2011年9月25日日曜日

ザ・タペストリー・ライブの会場下見とPA機材の手当てに長野へ


 初秋の日差しの中咲き乱れるコスモスの花、善光寺の裏山・花岡平の墓地で All Photo by TAKA

我が高校の同期生バンド ザ・タペストリーのライブが11月19日(土)に近づき、会場のメルパルク長野(JR長野駅側)の下見と、当日のPA機材一式を借りるウインナー楽器との打ち合わせのため、バンド・ドラマーのQP村山とともに、長野へ出かけた。行きは別々の新幹線で長野に入り、会場で地元在の同期会幹事役員・MA、MD両君と現地合流した。

ちょうど、3連休の真ん中土曜日でしかも仏滅だったので、ホテルの会場は結婚式の予約がゼロということから下見が可能となったのだが、今日(9/25大安日)ならば、会場は披露宴に集った大勢の人たちで賑わっていることだろう。
朝早めに狛江を出発し、長野に10時過ぎには着いたので、そのまま善光寺までバス、善光寺前でタクシーを拾い裏山の高台にある墓地まで。長野の街並みと後ろの高原を一望する墓地からの眺めは、さらっとした秋の空気に包まれ強い日差しに照らされて素晴らしかった。緑の芝生と黒御影の墓石、飾り気は何もないが、開放的な墓地の雰囲気とそこからの眺望を私はとても気に入っている。そこに眠る両親と、幼くしてなくなった二人の姉(記憶はほとんどない)としばらく話をし、持参した掃除用具と汲んだ水で、墓石をきれいにした。私もあちら側に行くときは、この墓地に入れてもらおうと思っている。

さて、桜坂をバスで善光寺に下りてから本堂を参拝し、門前の八幡屋磯五郎のお店で例によって香辛料を買い求めた。今回は、手持ちの容器が古くなって絵柄が剥げてきているので、缶入り七味と、入れ替えの一味・粉山椒の小袋を各一手に入れた。このお店の品物は、香りもよく辛味もピリッとしているので日々愛用し、長野に来た時は必ずお土産にしている。駅に戻って駅前の小さな手打ち蕎麦の店で何時ものお昼をと思って訪れたところ、店はなく、集合のお店が沢山入った大きなビルに変わってしまっていた。ヤレヤレとがっかりしたが、他の店を探して蕎麦を食べてみた。腰のあるしっかりした歯ごたえの信州蕎麦の味で、意外と美味しかった。

卒業17回生が集う同期会幹事は今回1組が担当で(全部で9組もあった!)、幹事代表のMAくんとMDくんと久し振りの挨拶を交わし、QP村山と4名で会場の営業担当F氏、機材担当T氏に案内されて会場を見て廻った。その結果わかったことは、食事を提供する披露宴・同期会・講演会などで使用するホテル会場の常で、バンド演奏に必要な機材はほとんどないということだった。天井埋め込みのスピーカー・システムと、司会者が話すマイク、スタンドが使えるという程度で、これは予想していた範囲ではあったが、機材はほとんど当方がレンタルで用意しなくてはならないということだった。ただし、1Fの音楽ホールから譜面台とポール付きのマイクスタンドは借りられるとのこと。それと、会場の電気設備のシステムが、最大1,500Wまでの使用範囲であることだった。

テーブルの配置やステージの位置など会場の雰囲気を見て廻ってから、機材搬入時の経路・エレベーターの位置・1階搬入口の配置と台車2台確保を確認して、担当2氏とは当日の協力を依頼し
挨拶して別れた。そのまま、MDくんのシックな外車に同乗し彼の運転でウインナー(以下、WINと表示)楽器に向かった。都会に較べたら小さな街並みではあるが、足のないことには市内は動き回れない。MDくんにはとてもお世話になった。

WIN楽器のKZ氏とは、当方希望の機材配置図(TAKA作成)を基にメールでの打ち合わせを事前にしていたので、スムーズな流れで確認できた。一番のポイントは、会場の電気設備容量1,500W以内という条件なので、機材の組み合わせを幾つか検討しながら選択した。それともうひとつ、当日のオペレーターを誰にやってもらうかだが、KZ氏自らが機材設定と併せてやってもらえるということでこれも解決した。その結果以下の機材を決めて、予約が出来た。

大型スピカー       :EV 2本
モニタースピーカー   :JBL 2本
モニター用パワーアンプ :1台
ベースアンプ        :YAMAHA 1台
パワードミキサー     :YAMAHA 1台(ミキサーとパワーアンプが一体のタイプ)
グラフィックイコライザー :1台
ドラムセット           :1式+ペダル・マット
ヴォーカルマイク        :4本(他2本とマイクスタンドはメルパルクから)
電源コードと接続シールド:一式

クラシックGt 用のアンプは手頃のものがなく、これは私のアンプ(Compact 60)を東京から持参することとなった。QP村山は、車に積み込んであったドラムセットを見て程度がよいので安心し、また、フットペタルを数種の中から選び、マットも付けてもらえるというので喜んでいた。KZ氏には、今回は役員MAくんの紹介であり、我が高校もよく知っており商売付き合いもあるということから、費用の点でも大分サービスしていただき、大いに助かった。

打ち合わせを早めに済ませることが出来たので、駅前まで戻りいったん解散した。私とQP村山は、当日のリハのため、駅近くの島村楽器のスタジオを見て予約した後、しばらく喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談して過ごした。クラシックのピアノ曲がBGMで流れている不思議な雰囲気のお店だった。白いグランドピアノがあり、ビロード張りの豪華で真っ赤な椅子、アンティークの陶器や壁飾りを配した内装で、豪華な控えの間があるトイレにびっくりした。

夕刻から、駅前のビル9階にある゛あぶらや゛という和風料理屋で、同期会の幹事会に同席した。役員のMAくんMDくん、世話役で同じ9組だったSAくん、他幹事(QP村山も)・ゲストの私を入れて全部で13名。ビールやお酒で乾杯しながら、賑やかな会合が始まった。運営上の幾つかの検討事項を話しながら、それぞれの近況や今度のライブの話題も加わって、楽しい時間が続いた。幹事のTMくんが、会場のPAを手伝ってくれることになったのも心強かった。聞けば、地元の放送局でPAオペレーターの仕事をしていたとの事、頼りになります。皆さんから、当日のライブ演奏に対する期待の声が随分と出たので、こちらもいい歌と演奏を披露できるように頑張る、と挨拶し、当日への備えを充分にしようと改めて肝に銘じた。

最終の一つ前の新幹線で東京に戻ることを決めていたので、段々盛り上がってきた皆に挨拶し、お世話になった役員のMA・MD両君にも御礼をし、QP村山ととも一足先に会場を後にした。
帰りの社内では、缶チューハイを飲みながらまた、彼と色々話した。やはり、お互い音楽とともに過ごす時間が多いせいか、話題は専ら音楽のことだったが、とても楽しかった。つい最近まで6年間活動を共にしていた「クーペ and Shiho」の解散に至った経緯やら、「おじさんバンド」の弾けるような楽しいライブのことやら、メンバーのOKさんが新しく開くライブハウスのことやら、彼の話はとても面白かった。

私も、つい最近のアドナインスでのライブと、PAを巡る苦労と確執やら、次にやりたい曲(マイケル・フランクスの「Antonio's Song」など)やら、話は尽きず、乗り換えの大宮にあっという間に着いてしまった。
「やはり、現地でちゃんと確認できてよかったね!」と、今日の打ち合わせの成果を確認しつつも、心は早、当日如何に皆をリラックスさせ大いに楽しませるかに思いが及び、残されたリハの機会に表現をもっとブラッシュ・アップすることを言い合って、新宿で彼と別れ互いの家路に着いた。

2011年9月21日水曜日

佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」・新作を読む(その2)

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文庫シリーズ本のタイトル一覧表(佐伯泰英ウェブサイトより)

さて、「酔いどれ小藤次」だが、16巻+読本を今夏の猛暑の日々に読み通した。今は最後の読本の一部を残すだけとなったが、この旧主への忠義と思い人への思慕を心の支えとする五十男の物語はメチャ面白いと再認識した。これだけ読者をワクワクさせてくれる小説も珍しいのではないかと思う。異形の主人公・赤目小藤次は五尺一寸(153cm)の矮躯、大頭、禿げ上がった額、大目玉、団子鼻、大耳のいわゆる醜男、本人も自分を゛もくず蟹顔゛と称している。しかも、柳橋の万八楼で開かれた大酒の催しで、一斗五升を飲み干し二位になったほどの大酒飲みで酒には目がない。ただし、初老(御鑓拝借当時49才ー現代では団塊エイジか?)の爺様侍ながら、父伊蔵に仕込まれた先祖伝来の来島水軍流の達人で、剣にはめっぽう強い。小藤次を巡って登場する人物達は多士多彩だが、幻冬舎時代小説文庫の『酔いどれ小藤次留書公式サイト』に登場人物略図が載っているので、それに添って魅力のポイントを挙げてみたい。
http://www.gentosha.co.jp/kotouji/about.html



まず、豊後森藩主・来島道嘉が江戸城内にて他の四藩主(讃岐丸亀藩・京極長門守高朗、播州赤穂藩・森忠敬、豊後臼杵藩・稲葉擁道、肥前小城藩・鍋島直尭)から、「城なし大名」との辱めを受けたことに端を発し、これを知った小藤次は主君の仇を討つことを決意し、脱藩して参勤交代の途につく四藩の行列を次々に襲い、行列シンボルの御鑓を切り落として奪い取る。これが゛御鑓拝借事件゛〔冒頭の文庫①〕、なかなか痛快だ。事件はいったん収束を見るが、御鑓を切り落とされたことを根に持つ四藩の復讐者たちが、次々と刺客を小藤次に放つ〔文庫②〕。この戦いを来島水軍流の剣技(正剣10手脇剣7手)を駆使して次々と退ける、この剣戟は手に汗握るものだ。

この、行列を窺う最中、箱根の山中で山賊に襲われようとした芝口の紙問屋・久慈屋昌右衛門一行を小藤次が助けたことから〔文庫①〕、久慈屋の人々との交流が始まり、後に久慈屋家作の新兵衛長屋に小藤次が暮らすことになる。父伊蔵に仕込まれた刀研ぎを生業にして、久慈屋の一角に作業場を作って店の様々な刃物を研ぐこともしばしば。また、昌右衛門と大番頭の観右衛門を助けて、旗本への貸し金回収の用心棒役や、西の内和紙の生産地に紙仕入れに行く道中を警護したり、番頭や使用人の面倒を見て後見人を務めるうち、両者の信頼関係が深まっていく様は、武士と商人の垣根を越えてとても微笑ましい。

新兵衛長屋の差配(大家)・新兵衛は認知症が段々ひどくなり、娘のお麻は飾り職人の夫圭三郎と孫のお夕(お麻の娘)とともに、他の長屋から移り住んで新兵衛と同居して面倒をみることになる。この辺りも要介護の爺様・ばあ様が急速に増える現代の世相を濃く反映していると思う。後に、赤穂藩が放った刺客・須藤平八郎を小藤次が倒し、武士の約定で一子駿太郎を自分の子として育てることになるのだが〔文庫⑦〕、駿太郎のお乳やりや急な外出の際、お麻とお夕に面倒を見てもらうようになる。長屋の隣住まいの勝五郎は、読売屋(現代の新聞屋)の版木を彫るのが仕事、版元の空蔵(腕利きの文章家で゛ほら蔵゛の異名を持つ)とともに、小藤次の解決する事件を追いかけ次々と読売を売りまくる。この長屋の住人達とは、夜食のおかずを融通しあったり、朝風呂を一緒に浴びたり、酒が手に入れば皆で集まって酒飲みしたり、相身互いの助け合いで貧しくとも元気に暮らす゛長屋住まい゛が続く。

小藤次の日々の暮らしを支えるのは研ぎ仕事だ。父伊蔵に仕込まれた刀研ぎの腕は秀逸で、紙問屋久慈屋の多種な刃物、足袋問屋京屋喜平の細々とした刃物だけでなく、大川を渡った深川界隈の料理屋(歌仙楼の女将おさき)・蕎麦屋(竹薮蕎麦の亭主美造)・畳屋(浅草寺御用達畳職・備前屋梅五郎)・魚問屋(魚源の主人永次)・曲げ物屋(万作と倅太郎吉)などの専門刃物、そして長屋のおかみさんたちのなまくら包丁まで、あらゆる刃物を研いで廻るのだ。豊後森藩下屋敷当時に習い覚えた゛竹細工゛の腕も半端でなく、その細工を生かして竹とんぼや独楽を作って、研仕事の挨拶に無料で提供するなど、無欲で誠実な仕事ぶりが評判を呼びお客が増えていく様は目を見張るものがある。この辺りは、日銭は少なくとも日々の職人仕事を手抜きせずにしっかりとこなし、職人同志がお互いの技量を磨きながら助け合っていくという、作者の職人好き(憧憬)が顕著に出ていて心温かくなる。

作者によると、小藤次は言わば企業成績の冴えない小規模会社をリストラされて世の中に放り出されたサラリーマン、家族なく住む家なく蓄えもない、ないない尽くしで風采のあがらない初老の独身男みたいなものだ。でも日々生きていかなくてはならない。手に覚えのある研ぎと竹細工で、一生懸命周囲の人たちのお役に立ち、彼等が理不尽な苦境におちいっているのに遭遇すると、腕に覚えの来島水軍流の剣捌きで助けたり、また、彼等から日々助けてもらいながら供に生きる姿が読者を惹き付けるのだと思う。特に、リストラされたり定年退職した多くの゛団塊の世代゛にとっては、身近で切実な課題だと思う。

しかしながら、その様な困難なまた気苦労な毎日を、小藤次は何故か楽しむように活き活きと暮らしている。そこには、旧主来島道嘉への忠誠という精神的な支柱があって、なにか事起きた時は生涯一君主のために命を懸けるという強固な意志が息づいている。この矜持とともに、小藤次が唯一思慕を寄せる女性「おりょう」は、彼女が16才のときにすれ違った小藤次が一目ぼれした女性であり、旗本水野監物家の奥女中でもある。おりょうの難儀を再三救い、彼女に「おりょう様は小藤次にとって、生涯たったひとりの女性」と告白したことから、おりょうと小藤次は互いに心寄せる仲になっていくのだが、この複線のストーリーがなかなか良い。おりょうは、鎌倉での歌会を期に、御歌学者の父・北村舜藍の後を次いで歌人としての道を進もうとするのだが、その拠点となる郊外のお屋敷「望外山荘」を小藤次のバックアップで入手し、新春歌会〔文庫⑮〕を成功させる。小藤次と一子駿太郎、そしておりょうの三人の物語は、これからどう展開していくかとても楽しみだ。

小藤次の腕を頼みに、難事件を次々と解決する南町奉行所の定廻り同心・近藤清兵衛と難波橋の秀治親分、小藤次の商売の師匠で深川蛤河岸に野菜舟をつけて平井村の野菜を売る若い女性うづ、小藤次を庇護する老中・青山下野守忠保と美人密偵のおしん、眼千両と謳われた当代一の立女形・五代目岩井半四郎...などなど、レギュラーの登場人物はまだまだ居るけれども、これらの人々と小藤次の織りなす物語が、これからも続くように、作者の健筆を願うばかりである。

単行本→文庫本→全集、という従来の出版界の刊行サイクルとは違い、゛文庫本書下ろし゛というユニークな出版形式をとりながら、大ベストセラー作家になった佐伯泰英だが、今後も電子出版や携帯小説など新しい波が出版界を覆って行くと思う。しかし、「自分の小説を読む読者は、仕事に追われ疲れながらも、移動の電車内の中でひと時気分転換に読むような方が大半だと思う。読者が読み終わってちょっと気分がすっきりするような、そんなエンターテイメントが提供できたらと思って書き続けている」という趣旨のことを彼がコラムで書いていたのを覚えている。そんな職人作家の今後の新作に期待したいと思っている。

2011年9月20日火曜日

佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」・新作を読む(その1)

酔いどれ小藤次」の最新作『旧主再会』と作品ガイドブックや作者インタビューが載った『青雲編』(文庫表紙)
私の時代小説好きについては、このブログでも前に触れたが(08/10/12「居眠り磐音江戸双紙」)、司馬遼太郎→池波正太郎→藤沢周平、そして佐伯泰英と繫がっている。この初夏からは、池波正太郎の『剣客商売』16巻を全部読み直してみた。手元になかった番外編『黒白(こくびゃく)』と『ないしょ ないしょ』も手に入れて、仕事の合間や寝る前に読むのは、至福のひと時だった。もう、読み返すのは4度目になるが、何度読んでも面白い。登場人物が引き起こす物語の展開、戦いの殺陣が繰り出す剣技の凄さ、日本橋や深川など古江戸の街々の佇まい、花や風、雨や日差しがもたらす季節の移ろい、旬の食べ物や酒を楽しむ食卓の風景...等々。池波正太郎の筆運びは、劇場の芝居を見ている様で、幕間ごとに簡潔でありリズム感がある。それが読んだ後の充足感をもたらしてくれるのだ。エンターテイメントを与えてくれる名小説家たる所以だと思う。
たまたま寄った書店で、佐伯泰英の『酔いどれ小藤次留書』の新作「旧主再会」を見つけた。これを期に調べてみたら、私の持っているシリーズ文庫12巻の他に5巻の新作があり、なんと全17巻になっているではないか! 12巻以降の新作を読みたいと思っていたので小躍りした。ネットで調べてみて後で解ったことなのだが、作者は一時体調を崩し、前立腺ガンの手術までしたという。幸い体調が戻ったので、ここ2年程は、しばらく中断していた作家活動を再開し、手がけてきたシリーズの新作を治療をしながら徐々に書いているという。
しかしであ~る。人気のシリーズ作品といえども7出版社で8シリーズもあるのだ! ちなみに挙げてみると、

①居眠り磐音江戸双紙全37巻と読本<ガイドブック> (双葉文庫)

②鎌倉河岸捕り物控全18巻と読本<ガイドブック>・副読本 (ハルキ文庫)

③交代寄合伊那衆異聞全15巻 (講談社文庫)

④古着屋総兵衛影始末11巻と新古着屋総兵衛2巻 (新潮文庫)

⑤夏目影二郎始末旅全14巻と読本<ガイドブック> (光文社文庫)

⑥密命25巻と読本<ガイドブック> (祥伝社文庫)

⑦酔いどれ小藤次留書全16巻と青雲編読本<ガイドブック> (幻冬舎時代小説文庫)

⑧吉原裏同心14巻 (光文社文庫)
者はすでに、文庫本書下ろしのスタイルで150冊を越える新作を刊行している。月に1冊の分量ぺースで原稿を書き、熱海に仕事場を構えて朝4時から書き始め、途中老愛犬の散歩と食事を挟んで、午後3時頃まで仕事する毎日だという。実際、幻冬舎の『酔いどれ小藤次留書』も出版の日取りを見ると、平成16年2月に1巻目の「御鑓拝借」が刊行されて以来、年に2作のペースで8年間に16冊の新作が書店の店頭に並んだことになる(平成22年8月のみ、青雲編読本を加えた2冊を刊行)。その間、他社のシリーズ作品も刊行されているわけだから、これは相当の仕事量だし、書き分けることも作者にとっては大変なことだ。
私自身は、『密命』の25巻を除いて、他の7シリーズ作品は全部読んでいる。ただし、最近の新刊はまだ読んでないものはあるが、どのシリーズも時代が江戸であることが同じだけで、主人公のキャラクターも剣捌きや武器も、仕事の生業や取り巻く環境も違っていてとても面白い。作者は再びシリーズの新作に取り組み始めたのを期に、「佐伯通信」という小さな折込を新刊書に投げ込みで入れている。これは、前述の7出版社持ち回り編集のミニ新聞で、作者と編集者サイドからの読者に対する情報発信の性格があり、なかなか面白い記事だ。新刊書の案内を兼ねたこのミニ新聞と併せて、「職人作家の独りごと」というコラムが、新しく開設したウェブサイトに載っている。作者の肉声が聞えるようで興味深い。関心のある方は覗いてみていただきたい。文庫本に投げ込みのミニ新聞(左)
佐伯泰英事務所公式ホームページ