2016年2月24日水曜日

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・終章



手元に残された『詩集紫陽花』の第2号~15号の14冊(B6版本文B4四つ折り・創刊号はない)


ISさんは、後期の号には作品を載せることはなかったが、それまでは毎回詩を発表していた。『オルフェ』という詩を読んで

みた。「見よ、冷たい石肌の ウーリデスの墓の上に 今なお沈思にくれ 小さき白花をみつめ 永遠のロマンにふける 

オルフェの姿 」...<なかなか格調高かったね! >、<ちゃんとフランス語読みでユーリデスを言ってたね!> など。彼女は

封書で送った会の案内に対し、「当日は予定がすでにあり欠席します」と葉書で連絡をくれた。併せて、「とても元気でやって

いますが、突然原因不明のめまいでダウンすることもあります。」と書き添えられていた。

この同人誌のアイドル的存在だったMRさんの詩を次に読んだ。『断想』という短編(このブログの続き゛中篇゛参照)だったが、

日常の中でふと湧き起こるフレーズに、みずみずしさが溢れていた。「ふと風が起こるように 机の片すみに置いたレモンが 

とても眩しく見える日がある~」...<可愛かったよね、彼女!>、<創刊号から最後まで、ほぼ毎回詩を載せていたね!>。

大手文芸出版社に勤め、その後結婚してからはパリに移り住んだ彼女に、封書の案内を送ったが返信はなかった。無事で

暮らしているかと思うが...


『小菅ブルース』という作品を載せたHO君は、大学紛争の折バリケードに立て籠もり、警官隊導入時に拘留された。釈放後は

学業に戻り、卒業後経済書籍専門の出版社で仕事をしていたが、50代半ばで消化器系の難病で他界した。『雨は闇から』を

載せたYM君は、図書館の司書の仕事を長く続けていたが、今回の出席を電話で訊ねたら、「妻が脳血管系の病気で倒れて

しまった。残念ながら出られない。」と話してくれた。年を経るということは、こういうこともあるのだ、と暗然たる思い

だった。初期の号に『島』などの作品を載せていたFM君は、卒業後音信が途絶え、時折『はなみち』などの作品を載せて

いたKB君も会の案内に対し返信がなく、消息は分からないのだ。

次いで、現在神田で編集業を営んでいるMU君の詩『青春』を読んだ。「雨の日の 五月の糸のような雨の日の 夕暮れ ~

 私 うれしい!  雨ににおう 青いトマトに 乳房のふくらむ音がする 」...<乳房のふくらむ音って どんな音だぁ?>、

<いいねぇ、青春だね!>...今回は都合がつかず欠席する、との電話で話した彼の声は元気だったので、また会う機会が

あるかもしれない。最後に、今回出席したHI君の『La Chanson de la Nuit』という詩を読んだ。「星一つ 月青く 木々の

間より 谷川を照らせり 流れきらめく 眼恋(まなこ)のごとくに ~」。...<いいねぇ、格調あるじゃん! >、<いやぁ、

当時ベルレーヌの詩に魅かれていたんだよ!(本人談)>。卒業後大学院に進み、つい最近まで芸術系大学と私学でフランス

文学を教えていた彼も、ようやく仕事から離れられると喜んでいた。



第13号(1969.6.13発行)の『生きる』(TAKA作)に載せられたカット


その後、やはり復刻なった『実験詩集 紫陽花第8号』(1967.12.10発行)のCDを、持参したPCの音声で聞いてみた。

 『夕陽の中のおまえ』(TAKA作)は、この詩のために作曲したギター・メロディ(ソロと伴奏)と朗読を多重録音したもので、

哀切なメロディが詩情を膨らませる効果が感じられた。『街から』(KSさん作)は、朗読詩の背景に効果音(仏壇のチ~ン、

というような)をあしらったもので、荘厳さを演出していた。『岬』(MRさん作)は、伸びやかなピアノ・メロディ音

(クラシック音楽)をバックに入れたもので、静かな高揚感が感じられた。最後の『日曜日』(EB君作)は、効果音こそ

入っていなかったが、誰も訪れることもない日曜日の静寂が感じられる朗読だった。それらの詩は、今聞いても新鮮で

面白かった。<よくこんなこと考えてやったねぇ!>、<このTAKAの詩はよく覚えているよ!>など... 


同人誌のメンバーとして詩を載せることはなかったが、今回の会合に参加してくれた同級生のKR君は、長らく金庫業の

会社に勤め、今回その社業を次いで新たな会社を興した、と張り切っていた。つい最近、軽い脳血管系の病気で倒れたが、

幸いに回復して元気な姿を見せてくれた。同じく、自動車産業の大手会社を務め上げ、ブラジルに渡って勤務したことも

あるSTくんは、退職後、絵画制作(油絵・テンペラ画)や古物業(古いカメラや機器を扱う)に精を出し、都内各所の

古物市に出店するのに忙しい日々だ、と話してくれた。


その後、会食を楽しみ、会食後も近くの珈琲店に場所を移してお互いの話が続いた。久し振りに食べたカレー料理は、

焼きたてのナンも美味しく、ビールとワインもたらふく飲んで食べて、会計は1人3,000円だった。皆その値段(コスト・

パーフォマンスの良さ)に驚いたが、HR君が「今回のTAKAの仕事は、詩集と言いCDと言い大変だったと思う。皆で

2,000円づつカンパしよう。」と言ってくれたのだ。この瞬間、長い時間と手間をかけて準備した私の苦労は、全て報われた

気持ちだった。金額の大小では決してない。同じ志で、ある時期文芸活動を共にした仲間と級友たちと、「古稀になる前に

再び集いたい!」との思いで画した会合を、皆が喜んでくれたこと、そしてその私の思いに応えてくれたことが何よりも

嬉しかった。そして、KRくんが、「会の案内に、今回が゛唯一無二゛ってあったけれど、そんなこと言わないでまた

集まろうよ!」と宣言したのだ。3時間半近く、詩を読み朗読詩を聞き、お互いの近況や仲間たちのあれこれを話し合って、

最後はやや話疲れてしまったが、それも心地よい疲れだった。私自身は、これが最初で最後かもしれない、という覚悟で

この会を準備したが、幸運の女神が微笑めば再び会い見える事ができるかもしれない。しかし、それを保証出来るものは

何もないのが世の常だと思っている。


【 付記 】 現在私は、ボサノヴァやジャズを楽しみ、自分でギターを弾き語りするオリジナル曲の作詞・作曲も手掛けているが、

バンドを組んでのライブも時折開催している。地元の音楽愛好者たちと、毎週土曜日に椿珈琲店に集まり、歌い楽器を弾く

楽しい日々でもある。高校・大学時代に楽器(ギター・ウクレレ)に親しみ、詩集紫陽花の同人誌活動で詩作を試みたことが、

時を越えて今の私に繋がっていることを確認した今回の機会でもあった。『Beside You あなたの側に』・『ブラッド・ムーン』

・『one Side Love 片想い』・『愛とも知らないで』・『君に酔ってしまいそうな夜』・『あなたをずっと 夏の終わりのサンバ』

・『ときめきの夜』などの楽曲動画は、YouTubeのサイト名:Takasantafe neo で見られるので、興味ある方は覗いて

みて下さい。

<この項終わり>

2016年2月23日火曜日

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・後篇




TAKA作の詩『アプサンス』、言葉とイメージ(画像)を融合させたフランス詩人・アポリネールの作風に刺激を受けて創った
画像詩(Poème Imaginaire)だった。「どこへいっちまったのやら おいらのこころ しわくちゃの空には 澱がべったり
青空なんてあるもんかい 粉々に砕けて 風が運んで行ったさ ああ absence absence  愛より遠く放たれたもの 」
の詩文が、風に飛ばされる「NON?」という文字風に描かれている。



当日の司会進行は私が担当し、持参した既刊詩集を皆に見てもらってから、復刻なった『同人誌集 紫陽花 復刻選集』を

各自に配った。ページをめくりながら、かつての同人たちの詩作品1編づつを読み上げていった。リーダーだったEB君の詩

『さびしさ』(初期作品)は、ロマンチックな詩情が溢れる作品で私は好感を持っていた。その後彼は言葉を自動的に連ねる

「オートマチック詩」長編や、社会性を鮮明にした抗戦詩などに傾斜していったのだが、50年近い時が経っても、自分の

心情を赴くままに素直に表現した言葉は、人を惹きつけることを改めて感じたのだった。この会のため、久し振りに彼と

電話で話したら、「最近、消化器系の病気で手術してようやく回復したので、参加するよ!」と元気に答えてくれた。だが、確認の

電話を開催2週間前に入れたら電話に出た奥さんが、「うちの主人骨を折っちゃったんですよぉ。酔っぱらって階段から落ちて、

複雑骨折ですぅ。今入院していて車椅子ですっ。リハビリもしなくちゃいけないんですぅ...」。ヤレヤレだ。新宿にある物品

販売の店を息子に任せて、時々手伝う位だからちょっと余裕も出た、と言っていたのにね。残念だったけれど仕方がない。

年を重ねることは、何時何があってもおかしくないことだからね...

続いて、冒頭に掲げた私の詩『アプサンス』を読んだ。「タカはこんな面白いことやってたのぉ?」とか、「あの頃、ボードレール

とか、サルトルとか、訳のわからないフランス文学に夢中になってる奴がいたねぇ!」とか、私自身も「今から見ても実験的な

創作意欲があったんだねぇ!」とか、皆の会話が弾んだ。私は現在、地元の高齢者や障害者をケアする地域サービスに時折

従事しながら、趣味の音楽活動や季節の花巡りと写真撮影などに精を出し、料理を作ったりPCのブログ作成や音楽動画の

YouTube投稿などを楽しんでいるが、オリジナル・ソングの作詞・作曲のルーツを改めて確認した思いで懐かしかった。

次に、KT君の詩『無題』を読みながら、「シャッター」や「ピントを合わせる」など、後年写真家としてヨーロッパで活躍する

彼の才能の片鱗をうかがわせるフレーズがあるのを見出したのだった。私が30代の中頃、アートシーンの視察でミラノと

パリに1週間づつ滞在したことがあり、その当時年上のスイス人女性作家と結婚してスイスのヴェヴェ(レマン湖の畔の町)

にいる彼を訪ねたことを思いだした。モントルーに移り住んだという彼のアドレスに、同人会の案内を送った封書は、宛先不明で

戻って来た。今頃どうしているのか? 元気でいてくれたらいいのだが...





紫陽花第10号(1968.4.13発行)の『春』(KSさん)に載せたカット(TAKA作)


創刊号当時から最終号まで、ほぼ毎回詩作を載せていたTO君の詩を次に読んだ。『支点』という作品にはこんな表現が

あった。「ぼくはつまらぬ笑いしか できなくなってしまった 月明かりの橋の上で一人 タヌキ踊りを踊り 片足で跳びまわって

おもいっきり笑ってみたい ~ 」... <TOは結構ひょうきんなことを書いたんだ!>、続いて、<腹の中から胃袋を取り出して

ぐるぐると回してみたら ~ なんて何を考えていたんだよぉ!>など声が飛び交い、あっけらかんと明るい彼の性格をまた

見直すこととなった。長年葬祭業の大手会社に勤め、定年退職後は俳句作りと書道を楽しみ、最近は地元マンション自治会

の役員を引き受けてやたら忙しくなってしまった、と言うが、大した病気もせずに元気でいるのは心強い限りだ。 

そして、女性メンバーの中心的存在だったKSさんの『明日は』を読んだ。彼女の詩は女性にしか描けない生理的で艶めかしい

表現が常にあったので、我々は何時もドキっとさせられていた。「~ 川のない橋 緑のかげり はびこるおおばこの根  と、

 瀕死のうまごやし 明日は電気鎌の定期便がある日 」... 当時私は、自分では到底思いつかないこの表現に衝撃を受けた

ことを思い出したが、皆も改めて「ウ~ンっ」と唸ってしまった。100歳を越えた父君の介護だろうか、この春はとても時間

が取れないと言ってこの会を欠席したが、テニスと太極拳(会の会長をしているとのこと)を続けながらお元気でいることと

思う...


『午睡の後で』を載せたMHさんと、『波』を載せたNKさんは、ともに一級下のクラスからの参加だったが、これら詩編を一度

発表しただけで、卒業後も交信が途絶え、現在は消息不明なのだ。

<この項終章につづく>

2016年2月21日日曜日

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・中篇



『同人誌集 紫陽花 復刻選集』(2016年2月20日・限定10部発行)の目次、同人メンバー15人の
29作品が収録された。


昨年の11月、私の手元には『詩集 紫陽花』の既刊14冊が残されていた。第2号(1966年7月1日発行)から、第15号

(1969年9月18日発行)までだ。創刊号は、残念ながら手元にはない。なぜなら、私の同人誌への参加は第2号からだった

から。大学時代の度々の引っ越しや、卒業後も各地を引っ越ししたにもかかわらず、奇跡的に所持品の布袋の中に残され

ていたものだ。実際の所、主だったメンバーに連絡を取り始めてみると、誰一人として詩集を残している人はおらず、ましてや

「え~っ、そんなものあったったっけ!?」と、存在すら忘れている人もいた。50年近く時が流れていれば、大方そんなものかも

知れない。特に第8号は実験詩集で、自分の好みの曲や効果音をBGMにして自己詩を朗読・録音した前衛的な詩集(当時

では)だった。手元詩集の録音テープが不十分だった(半面を知人が勝手に楽器演奏の練習に使ってしまった!!)ので、完全

版を探して復刻しようと目論んでいた私にとっては、会の先行きが思いやられる結果だった。

しかし、今を置いては復刻選集を刊行する機会は他にないだろう、との思いで作業を始めた。14冊の詩集を読み直し、同人

各位の詩の中から、主要メンバー達(6人)は各3編・他メンバー達は1~2編を選び、当時のガリ版詩集の雰囲気を残すため、

各ページを画像でスキャンしてページに組み込んだ。詩集の表紙はリーダーだったEB君の木版画手刷りで、一色づつ版を

替えて多色刷りするのを皆で手伝った。ページの合間に挟むカットは私の担当で、ちょっと抽象画っぽい絵をその都度鉄筆で

描いた。本文は、各自が鉄筆でガリ版紙(蝋紙)を切り、自分の詩を自刻した。放課後の教室で、手分けして印刷し製本した

作業を今も懐かしく思い出す。フランス語やフランス文学の出版書籍は、当時洋書版といって各ページをペーパーナイフで

切って本を読んだ。それに習って、P.ナイフで切りながらページを読むスタイルにした(B6版本文B4四つ折り)。約50部程作り、

仏文の同級生や友達たちに1冊200円で販売した記憶がある。そして、詩集が出来上がると、四ツ谷駅近くの喫茶店にメン

バー達が集まり、朗読と批評会をした。お互いの詩の意味を問いあったり、感想を言い会ったりして、そんなやり取りをしな

がら文筆活動(みたいなこと!)をしていることが何故か楽しかった。ホントにいい時代だった。

1968年10月3日に第12号を刊行した後、キャンパスは学園紛争とバリケード封鎖が起こり、警官隊導入を経て大学は

約半年の休学となってしまった。詩集同人の中にも留置されたメンバーが出て、翌年の4月に大学の授業は再開されたが、

詩集紫陽花も第13号(6月12日)・14号(9月7日)と発行されたものの、かつての熱気は去り、15号(9月18日)の刊行を

もって最終号となった。創刊号(1966年5月)から約3年半の創作活動だった。








MRさんの詩『断想』、みずみずしい感性が溢れていた。カットはTAKA作


今回制作した復刻選集は、本文26ページ(1c藍色)・表紙2ページ(カラー)、B5版縦書き2段組みのホッヂキス製本の

ものだ。本文・表紙の画像の画質調整・印刷・製本は全て゛タカ印刷工房゛によるもの(手持ちのカラーコピー機使用)、

編集・レイアウト・ブックデザインもすべてやらせていただいた。大変だったけれど、各メンバーの詩を読み直し、当時を思い

起こしながらの作業は楽しくもあった。また、第8号の実験詩集の録音テープ(片面約10分)は、当時のオープンリール方式

によるテープだったので、大阪の専門工場に送り、テープからCDに復刻してもらった(費用4,000円ほど)。同人会当日は、

美味しい料理とお酒をいただきながら、この復刻選集を読み、また、持ち込んだデスクPCで復刻CDを聞きながらの会と

なった。寛いだ雰囲気の中で、同時代のひと時を一緒に過ごした仲間たちといろいろ話せたことは、ほんとに楽しかった。

<この項つづく>

『古稀が来る前に』(その2):詩集紫陽花・同人会 2016・前篇



47年振りに蘇えった『同人誌集 紫陽花(しようか) 復刻選集』の表紙。発行当時、表紙は木製版画の多色刷り、本文は
ガリ版・鉄筆で刻んだ蝋紙に藍色インクを乗せて、各自がローラーで手刷りしたものだった。 All Photo by TAKA



首都圏に春の嵐と大雨が襲来した日の午後(2/20)、新宿のインド料理専門店にメンバー5人が集まって、大学時代に集って

活動していた現代詩の同人会(詩集紫陽花 同人会)を、最終号発行以来47年振りに開いた。私達は、創設されたフランス

文学科の第一期生であると共に、四谷のキャンパスで学び青春の一時期を共に過ごした仲間たちでもあるので、同級会

(同期会)も兼ねていた。このレストランは、私の高校時代の音友たちと結成し4年間活動した音楽バンド『サ・タペストリー』

が3回ライブを開催し、何時もホール満杯のお客様と楽しんだ場所でもあるので、店長の釈迦さんもランチタイムの集まりを

快く受け入れて、中3階の別室を用意してくれたのだった。


話はさかのぼって、何故『古稀が来る前に』(その2)なのか? を少々説明したい。このブログの昨年11月3日の記事に、

私は56年振りに小学校の同級生たちと再会し、ミニコンサートをしたり皆さんのお話を聞いたり、とても楽しいひと時を

過ごしことを載せた(『北信濃紅葉紀行(その3) 56年振りの小学校・クラス会』)。その時に、ある時代のある時間を共に

過ごした友達は、得難いものだとつくづく感じたのだった。そして、気がつけば、私ももうすぐ70歳(古稀)に達する。幼い頃

には考えてもいなかった年代に突入するのだ。そう思った時、勃然とある歌が心に浮かんできた。

   ♪ 冬が来る前に もう一度あの人と めぐりあいたい ♪ (唄:かみふうせん 詞:後藤悦治郎/曲:浦野直)

私なりに読み直してみると、こうなる。

   ♪ 古稀が来る前に もう一度仲間たちと 集い会いたい ♪ (TAKA作!)


『古稀が来る前に』(その1)が、小学校のクラスメイトとの再会だったので、私は長年疎遠になっていた友達との再会を実現

したいと思い、大学時代の同人詩集を一緒に出していた仲間(その2)や、高校時代の音楽クラブ(ギター・マンドリン班)の

仲間たち(その3)との連絡を取り始めた。普段交流のない方達との連絡は困難を極めたが、その過程で、カナダ在住の

大学クラスメイトとも連絡が取れ、ご家族の法事で日本へ来られるSHさんを囲んで、3月にお花見会をすることも決まった

(その4)。こういう集まりは誰かが幹事になって(結構大変なことだが)、気兼ねなく話せる場所の手配や楽しめる飲食の用意、

また頃合いの予算や交通の便、各自との連絡や参加者の確認など、率先して動かないと実現が困難なのだが、今回は

「古稀になる前に、皆と会ってみたい!」という思いが強い私が企画・幹事をやらせてもらった。言わば、イベントのプロデュー

サー役を自ら勝手に買って出た、ということになる。




今回集まってくれた同人メンバー3人と学友2人の仲間たち。左から、ST君・TO君・TAKA・HR君・KR君、
生ビールとワインを飲みながら、焼きたてのナンとカレー、サラダやタンドリー・チキンなどを美味しくいただき、
詩集紫陽花や同級生達の話題と各自の近況を話して大いに楽しかった。

<この項つづく>


2016年2月15日月曜日

ライブ訪問記:つきこ and TM BOSSA Valentine Live



つきこさん(Vo/Gt/Pf)とTM BOSSA(Toshiro:Vo/Gt/Per と Mieko:Fl の夫婦デュオお2人)のジョイントライブは、
ボサノヴァ・スタンダード曲のオンパレードで大いに楽しかった。 All Photo by TAKA


荻窪の「かふぇ and ほーる With 遊」で、『つきこ and TM BOSSA』のライブがあり、Toさんからご案内をいただいていた

ので、ヴァレンタインの日の午後、JR荻窪駅南口から徒歩10分程の会場に出かけてみた。この会場は、約20席程のカフェ

の奥に多目的ホールがあり、PA設備や照明も整った頃合いの空間だった。カフェオーナー(白鬚まじり)のご主人に聞いて

みたら、「アコースティックな音楽には向いていると思う」と言われるだけあって、ゆっくりと音楽を楽しむことが出来た。

会場に着いたら、すでに客席は約20人ほどのお客で埋まっており、私の知り合いのボサ友も数人おられたので、久し振りの

挨拶をしているうちに開演となった。

Toさんは、中村善郎教室(ボサノヴァ・アーティストの中村善郎が、歌とギター演奏をグループ・レッスンする田町の音楽教室

先輩で、私が入門した2007年の12月にすでに10年近くレッスンを続けておられたから(今も続けているとのこと)、20年

近いボサノヴァとブラジル音楽のキャリアをお持ちなのだ。私は4年間のレッスンを経て卒業し、後はボサノヴァだけでなく

ジャズやJ-POPS、オリジナル曲など、自分の好きな世界の音楽を楽しんでいるのだが、Toさんは筋金入りのボサノヴィスタ

(ボサノヴァ愛好者)で、その歌も滑らかなポルトガル語、ギターは高度なテクニックも駆使してとても滑らか、その午後は

久し振りに彼の繰り出すサウンドを堪能させてもらった。聞けば、長らく勤めた食品大手会社を最近定年退職し、時間に

余裕ができたので音楽をもっと楽しみたい、とのこと。奥様のMiさんもフルート(この日はバス・フルートも演奏された)を

やられるので、お2人で(T and M Bossa)ボサノヴァをやるなんて、なんとまあ幸せなことだろうか!!





ライブの後でのToさんとの2ショット、Gtに装着していたDPAマイクロフォン(私も使ったことがある)
の話で盛り上がったりした。これからもお元気で音楽を続けて行かれるでしょう。


この日の演目は、ボサノヴァ・サンバ・ショーロ・中村善郎オリジナルなど、全てブラジル音楽のオンパレード17曲だったが、

つきこさんGt弾き語りのエド・ロボの2曲(『Beatriz』・『Reza』)と、Toさんのバーデン・パウエル2曲(『Samba em 

Preludio』・『Berimbau』)は、ブラジル音楽の深みと拡がりという意味では、なかなか聞けない曲なので興味深かった。

私的には二人のデュオが良かったので(『Se Todos Fossem Iguais a Você』と『Samba em  Preludio』)は、聴いてて

とても心地よい気持ちになれた。つきこさんも定期時にボサノヴァ・ライブをやっておられる、ということなので、これからも

素敵な歌を歌い続けて欲しいと思った。


ボサノヴァ大好きなつきこさんとも、フォトを撮ってもらった。

2016年2月5日金曜日

ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(付録:動画公開)


今回のライブ演奏曲の中から、以下の2タイトルをYouTubeにて動画公開しました。
動画サイト「takasantafe neo」にてご覧ください。


1. 「Autumn Leaves ジョビアウ・タカ トリオ」(Jazz Standard)



DVD by Teruo


2.「One Side Love 片想い ジョビアゥ・タカ トリオ」(オリジナル)





※他のオリジナル曲、及びボサノヴァ・スタンダード曲については、すでにYouTubeで公開済みです。また、「恋のフーガ」と

「ワインレッドの心」については、著作権の関係から公開は差し控えています。よろしくお願いします。

ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(後篇)



ウッドのテーブルとイスが置かれ、落ち着いた雰囲気のカフェマレットで歌い演奏するジョビアウ・タカ トリオのメンバー3人。
後半に行くにしたがって盛り上がり、アンコール曲「枯葉」でピークとなった。


今回のライブ構成は、1部がJ-POPS2曲(ポルトガル語版)を挟んでの「タカオリジナル 怒涛のぶちまかし!」6曲(音友ヨッシー

の談)、2部がジャズ・ナンバー2曲を入れたボサノヴァ・スタンダード7曲、計17曲だった。予約客が少なかったので、少々

心配していたのだが、お店の大家さんや思いがけない音友(KIRI)や学友(KZくん)も駆けつけてきてくれたので、スタートの

18:30にはお客さんが揃ってしまった。予定通りの開演で順調にスタートしたが、このライブのために用意した新レパートリー

『恋のフーガ』(ザ・ピーナッツのヒット曲でお馴染み)と『ワインレッドの心』(詩:井上陽水/曲・唄:玉置浩二)は、ポル語と

日本語歌詞を両方歌ってみた。新趣向ということで、ライブの度に何曲かの新曲をトライして入れるのだが、私自身は

ちょっと味付けが変わって唄いながら楽しかった。客席の皆さんはいかがだっただろうか? オリジナル曲も、これだけまと

めて歌うのは初めてだったが、夏の歌『あなたをずっと』(あなずー)と『One Side Love』の2曲、ザ・タペストリーのバンド

活動から生まれた『愛とも知らないで』と『君に酔ってしまいそうな夜』の2曲、そして最近の『ブラットムーン』と最後に皆さん

から愛されている『あなたの側で』(あなそば)の2曲を続けて歌った。


1部の曲の中で、このトリオでやるのが初めての曲が大半(6曲も!)だったためか、「歌も演奏もちょっと硬かったわよ、でも

2部は凄く滑らかで気持ち良かった!」(音友HIさん)との感想もいただいた。初めての曲という以外に、私のマイクとギター音

に時折ビビりが出てしまい、スタート前のPA調整では出なかった雑音に少々悩まされながらの演奏となった。また、ベース

アンプとVo・Gtアンプを店のレイアウト上ピアノの上(後方)に置かざるを得ず、前向きになっている私にはベースの音が

聞きづらかった。そして、「曲がノスタルジックなこともありYo君とは高校時代にタイムスリップしてあいつどうしてる、こいつ

どうしてるで話が盛り上がりました!」(KZくん)という学友同士の声が聞こえた来たりして、ちょっとナーバスになっていたかも

しれない。私のオリジナルソングは、若い頃を思い起こさせる歌もあるし、また現在を生きる心境を歌ったものもあるが、

基本的にラブ・ソングだ。人を好きになったり、その思いが破れたり、今想いを寄せる人がいたり、その自分と人の思いを

言葉とメロディーに託して表現したものが多い。『One Side Love』は、2008年11月の制作、『あなたをずっと』は昨年8月

に作ったもの、1曲1曲に思い出が残る歌の数々を、今回まとめて歌えたのはとても幸せだった。有名でも何でもないオリジ

ナル曲を共演してくれたウッチーとKAZAにはとても感謝している。「居心地の良いお店で、TAKAさん色にそまった曲たちを

聴きながらとても良い夜を過ごせました。オリジナル曲の数々、、すばらしいですね。」(ボサ友MIさん)


2部の曲は大半が歌いなれたボサノヴァ曲で、バンド曲としても3人で演奏した曲が続いたので、とてもリラックスして歌えた。

その中にジャズ・スタンダードの『Misty』を挟んだり、アンコールの拍手をいただいて『Autumn Leaves』を演奏したり、

構成としてはメリハリがあってよかったと思う。ただ、『オルフェのサンバ』の様なリズムカルな曲は、やはりドラムが入って

賑やかな方が良いし、4バースや演奏者の掛け合いなども、ドラムやパーカッションが加わった方がより雰囲気が上がる

だろうと感じた。ゆったりとしたバラードやボサノヴァ曲が中心のプログラムだったので(1部のオリジナル曲もそうだが)、

乗り乗りの雰囲気や皆で一緒に歌える楽しさという面では、また次回の課題として考えたいと思う。言わば、今回はかなり

私のわがままを通して歌中心に構成させてもらった。何回かライブが続くと、たまにはそういった趣向でやりたくなるのですよ。

アンコール曲の『Autumn Leaves』は、この夜のハイライトだった。ゆったりとした4ビートでまず私の歌(英語)、次に

ウッチーのピアノ・ソロ、KAZAのベースソロと続き、最後にフランス語の歌で終わった。ウッチーがリハの時に「タカちゃん

これはちょっとシャンソン風に軽やかにやろうよ!」と設定したので、本番でもとても気持ち良く唄えた。ウッチーのピアノも

゛リラクシング and ファンタスティック゛のタイトル通りとても軽やかだったし、KAZAのベースもしなる様なベース音でとても

゛ファンキーでご機嫌゛だった。今回、2人の実力者とがっぷり四つに組んだ共演ができたことを、私はとても幸せに思った。


「とても穏やかでよい時間でした。タカさんの音楽、ボサノヴァを愛する姿がとても見受けられました。」(ボサ友TDさん)

「最後の枯葉が最高に良かった。ピアノとベースのソロを聴けただけでも来た甲斐があった。」(音友HIさん)




愛用のクラシックギターYAMAHA No,45(1963年製)、Anthem SL Classical の
Pickup/Condenser Mic を装着


ライブを終えて、他にも二つ良いことがあった。一つは、ここ1年半ほど私を悩ませていた左手の指と肩の痛みがほとんど

残らなかったことだ。ギター演奏だけでなく、仕事でも使い過ぎになりがちな親指と人差し指の付け根と関節がほとんど回復

したのだ。長時間のGt演奏や使い過ぎを避けて、ほどほどに休ませながらやってきたことが良かった。又、医者の勧めで、

筋肉疲労の後に残る尿酸値の上昇を抑える薬の服用も効果が出ていると思う。これで、注意しながら過ごしていけば、

まだまだGtも弾けるし、歌も歌えることが体感できたので、今後も養生しながら音楽を楽しみたいと思っている。もう一つは、

今回お店をマスターに任せて駆けつけてくれた椿珈琲店の茂子さんをテーマに、現在油絵を制作中のHIさんがほぼ完成

したタブローの写真を見せて、二人で盛り上がっていた話を休憩中に聞けたことだった。音楽を通した交流の中で、そんな

絵画の話題が生まれるのは嬉しいことだ。かくいう私も「コルコヴァード」という表題の絵画のモデルになって、彼女に絵を

描いてもらっているのだが。どんな絵が完成するのか、これでまた楽しみが増えた(今年5月の浜美展に出品予定)。


寒い冬の日曜日・夜に、ライブに来ていただいた方々には、本当にありがたいことだと感謝している。共演者2人に恵まれて

いいライブが出来たことにも感謝しているのだが、やはり課題は残る。サンバの様なリズムの速い曲では、時折早乗りして

私の歌とGtが上手くリズムに乗れなかったことがあった。それと、PA環境をもっと整えて、お客様にいいサウンドを届ける

ことが大切だ。次回は、ゲストプレーヤーを呼んで、またコーラスも呼んで、出演者と参加者が一体となったようなライブを

実現したいな! などと、終わったばかりなのに次回のライブを考えている懲りない私なのであります。日取りも、日曜の夜は

避けて、もっとお客様の来られやすい日と時間を設定したい。「今後の希望としては、日曜はだめよ。金、土の夜のライブが

翌日を気にせず、ゆっくりできます。」(音友ヨッシー)

ご来場の皆様、そして今回種々の事情で来られなかった皆様、また趣向を凝らした楽しいライブを準備したいと思います

ので、今回同様にまたのご来場をよろしくお願いします。


<この項終わり>

ジョビアゥ・タカ トリオ ライブ(前篇)



アンコール曲「Autumn Leaves」を歌い終えて、思わず笑みがこぼれたTAKA。ウッチー(Pf)とKAZA(Ba)と3人で
ガップリ四つに組んだ共演のトリオ・ライブだった。録画した動画の静止画像より。 DVD by Teruo


先日の日曜日(1/31)の夜、経堂のカフェマレットで、第7回のタカバンド・ライブを開いた。今回はゲストもDrもなしで、

ウッチーとKAZAと3人の共演だったので、シンプルな編成のトリオ・ライブだった。前回のPICKでのライブでは、会場が

超満員のお客様で溢れ、来られた方達は随分と窮屈な思いをされたせいか、また、私のファンの奥様達が日曜日の夜と

いうことで敬遠されたせいか(ちょっと見えを張ってみた!?)、来場者はやや少なく10名で、程良く空いた席のゆったり

としたライブになった。

振り返ってみると、このカフェマレットは、第1回のタカバンド・ライブを開催した場所だった。今から5年2か月前の2010年

12月5日に、バンド名が『Quarteto UCHIKITA』(カルテ―ト・ウチキータ)という不思議な名前のバンドで、ウッチー(Pf)・

チアキ(Ba)・キリ(Dr)・タカ(VO/Gt)の頭文字をつなげた名前のカルテットに、ゲストのリュウヤ(Ts)が加わったクイン

テットのバンドライブだった。その時は、高校の同期生で別のバンド(ザ・タペストリー)を立ち上げようとしていたので、その

音友や地元椿珈琲店に集う「どようかい」のメンバーたち、それにボサ友や出演者の友人・知人が来てくれ、満席のとても

賑やかなライブとなった。その思い出深い会場で再びライブをやることにしたのは、私なりの思いがあった。


前回のライブ会場:同じ経堂のPICKは、PA環境も整い程よい広さなのだが、超満員のライブをしてしまいある種の達成感

が出て来たのと、さすがに同じ会場で4回続けてのライブとなると少し雰囲気を変えてみたいと言う気持ちになってきていた。

次の会場をどうするか考えた時に、もっと都心の交通の便も良くPA環境の良い会場(MCは高くなるが)にするか、または

地元狛江の会場でご近所さんも来やすい会場でやるか、色々な選択肢の中から私が選んだのは、初回のバンドライブ

したMalletだった。普段は喫茶とレストランを営業している店で、月に2回程ジャズやボサノヴァのライブを定期的に開催

している会場ゆえ、PA環境は一応備えてはいるが充分とは言えない。しかし、店主平田さんのキャリア(元早稲田ダンモ出身、

ビルのオーナーもウッチーの後輩で元ダンモ)からして、音楽に対する造詣は深いし、何よりもお店の雰囲気がとても寛げる

環境なのだ。また店主自身も、「余りお客が来すぎると対応できないので、精々10数人までにしてよ」と、音楽をゆっくり楽し

もうという心意気だし、出演者へのペイバックも良心的なので安心してライブが出来る会場だった。





初回タカバンド・ライブの懐かしい画像、左からゲスト・リュウヤ(Ts)、チアキ(Ba)、ウッチー(Pf)、キリ(Dr)、
タカ(Vo/Gt)。バンド名は「カルテート・ウチキータ」!


今回ライブの趣向としては、①私のオリジナル曲を思いっきり歌わせてもらおう! ②ベテラン・ウッチーのピアノと、プロベーシ

ストKAZAのベースと、私のギター弾き語りの歌とコラボし、トリオならではのハーモニーを思う存分に作ってみたい。③お客

さんにも、ゆったりと寛いだ雰囲気の中でライブを楽しんでもらおう、というものだった。アコースティックな私の歌とGt音は、

トリオにゲストプレイヤー(Dr・Sax・Vioなど)が入って賑やかにやるのも良いのだけれど、やはりシンプルな編成でじっくり

と聞いてもらえたら嬉しいな、と思ってのメンバー構成だった。前回ライブがあまりに賑やかだったからか(それはそれで

とても楽しくて、大勢のお客さんも喜んででくれたのはとても良かったのだが)、今回は歌の原点に戻って3人でガップリ四つ

に組み(実際は私が゛二人の胸を借りる゛ということだが)、会場も初回のバンドライブをしたマレットに戻って来たライブと

なった。「初心、忘れるべからず」 である。

当夜のプログラムを以下に載せておきます。


タカトリオ・ライブ 演奏曲(2016.1.31 in Mallet)


    1st Stage

1. 恋のフーガ Am J-POPS(ポルトガル語バージョン)
2. あなたをずっと(夏の終わりのサンバ) CMaj オリジナル(作詞/作曲 ジョビアゥ・タカ)
3. One Side Love 片想い GMaj オリジナル(作詞カルロス美希/作曲ジョビアゥ・タカ)
4. 愛とも知らないで GMaj オリジナル(作詞ジョビアゥ・タカ/作曲QP村山)
5. ワインレッドの心 Cm J-POPS(ポルトガル語バージョン)
6. ブラッドムーン CMaj オリジナル(作詞/作曲 ジョビアゥ・タカ)
7. 君に酔ってしまいそうな夜 BbMaj オリジナル(作詞:QP村山・作曲TAKA)
8. Beside You あなたの側で CMaj オリジナル(作詞:カルロス美希・作曲TAKA)

    2nd Stage

1. Desafinade 音痴 FMaj ボサノヴァ
2. Trem Das Onge 11時の汽車 Gm ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
3. Corcovado コルコヴァード Am ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
4. Antonico Em ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
5. Misty CMaj ジャズ
6. Samba De Orfeu オルフェのサンバ CMaj ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
7. Manhã De Carnaval Am 黒いオルフェ ボサノヴァ
8. O Pato あひる Eb ボサノヴァ(日本語詞 by TAKA)
アンコール曲:Autumn Leaves Am ジャズ

<この項つづく>