歯当たりがよく新鮮で美味しかった。
ただ、この自宅周辺の景色が最近急速に変わりつつある。生産者の高齢化とか、相続の際の税金対策とか、色々原因はあるのであろうが、野菜畑や果樹園が宅地や建売住宅、企業の流通センターやDIYなどの郊外型大型店舗に変わっていく。
畑の野菜の緑がなくなり、果樹園の木々と果物の色合いがなくなり、一角に咲いていた花々や木々の花色がなくなり...建物の無機的な色が増えていくのはちょっと寂しい限りだ。

新築の建売住宅が並ぶ宅地の脇に咲き残る野菊の花、明るい秋の日差しに折から豹紋蝶が飛来して蜜を吸っていた。







今年に入ってから特に目立つこの宅地化傾向は、やはり時代が急速に変わっている証なのかと思う。貴重な緑地と野菜・果物の自家生産を残していく道はないのか?
五木寛之氏言うように、人口構成も経済も登山で言えばすべて下り坂の時代なのに、何故か政治も経済対策も人々の欲求も上り坂時代の発想と対策のままだ。
私自身で言えば、50歳台に入った頃から自らのリストラ(体型やライフスタイル)や生活の断舎利を済ませ、今は地域の福祉サービスをしながら好きな音楽を仲間と楽しんだり、季節の花々を愛でる慎ましやかな生活を送る身としては、自宅周辺の景観の変貌振りはとても気になるのだ。