2019年3月28日木曜日

ザギトワとメドベージェワに、五輪メダリストの意地を見たー2019F.スケート世界選手権より(その2.)




今大会の女子シングル表彰台は、アリーナ・ザギトワ(金.ロ16歳)、エリザベータ・トゥルシンバエワ(銀.Kz19歳)、
エフゲニア・メドぺージェワ(銅.ロ19歳)の3人だった。平昌オリンピックの金・銀メダリストは実力を発揮し、女子
選手としてシニア競技で4S(サルコウ)を初めて成功させたE.トゥルシンバエワが、2人のメダリストの間に割って
入る形となった。画像はISUのHPより。



昨年2月の平昌オリンピックで優勝した後のA.ザギトワの不調は、2018世界選手権でも表彰台を逃し、今季(2018~2019)

のGPS(グランプリシリーズ戦)でもジャンプが安定せずに精彩を欠いてきた。GPファイナル戦では紀平梨花(日16歳)

の後塵を拝し、欧州選手権ではソフィア・サモデュロワ(ロ16歳)にトップを譲り、国内(ロシア)選手権に至ってはジュ

ニア勢3人(A.シェルパコワ・A.トルソワ・A.コストロナイヤ)に表彰台を独占され、メダルを逃した。オリンピック後の

色々な取材や行事に時間を取られて、練習に専念できなかった、とか、身長が伸び体重が増えて少女から女性の体格

に変わり、ジャンプが以前の様に跳べなくなった、とか言われ、競争が激しく選手寿命が短いロシア女子選手に在り

がちな「もう、ザギトワの時代は終わりだ!」などと伝えるマスコミもあった。

しかし、今回の世界選手権試合では、ザギトワの演技は完ぺきだった。テーマ曲:オペラ座の怪人に乗って滑走しSP

では、3Lz(ルッツ)+3Lo(ループ)という最高難度のCo(コンビネーション)を成功させ、他の2ジャンプも完璧だった。

カルメンのテーマ曲に赤と黒のコスチュームで登場したFS(フリースタイル)では、7本のジャンプを全て完璧に跳び、

他の演技もすべてノーミスだった。2本ともジャンプ・ステップ・スピンのGOE(出来栄え点)も高く、PC(プログラム・

コンポーネンツ)の評価もすべて9点台という驚異的な高得点だった。まさにオリンピック金メダリストの実力を見せ

付けるかのように、身体の切れが研ぎ澄まされたように良く、SP+FSの合計得点は237.50という今季最高得点で有終

の美を飾ったのだ。まだまだ私の時代よ! という意地と気迫が溢れていた。



SPでのザギトワの演技。不振を乗り越え、周りのマスコミらの雑音にもめげず、再び表彰台の頂点に立った彼女の
強烈な精神力には脱帽だ。追い上げて来るジュニア勢も来シーズンからシニア戦に参戦してくる。エリザベータ・
トゥクタミシェワ(2015世界選手権優勝・今季GPファイナル3位)のように、20代になっても活躍できる選手になって
ほしいものだ。




E.トゥルシンバエワは今季、長年指導を受けたカナダのB.オーサーコーチの元を離れ、ジュニア時代に指導を受け
たロシアのE.トゥトベリーゼコーチに戻った。この世界選手権で4回転ジャンプ(4S)を決め、銀メダル獲得に至った
のは、2Aを除く全てのジャンプをノーミスで決めたことが大きい。



ザギトワもメドベージェワも、ともにロシアのコーチ エテリ・トゥトベリーゼの指導を受けてトップ選手になった。

彼女の元には、ロシアの有力選手がノービス・ジュニアの時代から集結し、トップ選手を輩出させていることは良く

知られている。また、カナダのB.オーサーコーチの元にも世界の有力選手が集まり(羽生結弦・J.ブラウン・メドベー

ジェワ他、過去にはJ.フェルナンデス・キムヨナ等も)、しのぎを削っていることも周知のことだ。今大会では、コーチ

に関していえば、ザギトワが現トゥトベリーゼ、トゥルシェンバエワが元オーサー・現トゥトベリーゼ、メドベー

ジェワが元トゥトベリーゼ・現オーサーと、何だかまだら模様のように選手とコーチが交錯している図も興味深いこと

だ。選手の技術と演技が高度化し、より質の高いまた精度の高いパーフォマンスを実現するには、優秀なコーチ体制

の存在が不可欠になっているのだと思う。その意味では選手同士の対決は、そのままコーチ陣同士の対決の構図となっ

ている言えよう。フィギュアスケートの面白さは、そこに振付師や衣装デザイナーも加わって、氷上の総合芸術の様相

を呈していることにある、とも言える。




コーチを変えてから具体的な成果が出るまでは1年半はかかる、と言われているが、E.メドベージェワの今季GPS
はジャンプが不安定で、ファイナル戦の6人にも残れなかった。しかし、ロシア国内最終戦を勝ち上がって今大会
出場を果たし、FSの2Aを除く全てのジャンプをクリアに決めて、オリンピック・メダリスト復活を強く印象付けた。



さて、期待された日本女子3選手だったが、残念ながら3人とも表彰台に上れなかった。3A(アクセル)の大技を持つ

紀平梨花(16歳)は、その大技をSP・FSを通じて1度しか決められなかった。一発逆転の大技は、決まれば高得点を

得られるが、失敗すれば大きなダメージを受ける諸刃の技だ。女子シングルもすでに4回転時代に入っているから、

如何に高度な技を安定的に表現できるかが、今後の大きな課題だろう。この点では、男子シングルのトップ選手たち

のジャンプ成功率が良い指標となっている。各国際大会でいい成績を残しても、真の勇者を決める世界選手権を制す

るには、まだまだ経験を積む必要が紀平には課されている。

坂本花織(18歳)も、FSでの3F(フリップ)の失敗が命とりだった。宮原知子(20歳)も、SP・FSでともにジャンプのミ

スを重ねた。現状の技でもより正確で質の高いジャンプを習得するとともに、今以上に高度なジャンプ(各種の4回転

と3Aなど)の習得も課題となるだろう。ただし、4回転ジャンプを飛ばずとも、3回転とCo(コンビネーション)を徹

的に磨き上げ、ステップやスピンを加えた演技の質(芸術性)を上げていく、という方向もあるのは事実だ。どちらを

目指すのかは選手本人とコーチの考え方次第だが。いやはや、女子シングルも大変な時代に入りつつあるのだ。




日本の3人娘は、残念ながら表彰台を逃した。今後の一層の奮起を期待したい。紀平梨花は4位・坂本花織は5位・
宮原知子は6位だった。強豪ぞろいのロシア勢に勝利するためには、もっと強力なコーチ体制が必要となるだろう。



2019年3月26日火曜日

ネイサン・チェンこそが絶対王者だったー2019Fフィギュアスケート世界選手権より(その1.)




今年のF.スケート世界選手権男子シングル表彰台は、ネイサン・チェン(金.米19歳)、羽生結弦(銀.日24歳)、ヴィン
セント・ゾウ(銅.米18歳)の3人だった。GPS(グランプリシリーズ)で2勝し(アメリカ杯・フランス杯)、全米選手権を
制して好調を維持してきたN.チェンの今選手権成績結果は、SP:107.40+FS:216.02 計323.42という驚異的なレコ
だった。これには、゛絶対王者゛と言われて来た羽生結弦も敵わなかった。画像はISUのHPより。



男子シングルの試合予想では、羽生結弦・N.チェン・宇野昌磨3者の゛三つ巴戦゛に、金博洋(中21歳)・ミハイルコリ

ヤダ(ロ24歳)・ジェイソンブラウン(米24歳)等がどう割って入って来るかと私は思っていたが、終わってみれば、N.

チェンの圧勝だった。今年初めの全米選手権を合計点342.22という信じがたい成績(国際大会でないので未承認)で優勝

し、学業優先のため(エール大学在中)四大陸選手権を回避してこの大会に出場してきた彼の成績(全米~)は、国内大会

にありがちな甘いジャッヂかとも思われた。しかし、今大会のSP(ショートプログラム)・FS(フリースタイル)での彼

の演技は、全米選手権のプログラムとほとんど同じで、「Land of ALL」のゆったりとしたテーマ曲に乗ってジャンプ・

ステップ・スピンのすべての演技で、ノーミスだった。特に4本組み込んだ4回転ジャンプは、跳び上がり・空中姿勢・

着地ともにすべてほぼ完ぺきだった。冒頭の4Lz(ルッツ)はGOE(出来栄え点)で満点近い4.76、4T(トゥループ)が3.37、

4T+3TのCo(コンビネーション)が3.37という高評価は、単なる゛4回転ジャンパー゛と見られていた彼が、新評価基準

(一つ一つの演技の正確性・芸術性を重視する)に則って、ジャンプの質と正確性を徹底的に磨き上げてきた結果だった

と思う。



平昌オリンピックの不調(5位)を除けば、ここ2シーズン負けなしの彼は、F.スケート選手としても全盛期を迎えている
ように見える。パトリック・チャンがそうだったように、ハビエル・フェルナンデスがそうであったように、恐らく
ここ2~3シーズンは彼の天下が続きそうだ。羽生結弦が称されたような゛絶対゛王者ということは永遠には続か
ないのが世の習い。必ず、その存在を脅かす次の王者が生まれて来るのだ



昨年のGPS戦での右足首故障から今大会への出場まで、約4ケ月間のブランクがあったわけだが、SPのジャンプ失敗

(4S.サルコウ)を除けば、羽生の演技もほぼ完ぺきだった。成績合計点300.97の300点越えは、一瞬とは言え彼の優勝

を確信した方も多かったと思う。特にFSの演技は、まさに゛魂を貫く゛演技だったと、観客誰もが感動し歓喜した

と思う。強い王者が帰ってきた! という歓声が、会場のさいたまスーパーアリーナを覆った。

オリンピック2連覇・世界選手権2回優勝・GPファイナル戦4回優勝の羽生結弦にとって、主要タイトルはすべて獲得

してしまった。最近の彼のコメントでも、「ライバルは自分自身だ」、あるいは「越えるべき対象は自分」と表現

してきた。マスコミは彼を゛絶対王者゛と称してきたが、タイトルを得た代償として彼は何度も身体の故障を経験し

てきている。さほどにこのフィギュアスケートという競技は、身体への負担が大きいのだ。そうして自らの故障と

闘っているうちに、ライバルはすぐ足元にまで迫って来ていた。会場に包まれる興奮の余韻の中で登場したN.チェン

は、冷静に演技に入り終始落ち着いていた。全ての演技をノーミスで決めた後の得点結果は、今シーズンのレコードと

なる高得点で、20点以上の差であっさりと羽生を引き離した。今後羽生は、N.チェンをライバルとして凌ぎあってい

くのか? それが実現すれば、過去アレクセイ・ヤグディンとエフゲニー・プルシェンコのように、また、羽生結弦と

H.フェルナンデスのように、良きライバルとして一時代を築ける可能性は大だ。ただ、蓄積された疲労と身体故障を

今後どう乗り越えていけるのかも、彼にとっての大きな課題だと言えよう。




来シーズンは、完全に休養するか、または試合数を絞って調整しながら出場するか、競技生活を続けるならば思い
切った方法を取るのも選択肢だと思うが...羽生結弦よ、さあどうするのか?




゛4回転ジャンパー゛と言われて来たⅤ.ゾウも、ジャンプの精度と質を磨いて表彰台に上った。FS冒頭のジャンプは
最高難度の4Lz+3TのCo、GOE3.94の評価は素晴らしかった。4SもGOE3.19と成功、今後の課題はPC(プログラム
・コンポ―ネント)の8点台を上げていくことだろう。現在18歳の彼には、まだまだ伸び代がある。



さて、期待された宇野昌磨だったが、FSで2本の4回転ジャンプ失敗(4Sと4Fフリップ)で4位に終わった。強豪2者(羽生

とチェン)と同じ土俵で、如何に戦って勝てるか? 今大会はその試金石だったが、技術面・メンタル面ともにもう一皮

むけて、真の挑戦者とならねば世界選手権での優勝は叶わないだろう。また、SPで課題の3A(アクセル)を決めて2位に

立ったジェイソン・ブラウン(米24歳)も、FSでは4Sと3Aの失敗により9位に終わった。B.オーサーコーチの元で、如何

にジャンプに磨きをかけるかが今後の課題だろう。彼の芸術的なスケーティングを高く評価する方は多いが(かく言う

私もそう)、彼の進化にこれからも注目したいと思う。金博洋とM.コリヤダも、FSでは元気な滑りを見せてくれたので、

なかなか良かった。しかし終わってみれば、M.コリヤダ(ロシア)を除いて、日本を含むアジア勢とアジア系の選手が、表

彰台と入賞を占めた。この競技は、体格のスリムなアジア系選手に向いているのかもしれない。とにかく、トップ2の

凌ぎあいとそれに続く各選手の演技に迫力があり、とても高レベルで内容の濃い世界選手権だった。それらを大いに

楽しめたのは、F.スケートファン冥利に尽きる。


2019年3月21日木曜日

早春の西伊豆で、磯料理と富士山の眺めを満喫




2日目の朝は雲一つない快晴だった。入り江の松崎港からは、駿河湾を挟んで対岸に冠雪した南アルプスの山々が
臨めた。碧い海と青い空が抜けるように鮮やかだった。絶景! All Photo by Jovial TAKA



昨年の春旅で訪れた西伊豆松崎港の宿と食事がとても良かったので、ようやく春らしくなった好天日を選んで、再び

この地にやって来た。連れの前回の印象も良かったのだが、昼食の地魚丼と宿の夕食のボリュウムが半端でなく、食

べ切れなかったばかりかお腹を壊したりした。かく言う私も食べ過ぎで消化不良をおこした。この切実な反省に基づ

いて(!?)、今回は往きの昼食を軽くし、夜の食事に備えた。おかげさまで、駿河湾の幸を満喫することが出来た。





松崎から北上し土肥に向かうルート136号の途中にある「恋人岬」からの、冠雪した富士山の眺望。紺碧の駿河湾
快晴の青空にそびえ立つ富士山は、早春のみ残雪の白を残した姿が拝められる。やっぱり美しいの一語に尽きるなぁ!
こんな好条件で富士山を撮れることはめったにないのだ!!



「ラブコールベル」と呼ばれる青銅の鐘(画面右手にある)を3度鳴らし愛する人の名を呼ぶと愛が成就するとか
(澄んだいい音が鳴り響きます)。それはともかく、この展望台からの眺めは素晴らしい! 坂を上ったり下りたりの
遊歩道を、老若男女が結構途切れずにやってくる。駐車場も広いので便利。



気ままなドライブ旅なので、交通状況を見ながらルートを選び、往きは東名高速→小田原厚木道路→ルート135号

(海岸線)で熱海を抜け、網代の手前でルート80号で山伏峠越え。修善寺からルート136号で船原峠を越え、土肥→

堂ヶ島→松崎という伊豆の山越えコースだった。5時間程を交代しながらの運転で夕方には現地に到着した。松崎町

は、昭和の趣きを色濃く残す「なまこ壁」の街並みと、鏝絵(こてえ)で有名な「長八美術館」がある以外は、今も

ひなびた漁師町なのだが、「豊崎ホテル」(この名前も昭和の匂いプンプン)と、食事処の「民芸茶房」は、年配の

方達が元気に働くとても気持ちの良い宿なので、時折訪れたみたくなる。また、宿近くの「さつまあげ端山(はやま)」

は、手作りさつまあげを早朝から作っていて、開店も朝7時半という、お土産ゲットにはとても好都合なお店だ。も

ちろん、味はさっぱりとして歯ごたえの良い美味しいさつま揚げだ。




夜の食事は「旬のおまかせコース」、赤座海老(駿河湾でしか取れない中ぶり海老)にはイチゴとわさび葉そえ、サザエ
のつぼ焼き・地魚のお造り(アジ・金目鯛・甘エビ・マグロ・鰆・ブリ等、刻みわさびが効いている)、サワラ焼・イカの
塩辛・茶わん蒸し、これに旬彩の天ぷら、松崎米ごはん、お吸い物が加わる(画面にはなし、後から登場)。日本酒を
ぬる燗で飲みながら、満足満腹の食事だった




「漁師町の朝ごはん」と謳った朝食も品数・量もたっぷり。出汁巻き卵・アジの干物(小振りで美味しい!)・ところてん
・ごま豆腐にホウレン草の浸し・野菜サラダに香の物、岩海苔・刻みわさび・細昆布の小皿、ご飯とワカメのお味
噌汁。画像は宿のHPより。この宿の磯料理には、「アワビ付きコース」とか「伊勢エビ付きコース」などの豪華料理
もあるが、とても食べ切れないので「旬のおまかせ~」で充分だった。




源泉かけ流しの展望風呂と露天風呂は終日入浴可、さらっとした泉質で身体がよく温まる。温泉好きの私は、今回も
夕方・夜・翌朝3回のお風呂を楽しんだ。眼の前には入り江に続く松崎港が眺められる。湯船に足を伸ばせば、
♪ いい湯だな~ いい湯だな~ ♪ と思わず口ずさんだ。



温泉にゆっくり浸かり、駿河湾の磯料理と地元米や野菜をたっぷり食べられたので、目的は十二分に達せられた。

帰路は、単調な半島東の海岸道路を避けて、普段なかなか通らないコースでと思い、ルート136号を北上し松崎→

土肥(とひ)→戸田(へた)に抜けた。この途中何時も素通りする恋人岬に寄ってみた。「恋人岬なんてね~」(ちょっと

バカにした感じで)と言っていたのだが、ここは素晴らしかった。特にここからの駿河湾と富士山の眺めは超一級で、

前掲の画像を見て頂けるとお分かりだろう。このスポットを大いに見直しました!

戸田からはルート18号で戸田峠を越えて修善寺まで、そこからルート414号を大仁まで行き、ルート19号を東上し

亀石峠で伊豆スカイラインに合流、伊豆の山頂道路を北上しルート20号→箱根新道→小田原厚木道路→東名高速と

峠越えが続く伊豆半島巡り旅を、交代で運転しながらのドライブだった。途中北方向に見え隠れする富士山の雄姿

は、春先の快晴時ならではの爽快で見事なものだった。



お土産は何時もの「端山のさつまあげ」、ちょっと焙ってから、小田厚の大磯SAでのお土産「田丸屋の吟印わさび漬け」
と醤油を少々垂らして食すると、旨さこの上もなし。


2019年3月16日土曜日

池波正太郎『真田太平記』を、全編通して読み返した(その2)




朝日新聞社版『真田太平記』全16巻(昭和49年刊) 装画風間完、表紙画像は第15巻「落城」より。鬼神のごとく
奮戦し徳川家康本陣を襲い、討ち死にした真田信繁(幸村)の雄姿を描いている。二度の上田合戦と、冬・夏の陣にて、
徳川軍を退け窮地に追い込んだ真田勢とりわけ幸村の戦いぶりは、「日の本一の武将」の名声を後世に残した。



池波正太郎と信州上田を中心とする歴史家・郷土史家との交流により、長編歴史小説『真田太平記』が誕生したこと

を記念して、池波氏死後の平成10年に「池波正太郎真田太平記館」が上田城址近くの市内一角に建設された。私は

開館から少し経った平成12年にここを訪れ、池波正太郎の書斎を再現したゆかりの品々や、真田氏関連の歴史資料

を見たことがあったが、ギャラリーで見た風間完の挿画に興味を魅かれ、歴史資料はさっと見ただけだった。その

後で、上田電鉄別所線に乗って別所温泉に行き、「幸村ゆかりの湯」と称される共同浴場に入って旅気分を味わった

のを思い出した。

『真田太平記』は、池波氏の真田関連著作の集大成であり、これに先んじて『真田騒動』(恩田木工の藩財政立て直し

物語)や『騒乱』(晩年の藩主真田信之と藩取り潰しを計る幕府の暗闘を描く)など、多くの゛真田もの゛を執筆出版

していたことは、多数の方の知るところだ。今回、改めてこの館のHPを訪ねてみると、随分と資料が充実している

のが解った。とりわけ「真田ロマン」のコーナーには「真田氏資料集」が古文書や書簡・地図などの多岐にわたって

揃っており、武田氏滅亡・信長・秀吉・家康の天下取りに翻弄されながらも、信州小県の領国を守り、必死に生き

びようとした真田一族の悪戦苦闘の歴史と、江戸時代に松代に移封され明治まで生き永らえた真田家の関連資料を

することが出来る。ここには、先に述べた『真田家御事蹟稿』のみならず、信州に点在し残っている名家や資料収

家の貴重な古文書を画像で見ることが出来る。凡例には、昭和58年に上田市立博物館で開催された「上田築城400年

記念 真田資料展」の展示解説図録による、と案内されていた。



「池波正太郎真田太平記館図録」(昭和12年上田市発行)より。



さて、色々と寄り道が長くなったが、この物語には幾つかのテーマがあって、真田一族の長・昌幸(武田氏に仕えた

父幸隆を継いで真田氏を興し、北条・徳川・上杉氏ら周辺大名と時には敵対し時には手を結び乱世を生き延びようと

する)、弟信繁-幸村(昌幸の武略を引きつぎながら、豊臣氏に忠誠を尽くして徳川軍と戦い討ち死にする)、兄信之

(乱世を収めるのは徳川家康と信じ、徳川臣下として真田家を明治維新まで生き延びさせた)、この真田一族の物語

が第一のテーマであるのは言うまでもない。もちろん、奥方の山手殿・小松殿・側室お徳らの女性陣との関係も面

白く描かれている。ここに、天下取りを目指す各大名(武田勝頼・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康達)の動向が加わり、

第二のテーマとして映画のモンタージュ手法のように第一のテーマに絡んでくるのだ。それらは、その動きに伴い、

加藤清正や福島正則等・諸国大名の盛衰も絡んでくるという、重層的な物語構成が展開する。

もう一つのテーマは、表の動きに連動し陰に流れる第三のテーマだ。それは「草の者」と呼ばれる真田一族の情報

(諜報)活動を支える忍者部隊の活躍であり、棟梁の壺谷又五郎・女忍びお江・佐助などの活躍はハラハラと胸躍る

魅力に溢れている。家康が全国に張り巡らした甲賀忍び等の諜報網との戦いも、重要な歴史ファクターとして克明に

描かれているのだ。明治末期から大正時代にかけて流行した読み講談「立川文庫」(たつかわぶんこ)では、『真田

十勇士』・「猿飛佐助」・「知謀真田幸村」などの文庫本が人気を呼んだが、史実と言うよりは講談の面白さで

脚色された物語だった。私も小学生の頃、面白くて読み漁った記憶がある。これらのテーマが、地理状況を彷彿と

させる映画の俯瞰図の様に、また登場人物の舞台セリフの様に、池波正太郎の語り口で簡潔で歯切れよくストーリー

展開されるのは、第一級のエンタテイメントとして読者をとらえて離さない。昼に夜に、本に向かって過ごす時間

は、至福の時であった。



風間完『真田太平記』オリジナル彩色挿画「上田攻め」週刊朝日67~77回、池波正太郎真田太平記館図録より


物語は、天生十年(1582年)織田・徳川連合軍に包囲された甲斐の国高遠城から、長柄足軽向井佐平治(後の佐助の父)

を助け出す壺谷又五郎とお江(草の者)のシーンに始まり、元和八年(1622年)移封先の松代に向かい行軍する真田信之

を、見送るお江と住吉慶春(絵師)のシーンで終わる40年間の長編小説だ。作者の入念な資料調査と、登場人物のキャ

ラクターを創りだす豊饒な想像力と、読者を飽きさせない語り部としての巧みさが一体となった渾身の力作だと思う。

加えて、馴染みある故郷信州の懐かしい風景を呼び起こしてくれる文章表現と、そこを舞台に活躍した鮮明な人物像

は、二つとして同じ個性がないほどに描き分けられ、はっきりとした輪郭を持っているのが何よりの魅力だろう。




▢ 同「別れゆくとき」週刊朝日連載第449回 松代に移封される真田信之を見送る民たち 
 池波正太郎真田太平記館図録より


<この項終わり>


2019年3月15日金曜日

池波正太郎『真田太平記』を、全編通して読み返した(その1)




『完本 池波正太郎大成』(講談社平成11年刊)の18・19・20巻3冊に「真田太平記」が収められている。B5版厚表紙1冊
900ページ以上の分厚く重い全集のため、しっかりとした譜面台を書見台代わりにして読んだ。地元の図書館書庫から
借りてきて、3週間程自宅で暇を見て読むのはとても面白かった。画像は第20巻の表紙扉。



1月に、池波正太郎の『剣客商売』全篇を読み直したのは、丁度風邪を引いて家籠りで治療に専念しなければならな

かったこともあったが、一方で最近のTV番組がまことにつまらなくて、どのチャンネルでも同じようなニュース・

ショウと芸人達のバラエティでうるさくてウンザリしていたこともあった。久し振りにまとめて読書する時間がと

れ、インターネットラジオでボサノヴァやジャズを聴きながら、ゆっくり寛いで活字を読むことがなかなか楽しか

ったのだ。その余波もあり、池波正太郎の歴史小説をまた読みたくなって、20年以上前の当時住んでいた近くの

練馬図書館から全集を借りて夢中になって読んだ『真田太平記』を、今回は地元の市図書館から借り出してきた。



安土桃山時代末期から江戸時代初期(1580年代~1620年代)にかけて、真田一族が支配した信州から上州にまたがる
領国の概図、上田・砥石、鳥居峠を越えた丸岩・岩櫃・名胡桃・沼田の各城が、西から東に繋がっている。上記
『完本~』18巻図表より。上田市にある「池波正太郎真田太平記館」を再訪するとともに、史跡として残る各城
を巡って歴史散歩をしたみたいものだ。



DVD『真田太平記』第壱集・弐集 NHKエンタープライズ発売中



TVドラマ『真田太平記』はこの原作に基づき、今から30年以上前(昭和60~61年)にNHK新大型時代劇で1年間放映

され、丹波哲郎(真田昌幸)・渡瀬恒彦(真田信之)・草刈正雄(真田幸村-信繁)ら人気俳優たちの出演で制作(45回放映)

されたことをご存知の方も多いと思う。かく言う私も、CS衛星放送で録画しながら観たものをDVDとして手元に残し

てある。また、NHK大河ドラマで3年前(2016年中)に放映された『真田丸』は、草刈正雄(昌幸)・大泉洋(信之)・堺

雅人(信繁)らの配役による三谷幸喜脚色のオリジナルドラマではあるが、喜劇仕立てとなってはいるものの、ベース

としては『真田太平記』から筋立てを得ているものと思われる。




風間完『真田太平記』オリジナル彩色挿画 長良川・「週刊朝日」第232回~238回、池波正太郎真田太平記館図録
より。草の者・お江が、渡し船による即席板橋を行軍する徳川家康を襲撃し惜しくも仕損じた迫力ある場面。
週刊朝日に昭和49年から凡そ9年間に亘り連載されたこの大長編小説は、その後単行本・文庫本・全集などに
収録され、多くのファンを生み出している。



池波正太郎の『真田太平記』は、江戸時代初期に書かれた軍記物『難波戦記』(大阪夏の陣・冬の陣を題材に東西の

武将たちの活躍を描き、徳川家康の本陣を襲撃した真田信繁は゛幸村゛の名前でその武略を讃えられている)や、講談

『真田三代記』(昌幸・幸村・大助の真田三代にわたる興亡を語った幕末の講談で、幸村の大阪二役での奮戦が中心と

なっている)などの歴史資料を踏まえてはいる。しかし、作者はもっと詳細な資料を求めて武将たちの城址や戦場を

取材し、とりわけ信州真田家の本拠地上田には、度々取材で訪れたという。当地の歴史学者や郷土史研究家との交流

も深くなり、松代真田藩・八代藩主幸貫(ゆきつら)が家臣に編纂させた「真田家御事蹟稿」(~ごじせきこう:自藩

の事蹟を真実として後世に伝えようとしたもの、事蹟の記述だけでなく秀吉・家康など多くの武将たちと交わした書状

も残っている)も読み込んでいたと思われる。長野県立歴史館のHPでは、真田家文書整理の御礼として、これを手掛けた

米山一政氏に、当代真田家当主から贈られた「真田家御事蹟稿」写本(黄表紙と呼ばれる)正・続73冊と付録図が遺族

の寄贈により収蔵されていることを紹介している。『真田太平記』小説文の中にも、真田一族の書状が組み込まれて

おり、史実を踏まえた歴史ロマンの形成が巧みに配されているのだ。



大阪夏の陣における東西軍の布陣図、冬の陣(前年)で徳川軍を翻弄し幸村の武将としての名声を全国に知らしめた
「真田丸」も埋め立て・取り壊され、圧倒的な徳川軍勢に押しつぶされた豊臣軍の劣勢が一目でわかる。『完本~』
20巻図表より。


<この項つづく>