2016年3月29日火曜日

久し振りのOBT会は、大盛り上がりだった!



OBT会に集まった面々、遅くにリカさんも合流して9人の歌会は、夕方5時から始まって深夜まで続いた。左より、
NOさん(Gt)・OBTさん・サイトウさん(Tr)・TAKA(Gt)・MIさん(Pf)・ウッチー(Pf/Gt)・イズミちゃん(Gt)・茂子さん。
 Photo by No and KM


週末の土曜日(3/26)に、狛江駅近くのOBTさん宅に集まり歌会をした。しばらくぶりの集まりだったが、恒例の椿珈琲店での

どようかいがお休み(マスター逝去のため)していることもあり、行き場を失くした音楽フリークたちがどっと繰り出してきたため、

さしもの広いリビングも満杯となった。OBTさんは、薬品関係のお仕事を続けておられるのだが、生来の音楽好きが高じて

ピアノを購入し、部屋には高性能の音響装置を配し、リビング全体を防音工事してしまった、というおタク振り。時々音樂好き

達に声をかけ、食べ物・飲み物付きの歌会を主催しておられるのだ。常連さんの集まりに私も時折入れていただくが、今回は

どようかいのメンバー4人がまとめて加わり、OBTさんのいとこのMIさん(Pfがお上手)が来るわ、常連のNOさん(プロカメラ

マン)が本格的なDVD機材を持ち込むわ、お店を休んでいる茂子さんまで加わったので、とても賑やかな歌会となった。



後半に合流したリカさんは、ウッチー・サイトウ・TAKAのセッションに加わり、『All of Me』を熱唱 !


会は夕刻5時からゆるゆると始まり、OBTさんが用意してくれた惣菜(ブルーチーズ・サーモンのマリネ・蒸しシュウマイ・

マカロニサラダ等)とお酒(ビール・ワイン・ウィスキー等)をいただきながら、各自のレパートリー曲を歌い演奏した。セッション

スタイルで、ジャズ・ナンバーも一緒にやってみた。当日私は、手製のコード入り歌集(2冊各50曲収録)を2セット持参した。

これを見ながら好みの曲を歌ってもらい、それぞれ伴奏や間奏を入れながら一曲を楽しむスタイルだった。ミュージカルの

舞台げいこを終えて駆けつけたサイトウさんも途中から加わり、9時過ぎて合流したリカさん(ジャズ・ヴォーカリスト)も入って

大いに歌いまくったのだった。当日の歌い・演奏した曲は以下の通り。(誰が歌ったかうろ覚え!?)

サイトウさん:『I remember Clifford』・『Misty』・『Fly Me To The Moon』・『倖せはここに』・『哀愁の街に霧が降る』

TAKA:『All of Me』・『Moon River』・『酒とバラの日々』・『Antonico』・『あの日に帰りたい』・『コーヒールンバ』・

『あずさ2号』・『モンローウォーク』 イズミちゃん:『ケ・サラ』・『Autumn Leaves』(唄)・『プカ・プカ・プカ』

MIさん:『Autumn Leaves』・『アントニオの歌』・『Sweet Memories』・『五番街のマリー』・『クレオパトラの涙』

ウッチー:『スローなブギにしてくれ』・『グッナイト・ベイビー』・『雪が降る』・『リバーサイド・ホテル』・『黄昏のビギン』
 
・『別れのサンバ』   茂子さん:『京都から博多まで』・『遠くへ行きたい』 NOさん:『サーカスの歌』・『哀愁列車』...

いやはや、良く唄ったもんだ! (唄のないインスト曲もあり)



サイトウさん(Tr)とNOさん(Gt)のコラボ、懐かしの歌謡曲『サーカスの歌』を合奏。


歌ったりGtを弾いたりすることは結構エネルギーを使うので、熱くて汗をかく位だった(人が集まり過ぎて熱気が出たから?)。

概ねDVD撮影を終えたNOさんも終盤から加わり、サイトウさんと二人で意気投合し、三橋美智也や春日八郎の歌も飛び

出し、宴は夜半まで続いた。10時過ぎにウッチーが終電を気にしながら退出し、家が遠いMIさんも帰られるというので、

私も帰らせてもらったが、何時まで続いたのやら!? 帰り際に椿珈琲店の茂子さんが、「4月第2週からお店を再開します

ので、よろしく!」と挨拶をくれた。マスターが早逝されたけれど、何時までも店を閉めているわけにいかないからね。
 
おおいに歓迎ですよ。また楽しくやりましょう、と話してOBT宅を後にした。ちょっとGtの弾き過ぎ・唄い過ぎで疲れた
 
けれど、とても楽しい歌会だった。参加されたメンバーたちも、きっと同じ思いだったに違いないと思う。




イズミちゃん(Gt)の弾き語りは、ホセ・フェリシアーノの『ケ・サラ』、皆でサビの部分を合唱。


2016年3月23日水曜日

古稀が来る前に(その4):大学クラスメイトとの(幻の)お花見会




新宿御苑の枝垂れ桜、満開の見事な咲きっ振りを見られるはずだったのだが...その代わり、咲いたのは
沢山の話の花だった。 Photo by TAKA(2009/3/24撮影)


春は色々なことが起こる。長く寒い冬から暖かい春への季節の変わり目であり、旅立ちの時・別れの時、また出発の時でも

ある。そして花の季節、大学クラスメイトとの久し振りの集いは、新宿御苑にお弁当と飲み物を持ち寄って、満開の枝垂れ桜

と、咲き始めたソメイヨシノを見ながらのお花見会を予定したいた(そのはずだった!)。当日お昼前に千駄ヶ谷駅に集合したが、

私が着いた時にはもうNKさんとOTさんが待っていて、近くにお住いのODさんとカナダから里帰りしたSHさんもすぐに来ら

れた。仕事のため少し遅れるというSKさんと後で合流することにして、歩いて新宿御苑の千駄ヶ谷口に行ってみると、なんと!!

入口が閉っていたのだ。定休日は月曜日のはずなのに!? 昨日が祝日開苑していたので、振替のお休みだったのだ。幹事の私は

゛ドヒャ~゛とびっくりするやら、冷や汗をかくやら、面目がなかったが、NKさんが「こういうことは、よくあるのよ!」

と言ってくれ、地元に詳しいODさんが、「じゃ、いいところがあるから、近くの明治神宮の芝生に行きましょう。」と助け舟

出し、場所を案内してくれたので事なきを得た。私としては、久し振りのドジを踏んでしまったのだが、冒頭の枝垂れ桜

写真は、その日(3/22)見られるはずだった幻の桜風景だ。


その日の前夜は、音友TGさんのお通夜だった。地元喜多見の慶元寺に音友たちも集まり、あまりに早かった彼の逝去を

弔った。焼香後の御斎で、親戚縁者に混じって弔い酒を交わしていたメンバーたちも、いまだ彼の死を信じられない方

も多く、祭壇に飾られた在りし日のTGさんの遺影が、どようかいの折何時もの席で歌と演奏を楽しんでいる写真だった

のを話題にした。「よほど楽しかったんだろうね...」、「タバコはヘビー・スモーカーだったね...」など。供養しきれ

ない面々は、弔い歌でカラオケに行こう! と時折行ったことのある狛江駅前のお店に繰り出して、深夜まで散々歌いまくった

のだった。次の朝、私は土釜でご飯(黒米入り)を炊いておにぎりを作り、菜の花の辛し和えと残っていた材料で鶏肉の

スペアリブ・ビール実山椒煮を作ってお弁当の惣菜にした。飲み物は焼酎の水割りをペットボトルに入れて持参した。



明治神宮の芝生広場で咲き始めたソメイヨシノ、暖かい陽射しにどんどん花が開く様を見ることが出来た。


カナダで暮らして20年なるというSHさんは、身内の法事を兼ねてしばらく日本に滞在する予定だということがわかり、

しばらくクラス会をしてないのでいい機会だと今回の集いが実現した。何時もは都心の頃合いの飲食店に集まって、と

いうことが多かったが、カナダでは桜が見られないというSHさんの話から今回の日本での花見会が実現した。ODさんが

良く散策するという芝生広場は、本殿北側の宝物殿と湧水池がある一角で、快晴の空からは暖かい春の陽射しが注ぎ、

池周りのサクラも、数本が開花していた。その一本のサクラの前に用意した敷物を広げ、各自で持参したお弁当と飲み物

をいただきながら会は始まった。後から合流したSKちゃんも一緒になって、お寿司・おにぎり・サンドウィッチ・幕の内

弁当・お菓子やケーキ(ODさん特製)も加わって、賑やかな昼食となった。昼食後に仕事の都合で事務所(千駄ヶ谷にある)

に戻るSKちゃんと、用事のため家に戻るODさんを見送って、残った4人で参宮橋駅前のカフェに陣取り、色々とおしゃべり

が続いた。話題が次から次へと飛び出し、話の花が沢山咲いたのだった。満開の枝垂れ桜は見られなかったが、ソメイ

ヨシノの咲き始めを見られたし、級友たちと話の花が一杯咲いたから゛まっいいか゛と皆で満足したのだった。




新宿御苑のHPに乗っていた枝垂れ桜の画像より


幾つかの話題の中から、うろ覚えのものも含めて記憶に残ったものを紹介する。家が近くでこの芝生広場に良く来られるOD

さんと、参宮橋の自宅から事務所までこの境内を抜けて通っているSKさんによれば、境内に鬱蒼と茂った原生林には、鷹が

生息していて子育てもしているそうな。100年前に設計されて現代の原生林の姿になったのは、当時の植物学者達の慧眼

によるものであることを、私もNHKTVの特集で見たことがある。明治神宮外苑の菖蒲田とともに、都心にこの様な大自然が

残っているのは凄いね、と皆で頷き合い、お店でなくてこういうオープン・エアのお昼会もいいね、と賛同があった。また、

このブログでも紹介したスイス在住のKTくん(古稀が来る前に<その2>詩集紫陽花同人会2016・後編に掲載)の話も出て、

SHさん達3人で大学時代にヨーロッパ旅行中レマン湖へ行ったら、カラン・コロン木靴の音を響かせてながら歩いていた

KTくんと、バッタリ逢ってしまいびっくりした話をしてくれた。10年ほど前に、ガンと闘いながら早逝したYDさんは、ずっと

ローザンヌ・国際バレエ・コンクールの仕事を熱心にやっていたよね...。今回来られないと連絡をくれたTBさんは、闘病中

なのよ...など、懐かしい旧友の話も出た。


OTさんは大学時代、SHさんと仲良しだったので、女子の友達と連絡を取って今回の花見会に誘ってくれたのだが、SHさん

はカナダ(モントリオール)で、日本文化センタ―での仕事(ボランティアと言われていたが)をしていることもあり、

現地の日本人の方達のお世話や、図書館に寄贈される本にも詳しく、我々よりよっぽど沢山の日本語書籍を読んでいる

のにはビックリ。内田樹(うちだたつる:日本の哲学研究者)の本がとても面白いと紹介してくれたし、NHKの時代劇でも

放映された佐伯泰英の『居眠り磐音』のシリーズや、宮部みゆきの『ぼんくら』(原作は『日暮し』)などの話も出て

大いに盛り上がった。NUさんも時代小説には詳しくて、澤田ふじ子・葉室凛・藤沢周平などの話題がひとしきりだった。

そして、「日本の安全保障はいったいどうなっているのか!」(全員)、「私の息子は毎年違う彼女を紹介してくれるが、

いまだ結婚するつもりもないのだ! やれやれ...」(SHさん)、「私達団塊の世代は競争も厳しいから、老後なんて誰も

面倒見てくれないかもね~!」(NKさん)、「私は今俳句の会をしているのだけれど、皆様もおやりになりませんか?

(SKちゃん)、「フランス語をやったことで、今やっているボサノヴァのポルトガル語が、同じラテン系の文脈で

助かっているよ。」(TAKA)、「同じクラスのBBくん(大使館の仕事をしていた)とカナダで会ったことがあるけれど、

お互い初めまして、と挨拶してしまった。太っていたので全く別人で解らなかった!(笑)」(SHさん)等々...話は尽き

なかったが、夕方の時間にお開きにした。楽しいおしゃべりタイムだった。


今回、男子級友にも声掛けしたが、仕事や自治会の都合・友人の墓参りなどで参加がなく(皆頼り甲斐がないんだから!!)

黒1点の私が女子会に紛れ込んでしまった様子となった。皆さんの会話に何とか付いて行って、色々お話しできたのは

楽しかった。枝垂れ桜の満開には遭遇できなかったが、懐かしい友たちと゛話の花゛を大いに咲かせることができて、大い

に嬉しかった。年柄ならば、親の介護のことや孫の世話、自身の病気などの話題が多くなるのだろうが、そんなことは

ほとんどなく、次から次へと話題が出たのは、さながら四谷のキャンパス内のカフェテリアで午後のおしゃべりをした

様な爽快な気持ちだった。また同じことを言ってしまうが、同じ時代の同じ場所で共に時間を過ごした友たちというものは、

まことに得難いものなのだ、ということをつくづくと感じたのだった。会後のメール交換でも、皆さんが今回の企画を

楽しんでくれたことが解り、「また集まりましょう」と言ってもらえたことが何よりのことだった。やはり、健康でお互い

の連絡がスムースにできることが肝要だと思う。

『古稀が来る前に・その4』の集いを無事終えたことで、私は心置きなく古稀とその次の70代に進んでいける気持ちに

なっている。皆さんに大いに元気をもらいました。ほんとにありがとう!


【付記】 今回の花見会の画像は、私が撮影するとブログに載せるでしょう! との心配から、見目麗しき女性たちからNGを

出されてしまいました。従って咲き始めのサクラをバックにした皆様の元気なお顔は、想像していただくしか手がありません。

悪しからずご了承ください。(トホホッ)


<『古稀が来る前に』(その1~その4)完結>

2016年3月20日日曜日

旬の食彩3品





我が家の周りのサクラの中でも早咲のソメイヨシノ、3月19日に開花した。 All Photo by TAKA


花の季節となった。Spring has come! 誰もが大地の息吹きを感じるこの季節を待ち遠しく思っていたと思う。我が家

の周りでも、多くの春花が見られるが、沈丁花・ハクモクレン・辛夷・レンギョウ・雪柳・ヒヤシンス・春スイセン・

スノーフレーク等々が花開いた。ニラ花や山吹もすぐ咲くだろう。そして、ソメイヨシノも咲き始めた。これから4月初め

までお花見のシーズンとなる。


左より、「菜花のちらし寿司」・「ひじきの煮物」・「石鯛の姿造り」、古稀ひとつ前の私の誕生日(3月17日)を
祝ってもらったお料理だ。


この時期には珍しい小振りの(若い)石鯛が食品スーパーで入手できた、ということで、私の誕生日祝いは、石鯛のお造り

となった。春先の若い石鯛の刺身は、シャキッとした歯ごたえとさっぱりとした味が美味しかった。菜の花のちらし寿司は、

酢飯の酢味は控えめ、金糸卵と蓮根と菜の花をちらしたものだったが、菜の花のほのかな苦みが程よく感じられた。ひじきの

煮物は人参と厚揚げを合わせて焚き、煎りりゴマを散らしたもの、出汁醤油の味付けがしっかりとしていた。それら食友の

心尽くしのお料理を、シャンペンとともに美味しくいただいた。



さばいた石鯛の頭・脇腹・尻尾などは、美味しく食べられるので、脇腹を煮た「鯛ソーメン」ならぬ「鯛うどん」を作って
みた。白身の脂が程よく出て、出し汁も全部飲み干した。右はナスの煮びたし。


出刃包丁で魚をさばくことは、ごく普通の家庭でもしていた事だが、昨今の奥様方(女性たち)は、魚屋に任せるか、あるい

パックで売られる切身しか食卓に出さなくなってしまった(もちろん、自分でさばく方も少数おられるが)。もったいないこと

ではある。美味しい石鯛は、頭・脇腹・尻尾を出刃で叩き切り、焼いたり煮たりして食べることにした。後日、頭は焙って食べ

、骨身はコンソメスープし仕立てでキャベツとともに食べて見たが、しっとりとした味で旨かった。脇腹は、昆布出し汁・みりん

・お酒・醤油で作った煮汁に脇腹を入れキノコとともに煮立て、茹でた細うどん(今の時期ソーメンがないので)とともに食べ

てみた。鯛身から出る上質の脂が煮汁に溶けあって美味、少々はしたないが、身と骨をしゃぶりながら食べ尽し春の味覚を

堪能した。


鶏スペアリブのビール・実山椒煮、味付けはビール・醤油のみ。実山椒の辛みが鶏肉に染み込んで美味。どようかい
の差し入れ料理として準備して居たのだが、マスターを見送る別れの料理となってしまった。付け合わせはミニ青梗菜。


毎週土曜日夜に、近所の椿珈琲店で開いている『どようかい』は、3月に入ってからマスターのTGさんの病気入院のため

お休みしていたのだが、19日は前々からの予定で゛拡大どようかい゛と称して、常連さんたちが集まってライブ仕立ての会を

することになっていた。しかし、マスターの病状悪化のため突然中止となった。メンバー達は心配して見舞金を集めたり、病状

についての情報を話したりしていたのだが、当日19日の朝茂子ママから訃報が伝えられた。入院からわずか3週間の急逝

だった。あまりの急展開にメンバー達は言葉も無く、ウッチーと私・サイトウさんとOBさんは、狛江駅側の居酒屋で弔い酒と

称して集まって酒を酌み交わしていたのだが、思い立って茂子ママと連絡を取り、お別れに拝顔したい旨を申し入れた。夜間

にも拘らず、ご遺体が家に戻っているのでどうぞ、と茂子ママは受け入れてくれた。


後から加わったキリさんとともに皆でお宅にお邪魔して、ご本人が眠る枕元に座ると、ほのかな微笑みを浮かべるTGさんを

拝顔できた。何ということだ、まだ古稀にも届かないというのに!!...病気の肺ガンの進行があまりに急だった、とのこと。弔い

にTGさんが何時も皆と楽しんでいた曲を演奏してもいいか、と申し出ると、彼女と実姉が是非と言ってくれたので、しばらくは

見送りの音奏(音葬)となった。ウッチーと私はギターを弾き、サイトウさんはトランペット(ミュートで)を吹き、ミニ・セッションと

なった。途中でTGさんが好んでレキント・ギターを弾いた曲『夏の日の思い出』を私が弾き語りした。歌いながら涙が溢れる

のをこらえられなかった。その様にして、お通夜・告別式前の葬送の宴を、音楽仲間たちでしめやかに行うことが出来た。

春は、息吹きの時であると同時に、季節の変わり目で体調を崩したり、長い冬の寒さから解放される身体のゆるみとともに

死期を迎えられる方も多いのだ。今まさに花の時期を迎えんとする時に、親しかった音友を見送らねばならないのも人生の

常か! 仕事柄、沢山の方達の晩年と死期を見てはいるが、殊の外辛く心傷む別れであった。



 
在りし日のTGさん、愛用のギターとともに。合掌...

 

小振りの春スイセン、周りと中心の花弁の黄色が鮮やかで春らしい。

2016年3月16日水曜日

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<後篇>



「音楽の集い」の後、スタジオ近くの飲食店(六文銭)で開かれた同期会、地元料理をいただきながら、皆で
高校時代の話に花が咲いた。(幹事はHNくん) Photo by TAKA and Ishida


音楽スタジオ(ウィンナー楽器)での集いを終えて、引き続き近くの飲食店に席を移して同期会を開いた。スタジオの担当KT

さんによると、現在の長野高校マンドリン班は同好会として活動しており、会員は8名だと電話で後から知らせてくれた。往年

の班員数からすれば随分と淋しくなったものだと思うが、マンドリンという楽器自体がすでに中古楽器店に並んでしまうような

存在(ちょっとごめんなさい!)なので致し方ないかとも思う。しかし、現在の音楽シーンでも、他に比類のない澄んだ音色を表現

できる楽器として存在感はあるし、コラボの仕方とアレンジの仕方次第では、今でも輝きを持っている楽器であることは間違い

ない。同期生として会に参加してくれたISくんは、写真を撮ったり動画を撮ったりして、会後に皆宛にデータを沢山送ってくれ

たが、ゴルフ関係や他の仕事に忙しく飛び回る合間に今回の催しに加わってくれて、大いに楽しんでいた。ANくんからも、フォト

を多数送ってもらい、お2人には感謝している。そのうちに何枚かをこのブログにも掲載させてもらった。



AN君のギターを借りて、カルカッシの教則本メロディ(?)を弾きだしたMZくん、ANくんの演奏や今回の
楽器演奏コラボ・歌やコーラスなどは大いに刺激になったようだ。


色々と懐かしい話が飛び交った中で、金鵄祭・音楽祭の話が出た。その時のマンドリン班演奏の司会は、総合司会を務めた

KSくん(長身で甘いマスクと良く通る声で人気があった:放送部所属)にやってもらったのだが、MZくんからは、「MCはTAKAに

やってもらいたかったのに! 」と、また苦言を呈されてしまった。50年以上の前のことを昨日のことのように覚えていてくれる

のも、いやはやである。私自身は、彼(KSくん)がやってくれた方が盛り上がると思っての判断だったが、今となっては申し訳

ない限りだ。


班長だったNI君の墓参の後で、市内の居酒屋で集った班員のメンバー達。今をさかのぼる5年5ケ月前のことだ。
(2010年10月2日)


今回の企画は、5年5ケ月前の会合にさかのぼる。2007年の12月にMZくんから音楽祭の録音テープを送ってもらってから、

何時かマンドリン班の同期会を開きたいものだと私は思っていたのだが、班長だったNIくんが2009年の春に急逝してしまった。

朝のウォーキング(サイクリング?)中の出来事で、見つかった時はすでに事切れていたのだった。彼の音頭取での同期会を

当てにしていた私は、開催のすべを失ってしまった。翌年の2010年10月2日に、母の命日で長野市善光寺の高台(花岡平)

にある母の墓を訪れた時、メンバーたちに声をかけて午後からNIくんの実家を訪れ(HNくん・KDくんが同行)、すぐ近くにある

彼の墓をお参りした。その時の様子は、このブログの2010年10月11日付:『母の墓参と高校音楽クラブの友たち』にも

載せている。久し振りの飲み会で一献を傾けながらの近況としては、その当時ギターもマンドリンも、再び手にして楽しんで

いるメンバーがなかった。わずかにMRくんが、Gtをまた習い始めた、という状況だった。その当時、ボサノヴァに傾倒し、

ライブやバンド活動に精を出していた私は、「ギターとマンドリンの合同演奏をいつか一緒にやりたいな!」と、心密かに願った

のだった。そして、ようやく、今回の「音楽の集いと同期会」が実現したのだ。長年温めてきた企画が日の目を見たのは、

HNくんはじめ、メンバーたちの協力のおかげだし、会の趣旨を汲み取って快く参加してくれた同期生たちのおかげだった。

願わくは、再びメンバー達で音楽の集いができたら、これに勝るよろこびはないが、明日のことを知る人は誰もいない。古稀に

なる前に、この様な機会を作れただけでも、幸せなことだと喜ぶばかりである。皆様の健康を祈って、70歳になる前にできた

一会に感謝したいと思う。

<この項終わり>

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<中篇>



本格的なクラシックギター・ソロを聞かせてくれたANくん、脳内系の病気から快復した後なかなか指が動かない、
と言いながら、クラシック・ナンバーの柔らかで力強いサウンドを奏でてくれた。Photo by TAKA・HI and Ishida


後先になったが、何故「古稀が来る前に(その3)」なのかを少々説明させてもらう。このブログの今年2月21日『古稀の来る

前に(その2):詩集紫陽花・同人会2016・前篇』にその経緯を載せているのだが、70歳になる前に「もう一度 仲間たちと 

集い会いたい!」との思いから、ここ半年ほど私は旧友達との集いを計って来た。(その1)が小学校のクラスメイトとの同級会

(昨年11月3日『北信濃紅葉紀行[その3]56年振りの小学校クラス会』参照)、(その2)が大学時代の文芸活動をした同人

達との会合(前述)、それに続く(その3)が、今回の高校マンドリン班のメンバー達との音楽の集いなのだ。実はそれに

つづく(その4)が、今月の22日に予定されている。久し振りにカナダから日本に来られるSHさんを囲んでの、大学時代の

同級生女子メンバー達とのお花見会だ。この4つの集いを持って、『古稀になる前に あの仲間たちと 集い会いたい!』

の4イベントは完結する。一つ一つの出逢いを、私は旧友達の協力を得ながら準備してきた。今回の高校音楽班のメンバー

達との集いも、5年越しの企画だったが、ようやく実現した会合に、私の思いは感無量だった。しかも、とても楽しい、充実

した集いだったので喜びは深かった。


経緯はさておき、50年以上ほとんど高校の同期生達とも連絡が途絶えていたAN君が、愛用のギターを持参して参加して

くれたことは、皆も驚くやら懐かしがるやら、今回の集いをした甲斐があるというものだった。ギター演奏とギター収集に精を

出し、スペインまで出かけてコレクション(20台ほどあるとか!)を増やしたというから半端ではないオタク振りだ。特に今回は

2回に渡ってクラシックギターの基本レパートリーである、フランシスコ・タレガの名曲の数々を演奏してくれた。本人は、お酒

が入るともっとうまく弾けるのだが、と謙遜していたが、とても素敵な演奏だった。



女性ヴォーカルのお二人、原ちゃん(左)とhirokoさん(右)は、デュエット・コーラス・ソロとこの日の参加を
大いに楽しまれた。


マンドリン演奏を披露してくれた原ちゃんは、合唱団でのクラシック曲・コーラスを長年続けているが、同じ高校の音楽仲間

で結成したバンド『ザ・タペストリー』(2010年12月結成~2014年11月まで活動)にも参加して、一緒に音楽を楽しんできた音友

なので、今回の催しをとても喜んでいた。同じバンドで、やはり一緒に活動していたhirokoさんも、今回の企画を聞いて、班員

ではなかったが原ちゃんと一緒に参加し、二人のハーモニーとソロ・ヴォーカルを披露してくれた。彼女は近年絵画制作に

精を出し、地元(横浜市)の絵画愛好者とともに絵を描き、グループ展などにも作品を出品して楽しんでいる。長野から参加

した同期生HOさんと共に、女性メンバー3人がこの会を盛り上げてくれたのは嬉しかった。ひと通りの歌と演奏が終わった

後でまだ時間があったので、「Gt伴奏で何か歌わない?」と持参した歌集2冊(100曲収録)を見せて水を向けたところ、3人

が、J-POPSを歌ってくれた。MZくんは山口百恵の『秋桜』をゆったりと歌い、HNくんはペギー葉山の『学生時代』を軽快に

歌い、さだまさしいいでもいいかい? と言いながら、ANくんが『無縁坂』をしっとりとと歌った。一緒に音楽を楽しむという

気持ちの表れを、皆が歓迎してくれて良かった。

 

この日参加されたメンバー達、左よりMZくん(指揮者)・ARくん(室内楽班)・HNくん(MDマスター)・KDくん(MD)・
ANくん(Gt)・ISくん(同期生)・MRくん(MD)


指揮者だったMZ君は、クラシック・ギターの練習を少しづつ続けている、とのことだが、今回の演奏会に刺激を受けたようで、

次回は俺もGt演奏を披露したい、と会後の連絡メールを送ってくれた。一度脳内系の病気を経験しているが、Gt演奏の指

の動きは、リハビリと脳内活性化に大いに効果があるので、続けて欲しいと願うのだ。今回催しの幹事役を引き受けて、色々

な準備をしてくれたHNくんは、再びマンドリン演奏を試みようと楽器をすでに購入済みだった。なかなか捗らないでいる、

と言っていたけれど、高校当時の演奏がまた蘇えるのを皆が楽しみにしていると思う。長らく地元新聞社に勤務し、退職後

今度は地元大学で講座を持つ予定、とのことだが、多忙の合間を見てMD演奏に精を出してほしいものだ。そして、KDくん

も、Gtを購入済みだが練習は捗らないでいる、とのこと。最近はランニングに熱中していて、この会の翌日にもハーフ・マラソン

に参加すると張り切っていたが、身体を動かすと同時に、指先も動かしてもらい、また一緒に音楽を楽しめたらいいなと

思う。MRくんは、確かGtをまた習い始めた筈だったが(聞き違いかもしれない?)、この所楽器演奏をやらないで來てしまった、

と言っていた。メンバー達の集まりには必ず顔を出してくれるし、長年特許関係の仕事を続けてこられ現在も多忙の様だが、

また皆で集まる時はジョイントして欲しいものだ。



音楽祭が終わった後、3年生の秋(1964年)に班員と指導担当(原先生)とで出かけたバス旅行の時のスナップ写真。
前列左より、TAKA・MZくん・INくん(今回不参加)・原先生・班長のNIくん(逝去)・KOくん(逝去)、後列は
KDくん・HNくん・MIくん(不明)・MUくん(不参加)・OKさん(不明)・原ちゃん・MRくん・ANくん。

<この項つづく>

2016年3月15日火曜日

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<前篇>



「音楽の集い」が終わった後、スタジオのKTさんに撮ってもらった記念のフォト、高校卒業以来51年振りの集いだった。
前列左より、原ちゃん(MD)・TAKA(Gt)・ANくん(Gt)・ISくん。後列はhirokoさん・HOさん・MZくん・KDくん・HNくん・
MRくんの各位。ARくんは途中退席、計11名の楽しい会だった。 Photo by TAKA・HI・Ishida


春まだ浅い長野市のとある音楽スタジオに、高校時代の音楽クラブ(ギター・マンドリン班)のメンバー達が集まって、音楽の

集いをした。卒業以来実に51年振りのことだったので、現在も楽器演奏を楽しんでいるのはわずか3名、他のメンバーは

楽器を買い直しては見たものの、いまだに高校時代の様には演奏できずにいる者が大半、他は班員以外でこの話を聞いて

参加してくれた方達も入れて、計11名の参加だった。もちろん、皆んな同じ高校の同期卒業生たちなので、奇しくも同時に

高校同期会をすることにもなった。和やかに、ゆるゆると会は進行し、マンドリン(原ちゃん)とギター(TAKA)の共演、ギター

のソロ演奏(ANくん)、そして女性デュエット(原ちゃんとhirokoさん)、コーラス(同女性2人)入りのTAKAオリジナル曲

ギター弾き語りなどをみんなで楽しんだ。後半には、当時流行った歌謡曲をTAKAの伴奏で歌ったり、ANくんのギターソロを

また披露してもらったり、アンコールで再度ギターとマンドリンの演奏曲をやったり...etc。予想していた以上の盛り上が

りと熱心に聞くリスナーたちとの交感で、音楽の集いは充実した楽しい会となった。




マンドリン(原ちゃん)とギター(TAKA)のコラボは3曲、高校の音楽祭で演奏した2曲も再現したものだったので、
想い出多いシーンを呼び起こすような懐かしさがあった。


当日の「音楽の集い」は、私がMCをやらせていただいた。露払いにジャズ・スタンダードの『Misty』を、私がGt弾き語りして

いるうちに全員が集まったので、ゆるゆるとプログラムに入っていった。凡その進行は以下の通り。

<一部>
TAKAのGt弾き語り 『Misty』(Jazz Standard)
マンドリンとギターの共演3曲 『Moon River』・『第三の男』・『Close To You』
女性デュオ(原ちゃんとhirokoさん)の歌(Gt伴奏TAKA)  『恋のバカンス』・『恋のフーガ』
AN君のクラシックGt・ソロ3曲 『El Noi de la Mare(母の子)』・『Ⅱ Minuets』・『Tango』

<二部>
オリジナル曲のGt弾き語り2曲(コーラス:原ちゃんとhirokoさん) 『愛とも知らないで』・『君に酔ってしまいそうな夜』
女性ヴォーカル・ソロ2曲 『朝日楼』(原ちゃん) 『桃色吐息』(hirokoさん)
生オケ(Gt伴奏)で歌おう! 『秋桜』(MZ君)・『学生時代』(HN君)・『無縁坂』(AN君)
(リクエスト)AN君のクラシックGt・ソロ3曲<F.タレルガ作> 『La Grima(涙)』・『Adelita』・ 『Capricho Arabe』 
TAKAのボサノヴァ・弾き語り2曲 『ワインレッドの心』・『黒いオルフェ』
(アンコール)マンドリンとギターの共演2曲 『Moon River』・『第三の男』 


振り返ってみれば、1965年(昭和40年)3月に高校(長野高校)を卒業した我らがメンバー達は、その前年の秋に市民会館で

開催した学校祭(金鵄祭)の音楽祭に出演した。その時、ギター・マンドリン班は1~3年生男女総勢52名の大所帯で楽器

演奏を披露した。編成は第1・第2マンドリンとマンドラ、第1・第2ギターとウッドベース、パーカッションだった。

班のテーマ曲は『第三の男』、『ムーンリバー』・『キサスキサス』・『浜辺の歌』・『ルンバドナウ(ドナウ河のさざ波より)』・

『日本の童謡シリーズ』・『スパニッシュ・ワイゼン』などの合奏曲と、ギター・アンサンブルによる『エスパニア・カーニ』

などを演奏したのだった。この時の演奏は、当時のテープ録音をカセットテープに復録して、MZくんが後年当時の同期生

たちに提供してくれたので、その雑音交じりの懐かしいテープ音を私も聞いている。今回はその中から、『ムーン・リバー』と

『第三の男』を原ちゃんのマンドリンとTAKAのギター伴奏で再現してみた(編曲はTAKAによる)。『ムーン・リバー』は、

1コーラスを3/4拍子で、2コーラスをTAKAの歌で、3コーラス目を4/4拍子・Cha-cha-chaのリズムで演奏した。『第三の男』

は、近年ビール・CMのテーマ音楽でも知られているので、皆にもなじみがあった。出席メンバー達は二人の演奏にじっと聴き

入って、大きな拍手を送ってくれた。このコラボも、2年ほど前から原ちゃんが再びマンドリン演奏にチャレンジしてくれた

おかげでようやく実現したものだった。




52年前(1964年秋)の金鵄祭音楽祭に出演したギター・マンドリン班52名の記念フォト、中央の指揮者はMZくん
班長のNIくん(MD)、KIくん(Ba)、TUくん(MD?)はすでに他界してこの世には居ない。

<この項つづく>

2016年3月4日金曜日

3月弥生・早春点景(その2)



満開に近い白梅は、花弁もシベもしっかりしていて勢いがある。快晴の午前中の陽射しは、空気も澄んで
いて気持ち良かった。(薬師池公園) All Photo by TAKA


この公園の、今年の梅の見事さは、剪定作業の良さと根元の肥料やり(おそらく!)、それと暖冬の暖かさのせいではないか、

と私は推測するのだが、こんな見事な梅花を見られるのは、とても幸運なことだとありがたく思った。平日とは言え、梅見

客もちらほら、お昼のお弁当を広げるグループもあって、のどかな真昼時だった。梅林の丘や池の周辺を巡って歩き、少々

お腹も空いたので、薬師池からすぐそこのお蕎麦屋さん(徳兵衛)でお昼にした。鴨蕎麦(冷やしソバを鴨の入った温かい漬け

汁に付けて食べる:私)と鴨なんばん(鴨肉入りの温かいソバ:連れ)を頼んだ。お蕎麦は江戸前系の白ソバで、打ち加減は

やわらかめだったが、しっかりした辛口の漬け汁と合わせてみると美味しかった。ソバを食べた後、そば湯に薬味の刻み

ネギを少々入れ、七味を振って飲むのもさっぱりしてよかった。



紅梅も沢山の蕾を付けながら、次々に花開いていた。梅林の一角は、さながら白と淡紅色が織りなす霞が
かかっているようで、春を体感するひと時だった。


和食に出し汁は付き物だが、鰹節や昆布をベースにした出し汁にお酒・醤油・味醂を加え、ひとつまみの塩を効かして作った

(時には煮詰めた)漬け汁は、良質の脂分が入ると俄然美味しくなる。温かい蕎麦汁に鴨肉しかり、さっぱりとしたお吸い物に

脂の乗った鯛の切身しかり、うどんのお汁に油揚げしかり...そば処徳兵衛で食べた鴨肉も、少なめの脂身と柔らかな

歯ごたえが美味だった


食べログの「そば処徳兵衛」の画像より




陽光を浴びて花開き始めたハクモクレン、びっしりと付いた蕾が咲き揃うのも間近だ。(前原公園)


自宅近くの前原公園には、近隣の児童たちが自然観察できる「トンボ池」があり、ボランティアの指導で実際にヤゴを育てて

いるので、秋にはトンボが飛び交う。また、大きなすべり台もあるので、子供連れの家族には人気の公園だ。この公園にも

春色が増してきていて、ヒメリュウキンカは花開き、バラの芽は動き始め、ハクモクレンも開花となった。ヒヤシンスも、紫青色

の花を沢山開いている。早春の訪れを告げる花々を見ると、誰もが同じと思うが、私の心は華やぐ。


春の午後の陽射しを浴びるヒヤシンスの花、栽培種は、白・赤・黄・ピンクなど様々な色があるが、やはり
紫青色がヒヤシンスらしいと思う。
上戸向きに一句:「まず一杯、今夜のお酒は ヒヤシンス」!? (お後がよろしいようで...)



おまけの画像:緑顎梅の花。蕾が黄緑色で、花開くと白い花が広がる。爽やかで清潔感を漂わす様が魅力だ。
(薬師池公園)

<この項終わり>