2014年10月29日水曜日

ラストライブ:「ザ・タペストリー音楽会」より



2部ラスト曲の「聖者の行進」を全員で歌い・演奏するバンドメンバーの面々、左よりQP村山(Vo/Dr)
・ヨッシー(MC/Vo/Bj)・AYA(Ba)・マッキー(As)・TAKA(Vo/Gt)・hiroko(Vo/Cho)・トオルちゃん(Vo)・
原ちゃん(Vo/Cho)・タカオちゃん(Tr)・ナッケン(Tr)、総勢10名がステージで熱演した。
Photo by Teruo


高校同期生達で結成したバンド「ザ・タペストリー」の丸4年にわたる音楽活動は、今回で6回目の一般公開・

有料ライブをもって終了した。この日(10/25)、会場のライブハウス:レストランパペラには、今回で3度目の

開催となるお馴染みの場所ということもあり、メンバーを含めて38名のお客様が来場し、とても賑やかで楽

しいライブとなった。メンバー達の熱がこもった歌と演奏に対して、客席からも沢山の声がかかり、大盛り

上がりのラストライブとなった。

今回の演目の大半は、各メンバーの希望する曲を取り入れたので、かなり難しいバラード曲も幾つか入って

いた。そのために、直前リハぎりぎりまで曲の仕上がりが見えない曲もあったのだが、いざ本番となったら、

そんな心配を吹き飛ばすような皆の熱演で、素晴らしい出来上がりだった。これには私もびっくりしたが、

ラストライブに臨んで、゛今できるベストを尽くそう ! ゛という思いでステージ上がった皆の気持ちが一つに

なった結果だった。


振り返ってみれば、このバンドの活動は高校同期生が再び集って音楽をやる、という懐かしくも楽しい面が

あると共に、ジャンルや得意分野も違い曲の好みも違う面々が集まって、演奏曲の数々をまとめていく苦労が

最初から付きまとっていた。歌や楽器の表現レベルもまちまち、プロ並みもいれば初心者もいるが基本的

には全員アマチュア。スタジオでのリハも、音合わせに十分な準備で入る人もいれば、そうでない人もいる...

一つの曲を仕上げるにも随分と時間がかかった。しかし、4年間を経て(途中参加者もいるが)、コーラス二人

の息は合ってきてハモリもきれいになり、それぞれソロも歌うようになったし、新加入のTr二人も、何とか

聞ける音を出せるようになった。Baも色々な課題にチャレンジしてリズムを刻み、手慣れたDrは多彩な打音

を響かせ、看板のAsは多彩なメロディで曲をリードした。Bjは軽快な和音で加わり、男性Voもバンドのリズム

に乗って気持ち良く唄った。ラスト曲の「聖者の行進」は、メンバー達がバンドをやる楽しさを十二分に感じな

がら歌い・演奏し、また会場のお客さん達もそれを感じて拍手と歓声で応えてくれる、というすごく一体感の

あるステージとなったことが、私はとても嬉しかった。


バンド曲の編曲と譜面作りは、メンバーに手伝ってもらいながら概ね私が担当したが、これもなかなか大変

だった。曲決め ⇒基本メロディ作成(曲集本から、インターネット楽譜サイトから購入等) ⇒歌詞入れ ⇒

コード(和音)入れ ⇒YouTube動画で原曲確認 ⇒Gt弾き語りで曲の流れ確認 ⇒歌・楽器の最終キー確認 ⇒

演奏譜面作成。曲によっては、ここにコーラスやツインTrが入り、パート譜を作成する。これで第一回の音合

わせ用譜面は出来上がるが、イントロ・間奏・エンディングやキー変更に応じて譜面手直しがあり、最終譜面

となる。私のアレンジがうまく生かされて、曲のハーモニーが素敵に出来上がったものもあれば、難度が

あったり表現が上手く出来ずにハーモニーに至らなかったものもあった。また苦労して作成した譜面が没に

なり、日の目を見られなかったものもある。その反面、ほぼすべての譜面作りをした結果、バンドのレパート

リー曲がほとんど私自身で弾き語りするレパートリー曲となった。これは、曲を提供してくれたメンバー達に

おおいに感謝したい。今ようやく譜面作りから解放されるのでほっとしているが、以後何か一緒に演奏する

機会がある時は、それぞれが自分でやりたい基本譜面(メロディ・コード・歌詞入り)を持ち寄ってコラボすれば

よいと思う。セッション(その場で即興演奏する)力も皆ついてきているので、そんな楽しみ方がこれからは

ふさわしいだろう。


バンドの伴奏で、すべての曲のGt伴奏を担当したが、これが最初から難題だった。一つには、通常Dr・Ba・As・Tr

など大音量の出る楽器に演奏で加わるには、強力なアンプを介したエレキGtがふさわしいのだが、私の弾く

ナイロン弦のクラシックGt(YAMAHA 45)ではまともに対応できない(音量が小さすぎてバランスしない)ので、

当初はコンデンサーマイクを装着し、それでも無理な(他楽器の音量を拾ってハウリングを起こす)ので、

コンデンサーマイク混合の小型ピックアップ・システムを装着して演奏してきた。今回のライブ会場でも、

アンプ・PA機器とも非力だったため、急遽VoマイクをGtにへばり付けて音を拾ったが、Gt音は他楽器の半分

も出なかった。歌もギターがマイクの直近にあるので、立って自由に動くこともままならず、座ったまま唄う

事となり、声はよく出ていたがパフォーマンスは充分に出来なかった。お客さんにGtのきれいな歯切れのいい

音を十分に楽しんで頂けなかったのは、やはり心残りだ。強力なアコースティック・Gtアンプを備えているか

(あるいは持ち込むか)、対応力の大きい本格的なミキサーを備えている会場でないと、私のGt音をお客さんに

良い状態で届けられないのを改めて確認したステージだった。


もう一つは、和音の構成と補完関係だ。通常のバンドでは、和音の主役はPfだ。そうでないスタイルも多々

あるが、伴奏とソロをできる楽器としてPfの役割は大きい。もちろんGtにもその役はできるのだが、このバンド

には始めからPfがいない状態で和音を作ってきた。Pfがソロを取る時はGtが伴奏役を、Gtがソロを取る時は

Pfが伴奏役を、他楽器(As・Ba・Trなど)がソロを取る時は、カウンター・メロディやリズムのカッティングでPf・Gt

が伴奏する。その様にして、お互いが補完しあって掛け合いハーモニーを作っていくのだが、このバンドでは、

和音の中心をほとんどGtが引き受けねばならなかった。曲によってはBjも加わってくれたが、息も抜けない

演奏は、大変しんどい作業となった。なぜこんなに疲れるのだろう、と思いながらの毎回だった。もちろん

演奏する楽しさや、皆の演奏が乗って来て、気持ちがハイになることも多かったのだが。結果、Gtソロも

ほとんどやる機会がなかった、というか作れなかったのは残念だった。


話は変わって恐縮だが、私がもう一つ係わっている「ジョビアゥ・タカバンド」では、Pf・Bs・Drのメンバー達は

何れも劣らぬ素晴らしい腕を持つ達者なプレーヤーなので、彼らの作ってくれたリズムと和音に乗っかって、

Gtで弾き語りするのはとても楽できもちがいいのだ。何の不安もなく、私は歌い・演奏できるのはとても幸せだ

といつも感じる。来春(2月か3月)に、私のバンドのライブを予定しているが、その時はまた皆さんに歌と演奏を

大いに楽しんでもらおうと目論んでいる。

演奏者もリスナーも純血主義(同じ高校の同期生)という枠を取り払って、ゲストプレーヤーを呼ぶなりして、

もっと多彩でお互いに気楽で楽しめる音楽愛好者の集まりになって行ったらより良いと思う。中でもPfの加入

はぜひ実現してほしい。また、皆に協力してもらい、非力ながらも続けてきたバンド・マスター役をこの機会に、

下ろさせてもらい、今後は一ギタリスト、一ヴォーカリストとして共に音楽を楽しむ集いに参加出来たらよいな

と思っている。


以下、ラストライブ「ザ・タペストリー音楽会」の演奏ナンバーを載せておきます。

<1st Stage>

オープニング・テーマ:A Train
1.Wave(TAKA歌/マッキーAs)
2.Saving All My Love for You(マッキーAs/原ちゃん歌)
3.Summer Time(hiroko歌/タカオちゃん・ナッケンTr)
4.ケ・サラ(トオルちゃん歌+Cho)
5.朝日楼(原ちゃん歌/タカオちゃん・ナッケンTr)
6.What A Wonderful World(ヨッシー歌)
7.Caravan(QP村山Drソロ+All Members)

<休憩 & 飛び入りタイム

「花は咲く」(三重奏:シローFl/タカオちゃん・ナッケンTr)
「タイニー・バブル and パーリー・シェルズ」・「バリバリの浜辺で」(AYA歌 & Friends)

2nd Stage

1.恋のバカンス(原ちゃん・hiroko歌+All Members)
2.スターダスト(TAKA歌/原ちゃん・hiroko Cho)
3.さらば青春(トオルちゃん歌)
4.Sweet Memories (マッキーAs/hiroko歌)
5.Unchain My Heart (QP村山歌+Cho)
6.聖者の行進(ヨッシー歌+All Membwrs)
アンコール曲1.恋のバカンス
アンコール曲2.闘牛士のマンボ
エンディングテーマ A Train






ライブ後、近くのお店(K君経営)で開かれた打ち上げ会。みんないい顔をしていました。
Photo by TAKA

2014年10月19日日曜日

10月歌会(第2回)は、新歌集が引っ張りだこだった。



アラフォーとアラフィフ好みの歌が次々と飛びだした第2回歌会、とても盛り上がりました。
(後列左より)シゲコママ・ウッチー・戸上マスター・ヨシミさん・アキさん・クワタさん(男子20代!)、
(前列左より)タカ・やっちゃん・マリコさん。椿珈琲店にて Photo by Hagime


狛江市の地域サービス(看護・介護など)に携わるお仲間が集まって、一夜歌会をした。『日頃、大変な

サービスに従事されている皆様と、゛一服の清涼剤の様なリラックスした時間を共に過ごしましょう!』と

いう声掛けに、今回も5名が参加された。音友ウッチーと私が゛生オケ゛のギター伴奏役、常連の

ハジメちゃんも加わって、美味しいお酒とシゲコママ特製の食べ物をいただきながら、唄を楽しんだ。

実は7月に第1回の歌会を開いた。昼間の仕事の後どの位参加者が集まるのか見当がつかず、とりあえ

ず試験的にやってみよう ! ということだったのだが、4名参加された方たちの歌が予想以上に盛り上がっ

てしまい、また、常連さんたちと丁々発止のやり取りがあって、「やや賑やかすぎたかも~!! 」と、参加者と

お店の方達がビックリするやら面白がるやら...

この夜は、参加者が順次うたい(やっちゃんやヨシミさんは聞き役に回ることが多かったが)、時折リクエスト

曲を私が歌い(私とウッチーのツイン・ギターで)、マスターのレキント・ギターがイントロや間奏を弾いて、

ハジメちゃんも持ち歌を披露して、という具合で、「やぁ~! なかなかいい歌会でしたね~!」とマスターが

言う位、とても楽しい歌会となった。以下、焼酎のお湯割り3杯の後、お礼にといただいた赤ワイン(マスター

提供)でほろ酔いとなり、記憶の程は定かでない脳が覚えていたエントリー曲の数々であります。


『サチコ』(ニック・ニューサー)、『グッドナイト・ベイビー』(ザ・キングトーンズ)、『夏の日の思い出』

(日野てる子)、『スウィー・メモリーズ』(松田聖子)、『ルージュの伝言』(ユーミン)、『やさしさに包まれ

たなら』(ユーミン)『迷い道』(渡辺真知子)、『For You』(高橋真梨子)、『少年時代』(井上陽水)、

『京都から博多まで』(藤圭子)、『別れの予感』(テレサ・テン)、『空港』(テレサ・テン)、『津軽海峡冬

景色』(石川さゆり)、『旅の宿』(吉田拓郎)、『ブルーライト横浜』(いしだあゆみ)、『白いブランコ』

(ビリー・バンバン)、『コーヒールンバ』(西田佐知子)、などなど...

もっぱら歌好きのアキさんとマリコさんが歌ったが、若いクワタさんも陽水の歌などを披露してくれた。

皆さんのリクエストにお応えして、私が『百万本のバラ』(加藤登紀子)・『中央フリーウェイ』(ユーミ

ン)と、オリジナル曲の『あなたの側で』(TAKA)を弾き語りすれば、ウッチーは『セーラー服と機関

銃』(薬師丸ひろ子)と『ラブユー東京』(黒澤明とロスプリモス)を歌ってくれた。


かくして、秋の夜の3時間程の時はあっという間に過ぎ、また次の機会に第3回をやりましょう~! と盛り上がり、

皆さんで記念撮影して歌会は終了した。アキさんからこの会の名前は『タカうたかい』としよう! との声が掛かり、

次回からその名前を使わせてもらうことにした。3時間近く、ギターを弾き続けるのは結構疲れるのだが、

今回はウッチーに強力な助っ人をしてもらい、負担が軽くなった分私も大いに楽しめた一夜だった。

新歌集の曲も、45曲が歌本に載せられている。我等の年代(60代)よりも、一回り二回り若い世代に馴染み

の曲を集めているが、あと5曲を追加すれば50曲となる。ここ半年ぐらいかけて、歌詞と伴奏のギターコード

を載せてきたが、オリジナル曲のキーを弾き易く歌い易いキーに変えるのもひと仕事だ。でも年内には

完成させたいと思っている。そのリクエスト曲もすでに皆さんから頂いているので、暇を見つけては仕上げて

いくつもりだ。




新歌集の中には、単純な3コードでは対応できない曲や、ハモリやデュエット・ソングなども
含まれているが、バラエティに富んだ曲が集まってきた。皆で楽しんでくれたらよいと思う。

2014年10月10日金曜日

ブラッド・ムーン(赤い月)を、始めから終りまで堪能した。



雲のない晴れた東方の夜空に浮かぶブラッド・ムーン、自宅から初めて肉眼で見ることができた。
RicohCX3で、ポイントフォーカス・露出2,0で撮影。 ALL Photo by TAKA



10月8日の夜は、日本各地でも皆既月食が観測され、かくいう私も自宅の建物の廊下に出した椅子に陣

取って、太陽と月の軌道線上に地球が挟まれて、地球の影で月が刻々と形を変化させる「皆既月食」を

つぶさに見ることができた。満月の月が欠け始めたのは18時15分頃、皆既月食となったのが19時30分頃、

この時から約1時間が、ブラッド・ムーンを見られた時間だった。20時25分頃から、皆既月食が終わり、

部分月食となって月は光を取り戻していったが、20時45分頃からは白く厚い雲が月を隠し、部分月食の

後半は残念ながら見ることはできなかった。

皆既月食の間、太陽光は屈折して地球の影に入り、この微かな赤い光が月の月面を照らし、赤銅色に輝く

様を『ブラッド・ムーン』(赤い月or血色の月)と呼んでいるのだが、肉眼で一部始終を見たのは初めてだった。

とても幻想的な感じで、身体がぞくぞくするようなスリリングな色と変化を、約2時間半程の間すっかり見

入ってしまった。





(上)見事な満月となったこの夜の月影、晴れた空に雲も無くとても大きく見えた。18時15分頃。

(中上)部分月食が始まり左下から欠け始めた月影、地球の影がボヤッと滲んでいる。18時30分頃

(中下)半分近く欠けた月影、18時55分頃。そういえば、昔の時代劇映画の主人公で「月形半平太」
という剣豪がいて、大川橋蔵や市川右太衛門役で人気があったが...(関係ないか!)

(下)部分月食の終わり、皆既月食寸前の月影、19時25分頃。この後地球の影にすっぽりと隠れた。


ブラッド・ムーンを見ている間、光を失った月を撮影するのは難しかったので、手ぶれ防止のため部屋に

三脚を取りに行ってから写真を撮った。それでも、シャッターを押す瞬間はわずかながらぶれるので、慎重に

ボタンを押した。望遠レンズ付きの一眼レフでないと、きれいな写真は無理なのだが、何とか見られる映像

が残せたのはラッキーだった。゛ブラッド゛の名前からして、バンパイヤ(吸血鬼)や不吉な兆候を予言する

ような伝説などがあるのだろうか? と思い、ネットの記事を探ってみたが、その類の記事はほとんど見当たら

なかった。純粋に科学的(天文学的)な範疇にこの言葉が位置されているのを確認して、何故かほっとする

思いだった。約2時間半も月を見続けることなどは、「ひまだねぇ~!」とか、「酔狂なことで!」とも言われかね

ないが、私的には不思議な色の月をじっくり見ることが出来て、とても楽しかったことを付記しておきたい。





(上)皆既月食の終わりごろの月影、赤い色がやや銅色がかってきた。20時20分頃

(下)再びの部分月食戻り始め、左上方向から月の光が戻ってきた。20時30分頃



今年の4月15日に、日本各地で部分月食が観測され、わずかながらブラッド・ムーンが見られた、という話を

友人から聞いた。残念ながら自宅ではその時天候が悪く、赤い月を見ることができなかった。その後10月に

皆既月食が見られることをネットニュースで知り、今回を楽しみにしていたのだが、天候が良かったのでその

全貌を今回観測できたのはとても嬉しかった。興味ある方は、これからの皆既月食の予定も告知されている

ので、その機会に楽しまれることをお勧めしたい。以下のサイトでどうぞ。

http://matome.naver.jp/odai/2139749545834905601


2014年10月5日日曜日

秋の秋川渓谷で遊ぶ




秋川渓谷・瀬音の湯の前庭に咲くコスモスの花、森を渡ってくる涼風に揺れていた。Movie by TAKA 


秋の晴天が続く一日、゛多摩川上流域に行ってみよう!゛ということで、支流の秋川渓谷に出かけてみた。

30代に渓流釣り(ヤマメ・イワナ)に嵌まっていた頃、八王子に住んでいた私は、多摩川上流(奥多摩)と秋川

渓谷へもよく出かけた。それだけでなく、車を運転して出かける地域は、長野県の天竜川・支流域・千曲川

上流・支流域・犀川・裾花川上流域、静岡県の狩野川上流、山梨県の道志川など、思い起こしてみても随分

あちこち出かけたものだ。夜間に起きて、車で未明に渓流の釣りポイントに着き、仮眠して夜明けを待って

から川に入る。腰までのバカナガ(ゴム長靴)を履いて、渓流沿いの砂利道や岩を遡行して、魚のいるポイント

へ竿を出して行く。毛鉤釣りが多かったが、エサ(ブドウ虫や川の石裏に住む川虫)釣りもした。澄んだ川の

水と渓流の景観を楽しみながら、パールマークのヤマメやイワナの美しい魚体に出会い、強い引きで竿を

しならせる一匹を引き上げて手にした時の興奮を今も思い出す。

その頃使っていた竹竿やグラス・ロッドも、仕掛けや装備品は今でも一式手元に残してあるが、さすがに

バカナガは処分してしまった。竿を封印し、再び釣りをすることはないだろうと思っていた私にとって、無用の

長物は要らなかったのだ。ところが、去年長野の裾花川で再び竿を手にする機会があり、また家からすぐ

近くの多摩川で、釣りが楽しめることが解り、今はチャリに乗って長靴ばきで釣りをする、という、まことに

お気楽な釣りが時折出来ることになった。戸外のいい空気の中で過ごす時間も、なかなかいいものだと

思っている。


秋川渓谷の森の、上空にぽっかり浮かぶ秋の綿雲。快晴の空の青さと、森を渡ってくる風が心地よい。
All Photo by TAKA


この日は朝起きして、朝食のサンドウィッチ(フランスパンにはさんだチーズ・クレソン・ハム・ほうれん草の

白和え)と珈琲(保温ポットに入れて)と、昼食のおにぎり(黒米入りごはんに梅干し)に摘まみ(昨夜のカボチャ

煮と大根の時漬け)を用意した。これは私の習慣で、初めての土地やしばらく訪れていない場所に出かける

時には、現地での食事や買い物ができる状況が解らないことを予想し、自前の食べ物と飲み物を持参する

のが望ましい、という備えからだ。同行してもらったHIさんの車に便乗し、朝早い甲州街道と奥多摩街道を

走り、拝島の手前で7号線(杉並あきる野道)に入り、八王子サマーランド近くでちょっと川の様子を見てから

秋川渓谷に向かった。



目的地の一つ、広い駐車場と天然温泉・レストラン・宿泊コテージなどを備えた「瀬音の湯」施設入口


秋川の様子を知りたいと思い、「瀬音の湯」の駐車場に車を入れ、施設の係員に様子を訊ねてみると、施設

に続く遊歩道が川原に続いている、との案内を得た。まだ日帰り入浴温泉開店(午前10時)前なので、駐車場

の一角に川を眺められる場所を見つけ、シートを敷いてまずは朝食にした。熱いコーヒーを飲みながらの

サンドウィッチは、渓谷を流れる清流の瀬音とカラッとした澄んだ空気に包まれて、とても美味しかった。

売店やトイレ施設もあるので、いろいろと便利で助かった。



「瀬音の湯」の温泉は、広い大風呂と外の露天風古、それにサウナを備えた本格的なものだった。


朝食後、長靴や釣り具を入れたポシェットをもって、秋川への遊歩道を歩いてみた。森林の間を縫って続く

遊歩道は、間伐材のチップが敷き詰められていて、ふかふかと歩きやすかった。オゾンたっぷりの空気に

包まれて、心地よい森林浴を楽しめた。森を渡ってくる風、下から吹き上げて来る川風、共にさらっとしている。

私達は、信州の高原育ちなので、この空気はとても懐かしい香りだった。川原は十里木(じゅうりぎ)の

キャンプ場になっているのだが、今はオフ・シーズンで駐車している車もちらほらで空いていた。川原に降り

て長靴に履き替えてから、竿に仕掛けをつけて、さっそく流れに振り込んでみた。すぐに当たりがあり、小さな

ハヤが毛鉤にかかってきた。その後、少しポイントを移動しながら、5~6匹の小魚が毛鉤にヒットしたが、

すべてハヤだった。川の水量は、連日の晴天故か、かなり少なかったが、川石も水も格段にきれいで冷たい。

渓谷のきれいな水と、元気な魚たちに出会えて、私は満たされた。同行してデジカメ動画を撮影してくれた

HIさんも、水質の良さには感嘆の声を上げていた。



秋川での川遊び、元気なハヤが挨拶してくれた。清流の流れもとてもいい景色だった。
Movie by HI


ひと時、川の時間を楽しんだ後、再び遊歩道を通って瀬音の湯まで戻った。川に架けられた吊り橋からの

眺めもなかなか見応えがあった。瀬音の湯は、800円(2時間)で入浴できるので、歩いて少々汗ばんだ身体

を湯船に浸そうと利用してみた。広い大風呂に湧き出す温泉の泉質は、゛アルカリ性単純硫黄温泉゛で、

入ってといると、体中にぬるっとしたお湯が沁みてくる。Ph10,1と案内に書かれていたが、筋肉痛や関節炎

等に効き目があるようだ。私自身は、夏の暑さや汗で痛めつけられた皮膚に効くような気がした。

温泉をしばし楽しんだ後、前庭のベンチに腰掛けておにぎりとお茶の昼食とした。森を渡ってくる涼風が心地

良く、温泉で温まった身体がゆっくりとクール・ダウンする気がした。秋の花:コスモスのピンク色もきれい

だった。


通り道の人家の庭に咲いていた花は、サフランを一回り大きくしたような花弁だった。園芸種なのか?


帰り道、゛ドライブイン゛との表示がある古民家に寄って、何か土産物は扱っているか? と訊ねてみると、今は

土産物の扱いはなく、秋川での遊漁料や囮アユの販売が主だと、応対してくれた店主が話してくれた。先方も

珍しい客が寄ってくれたと思ったらしく、「今年は夏先に大水が出て、放流した稚アユも全部流されてしまった。

アユ釣りは、この夏さっぱり駄目だった。」などと話続け、しまいには観光案内のパンフを一まとめにして

渡してくれた。ヤレヤレだったが、川の概要はおおよそ解った。阿伎留(あきる)神社の祭礼で、道路両側に

露天が沢山並ぶ五日市の街並みを抜け、再度サマーランドの対岸で秋川漁協の囮アユ取扱店などを見たり

してから、一路一般道を通って午後早目に自宅に戻った。久しぶりの秋川渓谷は、オゾンたっぷりの森に

囲まれ、良質の温泉もある近場のリクリエーション地だった。