2019年10月29日火曜日

二ヶ所の排水樋管(六郷排水と猪方排水)は、開かれたまま何故放置されたのか? (台風19号多摩川氾濫 その5)




狛江市元和泉3丁目に設置されている「六郷排水樋管」、大きな水門の扉は多摩川出水時には閉められ、堤防として
の機能を発揮し泥水の逆流を防止する。今回(台風19号・10/12)の開閉操作は的確だったのか? 多摩川団地周辺への
排水路逆流による浸水は開けられたままの水門扉により発生したと見られる。All Photo by Jovial TAKA



台風19号の豪雨による中部・東日本各地の大水害の後片付けも終わらぬ矢先に、25日の台風21号の影響で降った豪雨

が千葉県や福島県などの各地に、また大きな被害をもたらした。河川の堤防決壊や市街地に降った大雨のために、家

屋や商業施設・田畑など、浸水の被害に遭われた方達には、心からお見舞いを申し上げたい。まったく、日本列島は

どうなってしまったのか? 自然の脅威に対する今までの考えを、根本的に変えるべきだと思わざるを得ない。

今回4度の連載で綴った「調布・狛江の水路逆流と二子玉川のと無堤防越水」を書いている最中、また書き終わってから

も、ひとつの疑問が私の中にはあった。堤防決壊や堤防越水については、その時に降った雨量や降雨連続時間、河川

を取りまく地形や地質などから見て、また過去に繰り返されている水害の歴史的な事例から見ても、これはどうしよ

うもなく防げなかったな、と思えることはある。しかし、自分が住む多摩川流域の、狛江と調布の排水樋管(水門で

堤防を貫通しているタイプ)の水門については、何時・誰が・どういう判断で開閉したのだろう? その結果が、大き

な浸水被害になったことを思うと、もっと被害を抑える方法(措置)がなかったのか? 国や自治体の管理はどんな形(情

報伝達や指揮系統・実際の仕事)で行われたのか? など、被害発生後の腑に落ちる説明や情報が管理当事者からない

ことが大きな不安として残っている。



六郷排水樋管操作所から、多摩川を望む。狛江市が管理・維持する小さな水門とは言え使命は重大だ。


許可工作物の表示板




そんな時に、「多摩川浸水の調布・狛江 水門開放 水路逆流か」という記事が東京新聞の10月25日朝刊で報道され

ていた(TOKYO Webにて)。この記事は、私の疑問にかなり答えてくれるものだったので、このブログで凡そを紹介

したい。

 「台風19号の影響で、多摩川沿いに位置する東京都調布市と狛江市で起きた浸水被害で、多摩川に雨水などを

流す二カ所の排水路の水門を開けたままにしたため、増水して水位の上がった多摩川から水が逆流し、被害が広が

った可能性があることが、水門を管理する狛江市などへの取材で分かった。(東京新聞・花井勝規)」


台風19号の豪雨があった12日、多摩川団地周辺(調布市染地・狛江市西和泉など)では、床下・床上あわせて約180軒

が浸水被害に遭った。この地域を流れる根川の排水は、すぐ南側にある「六郷排水樋管」から多摩川に流れ込む。

取材(狛江市下水課への)によると、市職員と消防団員が当日排水ポンプを使って、根川から道路に溢れた水を多摩川

に排水していたが(午後4時以降)、多摩川増水を見て水門を一旦閉め(午後6時頃)、その後道路冠水が広がったため、

再び水門を開け、多摩川の水位が6mに達したので水門を開けたまま避難した(午後7時半)、とのこと。降雨量は午後

7時から9時頃が第二のピークだったから、開放されたままの排水樋管を逆流した泥水が、一気に被害地に拡がったと

思われる。後日私自身が現地を見て廻った時に、道路や家屋周辺に大量の泥が山積していたのを見て、「これは、排水

溢れたためではなく、樋管を逆流してきた多摩川の泥水だろう!」との直感を抱いたのだが、やはり水路逆流が

原因という見方が裏付けられたと思う。




狛江市駒井3丁目の多摩川堤防に設置された「猪方排水樋管」、市担当者が水門扉を開けたまま放置し、増水した
多摩川の濁流が排水路を逆流し、猪方・駒井の周辺一帯が浸水されたとみられる。



猪方4丁目交番のお巡りさんは、道路から1m以上ある交番の中まで水に浸され、排水掃除が大変だった、と話した。


許可工作物の表示板



この状況は、狛江市猪方・駒井地区の排水(暗渠)を多摩川に流している「猪方排水樋管」でも同じで、市職員が当日

午後7時半に「逆流はない。」と市に報告し排水樋管を開けたまま退去した後、増水した多摩川から逆流した泥水が

下水管から噴出し、周辺240軒の家屋が浸水被害に遭った、という

 「水門を閉めなかった理由を狛江市は『当時は市内の降雨量が多く、水門を閉じると排水路があふれる恐れがあっ


たため」(下水道課)と説明する。被災した市民らの間では市の責任を問う声が上がっており、住民説明会を求める

署名活動も始まった。」(同紙)



「多摩川河川維持管理計画」(国土交通省関東地方整備局・京浜河川事務所作成、平成29年3月、A4・112ページ)には、


多摩川の河川維持管理についての様々な問題や処理・解決方法が記されている。この膨大な資料の中で、堰・水門・

樋門のついての項目があり、国の管理しているものが17基、操作委託(自治体等に)しているものが11基あり、その他の

許可工作物(河川管理者以外が設置した)として、樋門・樋管 129 箇所、橋梁 79 橋、水門 3 箇所、堰 7 箇所等が該当す

る、としている。管理者は自治体・電力会社・鉄道会社・私企業など様々だ。


件の「六郷排水樋管」と「猪方排水樋管」は巻末リストに記載されているが、許可工作物としての設置・管理者は

狛江市であり、河川管理者(国)との契約により施設の維持管理を良好に行うよう明記されている。 また、設置後の状況

によっては必要に応じて国が指導・監督等を実施するともある。



 「一方、国の京浜河川事務所は、管轄する多摩川流域の樋管の水門六カ所のうち四カ所を閉めた。太田敏之副所長

は『水位の高い多摩川からの逆流を防ぎ、被害を最小限に抑えるため、逆流を確認した場合などは水門を閉めるのが

基本』と説明している。」(同紙)


何十年に一度という多摩川の氾濫だったが、今回の大増水とバックウォーター(逆流)に対して、狛江市に維持管理責任

のある排水樋管2ヶ所の開閉は、果たして妥当だったのか? 市職員と消防団の必死の作業があったとはいえ、結果と

して浸水被害に至ったこの教訓を生かさねばなるまい。手動や電動モーターによる水門開閉作業の訓練や日頃の点検

の重要性も浮かび上がった。また、多摩川増水時のどの時点で水門を閉鎖するのか? その判断基準と指揮系統の責任

所在も明確でない。退去、とは言っているが、水門を締めて堤防としての機能を確保するという肝心なことを差し置

いて現場を去ってしまったのでは、浸水被害を最小限に抑えるという基本からは程遠い行為だと思われる。川崎市の

樋管では、漂着した樹枝が水門扉に引っ掛かり、締めるのに12時間かかったという(開けたままの樋門から川の泥水が

逆流した)。樋管を管理維持する自治体と河川管理者との連携や技術指導も大切なテーマとなる。常日頃の練がなく

ても済んでいた幸せな(?)時代はもうないかもしれない。ある意味ではうかつであり、今回の浸水被害は、「人災だ

た!」と言われても弁解はできないだろう。災害時の危機管理という意味では、地震・風害水害・原発事故などに

どう備え行動していくかを、個人・町内会(自治会)・地方自治体のそれぞれで考え実施していかねばなるまい。いやは

や、大変な時代に生き暮していくことになったものだ。



府中用水の多摩川口排水路に設置されている「調布排水樋管」の水門扉、排水路と多摩川合流点の川幅も広く、樋管に
通じる排水路の幅も広い。垂直壁(コンクリート造り)も高い。



樋管の維持管理は、国土交通省・京浜河川事務所による。今回の多摩川大増水の際、水門扉は開かれたままだった
が、樋管と排水路の構造により浸水はなかった。



表示板



<東京新聞 10/25の記事>

<多摩川河川維持管理計画>

<この項つづく>

2019年10月22日火曜日

春花(2020年)の準備




花壇の一角では、アネモネが発芽し葉茎を伸ばし始めている。Photo by Jovial TAKA、他画像はネット通販のタキイ
種苗より。



今年の夏・秋花は、長引いた梅雨とその後の酷暑そして台風の度重なる襲来のため、花付が良くなかった。私が手

入れしている花壇でも、クレマチスとキキョウは良く咲いてくれたが、コスモスは花芽が付かずさっぱりだった。

元々冷涼な高原に咲く花が、関東地区の高温多湿な気候では難しいとの予測はあったが、昨年に較べて茎葉が伸び

るだけで花はほとんど咲かなかった。園芸好きの方達に聞くと、アサガオがほとんど咲かなかったとか、街路樹の

サルスベリやムクゲも花付が悪く、フヨウや彼岸花も例年より大分遅れたなど、気候異変の影響を受けた事例を上

げる方が多かった。温暖化の地球環境はいよいよのっびきならぬ危機に突入しているように思う。 ドイツのライン

河が干上がったり、北極圏の凍土が溶け出したり、北米を襲うハリケーンや竜巻の大被害が度々起こったり、アマ

ゾンの森林が半分近く焼けてしまったり...日本各地でも、台風の風雨による被害が甚大になってきているので、

いざという時にわが身と住まいを守る備えを準備するとともに、少しでも温暖化につながる購買行動・生活行動を

避けるよう心掛けねばならないと感じている。温暖化による災害に備える活動、という意味では、「災活 さいかつ」

というテーマが身近なものになってきた。




ミニスイセン「サブローサ」(千葉産)、草丈10~20㎝、日本水仙は草丈が50~60㎝に延びるが、このスイセンは
花壇や植え込みの下周りに向いている。小振りで可愛い品種、タキイ種苗のネット通販で入手。





「八重咲水仙」は元々、棟南庭の花ミズキ周りに沢山植えてあったのを、全部掘りあげて花壇各所に植えてみた。
良く咲くのだが、何分にも八重花のクシャクシャした感じが今一つすっきりしないので、来春には思い切って小振
の水仙に全部植え替えることにした。話を聞いた花友のKDさんが、球根をほとんど引き受けて自分の庭に植えて
くれることになった。



とは言え、そろそろ来春の花準備をしなくてはと、花壇の花咲終わり(枯葉・枯れ枝)を整理し球根を植える土を

耕した。消石灰と腐葉土を入れ、よく混ぜて苗床を作った。春花・秋花用に年2回これをしておくと球根が良く育つ。

芽が伸びて来たら、雨による土跳ね返りを防ぐために、枝木チップ(市の防災センターで、回収した枝木を粉砕して

無料提供してくれる)を苗周りに撒いておくと、病気予防にもなる。今年の春先に掘りあげてネット入りでつるして

おいたチューリップの球根を整理したら、大玉・中玉が60玉程あり、小玉も20玉程あったので、これも併せて花壇

(4か所)に植えた。咲いた時の種類や色合いの組み合わせを考えながら、間隔を離したり数球をまとめたりして植え

るのもなかなか楽しいものだ。新しい品種のチューリップは、原種系の小振りのものを選んだ。チューリップの咲

き姿はきれいでよいのだが、50㎝ほどに伸びる茎・葉は強風や雨などで折れやすい。その点、原種系は20㎝前後の

草丈なので、手入れがしやすいと考えた。来春先、一番に咲くスイセンとそれに続くチューリップ・ミニアヤメ、

すでに花壇で3年程咲いているアネモネ・クロッカスも加わって、きれいな春花を見ることが出来るのは、幸せなこ

とだと思っている。




ミニスイセン「テタテート」(新潟産)とミニアイリス「ハーモニー」(オランダ産)の寄せ植え、実際のPKGには
各3玉づつ入りなので(このフォトの様には沢山入っていない)、2PKGを入手し花壇のクレマチスとキキョウの横に
植えた。黄色と紫の花色が、早春に楽しめそう。花の大和販売




原種系チューリップ「ヘレナ(ピンク)とポリクロマ(ホワイト)」ミックスタイプ(15玉入り)の球根はタキイ種苗の通販
で入手。小振りで可愛い品種




原種系チューリップ「ライラックワンダー」、ピンクとイエローの花弁が優し気だ。同通販にて入手。



2019年10月21日月曜日

調布・狛江の水路逆流と二子玉川の無堤防越水(台風19号多摩川氾濫その4.二子玉川)




大雨で大増水した多摩川は、最初に野川との合流部(二子玉川駅架橋下)の上流約700mの堤防がない部分から、
河川敷の二子玉川緑地運動場を覆い尽くし、濁流が野川に流れ込んだと見られる。画面右が野川。鎌田1丁目(10/13)  
All photo by Jovial TAKA



多摩川の堤防は、狛江市から世田谷区に入ってから鎌田一丁目の二子玉川緑地運動場で無くなる。下り坂となりな

がら高低差3m程の平地となり、その先に野川の流れがある。河川敷に番地が付けられているのも驚きだが、台風一

過の翌日(10/13)昼頃に見た野川南側の運動場には、大木や草木のゴミが大量に残されていた。明らかに、今回連日

マスコミが報道していた多摩川3丁目の兵庫島付近の氾濫(越水)の前に、堤防のない部分から多摩川の濁流が野川に

流れ込んだと見られるのだ。小山ドライビングスクールの前に架かる橋は、多摩川側では橋の高さまで上げ地され

ているが、もちろん強固な堤防はない。支流野川は昭和42年(1967)の大改修の折に、両岸に強固な堤防を設けてい

るが、この堤防につながる多摩堤通りのコンクリート壁(高さ1m・厚さ30㎝程)も、多摩堤通りの先・新二子橋下で

終わり、そこから先の二子玉川駅周辺の低地帯には全く堤防がないのだ。



上部写真と同じ位置から二子玉川駅方面を臨む。左の建物(青と白)は小山ドライビングスクール、横方向に架かる
橋は野川を渡る小橋。新二子橋(246号道路)と二子橋・東急田園都市線架橋は小橋の向う側(東方面)にある。新二子
橋から先は、多摩川にも野川にも堤防がない岸辺が続く(約540mと言われている)。鎌田1丁目(10/15)



野川側堤防上から見た二子玉川緑地運動場、濁流になぎ倒された運動場ネットフェンスが、無残な姿を残していた。
玉川3丁目(10/15)



小山ドライビングスクール南側道路から西方向・野川を臨む。多摩川と野川の堤防が画面中心で切れているのが
わかる。このままでは、大災害に備えた治水対策が出来ていないと言われても仕方あるまい。国と自治体の奮起と
早急な対策を望む。玉川3丁目(10/15)





多摩川河川敷に作られていた兵庫島公園に向かう兵庫橋付近の堤防のない個所から、台風19号による大雨で増水し

た濁流が道路を越水し、坂を下って二子玉川駅周辺の低地帯一帯が浸水被害に会ったことは、マスコミでも度々伝

えられているのでここでは省きたい。この越水個所からわずか10m坂上のビル管理人さんは、「うちは何も被害に遭

わずに助かった、この坂の下は大変だったよ! 」と話していたが、運不運は紙一重の差とはこういうことかもしれな

い。

「二子玉川の環境と安全を考える会」という堤防建設に反対してきた市民団体のHPが閉鎖されたことや、民主党政

権時代に゛事業仕分け゛を推進し、多摩川無堤防個所の堤防建設について「優先順位が違う」と言って反対した

蓮舫議員の発言などを取り沙汰するニュースがネットで飛び交ってはいるが、この大災害多発時代を見据えた意見

としては、迂闊(うかつ)で見識の浅いものだったとのそしりは免れないと思う。それにしても、100年に一度のレベ

ルの災害に備えなければならない時代になってしまったことは、大水害に備える国と地方自治体の治水事業を、今後

どんな施策や事業推進で乗り切っていくかに、大きな見直しを迫ることになると思う。加えて、いつ起こるかわか

らない災害に対して、わが身と命を守る準備と行動に、もう一度真摯に取り組んでいく必要があるのだ。






12日午後4時頃には、増水した多摩川の水は、兵庫橋を越えて橋を沈めてしまっていた。橋に架かったゴミがまた
越水を助長したとの話も聞いた。右側にシートを被っているのは緊急時に使うの土のうの積まれた山。どのように
活用されたのだろうか?  兵庫橋(10/12) Twtterより。 



兵庫橋上の道路に、土のうを積んで越水を防ごうとする消防団(らしき)の方達、こんな量では到底防げないだろ
うが、越水を防止しようとする周辺のビルや家屋の住人が、土のうをどんどん持ち去ってしまった、との話も聞
いた。画面奥は二子橋と東急線二子玉川駅架橋  FNN News 12日夜



越水個所の真ん前にあるビル地下の歯科医院は、マスコミにもたびたび登場したが、12日の夜には、すでに水浸し
だったようだ。多摩川1丁目 Twtterより





台風一過の兵庫島橋(野川合流部に掛かっている)、周辺に流れて来た樹や草木ゴミはすでに概ね片付けられていた。
この橋が完全に水没し、無堤防個所から濁流が越水したのだから、如何に多摩川と野川の増水が凄かったのかが
わかる。多摩川1丁目 (10/15)


無堤防越水個所を多摩川方面(野川に架かる兵庫橋上)から臨む。もう水が引いて、何事もなかったような光景が
信じがたい。兵庫橋(10/15)




台風19号の豪雨で発生した全国の河川氾濫被害は、まだ全容をつかめていないし、まだ新たな災害の報道も続いて

いる。被害に遭われた方達には心からのお見舞いを申し上げたい。道路や鉄道(新幹線の被害も膨大だ)のみならず、

ライフラインの復旧も待たれる。今回堤防決壊には至らなかったが、多摩川の氾濫も今まではありえないことと

思われていただけに、驚きであった。しかし、ここから教訓を読み取り、災害への備えを個人や家庭レベルで心し

て行うとともに、国や自治体の災害対策実施への声を上げていきたいと思う。多摩川には、堤防は必要である! 

今回の氾濫で、それは明白な事実となった。






兵庫橋付近から越水した多摩川と野川の濁水は、坂を下って二子玉川駅の低地帯に流れ込み、周辺一帯を侵水した。
多摩川1丁目(10/15)



多摩川橋(第三京浜道路)下の世田谷記念病院では、解放されたままの多摩川水門より排水の逆流が起こり、病院1階が
水浸しになった。病院前には浸水防止に使われた大量の土のうが残されていた。野毛2丁目
(10/15)





世田谷区ハザードマップ(多摩川版)世田谷区区HPより。は撮影個所、越水・水路逆流はーーーで示している。
描きこみは、J.TAKAによる。



<この項続く>


2019年10月19日土曜日

調布・狛江の水路逆流と二子玉川の無堤防越水(台風19号多摩川氾濫その3.宿河原堰堤)




台風19号一過の宿河原堰堤、水量は大分減ったが茶色の濁水が勢いよく流れていた。緒方4丁目(10/15)  
All Photo by Jovial TAKA



今回、調布多摩川の多摩川原橋から世田谷野毛の多摩川橋約12㎞の間を電チャリでゆっくり走ってみて感じたのは、

堤防(左岸)の幅も高さも場所によって随分と違っていることだった。堤防自体が遊歩道(サイクリング道路を兼ねる)

の脇に同じ高さで広い空き地を備えている所もあれば、未舗装数mの狭い堤防もあった。また、堤防の近くを走る

車道:多摩堤通りも、堤防の脇にあったり、かなり離れた住宅街を通っていたり、場所によっては堤防の上を走って

いた。これには随分と違和感を感じた。堤防の上に川側法面との境を識別防御するためのコンクリート壁が設けら

れている個所も数か所あった。近年、幸いなことに多摩川は大雨増水による堤防決壊は起きていないが、堤防の高

いところと低いところの差は1m以上となるから、堤防からの越水危険個所は何か所もあるのだ。また、堤防内の多摩

川水面の高さや河川敷(運動場やサッカー場なども多く設置されているが)の高さにも、場所によってかなり差がある。

川幅が狭くて流れが早い所と広くプールのようになってゆるやかな所が、交互に続いていたりする。治水の面から

言うと、なかなか一筋縄ではいかないなと思える。当然、堤防の弱い場所と強い場所も出てくるのだ。




1974年の多摩川水害(堤防が欠損し19戸の人家が流失した)の後、旧堰堤(二ヶ領宿河原堰)の近くに建てられた
「多摩川決壊の碑」。現在の宿河原堰堤は、旧堰堤の下流50mに新しく作られたものだ。狛江市HPより。



当時の多摩川決壊を上空から撮影した画像(消防庁HP)、濁流により本堤防の一部が欠損し、人家が流失したが、
堤防決壊による市街地への濁流氾濫だけは免れた。この大水害は住民の記憶に長らく残り、TVドラマ「岸辺の
アルバム」で知る人も多い。



上記画像の右端に写っているのは、当時の和泉自動車教習所だ。この時も、河川敷に設置された自動車教習コース

と車両は、崩壊・流失の危機を免れた。 19号台風による暴風雨が吹き荒れた3日後の朝、運転教習の準備をしてい

る教官殿に話を聞いてみたら、「増水対策に当時より2m程地面を高くしたから、今回は大丈夫だった。運転コース

のすぐ下1メートルまで水が来たけれどね!」とほっとした表情だった。




現在の和泉自動車教習所、運転コースも車両も19号台風の大雨と多摩川増水にもセーフだった。猪方4丁目(10/15)



自動車教習所の下流約100mの堤防下の惨状は目を疑うものだった。濁流の爪跡が河川敷一杯に拡がっていた。自動車
教習所の幸運との差は何だったのか?  河川敷とは言え、地面底上げ対策をしていた所が助かったのは明白だ。
駒井3丁目(10/15)


<この項つづく>