2020年11月20日金曜日

筒美京平トリビュート 『たそがれマイ・ラブ』

 



Takaのギター弾き語りと Rocoのピアニカソロ・オブリガードにアレンジした(Jovial Takaによる)『たそがれマイ・ラブ』、
難しい曲ではあるが長年の愛好曲を録画できてとても楽しかった





YouTubeに投稿したこの曲の動画、シンコペーション(後ろ乗り)とアンティシペーション(前乗り)をくりかえすメロディ
ラインを歌いこなすには、なかなか力量が要る。リズムもラテン系の乗りなので、ギターを細かく刻んでいる。前奏・
間奏・終奏、唄に重ねるオブリガードのフレーズもなかなか難しいのだが、なんとかハーモニーが得られた。小さな
ミスもあるが、トライしてみて良かったと感じている。




作曲家筒美京平(10月に享年80歳で死去)が作曲した数多くの曲の中では、この『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠)

が一番好きだ。リリースされてから40年以上も経ってはいるが、未だにその輝きを失わない名曲だと思う。ミリオ

ンセラーを数多く生み出した筒美氏の曲中では、シングル売り上げ15位(52万枚)であり、またこの年(1978)には、ミ

リオンセラーを排出したピンクレディーのヒット曲(『サウスポー』・『モンスター』など)もリリースされているから、

歌手大橋純子の中では代表曲ではあっても、あまり目立たない存在だったかもしれない。加えて、メロディの節回し

も難しい部類に入るので、かなりの歌唱力も要る曲だ。知人の娘さん(40代)などは、曲の存在さえ知らなかったとも聞

いた。



『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠/作曲:筒美京平)のシングル盤リリースは1978(昭和53)年、大橋純子の圧倒的な
歌唱力と伸びやかな歌声でヒットし、その年のレコード大賞・金賞を得ている。レーベルは日本ホノグラム、発売は
フィリップスレコードだった。



この曲をカバーして歌うに際して、改めて譜面を起こしてみると、随所に筒美氏が散りばめた作曲家ならではの

「仕掛け」に気づかされた。例えば、1番歌詞の歌い出しの部分(原曲Gmを Amに変えている)


「えぇ~!  曲の頭がいきなりミ(E)のフラットかよぅ~?!」(コードはB7)、こんな曲に出会ったのは初めてだった。また、

節回しでは後ろ乗りと前乗りが随所にあるので、初めの頃はカラオケで歌っても、なかなかタイミングが合わなかっ

た。例えばラストの部分


しかも5度・6度の音階でメロディが展開されている。当時の音楽界ではかなり「ぶっ飛んでいた!」曲だった。

バート・バカラックがお好きで、ジャズ・ボサノヴァ・ラテンなど世界の先進的音楽をよく研究されていた氏は、

曲のコードについてもテンションコードを駆使した奥行きのあるニュアンスを表現された。マイナーとメジャーを

行ったり来たりするような繊細なサウンドを作り出している。それは、当時主流だった歌謡曲(演歌など)やフォーク

ソングにない曲調を目指していたからだろう。TVの追悼番組の中で、一緒に仕事した編曲者の一人が、イントロ・

間奏・エンディングについても「これでもか! これでもか!」というこだわりがあり、1曲仕上げるのに10曲分のパワ

ーが必要だった、と言っていたのがとても印象的だった。


Jovial TAKA 2020.11.17



筒美京平氏が亡くなられて以来、各テレビ局の作曲家特集やトリビュート音楽番組で、歌手やアーティストに提供

した作曲数が日本一であるとか、レコード大賞各賞(大賞やその他の賞)を数多く受賞しているとか、曲を提供した相

手は歌手やアイドルのみならず、グループ・サウンズやアニメソングなど多岐にわたっていること等々、、、すでに

色々ご存じの方も多いと思われる。

今どきの音楽シーンからすれば、筒美氏が活躍した時代はパソコンもスマホもまだ無く、LPとCDレコード・「ベス

トテン」などのTV音楽番組・ラジオや有線放送の音楽番組が主体だったから、作詞家・作曲家・編曲家と歌手とい

うプロ達の領域が明瞭に存在した時代でもあった。原盤制作(レーベル)・レコード会社(プレスとレコード販売)・所

属プロダクションと歌手などの、音楽産業を構成する担い手達の良き時代でもあった。しかしその隆盛は、シンガー

ソング・ライターの登場(ニュー・ミュージック) → 歌えて踊れるパーフォーマーたち → インターネットの普及に

よる楽曲提供の環境激変(好みのアーチストの曲を、自らスマホにダウンロードする、あるいはYouTubeで視聴する)

などにより、退潮を余儀なくされ過日の勢いはもはやない。

筒美氏作曲のヒット曲トップ6を見ても、『魅せられて』(ジュディ・オング/詩:阿木燿子)、『スニーカー・ぶるーす』

(近藤真彦/詩:松本隆)、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ/詩:橋本淳)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦

/詩:阿久悠)、『ロマンス』(岩崎宏美/詩:阿久悠)、『木綿のハンカチ』(太田裕美/詩:松本隆)は、歌手も作詩家もみな

昭和歌謡の世界なのだ。しかし当時のミュージックシーンにおいては、ひと味もふた味も違うメロディラインと曲

アレンジの素晴らしさを持って、今も輝いていると私は思っている。今回、筒美氏をトリビュートして『たそがれ

マイ・ラブ』をTaka & Rocoで演奏し動画投稿出来たのは、長年の愛好曲に表現の一つの区切りをつけられたと思

い、とても幸せな気持ちでいる。つたない演奏と歌ではあるが、この名曲の存在を知られる方が増えることを望ん

でやまない。


<付記>なお、歌手大橋純子さんは長年ライブツアーを中心に活躍していたが、一昨年から去年に渡り早期食道がん

の治療に専念し、昨年3月に現役復帰したとのこと。あの素晴らしい歌声が再び聞かれるのはとても嬉しいことだ。


2020年11月1日日曜日

観光スポットとなった御射鹿池と秋の巻雲 (奥蓼科探訪 その3)

 



紅葉が始まった蓼科の山々をバックに、ひっそりと佇む御射鹿池(みしゃかいけ)。緑がかった湖水に映り込む山や木々
の影も神秘的だったが. . . 道路嵩上げと駐車場設置のため湖の岸辺には鉄柵が巡らされ、立ち入り禁止となってしまった。
All Photo by Jovial TAKA




さて、目的地の一つだった御射鹿池については、やや複雑な思いでいる。これは、人々にとって絶えず問われる課題

だからだ。曰く、開発による経済効果か? あるいは環境保全なのか? ということだ。この池の歴史を見ると、昭和8年

(1933)に農業用温水ため池として造成され(貯水量26,000t / 水深8m / 標高1,528m)、その後の護岸工事を経て2,016年

8月に、道路改修(嵩上げ)・駐車場設置(普通車30台・大型バス10台程)の工事を行って、増える観光客への便を図って

きた。東山魁夷の絵画「緑響く」の制作舞台となっていることや、吉永小百合のTVCM(Sharp Aquos)の背景イメージに

使われたこと(私も見た記憶はあるが、YouTube動画では検索できない)、これらの知名度を観光客誘致に使わない手は

ないと、行政や業者も考えたのだろう。

東山魁夷がこの池をテーマに作品を描いたのは、今から約40年程前だが、元々諏訪神社の神事としてこの地区で

奉納のための鹿を射ったことから池の名前がつけられたと言われている。さほどの山奥の静寂な環境だったから、

作者も画欲を刺激され作品につながったのだろう。その当時は歩いて小1時間(車では5分程度)かかる宿に一週間

滞在し、取材を続けた宿がなんと渋辰野館だったことを知った。それは、当館にこの作品のリトグラフが飾られて

おり、宿泊取材の経緯を紹介してあったからだ。この、奇しき一致に驚きはしたものの、現在の御射鹿池にやって

くる観光客の混雑振りを知ったら、作者はなんと言うだろうか?




東山魁夷作「緑響く」1982(昭和57)年 作者74歳 濃美術館蔵 、深山・幽谷の湖水に映り込む新緑の木々と、画面左
に向かってゆっくりと歩む一頭の白馬が、幻想的な静寂さを漂わせている。作者自身によると、その時モーツァルト
のピアノ協奏曲第二楽章の旋律が聴こえきて、「白い馬はピアノの旋律で、木々の背景はオーケストラです。」と
語っている。この年、パリにて「白い馬の見える風景」展開催。当美術館HPより



同様な状況は日本各地で見られるものだろう。京都しかり、軽井沢しかり、博多しかり。ここ数年続いたインバウ

ンドの外国旅行者の激増は、大きな経済効果を我が国にもたらしたけれど、大きな弊害ももたらした。それも未だ

に収まらないコロナ感染の拡がりで一変してしまった。あの、中国人観光客でごった返していた富士の裾野の湧水

池:忍野八海は、今どうなっているのだろう。サイクリング用舗装道路が作られて環境が一変し、梅花藻が枯れ果て

てしまった姫川湧水は、元の美しさに戻れるのだろうか? 4年以上前に撮影し、動画投稿した姫川湧水の豊かな環境

と美しい梅花藻の開花は、もはや過去の映像でしか見ることが出来ない。

舗装道路嵩上げと大型駐車場が出来る前の、御射鹿池の貴重な映像が残されている。4Kの高画質・色調整などはさ

れているが、もう二度と見られない風景かもしれない。多少不便さはあっても、貴重な自然体系を残していく方向

性と努力が、我々にも求められているのだと考えざるを得ない。自然環境や生態系に負荷のかからない暮らし方や

遊び方を心がけたいものだ。奥蓼科の自然環境をこれからも残していって欲しいし、自分たちに出来ることをして

いきたいと思う。




新緑の御射鹿池「死ぬまでに行きたい ! 日本の絶景」奥蓼科 Japan Mishaka Pond of Summer
https://www.youtube.com/watch?v=bZEBy7k_EFQ  






巻雲の一つ:肋骨雲(ろっこつうん)は、人間や動物・魚類のあばら骨のような形の雲で、北の高気圧が張り出してきて、
湿度が低く晴れた秋の空に現れる。



話はさておき、1日目の雲一つない快晴と翌日の晴天に恵まれ、高原(渋辰野館で1,700m程)の空気も朝方は5℃だった

から、放射冷却で抜けるような青空と、秋特有の巻雲や巻層雲(10.000m前後の上空に現れる)を見ることが出来た。

これらの雲は、都会や都郊外ではなかなか見られない種類なので、時を忘れて雲に見入ってしまった。紅葉とともに

このような秋景色を雲の形で見られたことも、奥蓼科ならではの贈り物だった様に思う。帰路は宿から横谷観音に

廻り、八ヶ岳東麓のエコーライン → 鉢巻道路を抜け、大平交差点から八ヶ岳高原ライン → クリスタルライン →

141号線を辿って、須玉インターから高速に乗って東京に戻った。立ち寄った蓼科自由農園の広さと品揃えに感激し、

信州から甲州に入ると空気や標高の違いからか、紅葉の進み具合や色合いがなんとなくくすんでいて、「やはり

紅葉は、信州の高原の方がずっときれいだね! 」と、連れとの意見が一致した。




鉤状雲(かぎじょううん)は、筋状の雲の先端が鉤のように曲がっていて、釣り針を思わせるを思わせる形をしている。




毛状雲(もうじょううん)は、毛髪や繊維を思わせる筋のある雲で、薄いベールのようにまとまって現れる。




初日に諏訪南で高速を降り、八ヶ岳山麓の道路を蓼科に向かう途中、原村の道路脇に見つけた満開の秋菊、豹紋蝶が
一匹飛来して花の上に止まった。





八ヶ岳の全貌を見ることが出来たのは初めてのことだ。快晴で雲一つない日、湿度が低くやや風がある日、幸運の
光景を南東方向から見ることとなったが、右から、編笠岳(2524m)・西岳(2398m)・権現岳(2716m)・赤岳(2899m)・
阿弥陀岳(2805m)・横岳(2829m)・硫黄岳(2760m)・天狗岳(2466m)。見る角度のため、後方の高い山が低く見えるの
わかった。中山(2496m)から蓼科山(2530m)に続く北八ヶ岳は、天狗岳の北方に連なっている。





旅のお土産は、原村にある「たてしな自由農園」で買い物した。地域クーポン券も利用出来たので、取れたて野菜・
地元日本酒・栃の実入り煎餅・ナチュラルチーズ・うずら豆など色々と入手した。「食用ほうずき」は、宿泊先の
夕食前菜にも出て、レモンイチゴが混ざったような美味しい実だったので、思わず買ってしまった。信玄の薬湯に
浸かり、紅葉と滝・地産の食と空高い雲を満喫したいい旅だった。



<この項終わり>



2020年10月31日土曜日

老舗温泉宿で、信玄の薬湯に浴す (奥蓼科探訪 その2)

 



宿3種の温泉のうち、信玄の薬湯は単純酸性冷鉱泉(18℃)を沸かしたもの(40℃)だが、硫黄成分と炭酸・明礬
(ミョウバン)などの濃度が高く、長湯は禁物(15分以上)と案内されいている。古来薬湯としての効能が評判高く、
訪れる人が多い。湯の花が浮く青味がかった翡翠色の温泉色は私の好みだ。温泉3画像は渋辰野館HPより。



今回の紅葉狩り小旅行の行き先は、今年度々訪れている北杜市の瑞牆山山麓や八ヶ岳高原ライン周辺を考えていた

のだが、「貸別荘はちょっと夜寒そうだから、温泉に浸かって温まれるのがいいね!」という連れの意見に1にも

2もなく賛成して、温泉宿のある奥蓼科となった。日の落ちる時間が早くなっているので、宿には早めに入館した

(4時頃)。入館時に宿利用の丁寧な説明があった。種々のコロナ対策がもうけられていた。夕食(6時スタート)の前

に、ゆっくり温泉に浸かりたいと思って、森の温泉に浸かってみた。ウォーキング疲れが解れ、入浴後身体がホカ

ホカと温まって気持ちよかった。宿の建物は、歴史100年の老舗木造建てで、廊下やロビーに古い写真や資料(有名

人の来館・茅野市から当宿までの道路開通許可・アメリカ車による乗り合いタクシー開設許可)などが展示されて

いて面白く拝見した。武田信玄の隠し湯として、負傷した武将の治療や休養に利用した歴史があるとはいえ、奥蓼

科の山奥に道路を作り、路線タクシーを走らせてお客を運ぶのは大変だったろう、と推察した。



とうとうと湧き出る温泉(冷泉)を、屋根下の太い木管から打たせ湯として落としている。ドバドバッ という音と
ともになかなかの迫力だ。この薬湯には、翌朝ゆっくりと浸かった。




もう一つの温泉:森の温泉は、露天風呂で森林浴もできる開放的な空間が魅力だが、気温の低いこの時期には露天
の冷泉との間はガラス戸で仕切られていた。ともに、浴槽の深さが90㎝あるので、入浴時の注意と長湯禁物を入館
時に宿主から丁寧に説明された。



当夜の夕食は旅行サイトでの予約時に、『2種の信州産岩魚料理と信玄の山里料理(宿の定番)プラン』という豪華版

を選んでおいたので、とても楽しみにしていた。実際に2種の日本酒(舞姫の翆露[すいろ]とソムリエお薦めの

神渡[みわたり])をゆっくり飲みながら、土の香りあふれた器にきれいに盛り付けられた品々を次から次へと食

したら、とても美味しかったが食べきれなかった。飲み物品書きに「翆露」とだけ書かれていたので、女性配膳係

に「舞姫酒造か?」尋ねるとちょっと分からなかったが、すぐソムリエがやってきて「舞姫です。」との答えととも

に、「神渡」の新酒も美味しいのでどうぞと薦めていった。実際飲み比べてみると、神渡のコクとパンチが効いた飲み

口も好ましかった。美酒と味深い山里料理をおおいに楽しめた夕食となった。



この宿に決めた一つの訳として、この由緒ある看板文字の篆刻はなかなかいいと思ったからだ。楷書だが味わい深い
風情を漂わせている。以下、Photo by Jovial TAKA




宿の明かりも、和紙カバーの柔らかな光が心地よく、廊下や浴室の明かりも同様な心配りがされていた。機能一辺倒
のシンプルな造作や、デコラティブな装飾過多の豪華さを謳った建築空間とは無縁の、木材を多用した和装建築の良さ
を充分に味合わせてくれる。




山の幸・川の幸の新鮮で素朴な味を丁寧に作った和食の味は、今まで食べてきた他の旅館やホテルの料理とひと味も
ふた味も違っていた。ひと言で言えば「味が深い」のだ。画面右の「森のたからものづくし」(前菜盛り合わせ)の
バラエティに富んだ山里料理、燻製大王岩魚と信州サーモンの刺身(後から岩魚塩焼き登場)を皮切りに、野菜天ぷら・
野草豚鍋・信州そば・ご飯と味噌汁・デザートと続くのだ。満足満足・満腹満腹の夕食だった。



朝食もボリュウムたっぷり、取れたて野菜や丸茄子焼きの味は懐かしい感じがした。食後のコーヒーとともにしっかり
食べて、その日のドライブに備えた。






広大な園庭には、白樺の木や楓も沢山自生していて、朝日の中でひときわ鮮やかな色を放っていた。開発が進んで、

唐松や白樺の林がだんだん少なくなっている昨今、良い目の保養をさせてもらった。宿の案内パンフによれば、白樺

と唐松の純林が続く整備された四つのトレッキング・コースがあるというから、次回は森林浴をしながら森時間を

ごしてみたいと思った。


<この項つづく>



横谷峡の紅葉と、渓谷の滝巡り(奥蓼科探訪 その1)



横谷観音パーキング展望台から見た、横谷渓谷・南面木々の紅葉とふもとの茅野市街並み。遙か向こうには、杖突峠・
金沢峠など入笠山に続くなだらかな山並み。手前には、モミジの紅葉とススキの白い穗が、澄んだ静冷な大気の中で
映えていた。All Photo by Jovial TAKA



秋の長雨と台風通過で晴天の少なかった気候もようやく落ち着いてきたので、良い日和に恵まれそうな日取りを見

て、奥蓼科に出かけてみた。きっかけは、連れが10年以上前に奥蓼科のゴルフ場にグループで来てプレーし、横谷

温泉旅館に泊まり、その折御射鹿池(みしゃかいけ:当時はよく知られていなかった)に寄って写真を撮り、油彩を描

いたことがある、という話だった。東山魁夷の著名作品「緑響く」は、この池を取材して制作されたことはよく知

られているが、私もまだ見たことがないし、奥蓼科の紅葉見がてら出かけてみよう、ということになった。近隣の

宿を旅行サイトで調べていたら、創業100年の老舗旅館があるし、温泉も料理も良さそうということで、空いていた

一部屋を予約して出かけたてみた。折から、Go To Travel のキャンペーン対象というので、宿泊代割引と地域振興

クーポン(商品券)も利用できるというので、とても割安で快適な旅行ができた。




横谷峡(渓谷とも呼ぶ)遊歩道入り口付近の楓紅葉、出かけた日の雲一つない快晴の空をバックに、見事な色に染ま
っていた。やはり、きれいな空気と寒暖差のある高原では、紅葉の色がひときわ美しいのを実感。



当日のルートは、中央道を調布から諏訪南まで、八ヶ岳エコーライン → メルヘン街道を経て横谷温泉までとわかり

やすい道のり。横谷峡遊歩道を歩いて紅葉観賞と滝巡り、昼食後ゆみち街道を辿って御射鹿池に寄り、宿の渋辰野

館着というドライブだった。横谷温泉入り口に観光案内所(蓼科中央高原)があるので、遊歩道マップや蓼科地区の観

光案内マップをもらい、早速滝巡りに出かけた。トレッキングシューズを持参してきたのだが、観光案内所のお兄

さんによれば、「そんなに険しい道じゃないので、ウォーキングシューズでも大丈夫。」というので、そのまま履

き替えずに歩いてみたが、一部登りの急な場所や足下が悪い箇所もあったので、しっかりしたシューズの方が良か

った気もした。




横谷温泉入り口から登っていくと最初の滝が「乙女滝」、高低差15mの落水を見上げると爽快な気分になる。滝の
直下まで行けるので迫力も満点だ。快晴の青空が天高く続いていた。




霧降(きりふり)の滝は、渓谷の底にあるので日が差すこともなく、静かに流れ落ちていた




おしどり隠しの滝へは、遊歩道をまっすぐ登り、王滝・横谷観音下を経て行くコースもあるのだが、長時間かかる
ので霧降の滝から引き返し(往復2時間ほど)、渓谷南側の御射鹿池まで車で移動した。坂を下った明治温泉旅館脇
あるこの滝が、一番見応えがあった。30m以上の落差が階段状に続く岩盤を流れ下る様は、なかなか見られない
貴重な情景だった。




横谷峡は、文字通り渓谷の底を渋川が流れ下る急流ゆえ、ほとんど日が差さないので、陽の当たる北面を除き紅葉
がまだ早かった様だ。しかし、各所に点在する楓の紅葉は素晴らしく、その紅に染まった葉色を堪能できた。



遊歩道の所々に、「マイナスイオン20,000」とか、「マイナスイオン15,000」などの案内板があり、空気の清浄さ

とオゾンの多さを謳っていた。滝を巡ってのウォーキングは、とても快適だった。折からの快晴と青空の下、コロ

ナ籠りの日々をちょっと忘れて、とてもリフレッシュ出来た。観光客の多い蓼科湖周辺のスポットやリゾート地区

と違って、渋川沿いにはわずかに古い温泉旅館が点在するのみで、横谷峡を中心とする奥蓼科のたたずまいは、な

かなか好感度が高かった。それは、この後の項で載せる温泉宿の薬湯の魅力にもつながっているのだ。団体バス旅

行客に占領されて食事が出来なかった蕎麦屋を避けて、御射鹿池に移動の途中で雰囲気の良いベーカリー・レスト

ランを見つけて昼食をとったが、焼きたてパンと高原野菜・コーヒーがとても美味しかった。Epi(エピ)という名

だったが、また寄ってみたいと思った。室外の開放された席は、中高年のカップルや家族連れで賑わっていた。よう

やく人々が出かけ始め、お店も宿も商売が動き始めたのを感じた。





渋川は、鉄分を多く含んだ水質のため川底は茶色が強く、強い岩盤を流れ下る川相のため大小の川石も少ない。川魚
の生息には誠に厳しい環境のためか、時折流水の溜まりを覗いてみても、イワナやヤマメなどの渓流魚の姿も見られ
なかった。この川の上流域での釣りはなかなか難しいだろう。



一枚岩の滝、という名の場所もあるのだが、林間から見える川筋もほとんどが岩盤の上を流れ下る水流だ。このよう
な渓流はとても珍しいものだ。




 □遊歩道脇の崖からしたり落ちる湧水のしずく、たまたま南側の山並みを超えて午前中の光が差し込んできて、しずく
がはっきりと見えた。帰り道では光線の加減で、この光景は見ることが出来なかった。貴重な画像かもしれない。



<この項続く>



2020年10月3日土曜日

追悼 Mr.K! 夭折を痛む


 


マンドリンとギターの名手・在りし日のKさん(2015年5月)、63歳での旅立ちはあまりに早すぎる! 合掌。
All photo by jovial TAKA



新型コロナ感染に伴う自粛で、大勢で集まり飲めや歌えやの「かようかい」(会場は喜多見の珈琲店・椿にて)も、

今年の2月以来お休みになっていた。集まりたいは山々、音楽を楽しみたいも山々、しかしそろそろ注意しながら

始めてもいいかな? と思っていた矢先、突然の訃報が店主シゲコさんから知らされてきた。Kさんの、肝硬変に因る

食道静脈瘤の破裂という急死だった。ご遺族の意向でこちらでは葬儀を行わず(故郷の岩手にて葬行)、音楽仲間が

集まって会場のお店で偲ぶ会をし、故人とのお別れをすることとなった。この日集まったのは約15名、皆Kさんの

早すぎる死を惜しみながらも、やがてそれぞれ楽器を持ちだし、歌と演奏でKさんを送ることとなった。ウッチーは

ピアノを弾き、サイトウさんはラッパを吹き、キリちゃんは太鼓をたたき、大ちゃんはオリジナル曲を歌い。ギタ

ー弾き語りでイズミちゃんと私(タカ)も歌を歌った。他の出席者も、歌ったり楽器を鳴らしたり。8ヶ月近くかよう

かいが出来なかったので、何故かみんな弾けてしまった!





在りし日のマスター・脳梗塞からようやく立ち直りリハビリ中のタッキー・元気なイズミちゃんと一緒の、2010年
12月のクリスマス会、Kさんのギターはスペイン製の高価なもので、音色もキレがあり迫力があった。



偲ぶ会を開いた親族(喪主?)の、お兄さん・お姉さん・姉の娘さん3人も、はじめは戸惑っておられたが、Kさんがこ

よなく愛したこの会の雰囲気を感じ取って、とても喜んでおられた。こんなに賑やかに送り出せるのも、ご縁あって

のことと思われたに相違ない。店主シゲコさんは、不定期でもそろそろまた集まりましょうか! と私に話された。集う

仲間達は、現役プロのミュージシャン・セミプロ・歌好き・聞いて楽しむだけのひと、それぞれだが、セッション

が始まればアドリブがどんどん飛び出すし、一体となって作り出すハーモニーも心地よいのだ。「こんなお店は、

他にはないよね!」というのが大方の評判だ。




上の画像と同年同日のKさん、機嫌が良ければ「  ドンドン ディドン シュビダディ  オデーオデーオー」(サントリー
オールド CMソング 小林亜星作曲)を弾き語りしてくれるのが、とても楽しみだった。



存命のある日、店の前の広い駐車場でKさんがテンカラ竿を振っていたので、「どうしたの?」と訪ねてみた。

「故郷は岩手の山奥なので、小さい沢が流れていて、そこにいるヤマメを釣る練習だよ!」と楽しそうに話してくれ

た。今度一緒に釣りに行こうよ、と話したものだが、その約束は果たされぬままあちらに旅立ってしまった。名古

屋に居た頃、ライブハウスでよくギター演奏をしていた、との話の通り、本格的なクラシックギターの演奏テクニ

ックは素晴らしいもので、時折機嫌の良いときに演奏を披露してくれたものだった。マンドリンも随分と高価な楽

器を持っておられたが、その音色は澄んでいてトレモロも抜群で、本当に我々を楽しませてくれた。もう、あの演

奏を聴けないと思うと、ひときわ悲しみが増してくる。「人生100年時代」などというフレーズもあるが、長寿によ

る高齢者が増す中で、やはり60代初めの死はあまりに早すぎると思わざるを得ない。生まれ故郷の岩手で安らかに

お眠りください。合掌



私の手元にある最近の画像(2019年12月)、かようかい忘年会でラッパを吹くはサイトウさん、Kさんのマンドリン
演奏を聴いたのはこれが最後だった。




Kさんを偲ぶ会に集まった面々、にぎやかなお別れ会となった。



2020年10月2日金曜日

Taka & Roco 「カーニヴァルの朝」を投稿動画にアップ

 



Taka & Roco「カーニヴァルの朝」公開したYouTube動画より、背景の油彩は「カッパドキアを行く」(Hiroko作)



衆知の通り、映画「黒いオルフェ」(フランス・ブラジル・イタリア製作1959年・監督マルセル・カミユ)は、ギリシャ

神話のオルフェとユーリディスの悲劇を現代ブラジルに置き換えた戯曲「オルフェ・ダ・コンセイサゥン」(ヴィニシ

ウス・ヂ・モライス作)をベースにしている。そのため、主題曲には「カーニヴァルの朝」・「オルフェのサンバ」(と

もに曲:ルイス・ボンファ/詩:アントニオ・マリア)、「フェリシダージ」(曲:アントニオ・カルロス・ジョビン/詩:v.de.

モライス)というブラジルのアーティスト達が協力・参加して、リオのカーニヴァルの雰囲気を大いに盛り上げていた。

この映画が、ボサノヴァの普及に大いに貢献したことは、誰もが認めるところだろう。その年のカンヌ映画祭で「パル

ム・ドール」、翌年のアカデミー外国語映画賞を受賞するという栄誉もあった。


ボサノヴァの名曲となった「カーニヴァルの朝」は、この映画の代表曲として「黒いオルフェ」(Black Orphe)と呼

ばれることが多く、世界の数多くのアーチストにカバーされているし、ボサノヴァやジャズのライブで演奏され歌

われることも多い。私が初めてライブでこの曲を聴いたのは、忘れもしない2007年の夏のことだった。渋谷の教会

地下にあるライブハウスで、後に師匠となる中村善郎氏の弾き語りでこの曲を聴いたのだった。そのつややかなヴォ

イスとギターのテンションコードが奏でる複雑で奥行きのあるサウンドに心奪われ、思わず涙が出た。ライブが終わ

った後、すぐに弟子入りを申し出て、私のボサノヴァ修行(ポルトガル語の歌とボサノヴァ・ギター演奏)が始まった。


それ以来、ソロや他アーチストとのコラボを重ね、二つのバンド活動(「ジョビアゥ・タカバンド」と「ザ・タペス

トリー」)をしながら、この曲は常に私のレパートリーとして演奏し、お客さん達に聞いてもらえるメイン曲の一つと

なった。ポルトガル語の柔らかに響きと、ボサノヴァ・ギターのニュアンスに満ちた和音が一体となった世界は、

私がとても愛してきたサウンドに他ならない。ボサノヴァ曲に日本語詞をつけて、原曲の世界をポルトガル語がわ

からない方達にも日本語で伝えたい、という試みも12曲ほど手がけているが、その一部はYouTubeの私のサイト

(takasantafe neo)でも公開しているので、興味ある方はチェックしていただきたい。


実は、過去にもこの曲の日本語詩版を作っているのだが、なかなか気に入らなくて発表はしてなかった。今回、改

めて原曲の世界をリスペクトしながら、日本語詞版を作ってみた。全体のアレンジを私(ジョビアウ・タカ)が手がけ、

ギターの弾き語りにかぶせるオブリガード(サブ・メロディ)とソロパートを、ピアニカ演奏の Roco に共演しても

らった。ここに来てようやく、自身も納得できるハーモニーが達成できた。この曲との出会いから、すでに13年が

経過しているのを思うと、スタンダードな名曲の素晴らしさを改めて認識する結果となった。アプローチの仕方

次第で、常に新しい刺激を与えてくれる曲であることを嬉しく思う。



「カーニヴァルの朝」日本語詞・作詞はジョビアゥ・タカ




ジョビアゥ・タカバンドによる「黒いオルフェ」、ベーシストにKAZAを迎えて(経堂ピックにて収録 2014年5月)の

ライブも、なかなかいい出来だったと思う。


2020年9月23日水曜日

水門を閉める判断は、最終的に人間がするものだ! (台風19号多摩川氾濫 その11最終回)



「令和元年東日本台風に伴う 浸水被害への市の取り組みに関する説明会」(令和2年9月19日 狛江エコルマ
ホールにて開催)での市側出席者 画像はTOKYO WEBより



遅れに遅れた浸水被害対策の最終報告書に基づき、狛江市の説明会が開催された。会場のエコルマホールには、応

募によって選ばれた300人(実際は定員の7割程度)の市民が集まって、市側の説明を聞き、その後の質疑応答があっ

た。予定の10:30~12:00の1時間半を大幅にオーバーし、終了は13:30だった。それほどに、質問した市民の大

半が市側担当者の説明に納得できない結果だった。

詳細は省かせていただくが一番の問題は、両樋管(多摩川に通じる六郷排水樋管と猪方排水樋管)とも、石原水位が6

mに達したとき、水門を開いたまま職員を退避させてしまったことだ。この結果、大増水した多摩川の濁流が両樋

管を通じて逆流し、狛江市だけでも448世帯の住宅に浸水被害が発生した。今回の最終報告には触れてなかったが、

六郷樋管の逆流により隣接する調布市の246世帯の住宅にも、浸水被害が発生しているから、狛江市の責任は重大だ

った。


浸水被害対策最終報告に記載された「排水樋管ゲートの操作手順の見直し」(76ページ)、


この水門開閉の可否については、出席市民からも質問が相次ぎ、「開門したままの放置は、結果として被害を拡大

させた。判断ミスだったことを認めるべきだ!」、「樋門管理の一番重要な点は、大増水時には水門を閉じで多摩川か

らの逆流を阻止し、堤防としての機能を果たすことなのに、なぜそれをしなかったのだ!」などの指摘と責任追及が

つづいた。

市側担当者(清水環境部長と市ノ瀬下水道課長)からの応答は、「設定されていた操作手順に基づき行ったもので、

やむを得なかった。」、「ただし、水門を開いたままにしたことで、被害を大きくしてしまったことは反省してい

る。今後の操作手順を見直すことで対応したい。」だった。見直し前の操作手順を見ると、「水位3m以上になった

ら、樋管の開閉について検討する。」と書かれているだけで、水門閉鎖の具体的な判断基準は何も定められていな

い。「操作基準に基づき行ったもので、やむを得なかった。」(最終報告書にも同様な記載)、こういう応答は事態を

うやむやにする典型と見た。続いていた降雨による内水氾濫と多摩川増水による逆流かの判断に迷って、結局水門

を開けたまま放置した結果となった。自らの責任を認めれば、被災住民からの損害賠償が相次ぐことを恐れての姑息

な手段にしか見えないと思うのは、私だけではあるまい。


出席者の多くの市民が、水門を閉じずに被害拡大を招いたことに対する市側担当者の事実認識(判断ミス)と、それを

踏まえた今後のポリシー(方針)とアクション(行動規範)を聞けるかとの思いは、残念ながら叶わなかった。質問者の

お一人が、世田谷区の水門管理について言及され、大事な問題なので自ら世田谷区担当者に会って話を聞いてきた、

と話された。私自身も後で世田谷区の報告書を確認してみたが、昨年の台風19号の当日(10月12日)、世田谷区の管

理する樋門5ヶ所のうち、同夜19時30分頃(狛江市担当職員が水門を開けたまま退避した時間)、4ヶ所は水門閉鎖

を行っている。ただし、残りの1ヶ所(等々力排水樋門)だけは、付近の道路冠水や強風のため閉めることが出来なか

った。世田谷区担当者は、「多摩川からの逆流防止のため水門を閉めたことにより、内水氾濫は起こったが、水門を

開けていたらその数倍の被害が発生したと考えられる。水門閉鎖は正しい処置だった! と今でも胸を葉って言える。」

と返答されたという。さもありなん!!


「台風19号に伴う浸水被害検証委員会 第3回」(令和2年7月16日 世田谷区)6ページより。管轄排水樋門の開閉

状況がつぶさに記されている。


 同じ質問者が、狛江市の両責任者に「水門を開けたままにして職員を待避させた判断は、今でも正しかったと胸を

張って言えるのか?」との問いかけに対し、両責任者は下を向いたまま明確な返答はできなかった。


最終報告書には、種々のシュミレーションも載せられているが、いずれも「今回の処置はやむを得なかった」とい

う方針を裏付けるためのデータに過ぎない。操作手順の見直し、観測機器の設置、排水樋管ゲートの操作電動化・

遠隔化、可搬式排水ポンプの配備など、次に起こるべき多摩川からの浸水被害に対する対策は強化されてはいるが、

つきるところ多摩川大増水時に水門を閉めて、浸水被害を最小限に抑える判断は、最終的に人間がするものだ。今

回の説明会では、市側責任者達のこの問題に対する真摯な心構えと絶対に浸水被害を抑えるのだという気概は何も

感じられなかった。「やむを得なかった。」というだけの事実認識で、今後起こりうる災害への備えは出来るのだ

ろうか? 同じ治水管理者としての判断力と実施能力において、世田谷区管理者とは雲泥の差があると感じた。水門閉

鎖の判断を躊躇し、結果として住民等に多大な被害を被らせた責任は重い。人的損害がなかったことが唯一の救い

だった。近い将来に起こるべき多摩川増水による逆流発生時に、再び同じ間違いを起こさぬことを祈るばかりであ

る。その時最終的に水門閉鎖を判断するのは、治水責任者である人間だから。


昨年10月の台風19号による浸水被害発生以来、11回に渡って連載してきたこの問題も、今回を持ってひと

まず幕引きにしたいと思う。多くの方がこの問題について興味を持ち、アクセスしお読みいただいたことに感謝す

ものです。


【添付資料】

令和元年東日本台風に伴う浸水被害対策 最終報告(令和2年9月 東京都狛江市)

令和元年東日本台風に伴う浸水被害対策 最終報告 [18756KB pdfファイル] 

台風19号に伴う浸水被害検証委員会(第3回)資料(令和2年7月16日 世田谷区)

PDFファイルを開きます資料2 説明資料


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