2012年4月29日日曜日

春爛漫、千年乃藤が咲き始めた。


野川の清流に沿って続く遊歩道には菜の花が咲き乱れ、両岸のサイクリング・ロードには里桜が満開。All Photo by TAKA

ゴールデン・ウィーク入りの一日、調布駅に近い国領の「千年乃藤」を見に出かけた。実際の樹齢は500年程らしいが、地元の人達からは゛千年乃藤゛と呼ばれ、畏敬の念をこめて親しまれている。例によって電動チャリに乗って出かけた。今年の1~2月の酷い寒さのため、バッテリーの稼働時間が半分ほどに落ちて、もう買い換えないといけないかなぁ、と気にしていたのだが、何のことはない、気温が温かくなってきたら元どおりに回復した。さほどに今年の冬の寒さが厳しかったわけだ。

この千年乃藤は、以前は大きなケヤキの木に絡まっていたのだが、昭和47年に落雷のため大木が朽ち、今は替わりに建てられた電柱2本に支えられ、一度上に登ってから下の大棚に広がる、という珍しい樹形なのだ。甲州街道のすぐ脇にある国領神社のご神木として、毎年多くのファンが訪れる名所だ。例年、G.Wの頃が満開時だが、今年は1週間ほど遅れで咲き始めたばかり。でも、藤の花香が辺りに漂い、薄紫の花房が沢山垂れる様はとても美しいく、春から初夏への季節の変わり目を堪能できる。

野川に沿って自転車を走らせるうち、途中の脇道にハナミズキの樹に出会って、しばしこの花に見とれた。白と赤の゛花弁゛は、実は苞(顎片)であって、真ん中の地味な黄色のつぶつぶが花とか。ヤマホウシは、似た花姿だけれども、色は白のみ。アメリカ産は華やかさで勝るが、名前の面白さでは国産に軍配が上がる。



















一走りし藤を見たので、ちょっとお腹を満たそうと思い、つつじヶ丘に向かう。何時も買い物に行く食品スーパー゛オオゼキ゛の対面に、手打ち蕎麦の゛すずもり゛というお店があるのだが、買い物をチャリに積んでいるので、お店で蕎麦を食べようと思ってもなかなか出来なかったので、手ぶらの今日はいい機会だった。初めて店に入ると、入り口脇に蕎麦の手打ちスペースがガラス越しに見えていい雰囲気。昼前の空いている座席に座り、お品書きを見てひと通り注文した。


まず、「水芭蕉」なる吟醸生酒で一杯、付き出しの豆腐をつまみ、肴のキュウリの辛子漬けと山芋・蛸の包み揚げをいただく、これがなかなか旨かった。あとのざる蕎麦は、十割蕎麦で歯ごたえがシャキっとしていて美味、刻み海苔がたっぷり付いているのもよい。蕎麦湯のネットリした味も好ましかった。写真で見ると結構地味な色合いだが、なかなかどうして、味はしっかりと旨かった。
「蕎麦屋で一杯」というのは、私の昔からの好みで、旨い酒と蕎麦は、至福のひと時であります。この店にまた寄る楽しみが増えた。

自宅に戻る途中、柴崎の゛青木屋゛に寄り、この店の名物菓子「くろどら」を買い求めた。青木屋はつつじヶ丘の゛春木屋゛とともに自家製和菓子の名店で、私のお気に入りの店だ。「くろどら」は、沖縄産黒砂糖と千葉産長生卵を使用した生地をふっくらと焼き上げ、備中産赤小豆の粒餡をたっぷり入れたどら焼きで、「日々是くろどら」の名前が付いている。゛ふっくらとあまい゛くろどらを、午後のお茶時に、渋い茎茶を飲みながら食べた。何か、とても寛いだ一日だったように思えた。



昨日、KDDIの営業担当者が自宅に携帯電話の無料取替え機種を持参して来た。長年(7年以上になる)故障もせずに使っていた京セラ製の携帯電話の電波枠が7月に無くなるとのこと、よく聞いて見ると、スマートフォンの爆発的な普及のために、古い機種の電波枠をそちらに回すためだという。こちらはとんだ迷惑だが、7月以降は使えなくなる、と言われれば仕方がないか。

この際、I-Phone やスマートフォンの新機種に替えようか、とも思いサンプルも持ってきてもらった。しかし、よく検討してみると、スマートフォン自体が小型パソコンであり、プロバイダー契約料もPCと同様に掛かる。写真機能は、持っているデジカメ(Ricoh)には到底及ばないし、録音機能もICレコーダーにはかなわない。
I-Phoneの機能やデータ容量には魅力を感じるが、これを使うには゛アップル独立国゛に入らねばならないので、従来使いストックしてきたデータとの互換性はなくなる。
結局、無料で新型の携帯電話(今回は富士通製)を取得して、通信機能(メール)に絞ることにし、
契約も一番安い基本的なものだけにした。まあ、コストパーフォマンス優先と各機能のクォリティを選んだ、ということでしょうか。

スマートフォンを含めて、PCを2~3台自前で持つ余裕のある方はいいと思うが、若い人たちはデスクPCや固定電話を持たずにスマートフォンだけ、という人たちも増えているとのこと。すべての情報を一台で管理できると言うのは便利かもしれない。しかし、情報のクォリティを追求するワンステップ踏み込んだステージに入ると、スマートフォンだけでは済まなくなるのでは。
「何でもできると言うことは、結局、何にも出来ないということだ。」という箴言もある。

私の新しい携帯には、千年乃藤の神社社務所で手に入れた゛藤の鈴゛付きのお守りがつけられた。また、長持ちしてくれるといいなと思う。

2012年4月15日日曜日

大木さんのライブハウス・オープンは、大賑わいだった。

             娘さんからお祝いの花束をもらって大喜びのオーナー・大木さん All Photo by TAKA

JR京浜東北線新子安駅の近くにオープンする(正式には4/24日)ライブハウスの店名は、『ミュージック・スペース グレコ』、オーナーは大木さん、この春、学校の校長先生を定年退職されて、前々からの夢だったこのライブ・ハウスをスタートされた。音楽仲間や知人からは皆で、大木先生と呼ばれ親しまれているが、ここでは大木さんと呼ばせていただく。彼は、若い頃は一時プロのピアニストとして活躍されたのだが、転進して学校の先生となり教職を全うされた。しかし、「趣味の音楽活動をさらにもっと楽しみたいと願い、ライブハウスを開いた」、と挨拶で述べられた。この日は、それを祝福する音楽仲間達が多数集まり、雨の中を駆けつけた人たちで30席程のお店は超満員となってしまった。

「のどごし生バンド」(通称)のピアニストとして、またコンサート・マスターとして8年の音楽活動歴がすでにあり、最近の彼の素晴らしいアドリブ演奏を聴いて、私も大いに魅せられている一人だ。このバンドのドラマーであるQP村山(ザ・タペストリーのドラム担当でもある)の紹介というご縁があって、今までに2度セッションでこのバンドをバックに私は弾き語りをして楽しませてもらっている。開店お祝いパーティにはぜひ寄らせてもらおう、と思っていたが、私のような思いの方は他にも多数居られて、なんと、この日は10バンドが集まって、次から次へ開店の祝辞と歌・演奏を披露された。イヤハヤ、とても賑やかで楽しいパーティとなった。大木さんのスタートを祝福する皆さんの温かい気持ちで、ライブハウスは和やかさとハッピーな気分に満たされた一夜だった。以下、演奏と祝杯の合間にほろ酔い気分で撮ったフォトを載せますが、あくまで私的なものであり、撮れなかった方もおられることを了承願いたいと思う。

ユーミンの歌を唄う男だけのバンド「漢組(おとこぐみ)」、今夜はVo:ダチョウさんの奥方も登場。懐かしいユーミン・ソングに皆ウットリ。
ジャズのセッションタイムでは、大木さんのピアノにFl・Sax・Dr・Ba が入り、「枯葉」など乗りのいい演奏をご披露。後ろで盛り上がっているのはQP村山とサトウ氏。










コーラス・グループ:ASMOブラザースは、参加者の平均年齢をグーンと上げることに貢献。「場違いな歌」と釈明しながらも、ボニージャックスか、はたまたダーク・ダックス並みの素晴らしいハーモニーをご披露(題名は不明)、会場からはヤンヤの拍手!





女性二人のヴォーカルで、「恋のヴァカンス」や「ウィスキーはお好きでしょう」など、懐かしのJ-POPS唄った「ダンディ・クイーン」、最後にGt I氏の「デスペラード」もご披露。バンマスはピアノのKBさん。
 □私も、一応ザ・タペストリーを代表してソロで2曲を弾き語り。ボサノヴァを唄うつもりが、「アントニコ」を唄った後、何故かオリジナル曲:「あなたの側で」をご披露。皆の演奏の心地よい音に包まれて、幸せな気持ちを表したくなった。バックにQP村山が、ブラシの打音を刻んでくれた。
Photo by Kataoka




トリは「のどごし生バンド」の面々、月例ライブをこなしてきたせいか、「ルート66」、「All of Me」など音のまとまりがいい。圧巻は、TAKA作詞・QP村山作曲の「愛とも知らないで」。このバンドが演奏するのを聴くのは初めてだったが、バックに女性コーラス2人が入り、歌うアンディと大木さんのピアノ伴奏とがとてもハーモニーしていて良かった。編曲した私にも予想以上だった。これからも歌ってくださいね!!
アンコールの最後は「ジョニー・ビー・グッド」、アンディのツイストに乗って皆が踊ったり手拍子したり、大賑やかに盛り上がって、パーティは終了。
ご挨拶の中で、大木さんが、今宵集まってくれた方たちへのお礼の言葉と共に、「このライブハウスを続けていけるよう皆さんのご協力とご支援を! 」と述べられていたが、ライブハウスとてなかなかご商売の難しいご時勢ではある。冗談交じりに「まずは、I さんには家賃の方をよろしく。ついでに光熱費の方はBさんに!」と言われるのも分かる。出来る範囲で応援していきたいと思うので、私も時々お店に遊びに寄ろうと思っている。ボサノヴァ好きの方たちに遊びに来てもらい、月一回の「ボッサ・ナイト」みたいな企画も考えてみようかなぁ。

2012年4月8日日曜日

旧年の桜、今年の桜。


         □玄関ドア前に広がる満開の桜風景、今年も花を沢山つけて見事だ。 Photo by TAKA

花冷えの週末、首都圏は桜の満開を迎えた。先週末の゛暴走豪雨゛(゛ゲリラ豪雨゛でなく、面白い言い方をしていた天気予報)の時は、まだ蕾だったから、花の満開を嵐の風と雨で散らされずに済んだ。私の住む団地には桜の古木(樹齢60~70年ほど)が40数本植わっていて、毎年見事な花を咲かせるので、近くの野川遊歩道と共に桜の名所となっている。近隣から来られる方達が、公園でお弁当を拡げながら花見する姿もよく見られる。今日はもう、強い西風に吹かれて、ハラハラと散り舞う花びらを見ることとなった。ソメイヨシノの寿命はまことに短い。

桜の名所や花見スポットは、日本人であれば(最近は外国の人も)誰でも何ヶ所か持っていて、春のこの時期の楽しみだと思うが、かく言う私も一時期゛桜フリーク゛になっていた。樹齢千年とか千五百年とかいう古木を訊ねて、関東・東北・中部各県を巡ったり、近隣の枝垂れ桜の名所を訪ねたり、春の桜の時期は心を悩ます、そして忙しい日々だった。三春の滝桜、根尾谷の薄墨桜、置賜の桜街道、そして、身延山久遠寺の枝垂れ桜、高遠城址公園のエドヒガン、等々...花友と共に、また一人で、各地を巡った゛さくら旅゛は、画像に残した花姿と共に今も私のいい思い出として沢山残っている。

母の晩年の介護と終末期の世話のため、この地(狛江)に移ってきたが、毎年家の前に広がる見事な桜の花姿をすっかり気に入ってしまい、結局ここに住み着いてしまった。母をあちら側に送った後も、桜の花時期は蕾から開花・満開、そして散るまで、毎日朝・昼・晩、目の前で見られるのをいいことに、ここ2~3年は桜旅ともご無沙汰をしている。TVのニュースで、福島県の三春町は、事故を起こした東電原子力発電所から40キロ圏にあるため被災者を受け入れ、今も15ヶ所・1,400人ほどの人が仮設住宅で暮らしていると伝えていた。町中に桜が植えられており、街並み作りや桜の保存に熱心でとても綺麗な街並みだったことを思い出し、仮設住宅の点在で町の景観も大分変わったろうと憶測するのだ。


樹齢千年といわれる「三春の滝桜」(エドヒガン:上)と、常楽院桜(下)、共に枝垂れ桜だ。


我が家の前の夜桜も、幻想的で美しい。
私事ながら、今年の国家試験は不合格だった。一次試験が割合簡単だったので気持ちが緩んでしまい、二次試験の充分な準備を怠った。試験当日の極寒な気候にも体調が整わず、力が充分に発揮できなかった。わが身も「サクラ散る」、である。まあ、も一度来年チャレンジしてリベンジしよう、と気持ちを入れ替えた。これから梅雨の時期まで、花の季節が続く。心躍らせる花との出会いが楽しみだ。

2012年4月6日金曜日

結晶性記憶の片隅からよみがえるものは、

桜をテーマにしたAさんの大作を前に、4人揃ってパチリ、私もちょっと入れていただいて。Photo by Gallery Staff
住宅街が拡がる私鉄沿線駅前にある公設ギャラリーで、Aさんの絵画グループ展があるということで、出かけてみた。Aさんは、絵画歴5年とお聞きしたが、大作をふくむ4点を出品されており、グループ40人で計147作品という充実した展示会だった。具象画あり抽象画あり、モチーフも花あり山あり街並みありで、出品者が創意を込めて描かれている゛熱気゛が感じられ、また、これだけ作品が集まると色々なタイプの作品を見ることが出来て楽しかった。桜の作品(油彩)は、色を重ねるのが難しかった、とAさんは言っておられたが、どうしてどうして、なかなかの力作と拝見した。
その中に、Aさんの゛ダリアの花゛を描いた小作品があり、私はこの絵が気に入った。他にも何点か同じ花を描いた作品があったのだが、Aさんの絵は、構図が大胆で花や葉の色にもメリハリがあり、画面から花が乗り出してくるような力があった。Aさんとは3月末に高校の在京同期会で何十年振りにお会いしたばかりなので、高校卒業以来どんな人生を歩まれてきたかほとんど知らないのだが、波乱万丈の中を逞しく生き抜いてきた片鱗を感じさせてくれる花の絵だった(ちと、大袈裟かも! )。しかし、ご他聞にもれず、結局女性の方が強いことは皆さん承知であろうから、私の懐いた感慨もあながち間違いではないと思う。
春の嵐一過、青空が広がったその日、Aさんの高校時代の学友がお三方集まっておられ、そのまま私の同期生でもあるので、私は実にウン十年ぶりに皆様にお会いしたことになる。絵画展をゆっくり見た後、Aさんの案内で近くのレストランのランチをご一緒することになり、美味しい魚料理と飲み物をいただきながら、歓談が続いた。
Bさんは、やはりこの私鉄沿線駅近くにお住まいで、最近娘さんが出産され、お孫さんが出来たと喜んでおられたが、遅いお孫さんの誕生を皆で祝福した。高校時代に多くの男子生徒から熱い視線を浴びていたBさんから、「TAKAさんは、結構有名人だったわよ!」と言われて、一瞬目が点になった。「そんなはずはないですよ!」と身に覚えのない話を打ち消したが、Aさんからも「そうだったわよ。」と言われて、私の記憶は一気に17歳当時に駆け戻った。
人の記憶というものは、ご存知のように流動性のもの(短期記憶)と結晶性のもの(長期記憶)がある。結晶性のものでも、骨董屋の表戸棚に陳列されているような周知の物と、裏の倉庫から埃をハタキで払いながら出してくるような物もある(例えがなんですが、)。高校生のその当時、私は聖職者だった父と教団代表から、遠い長崎にある神学校入りを強く勧められており、自分が学びたいフランス語とフランス文学を修めるため東京の大学にいくかの選択を迫られていた。そのため、人生をあれやこれや思い悩んで、半ば゛隠遁者゛のような心持ちで生きていたから、゛有名人なんてとんでもない゛ことだった。結局私は自分の意志を押し通し、文人たらんと四谷のキャンパスで学生生活を送ったが、それが私の堕落の始まりであった。(何のことやら?)
しかし、埃をたたいて倉庫の中の記憶を引っ張り出してたどってみれば、たしかに、クラス対抗の全校弁論大会で私が優勝し、ご褒美に黒蜜カリントウ大袋を3つもらい、クラス全員でたらふくカリントウを食べたことや(食べ過ぎて気持ち悪くなったやつが居た! )、学校祭の仮装大会で忠臣蔵・松の廊下をやり、進行実況アナウンスを私がやったり、昼休みに校舎中庭でウクレレを弾いて私の伴奏で仲間と歌っていたり...アレレ、結構目立っていたかなぁ~! と思い当った。人の記憶というものは不思議な物だ。自分の記憶以外に、共に時間を過ごした仲間や知人が記憶していることに刺激されて、過去の記憶が脳の片隅からよみがえってくる事があるのを、人はしばしば体験する。
Aさんから、大学生になって間もなく、Aさん・Cさんと私・私の友達4人でデートしたわよ、と聞いて一瞬思い出せなかったのだが、Cさんから、゛N町に住んでる背の高い彼゛と聞いたとたん、幼馴染のM君のことが鮮明によみがえって来た。あれは確かM君がお膳立てしてくれたデートで、故郷から上京し大学生になった4人が、居酒屋に繰りだし色々話しては盛り上がったように思い出した。当時私は、学校でのフランス語を神父の教授にしごかれていて、毎日課題のレポートに追われつつ、アルバイトもしていたので、なんだか気もそぞろの日々だった。せっかくのデートだったのに、お二人とはその後交流もできず、そのままウン十年が経ってしまった。あれが、もしかすると運命の分かれ目、お二人と交流が続いていれば私の人生が大分変わっていたかも知れない(何を言うやら!)。
件のMくんは、当時私が住んでいた県人会の学生寮近くのアパート住まいで、一緒にアルバイトしたり、夜は当時流行の゛コンパ(洋風居酒屋)゛で「ジンライム」とか「モスコー・ミュール」なるカクテルを飲みながら、ジュークボックスにコインを入れて、流行り歌を聞いたりして遊んだものだった。その頃彼には年上の綺麗な恋人がいて、彼女も一緒に時折3人で飲んだりしていたのだが、やんごとなき事情から二人は別れなければならなくなり、M君はがっくり来ていた。ジュークボックスにコインを放り込んで、石原裕次郎の『粋な別れ』を何度も聞きながらため息をついていた彼の姿を思い出す。卒業後、しばらく彼とは会う機会があったが、何時しか音沙汰がなくなり今に至ってしまった。今頃、何処でどうしていることやら。
Cさんは、現在気候の良い温泉リゾート地にお住まいで、お琴や三味線を趣味としてお弟子さんにも教えておられるとのこと。お仲間との発表会や老人ホーム・介護施設でのボランティア演奏会にも時折出演しながら、音楽を楽しんでいらっしゃる。そして、Dさんは、ついこの3月一杯で名門女子大学の教授を退官されたばかり、定年退職4日目の彼女には、趣味生活に多忙な他の出席者の話は大分刺激があった様で、ボチボチと自分も好きな物を見出してやっていこう、という気になられたご様子だった。
もう一人の同期生Eさん(今回は来られなかった)も加わった女子会を時折開いて、会食したりしておられるとのことだったが、今回はAさんのグループ絵画展を口実に無粋な男が一人闖入し、会食にも同席して楽しませていただいてしまった。皆さんと色々話していたら、高校時代のことが次々と思い出され、記憶が記憶を呼ぶようなことが続いている。かけがえのない同期のお友達として、これからも機会があればご一緒したいと思った。皆さんのご健康をお祈りしつつ、夕刻の仕事に間に合うように一足お先に失礼したが、もう少しあれやこれやお話していたい気持ちが残った会合だった。

2012年4月3日火曜日

2012・世界フィギュアスケート世界選手権から(その2.女子シングル)

表彰台に上ったコストナー・レオノア・鈴木明子の3選手 All Photo by Zimbio
テレビ放映でフィギュア・スケートを見ていると、カメラのクローズアップで選手達の演技がよく見える反面、実際のスピード感は解かりにくい。私は何度か代々木や新横浜のリンクで競技を見ているが、広いリンクを隅から隅まで滑走する選手のスピードは大変なものだ(時速何キロに相当するか詳しくないが)。その圧倒的なスピードに乗って、ジャンプやスピン・ステップ演技を披露する選手達は、踏み切りや空中姿勢・着地など、1秒の何分の一かのタイミングがずれるとバランスが崩れてしまう。着地に失敗して転倒したり、空中姿勢が崩れたり、踏切が早すぎたり遅すぎたり...課題となる各スケート技術を構成(コンポーネント)しながら、デリケートなバランスを維持しつつ約4分間を戦わなければならない。
一流のスポーツ選手は、「心・技・体」のバランスに優れている、ということをよく聞くが、日本期待の浅田真央(マスコミの騒ぎ過ぎもあるが)は、緊張から来る゛脱力状態゛かあるいは、精神面の集中を欠いたか、課題のジャンプの多くを失敗し沈んだ。村上佳奈子も、ショートは元気溢れるはつらつとした演技で2位につける好成績だったが、フリーは緊張のためか身体の動きが硬く、ギクシャクした動きでジャンプの失敗が続いた。
その中で、今回で世界選手権10回目出場のベテラン:カロリーナ・コストナー(金メダル・伊)は、ショート・フリーとも安定した演技を観客に披露した。フリーの演技に入る直前の彼女は、実に落ち着いたいい表情をしていて、余裕と自信を感じさせるものだった。この左利きのスケーターのファンである私も、彼女の優勝を予感した。彼女のテーマ曲は、モーツァルトの『ピアノ協奏曲・27番イ単調』、ヨーロッパの古典的伝統を漂わすピアノ曲に乗って、スピード抜群の高さのあるジャンプを次々と決めノーミスで演技を終了した。指の先々まで行き届いた感情表現、演技と演技をつなぐ゛間゛の優雅さ、観客の声援と拍手に一体化したパフォーマンス...それはフィギュア・スケートという競技をベースにした「芸」の表現であり、「心・技・体」の素晴らしいバランスを基にした「美」の獲得だったと思う。
左:[ショートの『ピアノ三重奏曲第2番』(ショスタコヴィッチ)に乗っての優雅なスピン]
一方、ショート1位のアリョーナ・レオノア(銀メダル・露)は、『弦楽のためのアダージョ』(サムュエル・バーバー)がテーマ曲、ドラマチックな弦の響きに乗せ、力強く滑った。ジャンプに小さなミスがひとつ出たが、他はほぼノーミスの演技だった。しかし、優勝を意識したか、身体の動きがやや硬く力が入りすぎていたかに私には見えた。表情も硬かった。体型や顔かたちからして゛ファニー゛な彼女には、ショートの演技のように、コミカルでパワフルな動きが合っていると私は思うのだが、正統的で厳粛なメロディに挑戦した心意気は認めたい。
[左:ショートで披露した『パイレーツ・オブ・カリビアン』の海賊衣装のレオノア]


遅咲きの花゛鈴木明子(銅メダル・日本)は、観客と一体となって演技したい、という希望をかなえた。オーケストラによる『こうもり序曲』(ヨハン・シュトラウス2世)のテーマ曲に乗って、観客の声援と拍手を受けながら笑顔で演技した。小柄な身体の切れもよく、快活できびきびした印象はステップにもよく現れていた。摂食障害や途中ブランクを乗り越えた27歳のベテラン選手は、ここ3年間程の競技会で安定した成績を残し、フィギュア・スケートの楽しさを身体いっぱいで表現しながら、世界選手権銅メダルの栄誉に輝いた。決して恵まれた体型ではないが、彼女のこれまでの努力と精進には敬意を表したい。
アメリカ勢が振るわぬ中、一人気を吐いたアシュリー・ワグナー(米・4位)は、映画『ブラック・スワン』の怪しくもドラマチックな曲に乗って滑った。跳躍力抜群の身体の切れもよくすべてのジャンプを成功させ波に乗った。ノーミスで演技をまとめた彼女は、リンクの上でガッツ・ポーズを決めた。フリーの得点は、120.35で3位、ショート8位の出遅れが悔やまれたと思う。
ここ数年、グランプリシリーズや世界選手権でトップクラスに居たアリッサ・シズニー(米)が足の故障で振るわぬ今、アメリカを代表する選手として着々と実力を付けて来ている彼女を見るとこれからのワグナーは期待出来る。



今回の世界選手権でひとつ気になったことがあった。それは、演技後に選手が得点発表を待つ場所:゛キスand クライ゛に選手と一緒に登場するコーチ(と振付師)のことである。特に、佐藤有香と夫のジェイソン・ダンジェンの二人。共にスケーターとしての輝かしい成績を残した後プロとなり、現在、アリッサ・シズニー(米)、アダム・リッポン(米)、ジェルミー・アボット(米)、小塚嵩彦(日)、今井遥(日)、ヴァレンチノ・マルケイ(伊)等、錚々たる選手のコーチや振り付けを担当し、一流選手に育てていることに目を見張らされた。フィギュア・スケートが、スケーティング(滑走運動)の技術を競うというスポーツ種目から、テーマのある音楽に乗って感情表現やエンターテイメント(娯楽性)を表現するパーフォマンス(演技)により拡がって行く現状と今後を考えると、技術指導をするコーチと演技指導をする振付師の重要性は、ますます高くなっていくと思う。そして、個性溢れる選手の演技をこれからも楽しめることを大いに期待したいと思う。
佐藤有香とジェイソン・ダンジェンお二人へのインタビュー記事があったので、興味のある方は覗いてみてください。(この項終わり)
http://toramomo.exblog.jp/17257293/

2012年4月1日日曜日

2012年・世界フィギュアスケート選手権から(その1、男子シングル)


フランス・ニースで開催されていたフィギュアスケートの世界選手権は、男子シングルの決勝が行われ、パトリック・チャンが優勝した(3/31)。今年の競技は、技術面でも内容面でもかなりハイレベルの戦いが続き、フリー競技後半では1回毎にトップが入れ替わるような熾烈なものであった。羽生結弦の大健闘と高橋大輔のフリー・ノーミスの演技で、日本人二人が表彰台に上ったのも、かってない好成績だった。往年の選手:ライザチェック(米)やプルシェンコ(ロ)、B.ジュベール(仏)など、長身で大柄な選手達がパワフルでダイナミックな演技を見せて競技を戦っていた時代からすると、いまの選手達は小柄で見映えに乏しい面があり、最近はあまり男子スケートには興味が湧かなかった私も、今回はスリリングで高度な技術の戦いに大いに惹きつけられた。例によって、ここに乗せた画像は、インターネットのサイト:zimbio からの転載であることをお断りして置く。
4回転ジャンプを、今回のように各選手たちが飛び、それも1回だけでなく2回もプログラムに組み込まれるような時代を誰が予測しただろうか?  その先鞭をつけたP.チャン(金メダル・カナダ)は、最終順番でそつのない滑りを見せ、4回転ジャンプを2度見事に決め(トウループとアクセル)、最後のジャンプ(3アクセル)で転倒したものの、ショートの好成績に助けられ金メダルを得た。テーマ曲は『アラフェンス協奏曲』、クラシックとフラメンコのギターサウンドに乗った手堅い滑走だった。バネのあるジャンプとバランスの取れたスピン・ステップの演技で、当分高橋大輔とのライバル争いが続くような気がする。









片や、高橋大輔(銀メダル・日本)のフリー演技はパーフェクトだった。4回転ジャンプを入れたすべてのジャンプを成功させ、コンビネーション・スピンもステップも抜群だった。観客を引きずり込むような彼の世界が実現できていた。テーマ曲の『Blues for Klock』も素晴らしいサウンドだった! エレキGt のソロというとても珍しいタイプ、独創的でパワーのある音に乗せて滑るのは高度な技術を要すると思うが、彼はそれを物にして自分の世界を作った。とてもオリジナリティの高いパーフォマンスだった。フリーの演技を見ただけでは、彼の優勝が決まったかに見えたが、ショートの小さなミスが最後まで響いてしまった。ただ、二人ともに、弦撥楽器(ギター)をメインにしたテーマ曲であったことに共通点を見て、何故か納得してしまった。
17歳高校生の羽生結弦(銅メダル・日本)の大活躍には私もびっくり! 自らも東北大震災の被害に会い、被災地応援のため心に期するものがあったとはいえ、世界選手権という舞台で結果を残すのは並大抵のことではない。この日の彼のスケートは、徹底的に゛攻め゛のスケートだった。4回転ジャンプもスピンもスパイラルも、激しく魂が込められていた気がする。映画音楽・『ロメオとジュリエット』のドラマチックなメロディに乗って、アグレッシブに踊った。競技が終わった時のガッツポーズと、一瞬後に手で顔を覆って涙をこらえた表情に、私は感激した。フリーの点数は、高橋大輔をわずかに上回る173.99だったのも素晴らしかった。



往年の名選手がまだ第一線で活躍している。ブライアン・ジュベール(仏)は2007年の世界選手権チャンピオン、同時期にライバルだったライザチェックもプルシェンコも、今は競技からは引退してプロスケーターとなっているが、27歳の彼が4回転ジャンプを軽々と跳ぶのを見られたのは頼もしい限りだ。ショートもノーミス、映画音楽の『マトリックス』(ピアノ曲)に乗って滑ったフリー演技も、緩・急のメリハリがあって良かった。4回転ジャンプもステップも申し分なく、黒皮のジャンプスーツに包まれた身のこなしも迫力があった。しかし、点数が伸びなかった。ウ~ン、なんだろう? ...やはり、スピード感だろうか。P.チャンや高橋大輔が゛アレグロ゛で演技しているのに、彼は゛モデラート゛の速さだったみたいな。
一方、フランス生まれのサムュエル・コンテスティ(伊)は、ピンクストライプのシャツとサスペンダー・パンツという出で立ちで、母国のシャンソン『ばら色の人生・他』がテーマ曲だった。アコーデオンの柔らかな音色とワルツの3拍子に乗って滑ったのも珍しかった。4回転ジャンプや複雑なステップはほとんどなく、活き活きとした表情とコミカルな仕草で、最後まで滑り通した。ハイテクなスケーティングが主流の昨今だが、こういう、お国柄や民族性を感じさせるスケーティングも良いなと思う
ショート4位で、表彰台を期待された地元フランスのフローラン・アモディオは、S.タミアニの『ソブラルの思いで』に乗って滑った。4回転ジャンプを成功させ、ステップもモダンダンスのような動きの早い足捌きだった。途中から曲がサンバのリズムに変わり、さらに複雑でダイナミックなステップになったのには驚いた。聞けば、彼はブラジル生まれとのこと、フィギュアにサンバのリズムというのも彼が初めてかも知れない。結果はトリプル・アクセルの失敗が響いて点数が伸びず5位に終わったが、観客を大いに沸かせて盛大な拍手をもらった。
今回の世界選手権では、アメリカ勢(アダム・リッポンやジェルミー・アボット等)とロシア勢(アルチュール・ガチンスキーやセルゲイ・ボロノフ等)が振るわず、カナダ・日本・フランス勢の活躍が目立った。しかし、゛スポーツの祭典゛と言われるオリンピックと同じ精神が感じられ、多様な民族の多様な文化をベースにしたフィギュア・スケートの演技が見られたのは楽しかった。スポーツとしての競技技術はもちろんのことであるが、そのパフォーマンスに占める音楽的要素のウェイトはかなり高い。どんなテーマで、どんなメロディとリズムに乗って演技を見せてくれるのかは、これからも大きな期待を集め続けると思う。かくいう私もその期待を持ちつつ、フィギュア・スケートを楽しんで行きたい。