2016年9月30日金曜日

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその7・最終回:本免許技能試験(路上)




通い慣れた府中自動車試験場、今回の路上試験合格で後は免許証発行に来るだけとなった。フォトははGoogle画像より


本免許技能試験(路上)の日(9月27日)、例によって朝早起きし8時過ぎには本館西側の路上試験の待合所についた。

手数料の3,100円(受験料と貸車代)はすでに申し込み時に支払っていたので、8時30分からの説明を聞いてスタートと

なった。受験手続きの結果、順番は1号車の4番目となったが、2・3号車の受験者の欠席があり試験官の案内で2号車の

3番目にスライドした。試験官は白髪の長身男性だったが、試験車に3人で乗り途中で交代しながら、試験場周辺の道路

運転した。すでに仮免許中にこの周辺道路は数回運転練習をしていたので心配はなかった。20代後半の女性と30代

前半の男性、そして古稀手前の私が、試験官の指示でコースを周った。試験場前の東八道路(対向2車線の広い道路)から

途中右折し、味の素スタジアム周辺→甲州街道(20号線)→府中の住宅街→調布飛行周辺→東八道路→試験場というよう

なコースだった。

私は最後番だったが、途中で道路工事中の個所が3か所もあり、交通整理員の手旗信号に従って慎重に片側車線を走った

りした。東八道路に戻る信号で右折車線に入り、対向右折車を待っている時にトラックの影から小型乗用車が飛び出し

てきてはっとしたが、少し前進しようとする前に踏みとどまって事なきを得た。ちょっとそこだけが減点対象だったかも

知れない。試験を終えて待合所に戻り、試験官から3人とも合格を告げられた。すぐに試験場内のコースで方向転換の試験

をした。縦列駐車か方向転換のどちらかを路上試験合格者が受けるようになっているのだ。20代女性は慎重にゆっくり

運転し途中2度の切り返しをして汗だくになりながらもクリアした。30代男性は手馴れた風で一発でクリアした。私は

試験車のプリウスで方向転換をするのは初めてだったため、バックの感覚が今一つ掴めず切り返しを2度したが何とかクリ

アできた。白髪の試験官は、試験終了後各自に運転注意点を丁寧に説明してくれた。私はやはり、右折時の注意点として、

完全に安全確認ができるまで待ってからの右折でいいことと、方向転換のハンドルさばきをもっとゆっくりでいいことを

指摘された。おとなしく「はい、はい。」と拝聴したが、とにかく合格だったので喜びが湧いてきた。


その後、本館に戻って義務付けられている取得時講習の手続きをしたが、その場で自動車学校一覧表を渡され、講習の

電話予約をした。驚いたことに自宅近所の自動車学校(和泉自動車学校と調布自動車学校)は、1か月先とか2か月先で

ないと受けられないとの返事だったので、受付警察官に話してみたら、近くの東小金井にある尾久自動車学校なら週末の

日曜日に講習可能と聞き、10月2日に講習を受けることになった。朝から夕方まで1日缶詰で、交通法規の注意点や運転

シュミレーション、救急救命などの講習受けるとのこと。講習料13,700円(高い~!)を支払い予約ができた。後は講習

を受け、講習終了証をもらってからここで運転免許証を発行してもらえば、免許取得は完了する。


6月14日に売店で「学科試験問題集」を購入してスタートした私の「普通運転免許再取得」は、約3ヶ月半で終わることに

なった。久し振りに何かに集中して頑張った日々もこれで終わるとなると、一抹の寂しさのようなものを感じることが、我な

がらちょっと不思議に思えた。免許証を手にしたら、相乗りなりカーシェアなどで何処かへドライブに行くのもいいな、

と思っている。無理のない安全運転でドライブを楽しめれば、いい気分転換にもなるだろう。警視庁の白書によれば、国内

の免許保有人口は、凡そ8,000万人前後でここ数年推移しているが、自動車学校卒業者はここ10年で15%減少、教習所と

教官も減少傾向(約10~13%)、運転免許試験合格者は248→205万人(18%減少)と、完全に縮小市場になってしまった。

運転免許ビジネスは、斜陽産業と言われても仕方ないだろう。20代の若者の自動車離れ・新規免許取得の減少が、その流れを

加速させるに違いない。そんなご時世に、私ごとき高齢者が運転免許を再取得したのは結構珍しい事例かもしれないが、

せっかく免許証を手にするのだから、車を移動の手段として、また道具として、ドライビングを楽しませてもらおうと思って

いる。7回の連載もここで終了とし、最後にかかった費用についてメモを残しておきます。


【 普通運転免許・再取得費用】
「学科試験問題集」                       1x740=   740
仮免許学科試験手数料                                 2,850
仮免許技能試験手数料              3回×4,400=13,200
仮免許証発行手数料                                    1,100
貸コース使用料・貸車代 4回×2,050+1,350= 9,550
開放コース使用料                     2回×2,200= 4,400
ドライビングスクール教習料                        10,800
本免許学科試験手数料                                  2,200
本免許技能試験手数料                                  3,100
普通運転免許証発行手数料                             2,200
取得時講習料                                            13,700    合計63,480円


その他、試験場・自動車学校への交通費(バス・電車)が凡そ1万円かかり、仮免許時の路上練習での同乗教習指導料と

貸車代は、趣味友HIさんに協力していただいたので、何かの機会にお礼をと考えている。これも、プロ教官に頼んだり、

レンタカーを借りたりすれば、それなりの費用が発生する。


私のマイカー遍歴 7代目(最後):NISSAN アべニール・ステーションワゴン 1800 (1995年新車) AT




マイカーの最後は、国産のステーションワゴンだったが、走りも使い勝手もなかなか良い車だった。日本では、こういう
大人味の車はその当時需要が少なかったと思うが、人と荷物を沢山載せて移動するには、ステーション・ワゴンの良さが
身に染みていたので愛用していた。だが、経営していた会社を畳んで1サラリーマンに戻ったので、この車に乗ることは
多くなかったし、2年間乗っただけだった。リアの丸っこいラインに愛嬌があった。車体色は深い紺色だった。画像は中古
ディーラーのHPより。



<この項終わり>

2016年9月17日土曜日

野辺山・秋雨紀行 その2




信州峠と塩川ダムの山道を走行後、広い棚田が拡がる長細い平野に到着、車を止めて水稲が黄色に色づいた様をしばし
眺めた(地図で見ると後藤田辺りか?)。山々は霧に隠れ、細かい雨が断続的に舞っていた。 All Photo by TAKA


夜半に喉が渇き冷水を一口飲むと、窓の外の暗闇には強い雨音が聞こえた。「朝の釣りは無理だな?」と思い、再び眠りに

落ちた。翌朝の朝食はバイキングスタイル、和洋取り混ぜのおかずや玄米粥をゆっくり食べながら、少し上流の千曲川の

様子を見てから、韮崎にある『大村美術館』を訪れてみよう、と予定を決めた。ホテルのフロントで取れたて野菜を販売して

いたので、新鮮なレタスとトマトを2人でお土産に購入した。昨日通った道を再び走り出すと、雨脚が強くなり、野菜畑の道

は水が溜まって所々プールのようになっていた。排水溝がない場所では、道路の溜まり水を跳ね飛ばすようにして走らな

ければならない。昨日の釣り場近くの道路も、雨水が滝のような勢いで流れていた。運転していたHIさんも、これでは危険

なので引き返そう! ということになり、上流の川の様子見はまた機会を改めることにした。

NAVIで韮崎を設定し、再び走り出したのだが、野辺山の手前で山道を登る方向に案内された。とりあえずNAVIの通りに

行ってみよう、と進行してみたが、これがとんでもない急坂の山道だった。途中すれ違う車もなく、道は全て舗装されては

いたがとにかく急坂と急カーブの連続だった。「よくこんな所に道路をつくったよなぁ!」と驚いたが、運転するHIさんは慎重

にスローでとにかく山を下りた。後で地図を見てみたら、その街道は釜無川と塩川に沿って黒森や塩川ダムを通過し、川上

村から須玉に抜ける道だった。もちろん私も初めてだし、直線距離で近いとはいえ「とんでもない道を案内してくれたわねぇ!」

 とHIさんも呆れていた。まあそれでも無事目指す『韮崎大村美術館』に到着したのだった。

教訓①:「山の天気は変わりやすいから無理しない!」、教訓②:「NAVIの言うことを鵜のみにしてはならない!」




韮崎市の西方高台にある『韮崎大村美術館』エントランスの景観、館長は2015年のノーベル医学・生理学賞を受賞
した大村智氏、個人の長きにわたる美術品コレクションを韮崎市に寄贈して、2007年にオープンした。晴れた日には、
霊峰富士山・八ヶ岳などが庭園や2F展望カフェから臨めるとのことだが、当日は山々が霧に煙って見えなかった。
下は、当館でもコレクションが充実している堀文子作品が印刷された入館チケット。建物画像は当美術館のHPより。



須玉から20号線に入り、釜無川に架かる武田橋を渡って丘を登っていくと、山裾の高台に『韮崎大村美術館』はあった。駐車

場には大型バスが一台止まっていて、団体ツアーらしき一群の人たちがぞろぞろと入館していた。高台からは韮崎の街が

眼下に広がっていたが、1時間もあればゆっくりと作品を鑑賞して展望カフェでお茶も飲めるこじんまりとした規模の美術館

だった。収蔵作品は大村さんが1点1点想いを込めて集めたと言うだけあって、上質でユニークなコレクションだった。ご本

人は、長らく北里研究所の所長を務めながら、女子美術大学の理事長も兼務されてきただけあって、コレクションの中に

女流美術家の作品が多く収集されていた。特に、堀文子の作品は充実していたし、1Fの展示室でも、片岡球子や上村松園

(日本画)、三岸節子(油彩)や佐野ぬい(抽象画)を見ることが出来たのは楽しかった。また、2Fの展示室に上がってみると

挿絵画家としてまた油彩画で著名な鈴木信太朗の部屋があり、作品とともに多くの装丁本がショーケースの中に収められて

いたので(その多くは文芸本)、それを見るのも面白かった。


ひと通りコレクションの数々を見終わって車に戻ったのだが、私は来る途中に直ぐ近くの『武田八幡宮』の信号表示が気に

なっていたので、ちょっと覗いてみようと思った。美術館の北隣の一角にそれはあった。古木の鳥居の前にある駐車場に

車を入れが、坂の上の神社脇にも駐車場があることが解り、そちらに廻ってみた。小雨がぱらつく中、樹齢千年以上の杉

古木の脇にある小さな石鳥居を潜って見ると、そこには総門・舞殿・拝殿に続く本殿が、古い石階段の上に静かに建って

いた。総門は丁度改装工事中で組まれた足場で覆われていたが、嵯峨天皇の時代(822年)に端を発し、戦国時代の武将

武田信玄が本殿を再建した(天文十年・1541年)と伝えられるこの神社は、武田家の発生・終焉の地に建つ神社として今も

崇敬されているとのこと。(『神社記憶』武田八幡宮より)





武田信玄家紋の「四割菱紋」の垂れ幕が掛かった本殿、小雨の中で静かな佇まいを見せていた。


山梨県民の尊敬を今も得ている武田信玄は、勇猛な騎馬軍団を率いて天下統一に名乗りを上げ、志半ばで倒れた悲運

の武将として知られている。一方六文銭の旗印とともにNHK大河ドラマ・『真田丸』に登場する真田一族のように、その

歴史的遺産の城や街・菩提寺などが全国的に知られれば、もっと多くの観光客や興味を持つ人々がこの神社を訪れる

だろうが、今は静寂の中にひっそりと佇んでいるのが心に染みた。

さて、帰路の韮崎から中央高速の談合坂SA(この高速を通り始めたころ、私は「だんござか」とうろ覚えしていたが、)までは、

私が高速道路走行練習にハンドルを握ることになった。とは言え、何度となく過去に通った道なので不安はなかった。平日で

空いた道路では、後ろに「仮免許練習中」表示を付けた車を、トラックも普通乗用車も軽自動車も追い越してゆく。たまに80㌔

以下で走行している車を、左走行車線から追い越し車線に移り、加速して追い越すのもいい練習になった。山間で降って

いた弱い雨もなく、道路は乾いていたのでとても走りやすかった。HIさんの愛車ホンダ・フィットは、坂道でも加速が良く、

車重とエンジンパワーのバランスの良さを感じたし、何よりもハイブリッドで燃費がいいのを気に入っているそうな。1時間

程走行して談合坂SAで軽い食事をとった。二人でラーメンを食べたが、最近のSAフードコーナーは、何を食べてもそこ

そこおいしいので感心する。「サービス競争が激しいから、出店しているお店はそれなりのものを出すわよ。(HI談)」との

こと。納得。談合坂から私の自宅までは、HIさんに運転してもらい、野辺山への秋雨旅行を終えた。一時的な集中豪雨にあった

り、急坂の山道を走ったり、目指す渓流のイワナにも会えなかったりだったが、高原の景色と美味しい食べ物を満喫した旅

だった。車ごとお世話になったHIさんには、とても感謝している。

<この項終わり>

2016年9月15日木曜日

野辺山・秋雨紀行 その1




秋雨と霧に煙る早朝の八ヶ岳の眺望、裾野がわずかに姿を現しているが、山の頂きは隠れていた。でも、ほぼ180度
何も建物がない視界の広がりは、高原の緑に埋め尽くされた素晴らしいものだった。 All Photo by TAKA


夏の終わりには、どこかへちょっと旅をしたいと思うのだが、この時期は夏の暖気と秋の寒気がせめぎ合う気候と、台風の

襲来が重なり、断続的な雨に見舞われることが多い。いわゆる「秋雨前線」ですね。それでもやはり何処かへ出かけたくて、

今年も高原の野辺山(清里や信濃川上を含む)にやってきた。私のお目当てとしては、千曲川上流での渓流釣りと八ヶ岳

高原のひんやりとした空気、美味しい野菜をたっぷり食べることと、車の路上運転練習(高速道路走行と山間部の道路走行)

などだった。私の遅い夏休みに同行してくれた趣味友・兼運転指南役のHIさんは画材を持参したが、雨天のため今回は

残念ながらスケッチができなかった。

その日(9/12)は朝10時ごろ都内を出発、甲州街道をしばらく走って調布で中央高速に入り、そのまま長坂まで。NAVIの

示した道は、通い慣れた141号線(佐久往還)の一本西側の街道だったが、道巾も広く走りやすかった。どちらかと言うと、

出発点と到着点を直線的に結ぶ道(地図上では最短距離)を示す傾向のあるNAVIだが(HIさん談)、時折えらく狭い道路

商店街を通らされることもあるので注意が要る。でも、今回はなかなかいい選択だった。「たまにはいい道を案内するわ

ねぇ!」と言っているうちに野辺山に到着。ここからは運転を代わって、高原の野菜畑と信濃川上に続く山間部を私が運転

練習した。キャベツやレタスの広大な畑の中を走る道は、時折『農作業車優先』の表示板が掲げられており、どでかいトラ

ターや11トンの大型貨物車が走行していた。長い間(20年間ほど)車の運転から遠ざかっていたのに、古希を前にしてその

封印を解くことになった私は、すでに4年前に、少年の頃と30代に親しんだ釣りの封印も解いてしまった。しかし、毎日

車に乗って運転していた感覚は大分戻って、ハンドルも手になじんできている。



千曲川上流・信濃川上御所平の川原にて、テンカラ釣りでイワナとヤマメを狙う゛釣楽人タカ゛。川水は澄んで冷たく
(16~17℃)、川石も苔が付いてなくてきれいだった。 Photo by HI



出発前の一週間程は、天候の予測が定まらずヤキモキしたのに、この日は午前中は陽も差すいいお天気で、午後からは

やや曇りがちになった。御所平の古い傾きそうな商店で、店番のじい様から日釣り券を購入し、ついでに川相や放流の状況

などを聞き、すぐ近辺の赤顔橋(゛あかづら橋゛というそうな)から入渓してみた。千曲川の上流域は、信濃川上から梓山辺り

まで、川は護岸提と堰がつづく゛ざら瀬゛で、高原の村落と畑の中ををゆるゆると流れている。比較的入渓しやすい川筋なの

を過去に経験しているので、不安はなかった。冷たく澄んだ水の中に、餌釣り(ブドウ虫)で仕掛けを流し、次に毛鉤に変えて

テンカラ釣りを試み、少し上流に移動して毛鉤を数個付けたウキ流しで魚を誘ってみた。しかし、まったく当たりはなく、

魚影も見られなかった。大きな岩や渕もない開けた川でいく通りかの釣りを試み、1時間半程で竿を収めたが、ちょっと気落

ちした。シーズン初めに放流したイワナも釣り尽されたか、はたまた釣り人が多く魚も摺れているのか、あるいは住む魚が

減ってしまったのか...いずれにしても渓流魚に遭遇はできなかった。昔一緒に遊んだ゛ともだち゛にまた会いに来た

のだけれど、残念! しかし、山間の鄙びた村を流れる川では、昔遊んだ「小鮒釣りしかの川」は、ただ想い出の中にあるだけ

のことなのかもしれない。細かい霧雨が舞い始めた千曲川を後にして、今夜の宿泊先ホテルに向かうことにした。







『白樺洋食コース』の中の「信州サーモンのカルパッチョ」(上)と「和牛ステーキ」(下)の二品。魚もお肉も大変美味し
かったが、『農園レストラン』を名乗るここの地場野菜がことのほか美味! 特にトマトとナスの付け合わせは逸品だった。


HIさんから聞いていたこのホテルは、古くてちょっと綺麗じゃないけれど食事はすごくおいしい、ということなので楽しみに

していた。ホテルの駐車場に車を入れると、外装が結構きれいになっていた。案内された部屋に続く回廊もきれいだし、部屋の

内装もきれいになっていた。食事の時に年配のサービス係に聞いてみたら、ここ10年程で各所に手を入れて内外装を一新

した、とのこと。八ヶ岳全体を部屋から前面に見られる絶好のロケーションは、古いホテルならではの立地だし、部屋のレイ

アウトも、ゆったりと作られているのが好ましかった。新しいホテルだと、効率一辺倒で何故かゆとりがないのだけれど、この

くつろぎ感は◎だった。早速大浴場でゆっくりとお湯に浸かった。夏の疲れがゆるゆるとお湯に溶け出していく心地がした。

受付の時に、和食と洋食の中洋食を選んでおいたのでレストランへ行ってみると、そこは『農園レストラン・和(なごみ)』と

いう名前で、地場の取れたて野菜と甲州ワインを楽しめる店だった。オードブルからデザートまでの六品を、生ビールと赤

ワインでゆっくりと味わった。食事中に前述の年配サービス係の女性が来て、「またお越しいただきありがとうございます。」

と挨拶していった。恐らく、ゲストブックから数年前にゴルフに来た時の名前を確認してのことだとHIさんは言っていたが、

客のおもてなしの在り方としては、なかなか気持ちの良いことだった。「前は、食事のサービスも旅館の宴会みたいで、あまり

いい感じではなかったけれど、大分変ったわよ。」と続けて感心していた。20数席あるテーブルも空いていたのは1席のみ、

秋雨の天候にも拘らず宿泊客の多さが目立った。満腹・満足の後部屋に戻ると、窓の外は小雨の音がパラパラと聞こえた。

その音を子守唄代わりに、ぐっすりと寝てしまった。





レストランの入口に飾られていた吾亦紅の鉢活け、高原はもうすっかり秋なのだ。


<この項つづく>

2016年9月6日火曜日

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその6:路上練習と学科本試験




「仮免許練習中」の表示シートを車体に付けて、路上で運転練習中の私。試験場からもらった用紙をコピーし、雨天時も
OKなように透明クリアシートに入れて密封し、裏側にマグネットシート装着で取り外し可能にした。実際は車体の前面と
後面に各1枚づつ取り付ける。 Photo by HI


仮免許取得の後は実際に街中を走行し、路上練習を1日2時間×5回以上行って、申告書にその詳細を記さなければなら

ない。もちろん、免許取得から3年以上の運転履歴を持つ指導者の同乗が条件だ。私は今回の免許再取得協力者のHIさん

にそれをお願いし、車も提供していただくことになった。ではまず、府中試験場の周辺を練習してみよう、ということで、

8月の最後の週末(27日・土と28日・日)の2日間、東八道路や多磨霊園周辺、小金井街道や甲州街道(20号線)を走行練習

してみた。次の週には、多摩地区の丘陵地帯の道路(30日・火)、川崎市の丘陵地帯と地元狛江の市街地域(31日・水)、

最後に再び府中試験場周辺を走った(9月3日・土)。同乗指導役のHIさんによると、『上北沢で乗り始めた頃は、急ハン

ドルや急ブレーキもあったけれど、車になれたせいかスムーズになったね。違和感はほとんどないよ!』と評してくれた。

私自身も3回の仮免試験の間に大分運転感覚を取り戻したようで、走行ラインもスムーズなハンドル操作で描けるように

なった。アクセルとブレーキの踏みしろ・効きしろの感覚もはっきりしてきた。これで、学科の本試験と技能試験(路上)

に臨む準備が一応整った。


学科試験の準備は、前述の『学科試験問題集』を一通り見直し、間違った個所をよく覚えるようにした。道路標識や道路

標示も再確認したので、これで大丈夫、と言う気持ちになった。9月になって朝晩も涼しくなり、心なしか秋風の気配

感じるようになった日(9月6日)、例によって早起きし府中の試験場に向かった。受付で用紙をもらい、本免許の学科

試験の申し込みをした(2,200円)。すぐ適性検査(視力・色弱など)を済ませて、3階の試験室に入った。仮免10名程、一種・

二種合わせて30名程の受験者だった。95問(5問はイラスト付きの危険予測問題で、1問中3つ正解で2点となる)・100点

満点中90点で合格。仮免は50問中45問正解で合格。50分の5分前に、マークシートと試験問題を試験官に渡して退室した。

実際に合格発表で残ったのは、40人程の受験者中10数名だったから学科試験も結構難しいのだ。1時間程待機した後の

合格発表で、電光掲示板に自分の受験番号があったのでほっとした。その後の本免技能試験(路上試験)の予約は、火曜日

の空きが3週間後しかなかったので、ここまで来たら急いでも仕方あるまいと腹を決めて、9月27日に受験予約を取った。

ほんとに、もう一息のところまで来たなぁ、という実感があった。

私のマイカー遍歴 6代目:VOLVO ステーションワゴン GL ESTATE 2300(1992年新車) AT




2台目のVWゴルフが2度の事故に見舞われ、幸いなことに怪我は免れたが、車は安全で頑丈なものにしようと思いこの
VOLVO・ステーションワゴンを入手した。その当時、百貨店の画廊や各地の催事場で、絵画展や写真展を開催すること
多かったので、車の後部座席を倒して広い後部スペースに作品を積み込んで各地の画廊に出かけることがよくあった。
30枚位まで額入りの作品を積めたので、その収容力は抜群だった。乗り心地も良くパワーもあったので、運転することが
楽しかった。今でもこのの良さを懐かしく思い出す。゛上質゛と言う点では、運転したマイカーの中でも一番だったと
思う。足かけ3年間日常の足となってくれたが、バブル崩壊後の絵画需要も少なくなり、維持費や税金も嵩んだのでやむを
得ず手放すこととなった。深い紺色の車体色も落ち着きがあって好ましかった。画像は中古車ディーラーのHPより。


<この項つづく>

2016年9月5日月曜日

晩夏の多摩川・オイカワ毛鉤釣り-2





『晩夏の多摩川・オイカワ毛鉤釣り-2』 YouTube動画より。釣り人・撮影・編集 by 釣楽人タカ


夏も終わりである。8月は台風の連続アタックで、日本列島各地は大雨と強風に見舞われ、特に東北太平洋側と北海道中部

に大きなな被害をもたらした。地球規模の気象異変は、予測が困難なケースが増え、気象予報士を悩ましているが、我々

生活者にも大きな不安をもたらし、防災対策と非常時の避難を心がけねばならない状況に否応なく置かれているのだ。


で、釣りの話である。その大雨のお蔭で、近所の多摩川は最近になく増水し、雨後は濁流が溢れた。一応堤防の補強や

治水対策のお蔭で、危険水位まで水が達することはないのだが、雨後に増水の状況を見に電チャリで堤防の上を走って

みたら、ちょっと怖いくらいの水量が普段にはない川幅で流れていた。その水も3~4日経ってやや落ち着き、水色も濁りが

取れてきたので、久し振りに川に繰り出してみた。オイカワの産卵期もそろそろ終わりに近づいている。大量の水で洗われ

た川底の石は、コケや汚れがきれいに流され、何時になく水は澄んでいた。こういう川姿に出会えるのも嬉しい気がする。




毛鉤にアタックしてきた2匹のオイカワ(オス)、魚体の婚姻色が鮮やかだった。針掛かりした時の引きがとても
大きかったので、大物か? と思ったが、こんな風に2匹一緒に釣れるのはとても珍しい。


この朝は、川の中心の流れがかなり強かったので(増水のため)、流れの脇の澱みやゆるやかな流れ個所に毛鉤を流し

てみた。次々に毛鉤にアタックしてくるオイカワに、小一時間楽しませてもらった。春から夏にかけて良く釣れたアユは、

上流に移動してしまったのか、ほとんど姿を見ることができなかった。良い釣りができるのも、初夏から夏の終わりまでの

ほんの一時だけだ。その時期でも、渇水期はなかなか魚の姿は拝めない。「雨後の増水を狙え!」という釣り人のセオリー

があるが、その朝は、まさにその言葉通りの釣り日和だった。恐らく、魚も、増水時の空腹(大量の水では泳ぐにも体力を

消耗するし、濁って餌の姿も見えないだろうから)と、雨後の捕食に食い気が立っていたのかもしれない。片手で竿を操り、

片手でデジカメ撮影するのもなかなか制約があって大変なのだが、ちょっと面白い動画が撮れたと思っている。



朝6時の曇り空だったので、光も少なく実際はもっと暗いのだが、画質調整した多摩川の風景。夏も過ぎゆく...



2016年9月2日金曜日

普通運転免許・再取得奮戦記(府中試験場)ーその5:仮免技能試験にやっと合格






Googleの衛星写真とZENRINの地図をベースに、私が作成した府中運転試験場のコース図。試験で指示されるままに走行
していたコース内容をしっかり把握するのに大いに役立った。このコース図を見ながら、走行シュミレーションを試験時間の
直前まで続けた。コース開放を利用しての運転練習と併せれば、準備は整う。


2度の仮免技能試験に落ちて気落ちしていた私は、7月初めに負った右足ケガ(親指と親指付け根、土踏まずの腱を腫らして

の痛み発症)と、親しかった知り合いの孫一家の引っ越しが重なって、トリプル・パンチで意気が上がらなかった。試験の

時は、右足甲と親指をサポーターで固めて何とか乗り切ったのだが、痛みと腫れはようやく収まってきた。「こんなに

大変ならこのまま免許取得を諦めようかなぁ?」という悪魔のささやきもあったが、「せっかく始めたのだから最後まで

頑張れ!」という鼓舞もあった。よ~く考えてみて私が達した結論は次のことだった...

   『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず!!』

まず、ネットを利用して、同じ様な「一発試験」の経験者のブログを探してしっかり読んでみた。数人の方の経験記から

ヒント得て、以下のことが解った。①当試験コースは、毎週土曜日と祝日に、免許取得中の受験者に一定のキャリア

を持つ指導者同乗を条件に解放され、練習が可能なこと。②届け出教習所(公認でない自動車学校や教習所)の教官同乗に

よる運転教習が当コースで可能なこと。③届け出教習所では、失効・取消運転者に対しての教習コースを用意している

こと(6回12教程で約8万円位)など。④仮免試験では、縦列駐車と方向転換の課題はやらず、路上試験合格者が最後に

コースで実施すること。そうすると、S字・クランク・踏切・坂道発進に絞って集中すればいいことになる。➄受験者は、

技能試験(仮免・路上)前に、当試験開放コースで自主練習したり、プロの教官による教習を受けてから試験に臨んでいる

方の合格率は高いこと(それでも2~3回のチャレンジ当たり前のようだ)。参考のため、以下のブログ名を載せておき

ます(ここ1~2年に発表されたものです)。


『大陸人の夫と島国人の妻』:免許書き換えを忘れて失効した女性ドライバーの再取得受験記(府中)
http://ameblo.jp/negitoro1207/entrylist-1.html


『府中試験場 直接受験体験記』:ナ―ベラさん(取消になった男性ドライバー)の体験記
http://fkn-ippatsu.seesaa.net/category/23899760-1.html


『一発屋のための技能試験研究』:HAKUBAさん(男性)の大型一種等受験挑戦記(静岡県中部試験場)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hakuba/license/index.htm


8月8日(月)の8時30分に、府中試験場の開放コー受付に電話し、しばらく待って繋がったので予約を申し込んだ。お盆休暇

の最中だったせいか、13日と20日の予約が取れた(1通話1予約に限られる)。早速同乗指導員役のHIさんと連絡し、車持ち

込みと当日同乗をお願いした。開放コースは1日4時限で1時限定員25名、1日計100名まで練習できる、とのこと。もう一つ、

府中市試験場に近い公認自動車学校に連絡を取り、府中コースでの同乗教習ができるか確かめたら、どこも「そのよう

教習はしていません。」と冷たい返事だった。公認の学校は、生徒を集めてウン十時間の教習をする商売だから、確かに無理

かも?! では、ということで、届け出(非公認)の教習所に当たってみると、府中コースでの指導を専門にしている「サカイ・

ドライビング・スクール」(府中市)が見つかり、すぐ電話してみると、サカイさん(校長さん?)が対応してくれた。そして、

予約済の20日の2時限(11:15~12:15の1時間)に、教官が試験場までプリウスを持ち込んで来てくれることになった。

実際の試験車もプリウスで実施されることが多いのでこれは好都合だった。その都度払いコースの教習料:10,800円

(60分)をすぐ銀行振り込みした。コース使用料は別途2,200円(使用料+事故保険料)を受付時に試験場へ支払う。




教習の当日、おばちゃん教官のMKさんが用意してくれた府中試験4コースの中のAコース図、注意ポイントがピンクと黄色の
マーカーでしっかりと記され、運転の修正点・注意点を細かに指導してくれた。プロに頼んでほんとによかったと思った。


かくして、HIさんの車持ち込みと同乗指導で、試験と同じ府中コースをつぶさに回り(8/13)、仕上げにプロ教官の教習を同じ

コース受けた(8/20)事で、当面できる最大限の準備はできたように思った。特に、この府中コースを専門にしている教習所

の教官だけあって、指導は的確だった。

「左折時事前左寄せは、合図を出したら3秒間で①バックミラー・②サイドミラー・③左後方目視、その後でハンドルを切るように。

特に後方目視は、試験官の顔に自分の鼻先をしっかり向けること!」.....この辺り、安全確認と同時にハンドルを切っていたなぁ。

「交差点左折時も、合図を出したら3秒間で①・②・③の同じ安全確認をし、左サイドミラーと路端が交差したら一気にハンドルを

切る様に。左小回りはそれで上手く行きます。」.....そんなこと意識してハンドルを切っていなかったよぁ。

「右折時も、左折と同じように、合図出し、①・②・③で安全確認し3秒後にハンドルを切るように!」.....なるほど~!

その他にも、S字・クランクでのハンドルを切るタイミングや、坂道発進でのAT運転ではサイドブレーキやローギアチェンジは

必要ないこと、交差点や一時停止の白線では、ゆったりと50㎝~1m位の余裕で停止OKのこと.....昔私が習ったのは、

30㎝手前ピタリだった。等々.....


府中試験コースの特徴としては、外周道路と東西・南北に優先道路が配され、東西の優先道路2ヶ所に矢印信号と赤・黄点滅

信号がある。また、同じ幅の道路で信号のない交差点(左方優先)と、交差する優先道路を通過する信号のない交差点(徐行)

では走行の仕方も違うことを教えてもらった。その他、各所に交通法規に基づく信号や標識が配されているコースを走って色々

注意点の説明を受けた。1時間びっしりやったら、頭はしびれ足や腿が疲れたが、台風の影響で土砂降りの雨、コースの

カーブはプールの様な水たまり、路面の白線も見えないような大変な天気の中だったが、教習料は高いと思わなかった。


そして、3回目の仮免技能試験の当日(8月23日)、私は8人の普通AT受験者・Aコースで2番目に受験し、走行後、小柄で若い

眼鏡の試験官から、笑顔とともに、『合格です、おめでとうございます!』の託宣をもらった。『ああっ、ありがとうござい

ます!』と言いながら、『何か、減点個所はありましたか?』と訊ねると、『左後方目視の安全未確認が1か所だけあり

ました。99回OKでも、たった1か所の確認ミスで重大事故に繋がることもありますから、今後も万全な安全確認をして

下さい。』と言われた。その日の合格者は、普通AT3名とかなりいい成績だった。お昼近くまで待機して、仮免許証発行

を受け、本試験の説明を聞いてから帰途となった。結果を心配して試験場内で待っていてくれたHIさんと、合格の喜びを

分かち合うことが出来た。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず! 困難ではあったが貴重な体験だった。


私のマイカー遍歴 5代目:ISUZU ジェミニ・セダン DIESEL 1800(1989年中古) AT




オイルショックによる1980年代前半の石油価格高騰に懲りて、ラニング・コストの安いディーゼルカーを入手した。この
当時神奈川県湘南地区での仕事が多かった私は、事務所を移した八王子と取引先のある逗子との往復が多く、この車が日常の
足となった。良く走ってくれたがごく普通の車だったので、運転感覚はさておきでコスト優先だった。中古車の経たり(サス
ペンションの劣化)で乗り心地も悪くなり、結局3年乗って手放してしまった。車体色は2代目VWゴルフと同じライト・ブルー
塗り替えた。画像は中古車ディーラーのHPより。4drが見つからなかったので、2dr車を載せてある。


<この項つづく>