2015年10月31日土曜日

北信濃紅葉紀行【中編】城下町松代と中村神社



松代城址公園の城壁から東方の山々を展望する。 皆神山(みなかみやま:手前右)と尼厳山(あまかざりやま:左)、
後方に連なる1,000m以上の山々:奇妙山(きみょうざん:)・堀切山(ほりきりやま)・保基谷岳(ほきやだけ)が臨める。
公園のサクラは紅葉して秋の陽射しに輝いていた。青空には白い秋の雲、懐かしい景色だった。
All Photo by TAKA


翌朝のどが渇いて目覚め、冷水を一口飲むとカーテンの間から朝焼けの空が見えた。南に開け三方を山々に囲まれ

た盆地では、朝日は東の山々から登り、夕日は西の山々に沈む。子供の頃から見慣れた風景だが、都会暮らしの

方が長くなってしまった私には、久し振りに見る光景だった。しばらくの間、飽きることもなく朝焼けの空を眺め

ていた。朝食は和食を選んでおいたが、味付けも量も申し分なく、美味しくいただけた。





 今日も快晴、青空に朝焼けの雲がたなびく。澄んだ空気の中で秋の雲がきれいだった(上)。
セットで用意された朝食は、バイキング・スタイルより食べやすかった(下)。つい食べ過ぎてしまうからね。


 本日の午前中は、長野市南方の城下町松代と千曲川周辺を散策する予定だった。まず、松代城址(旧海津城址)に

行った。私は小学生の頃遠足でここに来たことがあった。その当時は、崩れかかった城壁とだだっ広い空き地が

あっただけで、石垣をよじ登って遊んだ思い出がある。HIさんは自宅と学校が近くだったので、子供の頃の遊び場

だったとのこと。現在、城壁は修復されてすっかりきれいになり、堀と正門・裏門の建屋が備えられて、観光の

名所となっている。歴史遺産を整えて、多くの観光客を迎えているのはとてもいいなと感じた。春のサクラ(場内広場)

を見に来る人々も多いそうだ。



松代城址の正門の威容、石垣もきれいに作られている。秋の陽ざしの中、ドウダンツツジの紅葉が美しかった。



 ▢石垣の上に設けられた展望台から、西方の北アルプスを望む。すでに山々は冠雪し白く化粧していた。
これも懐かしい景色だった。


 その後、すぐ北側を流れる千曲川に行ってみた。畑の中を巡る農道をぶらぶら歩いて、堰堤を越えて河川敷に入った。

対岸の少し下流の川岸で、私はよく釣りをした。30代の頃だったが、知り合いが青木島町にいたので、朝早起き

してハヤやコイを千曲川で釣って楽しんだ思い出がある。HIさんが子供の頃には、堰堤にポプラの並木があって、

沢山の樹を連ねていたとのことだが、上信越自動車道の工事の時にその並木は切られてしまったか、または枯れて

しまったか、すでに面影はなかった。ただ2本のポプラの木はあったが、蔓延った雑木や常滑の木に囲まれて勢い

がなく、やがて枯れるのを待っているかのようだった。60年近い時の流れの中で、風景は変わってしまっていた。



千曲川の堰堤から妻女山(「川中島の戦い」の折、上杉謙信が陣を敷いたという山)と連なる山々を望む。
快晴の青空の下で、ススキの穂が風に揺れていた。のどかな田園風景。



収穫を待つばかりの山芋畑、枝葉を伸ばした後、柵と網を取り除いてから土を掘り起こして山芋を取り出す。
すぐ側の畑では、ショベルカーが砂分が多い土を掘り起こして山芋を収穫していた。 



農道に設置されたマンホールの鉄製蓋、サクラとリンゴをモチーフにしたデザインがこの地区らしくて面白かった。


次に回ったところは、車でもすぐ側にある旧松代藩文武学校、江戸時代には真田藩の城下町であった松代に残る

藩校跡だが、近年建物が整備され、開校当時(安政2年:1855年)の姿をそのまま伝えているという。見学料を

払って中に入ると、剣術所・柔道所・槍術所などと、西洋医学や西洋砲術を教えた文学所が残されており、畳を

敷き詰めた広い校内を巡って見ることが出来た。幕末の時代としては、かなり水準の高い藩校だったと案内には

記されていたが、江戸時代後期の思想家:佐久間像山を生んだ土地柄を忍ばせる歴史遺産と見受けられた。すぐ

隣には、HIさんの母校(松代小学校)が、文武学校の雰囲気に合わせた瀟洒なデザインの校舎で新しく建てられて

おり、歴史遺産を大切にする町の方針が感じられて好ましかった。来年のNHK大河ドラマは、『真田丸』だそうな。

この町も、また観光客で賑やかになるに違いない。



文武学校正面入口 、学舎玄関には真田六文銭の垂れ幕が掲げられている。



 ▢ついでに(と言っては失礼かも!)像山神社にもお参り。


この町の南外れに鎮守の森があり、その脇に小学校がある、ということで、小川に沿って住宅街を登っていくと、

大きな森が見つかった。そこは中村神社という由緒ある神社で、スギとケヤキの古木が茂る鬱蒼とした森だった。

その中に木造の社殿が佇んでいた。創建は延喜(901~923年)以前、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・

素盞嗚命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)他。永禄年間に一度焼失し同12年(1569年)

に再建された(信濃INDEXより)とある。私達が神社の境内を歩き回っていると、落葉を掃いていた社守らしき

おじさんが、「今年の善光寺御開帳の折、本堂前に建てられた大回向柱に使った杉の大木の切り株があるから、

見てごらん。」と声をかけてくれた。早速社殿の奥にあるその切り株を見ると、直径1m近い切株だった。その

御神木は、高さ30m・推定樹齢200年という杉で、本堂前の回向柱(45㎝角・10m)と世尊院釈迦堂前の供養塔

(30㎝角・6m)の建立に寄進されたとのこと(信濃松代観光情報より)。善光寺と松代藩の縁故から、7年毎の御開帳

折には回向柱が寄進されて来たが、今年は中村神社の杉が使われ、その切り株を見られたのも、何かの巡り合わ

せだったように思う。



 鬱蒼とした鎮守の森の中に、静かにたたずむ中村神社の正面鳥居より社殿を臨む。



今年の善光寺御開帳の折、回向柱として切り出された杉古木の切り株。200年の年輪が刻まれていた。 


私の子供の頃の記憶にもある町、そしてHIさんの子供時代を過ごした町のあちらこちらを再び探索出来たので、

懐かしい思いは大いに満たされたのだった。この町を後にして、私は小学校同級生達との昼食会を予定している

会場まで車で送ってもらった。


旅の最後に寄った善光寺本堂前の回向柱、7年毎に新しく建てる度に、前回分は上部を切られて短くされる。
10本が建立されていたので、70年分の歴史が残されているのだ。願い事は、東方に立って柱に手を置き、
時計回りに4回柱を周ってから願いをかける習わしだ。
<この項つづく>

2015年10月30日金曜日

北信濃紅葉紀行【前篇】飯綱・戸隠と池田満寿夫ギャラリー



飯綱・大座法師池湖岸で色づいたイロハモミジの紅葉、快晴の青空をバックに色鮮やかで美しかった。
All Photo by TAKA & HI
 
 
今年の紅葉をどこで見ようかと思案していた時、やはり生まれ故郷・信濃の風景を見たいな、と言う気持ちになり、
 
音友のHIさんを誘って出かけてみた。心配していた天気もすっかり晴れあがり、二日間(10月26・27日)ともに
 
素晴らしい秋晴れに恵まれた。関東地区の紅葉の名所も素晴らしいのだが、やはり澄んだ空気と高原の風景、周りを
 
アルプスや高山に囲まれた信濃の風光明美さを知っていると、今一つ物足りないのだ。子供の頃遊んだ高原や池を
 
巡ったり、城下町の城跡や街並みを訪ねたり、千曲川の流れや堤防の景色を再訪したり、普段なかなか出来ないこと
 
を今回は試してみよう、という旅となった。その中には、2週間程前に突然連絡が取れた私の小学校同級生との
 
会食も含まれていた。
 
 
 

座法師池は昔の佇まいのままだった。ただ、池に浮かんでいた浮島は消えていて見当たらなかった。
湖畔のカラマツはまだ紅葉が始まったばかり。黄色に色づくととてもきれいなのだが。
 
 
 
見事にシンメトリーな、湖畔の森が映り込んだ大座法師池の眺め、快晴の青空がまぶしい。
 
 
朝早くに新宿から湘南新宿線に乗り、大宮で北陸新幹線に乗り換えて約一時間で長野に着く。まことに便利に
 
なった。今回は「トレンタくん」(駅レンタカーと乗車・特急券のセット)を利用したのでとても割安だった。
 
小型のホンダ・フィットの運転はHIさんにお任せし、私は専らナビゲーター、すぐ飯縄へ向かった。道中の紅葉を
 
楽しみながら、坂道を登り続けて高原へと、30分程で大座法師池に到着。空いている駐車場に車を入れて湖畔
 
のカラマツ林を歩いてみた。カラマツの枯葉が散り敷いた林の道は、じゅうたんの様にフカフカしていてとても
 
気持ちが良い。足裏を伝わってくる感触を久し振りに堪能した。これが高原でしか味わえないウォーキングだ。
 
身体が覚えているこの感触を再び体験出来て、とても懐かしい気持ちだった
 
 
 

岩戸屋の昼食で食べたのは「おそばセット」、手打ちのざるそばにソバ掻き・天ぷら・野菜の煮しめ
・おぼろ豆腐などがついた満腹・満足の一品だった。
 
 

今も変わらぬ岩戸屋の玄関口、戸隠神社中社の入口手前の急坂にある。この2枚の画像は「食べログ」の案内記事より。
 
 
標高約900mの大座法師池を後にして、広葉樹が両側に拡がる高原の道をさらに登って戸隠に向かった。朝早起き
 
だったのでそろそろお腹も空いたし、昼食のお蕎麦を中社の岩戸屋で食べようとの目論見だった。私は戸隠に来る
 
と必ずこの店に寄って、地元の蕎麦実を挽いて手打ちした「戸隠蕎麦」を食べることにしている。以前会社勤め
 
をしていた頃、社員の同僚が「信州ソバって、たいして旨くないですよね~!」と言われて、「何処の信州ソバを
 
食べたの?」と聞いたら、「えっと、立ち食いの小諸ソバですが...」との返事。「そんなもん、信州ソバでも
 
何でもないの! 本物の手打ちソバを食べてから御託言いな!」と、気色ばんだことがあった。岩戸屋の蕎麦は、
 
地元の高原畑で収穫した蕎麦実を挽いて手打ちした10割生蕎麦なので、旨さは数時間しか持たない。日を過ぎると
 
伸びてしまい旨さは失われる、また、打ちあがったソバは包丁切りするので、機械打ちとは違った゛ざらっとした
 
歯触り゛が身上だ。江戸前蕎麦の真打と言われる「砂場」や「藪」の蕎麦は、二番挽き・三番挽きしたそば粉を
 
打った白い色と小麦粉を少し混ぜたするりとした歯触りとのど越しが特徴だが、戸隠蕎麦のやや緑がかったソバ
 
色としっかりした歯触りを私は愛するのだ。誰が何といっても、戸隠蕎麦が最高だ! どうだ、参ったか! (この話は
 
キリがないのでここでおしまいにする。)
 
 
 

快晴の青空と戸隠山(標高1904m)、ふもとにはカラマツと広葉樹の林が拡がる。北風が吹き込んでいたので、
鏡池の水面はやや波立ち、湖に映り込んだ眺めは少しぼやけていた。しかし、素晴らしい景色だった。
 
 

戸隠山に連なる左の本院岳、岩肌をむき出した険しい峰の連なりと黄色く紅葉したカラマツの林、
葉を落とした広葉樹の林が、鏡池に映っていた。最高の目の保養だった。
 
 
もう、30年以上前に訪れた鏡池は、ひなびた佇まいで周りにレストランや駐車場もなかったし、バス道路から狭い
 
道を歩いて行った記憶があるが、鏡のように映り込む戸隠連山の眺めだけは素晴らしかったのを覚えている。昨今
 
観光の名所として随分と開け、平日とは言え多くの見物客がいた。この辺り(標高1,200m)の高さになると、広葉
 
樹の紅葉は終わっていて、カラマツの黄色と広葉樹の赤色を一緒に見る事は叶わなかった。が、快晴の青空と戸隠山
 
の眺めが鏡池に映る様を充分堪能することができた。一日へばり付いているというカメラマンに、USBチップから
 
引っ張り出したベストショットを見せてもらって楽しんだりした。
 
 

 

池田満寿夫ギャラリーで見たリトグラフ2点、『ハートモジュールの~』(上)と『ルネッサンスの女』(下)、
小さなギャラリーだったが年代別テーマで飾られた作品が見やすかった。
 
 
高原の紅葉をすっかり満喫した後、道路の両側に拡がるカラマツの紅葉と広葉樹の連なりを見ながら山を下りた。
 
「やっぱり高原はいいなぁ~、空気はきれいだしオゾンはたっぷりだし、さわやかだねえ~!」と話ながら、懐か
 
しい思いが満たされるのを感じた。まだ日が高いので、その後今年9月に亡くなった私の兄と両親が眠る花岡平
 
の墓地をお参りした。ついでにということで、浅川の山の上にある墓地に眠るHIさんの両親のお墓をお参りした。
 
市内に戻る途中、前から寄ってみたかった「池田満寿夫ギャラリー」(画家は母校の卒業生)を訪れた。この小さ
 
なギャラリーは、母校(長野高校)の金鵄会館という記念館(昔の校舎をそのまま残した)の中にある。夕暮れ時に
 
事務室を訪ねて聞いてみたら、鍵を持って案内の女性がギャラリーを開けてくれた。収蔵作品はほとんどリト
 
グラフ(限定版画)だったが、教室1室分のスペースに年代順4テーマに分けて展示した作品は見やすくて好印象
 
だった。金鵄会館を出て車に乗ろうとしたら、丁度放課後で、授業を終えた生徒たちがぞろぞろと教室から出て
 
来たのに遭遇した。50年程前にここで学んでいた高校時代の生徒仲間たちを彷彿とするシーンだったので、なぜか
 
懐かしかった。
 
 

 ▢今も昔の面影を残す金鵄会館、外装はきれいになっているが、渡り廊下や教室内に置かれた机や椅子は
当時のままだった。
 
 
日暮れ時に宿泊先(Saihokukan Hotel)に着き、一休みしてから駅近くの飲食街に食事しに出かけた。今回は
 
朝食付きのプランをHIさんが手配してくれたのだが、部屋は広くてきれいだし、ビジネスホテル並みの割安料金
 
だったので、とてもラッキーだった。大門通りや権堂町などを歩きながら、すっかり変わってしまった街並み
 
に戸惑いつつ、以前利用したことのある飲食店を探したが、別の珈琲店に変わっていたり、店自体が無くなって
 
いたりしてお目当ては見つからなかった。そこで、食いものには鼻が効く私の特技で、一軒の頃合いの店を探し
 
た。地元の野菜と食材を料理して提供する、との触れ込みだったので入ってみた。席に着いたら案内嬢が、
 
「お酒は30分単位で飲み放題のシステムです。」と言うのでビックリしたが、頼んだ料理(農家の季節野菜ザル
 
盛り・ハーブ鶏のゴロゴロ焼・おばあちゃんのナスの油味噌・厚揚げ・野沢菜のおやきなど)は、どれも美味し
 
かった。郷土料理風の味付けもなかなかよろしかった。地元サラリーマンや女性グループが集まる割安飲み屋の
 
趣きもあるが、「地場酒場信州郷土料理」を詠った中身は、納得・満足・割安の夕食だった。ただ、飲み物は
 
セルフサービスなので、一杯毎に酒カウンターに出向くのはちょっと勘弁してね、と「小林農場」に言いたく
 
なったのだが。さて、すっかりお腹一杯になったのと、太陽の光を浴びて動き回った疲れが出て、宿に戻った
 
その夜はぐっすりと寝てしまった。
 
 

 
農家の季節野菜ザル盛り(上)と信州ハーブ鶏のゴロゴロ焼(下)、ともに「食べログ」の画像より。 
 
<この項つづく>
 
 

2015年10月15日木曜日

神代植物園の秋バラ:秋花の季節(その3)



中輪の白バラでは人気のアイスバーグ(フロリバンダ系/ドイツ・コルデス社作出)、八重の平咲き花が、
早くも石造りモニュメントの周りに沢山花開き始めてていた。All Photo by TAKA
その日の朝、秋晴れの青空を見て、これは秋バラを見ながら色々とカメラテストをするには持って来いの日和だ、
と思い、電チャリに乗って神代植物園に出かけた。野川の清流を見ながら遊歩道を走り、途中から三鷹通りの坂
を上ると家から約20分で深大寺門に着く。気軽に直ぐ来られるのが魅力だ。前出(9月8日『フォトストック・
サイトのご紹介』)の通り、私のオリジナル・フォトも掲載数が増えて、現在63作品(PIXTA:28 /
Pholibrary:35)になってきているが、バラ好きの私が撮った写真作品の多くは、ここの神代植物園のバラ園での
撮影によるものだ。有料ではあるが(大人500円 / シニア250円)、バラ園の手入れがとても丁寧であることと、
広大なスペースに沢山の種類のバラが植えられているのが人気のゆえんだと思う。元々趣味で撮影をして来たし、
私のブログに載せるのが専らの用途ではあるので、結構気ままにシャッターを切ってきた。ところが、フォト
サイトに撮影した中でも良質(と思える!)作品を載せ始めて以降、商用使用に耐えうる基準というものがあり、
やはりそれをクリアするためには、撮影時にも色々と注意すべき事項があるのが自明の理となってきた。細かい
ことは省くが、要は『①晴れた日の午前中に、②陽の当たる戸外で、③高画質で撮影し、④撮影対象は輪郭が
はっきりと映る様に撮影する。➄作品1ファイルの保存は、2,5MG以内に』というのが注意事項なのだ。NGは、
曇天や日の当たらない場所、暗い室内、逆光、高画質過ぎるファイル、不鮮明な画像、などだ。


優しい杏色の『カリンカ』(F系/ 仏メイアン社作出 )、 明るい秋の陽ざしの中で輝いていた。
満開の花形もきれいで言う事なし。


この園で開催される毎年秋の『バラ・フェスタ』は、10月10日~11月1日との案内があったが、この日(10月9日

)はその前日の午前中だったので、来場者もちらほらだった。しかし、早咲種のバラは数こそ少なかったがすでに

花開いていて、快晴の空の下でしばし撮影を楽しんだ。三脚を持参し、短めの一本三脚にしてシャッターを切る

時のブレを予防し、フォーカスもAFとピント・フォーカスを試したり、露出をやや高め・低めに設定してみたり、

アングルも低目から・中間から・上目からなどを試してみた。そんなことをしながら咲くバラを周っていると、

あっという間に時間が経ってしまう。




黄色の花色が鮮やかな『ゴールド・マリー』(F系/ 独コルデス社作出)、丸弁盃状で花弁の
縁がやや赤みを帯びる。退色が少ないので咲終わりまで花色が楽しめる。 


花開くバラを主役にして、大きなクローズアップも良く撮るのだが、この場合は花の状態(満開の度合い・花弁の

傷み無し・退色なし・虫食い無しなど)が良好であることが条件だ。そして、この日の快晴の青空を背景に入れ

ない手はないと思い、幾つかのショットも試してみた。好天のお蔭で、青空と花とのコントラストがはっきりと

した画像もカメラに収められた。なかなかいい条件が整う機会も少ないので(お天気だけは自分で決められない

のだ!)、この日はとてもラッキーだった。バラシーズンが始まったばかりなので、フロリバンダ系の早咲き種が

ほとんどだったが、青空の下で色鮮やかなバラを見られたので、とても爽快な気分だった。



 ▢オレンジ色を帯びたクーリーム色から白色に色変わりする『ムーンスプライト』(F系/ 米作出)、ロゼット咲きで
スパイシーな香りを持つ。黄色から白色に色変わりするものもあり、「月の妖精」の名のごとく、軽やかで
明るいイメージのバラです。




艶やかな深紅色の『ヨーロピアーナ』(F系 / オランダ作出)、平咲きビロードのような丸花弁は、
秋の陽を浴びて色が際立っていました。銅色の葉色もなかなかシックです。
<この項終わり>

2015年10月12日月曜日

コキアと秋バラ:秋花の季節(その2)



コキア(帚木 or 帚草)が色づき始めたガーデンの一角、このピンク色がもっと紅葉して深い赤になる
とのこと。逆さホウキが並んでいる不思議な風景 !! コキアの群生をちゃんと見るのも初めてだったので、
しばし見とれてしまった。 All Photo by TAKA & HI


今年の秋バラをどこで見ようか? と考えていたら、花友HIさんの情報で(ウォーキング仲間からとのこと)、平塚の

『花菜ガーデン』(神奈川県立 花と緑のふれあいセンター)がいいらしいと聞き、早速出かけてみた(10月3日)。

この花園は、2010年3月オープンだから今年で5年目、歴史のある東京の神代植物園や小石川植物園・神奈川の

大船植物園などに較べて造園設計が新しく、随所に斬新なコンセプトに基づいたガーデン造りが見られて興味

深かった。園内ガイドブックによると、広大な敷地に、フラワーゾーン・めぐみの研究棟ゾーン・アグリゾーン

などが配置され、総てがバリア・フリーで利用できるとのこと。こういう施設の作り方は、新しい設計でない

と実現できないことを感じたのだが、目当てのフラワー・ゾーンも、チェコの園芸家『カレル・チャペック』の

家と庭をテーマにして作られたもので、色々なコーナーがあり見て廻るのがとても楽しかった。何しろ園内が

広くてゆったりしているし、車いすで散策する人もちらほらと見られ、快適な環境でゆとりのある時間を過ごせる

のがよかった。



 白と赤のマーブル模様が珍しい『フリオ・イグレシアス』(Julio Iglesias)、スペインの国際的歌手の名前を冠したモダン・
ローズ(FL系・仏メイアン社2006年作出)だが、私も見るのは初めてだ。シトラス系の芳香とど派手なマーブル模様は、
元祖イケメン・セレブの彼を彷彿とさせるのかも知れない。



さて、お目当てのバラ・コーナーだが、色々な新しい品種・初めてみる品種が沢山あって新鮮な驚きがあった。

特に、バラの歴史をたどって、「野生種とその交配種」→「オールド・ローズ」→「イングリッシュ・ローズ」→

「モダン・ローズ」、また、「ツルバラとミニ・ツルバラ」→「香りのバラ」→「クライミングとシュラブ・ローズ」

など、各コーナーを周りながら多彩な種類のバラを見られるのは、とても面白かった。神代植物園のように、一種類

のバラの株が沢山あってバラ薗を造るのではなく、1~2株のバラが多種ある造りなので割と見やすいと思った。



クリームがかった白色が美しい『ウィンダーミア』(S系のイングリッシュ・ローズ)、丸花弁を重ねるカップ
咲きはほぼ満開。イギリスの湖水地方にある湖の名に由来する清楚で品のいいバラ、このバラも初めて見た。



いかにもアメリカ的な名を冠する『ミッドナイト・ブルー』(S系モダン・ローズ 2004年USA産出)、バラには
珍しいカップ咲きの濃い赤紫色の花色を持つ。ちょっと高貴でクラシカルな雰囲気だ。香りも強い。



ゆっくりとバラコーナーで花を見ていたら、あっという間に1時間半程が過ぎてしまった。その後で傾斜地にある

コキアの群生を見たり、広い芝生を巡る遊歩道脇のコスモス畑を見たりしてお昼時になったので、園内のイタリ

アン・レストランに行ってみた。メニューの中から焼きたてピザ(神奈川県産の食材を使った野菜とチーズ)とハム

と野菜のパニーニを頼み、コーヒーと一緒に店に続くガーデンデッキで、晴れた空と白い雲・樹木並木と緑の芝生

を見ながらHIさんと食事をした。なにかとてもゆったりとした時間だった。園内には、咲き終わって蔓が葉を付けた

だけのクレマチスがたくさん植えられていたので、来夏の初め頃には、春バラと一緒にまたぜひ見に来ようと思った。



アンズ色の『アシュラム』(HT系・1998年ドイツ作出)、高芯丸弁咲きで芳香あり。ややアンティークで華やかな
雰囲気のバラです。このバラも見るのは初めて。




バラ園の入口脇に、オールドローズと一緒に咲いていた小菊と孔雀草(?)、名前ははっきりとは
わからない。黄色と薄紫のコントラストがきれいだった。




コキアの前のワンショット。ちなみにコキアは、「和名をホウキグサといい、昔はこの茎を乾燥させてほうきを
作っていました。実(み)は“とんぶり”といい「畑のキャビア」として親しまれています。」以上、
コキアの大群生で有名な『国営ひたち海浜公園のHPより』
<花菜ガーデン公式サイト>

コスモスと白式部:秋花の季節(その1)



緑がたくさん残る陽当たりのいい住宅街の一角、南斜面の空き地にコスモスが咲き乱れていた。紫紅色の花色が
とてもきれいだった。 All Photo by TAKA
10月に入って、朝晩が冷え込み日中は晴れるという秋らしい天気の日が続くようになった。最高気温も25℃
近くの日もあるが、北からの大気が流れ込んでさらっと乾いた空気が気持ちいい季節だ。こうなるとちょっと
外に出かけたいという気持ちになるのはひとの常、私もデジカメ片手に行楽気分で外歩きすることが楽しみだ。
毎朝ウォーキングを日課としているHIさんとともに、この日は(9月の末)何時ものウォーキング・コース周辺を

散歩した。秋晴れで陽射しのつよい午前中だったが、住宅街の一角にコスモスが咲き乱れる場所を見つけてしば

らく目の保養をした。聞けば地元のボランティアの方達が、木々や空き地が残る谷戸の南斜面に、コスモスの

種をまいて育てているのだと言う。明るい黄色のコスモスや白・ピンク・紫紅色のコスモスが沢山咲いていて、

普段なかなか見られない景色だったので、すっかり嬉しくなってしまった。


「黄花コスモス」は、コスモスと菊の花を掛け合わせた園芸種なので、葉は菊葉状・花はコスモス形状になる
のだが、通常は花がオレンジ色だ。ここて見られたのは純粋の黄色なので、とても珍しい。ヒョウモンチョウ
(豹紋蝶)が折から飛来して、花の蜜を吸い始めた。



コスモスの枝と葉は細い針金状なので、枝を伸ばして天空に咲く花は風情がある。風に揺れて咲いている様は、
日本の昔から多くの句や歌に詠まれて来た。歌といえばやはり、『秋桜』(山口百恵唄・さだまさし作詞/作曲)と
『コスモス街道』(兄弟デュオの狩人)ーちょっと古いが、を想い出すね! 私自身もオリジナル曲『ブラッド・ムーン』
のなかで、♪ コスモスの花に 願いをかけて 明日のしあわせ 私は祈る ♪ と詠んでしまった。



紫式部と白式部が一緒に植えられているところがあるので行ってみよう、と大きな集合住宅の遊歩道に面した土手

に廻ってみると、植えられて間もない紫式部と白式部が色付いていた。まだ木は小さいのだが沢山の花実を付けていた。

紫式部とか杜鵑草(ホトトギス)などは野草なので、余り公園や遊歩道に植えられることは少ないのだが、樹木の下植えとか

に置かれると結構見栄えがする。私はこの地味な花(花実)が好きで、こういう機会に見つけると嬉しいものだ。



ちょうど、朝露の残りが白式部に付いて光っていた。奥の紫式部と一緒に撮れた珍しいショットです。


たまたまこの日は、いつもバッグの中に忍ばせているカメラを持って来ていなかったので、HIさんの小型カメラを

お借りして撮影したが、割りと良く写っていたのでこのブログへ載せてみた。時節柄、キンモクセイの花の香りが辺りに

漂い、好天の青空の下、萩の花やピラカンサスの赤い実も見られたので、気分爽快だった。




とあるお宅の庭のフェンスに咲いていた遅咲きの朝顔二輪を借景、紫がかった青色の花弁が逆光に輝いていた。