2013年3月30日土曜日

サクラ散る春に、思うあれこれ...




家の前のサクラも散り始めた。歩道に花びらが散り敷いた景色も、この季節ならではのもの。
All Photo by TAKA
このブログを書き始めてから、はや5年が過ぎた。まことに月日の経つのは早いものだ。2008年の3月22日に、第1回の「木五倍子(きぶし)の花」を載せてから、満5年になるが、前回の「浜美展を覗いてみて」で、通算239回、約1週間に一度のペースでブログを綴ってきたことになる。日々の楽しみを追い求めて、感じた色々なことを綴ってきた。写真好きな私が載せたフォトも、結構な数になる。
拙い私のブログを覗いたり、楽しみにしておられる方も何人か居られて、今年2月にデジカメを修理した期間(約3週間)は、ブログもしばらくお休みしていたが、「もう止めちゃうのかと心配したわよ!」と、地元地域サービスのお仲間KOさんに言っていただいたり、絵友のHIさんから、「写真がきれいなので、毎回楽しみ!」と言っていただいたり...まことにありがたいことだ。元気でいる限り、続けていこうと思っている。
しかし、先日、何かの機会に私自身のブログをインターネット検索したら、ずらずらとタイトルがでてきた。ずいぶんと沢山の方が、このブログをチェックされているのだなぁ、とちょっと驚いた。中には、ちゃっかりと私の掲載した写真を、ご自身のブログに載せている方もいた。「Jovialidade Do TAKA より」とか、「Photo by TAKA」とか、きちんと出所を明らかにして、礼儀をわきまえておられる方たちには、「いいですよ~。」と寛容な気持ちでいる。何の表示もなくコピーしている方には、自分の文章や写真が無断使用されたときのことを考えてみてよ!、と言いたくなる。やはり礼儀を守って欲しいと思う。売り物の商業使用ではないので、別に著作権侵害だ、などと角を立てるつもりもないが、ネット社会での守るべきエチケットは大切なことだとわきまえて欲しい。

前日の暖かい日和が一変して、霧雨が一日時中降り続いた゛花冷え゛の日、ふと思い立って早起きし、長興山紹大寺の枝垂れサクラを見に出かけた。小田急線から箱根登山鉄道に乗り換えた途中の小さな駅(入生田)で電車を降りると、枝垂れサクラ満開の時期には、降りるお客が沢山いるのに、この花冷えの日に電車を降りたのは、私達のほかに初老の夫婦らしき2人連れだけだった。お寺脇の急坂を10分ほど登ると、雨に煙る山の中腹に、枝垂れサクラが見えてきた。

樹齢340年の古木は、鶴の翼のように枝を広げて、静かに佇んでいた。枝の広がりは、左右で20m以上ある。満開、と寺のホームページに案内されていたが、以前見た花姿よりも花付きが寂しい気がした。雨に濡れたテーブルや椅子を掃除している売店の親爺さまに聞いてみると、2月の新芽が出る時期に、嵐と寒さにやられてしまい、例年の半分くらいの花付きだと言う。柵で囲われた古木の脇には、株分けした数本の枝垂れサクラが咲いていたが、若いサクラたちは、濃い薄紅色の花を沢山つけて私の目を楽しませてくれた。ご一緒した食い友のRKさんと暖かい牛乳と桜餅を食べながら、雨に煙る花姿をしばし見て過ごした。こういう静かな花見もいいもんだと思った。













この春は、3月に入って立て続けに3人の高齢者の死を見送った。地域サービスでお世話していたMさんは、末期の舌ガンで痛みに苦しんでおられたが、最後の日々を自宅で過ごしたいと我が家に戻っていた。終末ケアと言っても、死を待つ日々は痛みに耐えるMさんの身体をさすってあげるしか出来なかったが、体調を崩して再入院し、一週間後に彼方に旅立たれた。重い糖尿病で日々透析をくり返していたAさんは、体のむくみが取れなくなり、再入院の10日後に、やはり旅立たれた。脳梗塞で倒れるのを繰り返していたFさんは、食事がほとんど取れなくなり、最後の時期は骨と皮だけのような身体だった。入浴のできる体力がなく、温かいタオルで身体を吹いて差し上げるしか出来なかったのだが、清拭を終えると両手を合わせて何度も「ありがとう、ありがとう」と言われた姿を思い出す。Fさんも体調を崩して再入院し、!0日後に亡くなられた。医者でもなく、看護師でもない私は、ただ、彼らのお世話をし、その方の気持ちに寄り添うことしかできかったが、季節の変わり目に会った立て続けの人の死は、美しいサクラの花姿と重ね合わせると、生きて死ぬることへの感慨を抱かざるを得ないのだ。

サクラ、散る...

近所の団地の一角で咲いていた春水仙(上左)、ラッパのサーモン・ピンク色がきれいだった。レンギョウの花(上右)も満開だ。サクラとレンギョウのツーショットも春らしい。
この春は、一つ嬉しいことがあった。今年の国家試験(介護福祉士)に合格したことだ。地域サービスで、じい様・ばあ様、障害者の方、難病の方のお世話をする上で、基本的な医学の知識・心理学的知識・行政の法的知識・介護技能など、もう少し身につけたいと思い、勉強の一貫で資格も取ろうと思ったことがきっかけだ。昨年は、一次の学科試験の出来がかなり良かったのに油断して、実技試験の準備不十分で敗退した。今年はリベンジのつもりで過去問題などしっかりやっておいたので、試験でも不安なくチャレンジできた。
今後、この資格を生かして、時間が許す範囲で地域サービスを続けながら、トラベル・ヘルパーの仕事もやってみたい。トラベル・ヘルパーというのは、諸々の病や身体機能の衰えで一人では旅行できなくなってしまった方を介護して、生きているうちにどうしても訪れたい土地や、思い出の場所や人を訪ねるお手伝いをする専門的な仕事だ。もちろん、趣味に費やす楽しい時間は、今までどおり大切にしたいと思っているが、何か、人のため・世のために自分が培ってきた知識や経験を使うというか、お返しするというか、そんなことも大事だなと感じている今日この頃なのだ。

おかげさまで、日々健康に過ごしている。50代に入った時から始めた゛マクロビォテック(長寿法)゛による食養生と、毎日15分程度のストレッチが、健康を保つ上でいい影響をもたらしてくれている、と感じている。169cm・体重60キロ・体脂肪17,0の体型もほぼ変わらずにいる。この春は、久し振りに素敵な花スポットを沢山見ることが出来た。趣味友と過ごす時間も、楽しくご一緒している。
私にとって、この春は、サクラ、咲く...のようだ。

















(左)私の好きな、花海棠。放恣な枝姿とかわいらしいさくらんぼうのような花がとても素敵だ。
(右)地域サービスのお仲間KOさんからいただいた、合格祝いの四葉クローバーの小さな鉢植え。
幸せを呼ぶというのが嬉しい。


 

2013年3月28日木曜日

春の浜美展を覗いてみて。


出品された2作品をバックに撮っていただいたワンショット Photo by HI さん
それ以外のフォトは、All Photo by TAKAです。
絵友のHI さんが参加している絵画グループ「浜美会」の絵画展が、アート・フォーラムあざみ野(田園都市線あざみ野駅近く)で開かれているので、ちょっと寄らせていただいた。会場は天井の高い大きなギャラリーで、ここでは横浜地区の絵画グループ展が数多く開かれると聞いた。
出品目録によると、会員約40名が150点ほどの作品を出していて、油彩は100号級の大きな作品から10号クラスの作品まで、水彩や小作品もあり、なかなかの充実振りだった。会員の色々な絵が見られたので、とても楽しかった。
HI さんの出品は4作品、上のフォト2点の人物画・『Where To』(左)と『フラを踊る友』(右)、その横に飾られた『6月の花たち』、青とオレンジのテーマで描かれた小作品・『仙石原』だった。横すわりのちょっとモダンな感じの女性像と、夕陽をバックにフラを楽しそうに踊る女性の2作品は、昨年の出品作よりも筆のタッチがしっかりしていたし、色のメリハリもきれいで、腕が上がっているのを感じた。ちょうど寒さが戻って花冷えの日だったが、私はこの日、春コートを着てきた。そういえば、昨年の絵画展の時もこのコートを着て来たのを思い出した。一年に何度も着ない春コートで、気分も少し浮きだっていた。

HI さんの解説を聞きながら、会場の作品をゆっくりと見て廻った。1年に1度の会員展を目標に数点の絵を描き続ける、というのは、やはりいいものだと思う。まず、目標を立てて公言しないと、怠け者の私達は何かを完成させることが難しい。学業や仕事ではないので、趣味の世界はやらなければそれまで、一向に進歩しないし上達もしない。歌い手や楽器演奏者が、人前で曲を披露するライブや音楽会と同じだ。自分の作品を披露して人に見てもらうことで、色々な評価を得ることができる。HIさんは、「絵を少しづつ描けるようになったので、そろそろ自分のスタイルだ、というものを追及したい。」と抱負を話された。
何時ものことながら、絵画展で作品を見るときの私の癖で、ポケットに札束を忍ばせた画商になって会場を徘徊した。そして、気に入った作品を本日のお買い上げにした。『新しい静物画の工夫』(福島澄香:この会の代表者作ー左)は、テーブルの上のワインや洋梨と遠くの街並みを、踊るような群青の輪郭線で描いたもの。もう一点は、滲むようにやわらかなタッチで風景を描いた『街』(宮田朱実作ー右)、色がきれいで懐かしい感じがした。ともに、しっかりした個性があり、家や建物のどこかの壁にしっかりと収まるに違いないと思った。

会場を出る時に、受付にいたおじ様・おば様たちに挨拶した。HI さんが「2点お買い上げで~す!」と宣言すると、皆さんは「おぉ~っ!」と色めきたってしまった。すかさず私が、「いやぁ~、ポケットに1億円あったらの話ですがねぇ~。」と答えると、皆さんのほっとしたような、残念だったようなお顔。きっと内心ずっこけていたに違いない。皆様、大変失礼をいたしました。しかし、久し振りにギャグのヒットを飛ばして、HI さんと二人、後で大笑いをした。


帰り道に通ったこどもの国駅側で、奈良川にかかるソメイヨシノの古木を見た。♪ YMCA ♪ を踊っているように、斜めに枝を伸ばした見事な枝ぶりだった。

2013年3月25日月曜日

今年のお花見は、自宅の近場で。



自宅の玄関ドアを開けると、前には満開の桜 ! ! ! 花付きもよく今が盛り。
All Photo by TAKA
ここ10年ほど、毎年春になると、今年はどこのどんな桜を訪ねに行こうかと随分心を悩ましてきた。桜の開花予想を聞きながら、天気の移り変わりに一喜一憂し、寒さ暖かさも気にしながら出かけるのだが、咲き誇る満開の桜に出会えたときは、とても嬉しいものだ。日本人に生まれてきてよかったとつくづく思う。
人気のソメイヨシノ(桜といえば、ほとんどがこの種類)だけでなく、早咲きの寒桜や河津桜、風情ある枝垂れ桜や数百年~千年以上の古木などの名所を訪ねて、関東各地や東北・甲信越・中部地区まで足を伸ばして、色々な桜を見てきた。まあ、結構゛サクラ狂い゛していたかも。
ところが、ここ2~3年は、自宅の団地にあるサクラが素晴らしいので、もっぱらこれで満足している。樹齢70年ほどの古木が30数本あり、南北・東西に伸びるメイン・ストリートは、桜トンネルができるので、とてもきれいだ。この時期は、自治会主催の゛サクラ祭り゛も開かれて、近隣から多くの人が見物に来る。特に自宅の前庭には、5本の古木があって、毎年素晴らしい花を見せてくれる。

上のフォトと全く同じ位置から撮った夜の桜、これまた幻想的でちょっと艶かしい。
健康おたくのYKさんが、桜を見がてら遊びに来る、というので、花見弁当を作った。桜フリークしていた頃は、良く自分でお弁当を作り、デジカメを持って花巡りに出かけていたのだが、久し振りに弁当を作るというのも楽しい。でも、何のことはない、ネギ入り卵を焼いて、黒米入りのご飯を炊いておにぎりをつくり、常備菜の切り干し大根煮の残りとお野菜(ミニトマトとアスパラ)を入れただけ。ちょうど今木屋さんの桜餅を買ってあったので、それもおまけに入れた。後、冷やした日本酒をペットボトルに入れて、保冷ケースで持っていった。
自宅周辺の桜を見ながら、近くを流れる野川まで散歩した。野川の両岸に続く遊歩道にも、桜が沢山咲いていて、近隣の桜名所となっている。川の水辺に向かって、垂れ下がるように咲く桜の花はとても風情があり、素晴らしくいい眺めだった。
冷酒をいただきながら見る桜もなかなかいいものだ。上野公園や千鳥が淵のような混雑は一切なく、犬のお散歩やジョギングする人たちを眺めながら、のどかな桜見物を楽しんだ。 





今年の桜は例年になく開花が早まってしまい、なにやら気ぜわしい気持ちにさせられたが、一年に一度、この時期に桜を見ることが出来るのはとても心が躍る。華やぎの週末だった。
薄紫の花韮(ハナニラ)も、きれいに咲いていた。


2013年3月21日木曜日

2013年フィギュアスケート世界選手権から、その②男子シングル


男子シングルの表彰台は、左からデニス・テン(銀)-パトリック・チャン(金)ーハビエル・フェルナンデス(銅)の3選手 All Photo by Zimbio

男子シングルのTV中継(録画)の中で、パトリック・チャン(Ca)以前のチャンピオン:ライザチェック(米)・プルシェンコ(露)・B シュベールの近況紹介があった。今回の優勝で、3年連続のチャンピオンに輝いたP.チャンの前の優勝者達だ。それによると、ライザチェックもプルシェンコも、怪我や体調不良で今季の各地大会に出場できずにいる。B.シュベールだけがフランス代表枠獲得のために踏ん張っているのが現状だ。選手を続けるのは想像以上に激しいスポーツであり、また高位の滑走技術レベルを維持することがなかなか困難なのだ。過去のチャンピオン達は、プロ転向するか、指導者(コーチや振付師)として後進を育てるかが、選手生活後の選択となる。オリンピック金メダリストの荒川静香のように、プロとしてフィギュア・スケートのショー出演しながら、スポーツ・コメンテーターとして活躍するような選択もあるわけだ。
パトリック・チャン(Ca)の滑走技術のレベルの高さについては、誰も否を言わないだろう。ジャンプ・ステップ・スピン、総てのレベルが超一級であり、その演技をつなぐ゛間゛も滑らかで淀みがない。ショートのテーマ曲は、ラフマニノフのピアノ曲「エレジー」、フリーはプッチーニの「ラ・ポエム」、エキジビションでは、帽子を小道具に使った「I Need Dollar」、クラシックから映画音楽まで、色々な引き出しを持っていて、お客を楽しませてくれる。 
そのチャンがフリーでは珍しく3回転ジャンプの着地を2度ミスった。後から滑ったデニス・テンにフリーの得点は抜かれ、もしやすると今回は優勝を逃すかと思われたが、ショート一位の成績の溜めがあり、何とか金メダルを維持したが









 今回、チャンの存在を脅かしたデニス・テン(カザフスタン)は、前哨戦のグランプリシリーズで表彰台に上ったことはなく、ノーマークの選手だった。私も彼のことはよく知らなかった。それが、ショートもフリーもほぼノーミス、4回転ジャンプを次々と決め、ステップも超軽やか。小柄な体躯ながら、きびきびとして素晴らしい演技を披露した。大躍進と言っていいだろう。ショートもフリーも同じ映画音楽の「アーティスト」がテーマ曲、こういう選曲も珍しい。今回の銀メダルがフロッグなのか、それとも、高い技術レベルをキープして今後の競技会の表彰台に絡んでくるのか? これはなかなか興味が尽きない。


 ショートでは今ひとつ振るわなかったハビエル・フェルナンデス(スペイン)は、フリーで4回転ジャンプを決めて、一気に波に乗った。テーマ曲の「チャップリン・メドレー」の選択も良かった。長身の身体を生かして、快活でコミカルなステップも曲想を良く表現していた。フィギュア・スケートでは、スペイン初のメダリストとなったというが、これもコーチのブライアン・オーサーの指導のおかげか。
フランス勢(B.シュベールやF.アモディオ)やヨーロッパ勢が振るわない中、一人気を吐いた感がする。











さて、日本勢の羽生結弦(4位)と高橋大輔(6位)だが、ソチ・オリンピックへの出場枠を確保はしたものの、表彰台には上れなかった。羽生は膝の故障、高橋は不調のため、ジャンプのミスが多く、全体に精彩を欠いた。2人とも技術面では高いレベルを持っているので、演技全体をミスなくまとめる力がさらに要求されるだろう。演技構成面(芸術性)では、素晴らしいステップやスピンで、テーマ曲の世界観をおおいに表現できるのだから、今後の精進を期待したい。
























惜しくも表彰台を逃したが、ケビン・レイノルズ(Ca・6位)のショート演技はよかった。Jazzyなテーマ曲「Chambermaid~」にのった滑りは、4回転と3回転のコンビネーション・ジャンプを決めて迫力があった。長身の身体も見映えが良く、これからも楽しみな選手だと思う。

過去の世界選手権では、ウルリッヒ・サルコウ(Swe:サルコウ・ジャンプの生みの親)の10連覇という偉大な記録があるが、はたして3連覇のP.チャンはどこまで記録を伸ばすことが出来るか?
また、日本勢の巻き返しはなるのか? 進境著しい他国若手の台頭は続くのか?
これからもフィギュア・スケートから目が離せないでいる。

この項終わり

2013年3月20日水曜日

2013年世界フィギュアスケート選手権から、その①女子シングル

カナダのロンドンで5日間にわたって開催されていた世界フィギュアスケート選手権が終わった。今回はTV中継(録画)をすべて見ることが出来た。世界各地で行われた競技会の総決算であり、現時点での実力選手がほとんど出場してくるので、なかなか見ごたえがあった。ここに掲載した画像は、すべてインターネット・サイト Zimbio のものであることを、予めお断りしておく。
女子シングルの下馬評では、今シーズン好調の浅田真央が表彰台に立てるかが、日本のマスコミを騒がせていたし、前回の冬季オリンピックチャンピオンのキムヨナが、復帰してどこまでやれるのか、また、世代交代が顕著になってきた若手勢(ジュニア選手権上位陣)が、どこまで食い込めるか、などが話題になっていた。
金メダルに輝いたキムヨナ(韓)の演技は、ショート・フリーともにノーミスだった。ジャンプ・スピン・ステップのすべてにおいて、正確で滑らかに繫がるスケーティングの技術が素晴らしかった。ショートの「吸血鬼の接吻」、フリーの「レ・ミゼラブル」、ともにドラマチック性と優雅さを組み合わせた音楽に乗って彼女は滑った。キムヨナの端整で隙のない演技は、競技会においては高い技術点を得られるものだとおもう。その個性は素晴らしいと思いながらも、野次馬の私にとっては、もっと観客にアピールするエンターテイメントの要素が欲しいな、と感じさせるものだった。
しかし、いい得点を得られるのが優等生で、表彰台に上れるのもやはり優等生だから、フリー演技の終了30秒前から観客のスタンディング・オベイションが始まったのもうなずける。納得の金メダルだった。



□ 





片や、銀メダルとなった昨年のチャンピオンのカロリーナ・コストナー、フィギュア好きの私はこのブログで何度か紹介しているが、キムヨナとは対照的に輝くばかりの個性と表現の芸術性に勝っていた。長い選手生活の中で、課題のジャンプも安定してきたし、スピンやステップでも、表情や足先・指先までに込められた感情表現が何よりも素晴らしかった。
ショートは映画「ヤング・フランケンシュタイン」、フリーはあの「ボレロ」がテーマ曲だったが、フリーの演技はメリハリが効いていてとても良かった。曲想にも体の動きが良く合っていた。演技入り直前に鼻血が出てしまうハプニングがあり、ジャンプも転倒があったりして得点が伸びなかったが、これからも活躍が期待できる選手だ。長身から繰り出す演技は迫力があり、優雅さとダイナミックさを兼ね備える彼女は、当分表彰台争いに絡んでくると思う。

今回銅メダルだった浅田真央を、キムヨナのライバルとして話題にするマスコミの報道は、ちと騒ぎすぎだと思う。スケートに取り組む姿勢が一生懸命でよいとは思うが、やはりまだ実力が追いついていないし、2010年の世界選手権優勝時からみたら、ジャンプの不安定さに課題も多いし、ステップ・スピンの技術力と世界観の表現力も、もっと必要だ。フリーの演技は、「白鳥の湖」がテーマ曲だったが、体の動きが硬かった。むしろ、ショートの方が、ジャズ曲の「I Got A Rythm」に乗って、軽快に楽しく滑れたと思う。トリプル・アクセルの成功と3回転コンビのジャンプ失敗があって、まだまだノーミスにはまとめられずにいる。







ショートもフリーもノーミスで、抜群の演技を披露できた村上佳奈子(4位)は、特にショートの演技が良かった。愛らしい明るいピンクの衣装で、全体に柔らかな流れるような滑走で観客を魅了した。テーマ曲・「Player for Taylor」(M.スミス)のバラード調の曲にも、体の動きが良く合っていた。フリーの曲は「ビアソラ・メドレー」、タンゴの小気味いいリズムにも、スケートが乗っていた。
技術点のレベルで見ると、まだまだメダリスト達には及ばないが、今後力をつけてきたら怖い存在になる。この点では、10代の選手達、例えばグレーシー・ゴールド(米17才)、ケイトリン・オズモンド(Ca17才)、アデリーナ・ソトニコワ(露16才)なども、表彰台を狙う選手達だ。次世代が着々と力を伸ばしているのが見られたのも、今回の選手権の楽しさだった。
昨年の選手権銀メダリストのアレーナ・レオノア(露)の姿も見られたが、残念ながら精彩を欠いた。鈴木明子も、ジャンプが正確に決まらず、全体の印象にもまとまりを欠いた。キーラ・コルピ(Fin)も、前哨戦でいい成績が残せず、選手権には出場できなかった。世代交代が進む中で、次の世界選手権には、誰が登場してくるのか? これからも目が離せないフィギュア・スケートだ。

2013年3月18日月曜日

うららかな春、薬師池公園にも花が咲いて。



暖かな春の陽射しを浴びて花開いた紅白絞りの椿、後ろには紅梅が見える。
町田市の薬師池公園にて All Photo by TAKA
春、ウララと言えども風つよし、だ。今年は、北の高気圧と南の高気圧の押し競らまんじゅうがことのほか強く、寒暖の差が激しいし、「煙霧」なる新気象用語も登場して、黄砂や砂埃も舞っている。先週末は穏やかな日和で、午前中から午後にかけてはほとんど風もなく、花巡りにはとても好都合だった。町田市郊外の山間にある薬師池公園を訪ねてみると、春花を沢山見ることが出来た。



















 馬酔木(アシビ)の花のつぼ型形状は、やはり同じツツジ科の満天星(ドウダンツツジ)と良く似ているが、アシビの方が連なりやぶら下がり状が密だ。つまり立て込んでいる、ということ。

左は、淡紅色の『アケボノアシビ』、右が普通の『アシビ』。葉に有毒成分があるため、動物はよく知っていて食べないのだが、牛や馬が食べると酔っ払ったようになる、という。「馬酔木」の所以だが、食べると足が痺れる(足痺れ)からきたとも言われるそうな。ともに、沢山の花をつけていたので、見ごたえがあった。

『木五倍子(キブシ)』の花は、とても不思議な形をしている。この花が枝々に沢山垂れ下がっているのを見ると、何か生き物のような(例えば、かえるの卵の連なり)、あるいは、仏事に使う数珠のような形を連想してしまう。
伊豆の山々にはこの木が多く自生していて、春先に山道を車で走っていると、斜面にこの花が沢山咲いているのを何度か見た。蜜に連なるこの黄色の穂状花序は、春を告げる花として親しまれているが、この公園で見ることが出来たのはラッキーだった。








『匂い辛夷(ニオイコブシ)』は芳香花で、花はとてもいい香りがする、との案内が木に掲げられていたが、香りが余りなかった。
実はこの春、同じような体験を何度かしている。
先日開花を見たジンチョウゲも、花の香りが少なかった。知人で目の不自由な方のお話では、自宅の庭のジンチョウゲも今年は匂いがない、とのこと。視力のない分、聴覚と臭覚は人一倍敏感なので、おかしい、と言われていた。
今年は寒暖の差が激しく、日中でも10度を下回る寒さから、いきなり20度前後の暖かさになったりしたので、花が熟成していないのではないか、と私は思う。徐々に暖かくなれば、花もそれなりに準備が整うのに、まるでリハーサルもなしにいきなりステージに上がった歌手みたいで、うまく歌えないのと同じだ、と思う。この日見たミツマタの花も、香りが乏しかった。

私自身は、花の香りの中でもトップ3にランクづけられると思っている『三椏』ミツマタ は、本来は濃密な香りを持つ花だ。特に、花が紅色の『ベニミツマタ』は一段と香りが濃い。
明るい春の陽射しの中で、球状に花をびっしりつけて咲く様は、とても心踊るものがある。「春だねぇ~!」と、思わず言ってしまう。
公園の一角にある古民家の野草園に、種々の花木が植えられていたが、ミツマタはそこに咲いていた。小さな花の形は、開くと丁子型なのは、おなじジンチョウゲ科であることがわかる。





同じ野草園の中で、寒菖蒲(カンアヤメ、寒咲きアヤメ、とも)も見られた。五月のアヤメと違い、この花は、水田ではなく乾燥した土の上で咲く。花丈も20cm位と小振りだが、薄紫と黄色の花色はとてもきれいだ。土手の斜面にひっそりと咲いていた。なかなか小粋。











さて、ひと通り花を楽しんだ後は、「花より団子!」というわけで、園内の茶屋でお団子とほうじ茶で一休み。みたらしと餡かけ各一本におしんこ・お茶が付いて、お一人300円也、嬉しい値段だ。案内してくれた絵友のHI さん共々、まんぞく、まんぞくのお団子だった。
梅園には、お昼のお弁当を広げる家族連れも多く、薬師池は亀に占領されている様子、鴨もスイスイと泳いでいた。羽が白と黒色のコンビ色の鴨もいたが、あれは、゛パンダカモ゛なのだろうか? 大賀ハスの池は、葉と枝が枯れたままだったが、程なく緑の葉を開いてくるに違いない。のどかな春を感じる、くつろぎの午後だった。


自宅すぐ側のソメイヨシノも、もう開花した。桜開花予想は大幅に早まって、今週末には満開から散り始めとなりそうだ。春爛漫の季節到来となった。


2013年3月13日水曜日

白木蓮が咲き始めれば、春もようやく始まって。



晴れ渡った青空をバックに開き始めた白木蓮、ようやく春の訪れを感じる。狛江周辺で
All Photo by TAKA
ここ2~3日の日中温度が20度近くで続いたせいか、いっせいに春の花が開き始めた。仕事柄、自宅近辺を電動チャリで廻っているので、公園や個人宅、造園業の畑や街路樹などを見る機会が多い。色々な花を見られるのも楽しみの一つだ。
白木蓮(ハクモクレン)は、庭植えにされるケースが多い。春いっせいに開花する様は見事なので、季節の到来を告げる高揚感を楽しめる。咲きっぷりがいい反面、茶褐色に朽ちる時間も早い。咲いた後、枯葉のように地面に散り敷く様は、ちょっと無残。
新宿御苑の中に、樹齢百数十年と言う白木蓮の巨木があって、樹高も十数メートルに達する。今頃、見事な花をつけて、来園者を楽しませている違いない。
紫木蓮も時折見かけるが、私はやはり白木蓮の方が好きだ。
この花は樹高が高いので、どうしても下から見上げる構図となる。空の青と花の白のコントラストがきれいだ。

 同じモクレン科のシデコブシも咲き始めた。葉が開く前に蕾から開花するのはモクレンと同じ。シデコブシは大木にはならないので、庭木として人気があるようだ。
花色も、薄い桃色なので、ちょっと愛らしい。近くの団地の街路樹で植えられているのを見つけたのだが、青空をバックに、きれいに咲き始めていた。

























沈丁花(ジンチョウゲ)も開き始めた。夜間に歩いていると、闇の中からふくいくとした香りが漂ってくる。美人の香水かと思いきや、ホシはこの香り高い花だ。同じジンチョウゲ科の沈香とフトモモ科の丁子に花の香りが似ていることから名付けられたという。沈香は、白檀とともに私の好きな香りだ。お線香も良く使う。
 丁度この花を見た日は、シロハナジンチョウゲと、ウスイロジンチョウゲが咲き揃っているのに遭遇した。ウスイロ~は、花の内側が白で、外側が淡紅色。四裂した花をびっしりと半円球に付ける様は、やはり香りの高いミツマタと同じだ。
有料老人ホームの玄関脇の生垣に沢山植えられていたが、ホームの入居者や施設従事者達を楽しませてくれているだろう。























公園の花壇や庭植えの花も咲き始めている。フォト下左は絵友のHIさんの庭で咲き始めた黄色のクロッカス。フランス産のラージイエローか? 携帯で春便りを送ってくれた。同じ種の秋咲きはサフランと呼ばれ、乾燥させて薬用や料理に用いられるのは皆さんご存知のとおり。
フォト右は、喜多見通過中に野川サイクリング道路端で見つけたヒヤシンスの花。春の日を一杯に浴びてまさに開き始め真っ最中だった。



















花の春は季節の変わり目でもあるので、体調にも色々と変化をきたすことが多い。昨夜、かようかいに顔を出したら、マスターと先に来ていたウッチー・イズミちゃんが、しんみりした雰囲気でビールを飲んでいた。「なんか、あったの?」、と聞いたところ、「いやぁ~、ハジメちゃんが脳梗塞で倒れて、入院しちゃったんだよぉ~!」とのこと。先週の金曜日だったらしい。その前の火曜日には、元気だったのに、まだ50代後半だよ。
しばらく静かに酒を飲みながら、ふき味噌やカラシ大根の漬け物など、ママの手料理をご馳走になっているうちに、マスターの携帯にハジメちゃんから連絡があり、「2週間したら退院なので、それまでは私の持ち歌のアダモ・『雪が降る』と、矢吹健の『あなたのブルース』は、歌わないでね!」とのこと。しばらく、右半身のリハビリが続くと言っていたが、皆ほっとするやら、心配するやら。
それからは、後から店に来たキリさんと、ベースのチャーリーも加わって、大盛り上がりの歌会となってしまった。キリさんの「リバーサイド・ホテル」、イズミちゃんの「ファーラウェイ」、私の「オルフェのサンバ」、マスターの「池袋の夜」、ウッチーの「別れのサンバ」などが次々と飛び出した。何せ今夜はベースとドラムがいるぞ~、というわけで、ギター(レキント・ガット・アコースティック)陣も、楽しく弾き語ったのだった!ハジメちゃんの復帰を願って、夜遅くまでつづいたかようかいだった。

2013年3月8日金曜日

エル・グレコ展:異形の宗教画家



上野の東京都美術館で開催中の「エル・グレコ展」を覗いてみた。私自身は永らく、このスペイン宗教画の巨匠に馴染みがなく、どちらかと言えばイタリア(ヴェネチアやフィレンツェ)のルネッサンス絵画に興味があったので、この巨匠についてはよく知らないできていた。スペイン絵画では、もう一人のロマン派の巨匠、後年(18世紀後半~19世紀始め)のフランシス・デ・ゴヤは好きなので、彼の作品をスペイン絵画展で見たり、堀田善衛の小説『ゴヤ』で親しんだりしては来ている。

改装なったこの東京都美術館では、昨年の夏に開催された「マウリッツハイス美術館展」で、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見て、とても楽しかった。今回の「エル・グレコ展」もかなり大掛かりな美術展であり、この業界のライバル2社(NHKと朝日新聞社)がタッグを組んで、世界中の美術館や教会・聖堂・個人から、貴重な作品50点余を集めてきた。出品リストを見ると、入念な準備を経て開催された「エル・グレコ展」であることが理解できる。

広い美術館の中をゆっくりと歩きながら、1点づつ作品を見て廻った。主催者側の組み立てたテーマは、必ずしも年代順ではないのだが、それらのテーマに沿って順路をたどりながら、私はある想いにずっと捕らわれていた。その想いは、美術館を出てからも、家に戻ってからも、また今もずっと続いている。
それは、「なぜ、あのような、細長く引き伸ばされた人体と曲がりくねった姿態を、彼は描き続けたのだろうか?」、というものだ。

[左]エル・グレコ最晩年(死の1年前の1613 年)の超縦長大作:『無原罪のお宿り』、聖堂の祭壇画として描かれた。
「主題は、聖母マリアが原罪を免れて生まれたというカトリックの教義を表す。引き伸ばされ地上の重力から解放された人体やその上昇するエネルギー、天上の光のもと輝く神秘的な色彩の乱舞は、エル・グレコ芸術の頂点と言える。」ー公式HP解説より



私も久し振りに西洋美術の歴史を振り返ってみたが、エル・グレコは「マニエリスム」(イタリア語の゛マニエラ゛が語源、ある傾向のパターン化された様式美を示す。後年の蔑称゛マンネリズム゛の語源でもある。)の時代に属する。イタリア・ルネッサンス ー マニエリスム ー バロック ー ロココ、と続く時代は、西欧社会では君主制の時代だった(15世紀~17世紀)。各国が海洋貿易を元に興亡を繰り返し、ヴェネツィア・スペイン・オランダ・イギリス帝国など、隆盛がめまぐるしく変わった。一方、ドイツで起こった宗教改革(1517年)以降、全欧はカソリックとプロテスタントの戦い、宗教改革と反宗教改革の勢力同士の戦争のルツボと化した。

スペインの黄金時代は、1492年の新大陸発見から1681年のポルトガル独立までとされているが、スペインの歴史自体はかなり複雑で、生半可の知識ではとて理解できないのでここでは割愛する。
エル・グレコが、生まれ故郷のクレタ島(現ギリシャ、当時はヴェネツィア植民地)から、ヴェネツィア・ローマでの絵画技術の習得を経て、スペインの古都トレドにやってきたのは35歳の頃(1576年)、この地で亡くなる(1614年)までの後半生を彼はここに工房を構えて、教会や修道院の求めに応じて、数多くの宗教画を制作したという。
[右]トレドに移る前に描かれたと思う「悔悛するマグダラのマリア」(1576年頃)、聖書を題材として当時の画家達が好んで描いたマリアのモチーフ。私には、ギリシャ美人に見える。イタリアのルネッサンス・芸術活動がピークを経て勢いを失いつつあった時代だが、絵画手法はルネッサンス、人物美はヘレニズム文化の理想像、環境因子と個人因子の素敵な結合の産物。まだ、マニエリスムの傾向は感じられない。

片や、共和制を敷いたヴェネツィア共和国を代表する、盛期ルネッサンスの画家:ティツィアーノが描いた『悔悛するマグダラのマリア』(1533年頃、ピッティ宮殿蔵)。私が見たのは確か、何年か前の「ヴェネツィア美術展」(西洋美術館?)での体験だったが、聖書を題材にしながら、圧倒的に人間寄りの女性像だった。乳房と腕のふくよかなふくらみ、長い髪を身にまといながら、天を見つめて涙を流す姿に、強い衝撃を受けた記憶が蘇ってくる。












自由と解放の後には、その精神の衰退と手法だけが残る様式美がやってくる。あるいは、反動精神の巻き返しが始まり、締め付けと束縛の時期が続く。人間のくり返してきた歴史の例はスペインでも顕著だった。
スペインの黄金時代(特にフェリペ2世)は、主として海外植民地からの富の収奪と奴隷労働によって成り立つものであったし、全スペイン領で反宗教改革の熱狂が支配し、異端裁判で多くのプロテスタントやユダヤ人が弾圧されたと言う。イギリス国教会設立(1536年)も、反動のイエズス会設立(1534年)もこの世紀だ。
そんな超保守的カトリック勢力の中心たる教会や聖堂・聖職者たちをパトロンとして、注文主のために絵画を描き、弟子達と工房を維持していく画家の日々は如何なるものだったのか?

今回誘ってくれて一緒に絵を見て廻った絵友のHIさんは、TVの絵画番組で得た情報として、「グレコの祭壇画は、聖堂で膝まづいて仰ぎ見るとちょうどいいように、縦長の10頭身以上のプロポーションになっている。」と紹介してくれた。前述の『無原罪のお宿り』の前で、そうして作品を見上げてみたら、なんとなくそんな気もしたが、やはり異形であることには変わりないと思う。

[右]『第五の封印』 1608~1614年、メトロポリタン美術館蔵
鼻高で彫りの深い顔立ち、引き伸ばされた人体、曲がりくねった姿態、やや暗い原色(赤・青・黄・緑など)の衣装に、白いハイライトで襞が描かれる人物像は、トレドで制作されたグレコの宗教画に共通のパターンだ。このような作品が数多く描かれた背景には、注文主の意向が多く反映されていたに違いない。当時の支配階級に絶大な人気を得ていたのも、彼の巧みな絵画的営業センスだったのかもしれない。時代の環境因子のなせる業だったのだろうか?



今回のエル・グレコ展では、マニエリスムの宗教画以外にも、彼が描いた多くの肖像画が出品されていたが、宗教的テーマの聖人達を題材としたものと違い、実存する人物と向き合った息吹が感じられるような作品が見られて良かった。その大半は古典的手法で描かれたものだったが、画家の優れた絵画技量を見せてくれるものであることにはまちがいなかった。



今回の展覧会には、『白貂の毛皮をまとう貴婦人』のタイトルで出品されていたが、実は、トレドに移り住んでから死ぬまで一緒に同棲した愛人・ヘロニマの肖像画(1570年代後半)だ。ヘロニマとは息子を一人もうけたが、一説には正妻がいたので彼女とは結婚できなかったという。
しかし、貂(テン)の毛皮の質感といい、涼やかな瞳と鼻筋、ふっくらとした唇と血の通った頬、長い眉と秀でた額の美人像といい、肖像画を描いても彼は超一級の巨匠であったと思う。
私自身は、人と向き合って肖像を描くエル・グレコのほうが好きだ。聖人や天上人を、想像のプロポーションで描く、異形の画家エル・グレコには、如何にそれがあるグループの人々に支持されても、余り魅力を感じないのだ。スペインの教会の方たち、ごめんなさい。

エル・グレコ展の公式ホームページは以下のとおり。
http://www.el-greco.jp/index.html

なお、ここに載せた作品画像は、公式HPとグーグルの Wikipedia からのものであることをお断りしておきます。