2008年11月26日水曜日

築地外市場の朝


築地どんぶり市場の市場丼:まぐろのトロ・かんぱち・紅シャケ・甘海老・いくら・うに・出汁巻き卵・きゅうりが乗ってボリュウムたっぷり、熱々の浅利味噌汁と一緒にいただく。Photo by TAKA
しばらく行けなかったので、今日は早起きして築地の外市場に出かけた。お目当ては、チリメン雑魚をまとめて手に入れること。何時もの中富水産に寄ると、宮崎産・鹿児島産などのチリメン雑魚が揃っていた。例によって店員さんと軽口をたたきながら、ひとつづつ味見して品定め。そして店お奨めの鹿児島産1kgをまとめ買いした(3,500円)。小振りで歯ごたえもよく味がしっかりしている。
その足で干物・海産物の三栄商会に寄ってみたが、丹波産の黒豆はまだ入荷しておらず、12月の第一週になるとのこと。これは暮れの買い物に後回し。戻って、中富水産前の卵焼き゛松露゛で出し巻き卵を一箱ゲット(600円)、今夜はこれで一杯やろうっと。急に辺りがザワザワとしてきたと思ったら、TVでよく見る゛やっさん゛と゛ベッキー゛がカメラの後ろからなにやら話しながら登場。その後を゛阿藤櫂゛が追っかけてきた。築地の取材も最近増えているが、生中継だろうか?手持ちのデジカメで隠し撮り、パチリ。

左から:どんぶり市場のお店、食べているのはロシアの人 / 量り売りしてくれるチリメン雑魚 / 中富水産店頭の様子


最後に佃權へ寄っておでんだねを入手(1,000円)、

これで本日の買い物は終わり。魚介類や野菜も、ほしいものが色々あるのだが、持ちきれないし、これから仕事に行くのでまたの機会とする。そして、待望の朝飯だ。どんぶり市場に直行、丸椅子に腰かけ温かい番茶を飲みながら、ご主人の作る丼と奥さんが作る浅利汁を待つ。゛へい、おまち!゛の声でお盆に載った゛市場丼゛とお味噌汁を受け取り、断って撮影してから、ゆっくりと味わう。゛うまいっす!!

円高や経済不況のあおりからだろうか、今まで市場に溢れていたロシア人観光客や台湾・中国の旅行客がめっきり減っている。狭い路地もすうっと通れる。
ちょっと異常なブームだったから静かになっていいかも。
美味しい朝飯をいただいた後、仕事場への出勤となった。

※築地市場の案内は、このブログの08/4/23・゛まめなくらし゛の項を参照のこと。

2008年11月21日金曜日

りんご七会


゛身体に良い、おいしい宅配゛を利用してもう10年以上になるが、「大地を守る会」で毎年楽しみにしている秋の企画がある。信州安曇野の原さん一家と生産者仲間が作るりんごのシリーズで、七種類の異なったりんごを約2ヶ月に渡って届けてくれるものだ。一度に1㎏程なので、大きな玉だと三個、小さな玉だと四個が配達される。


今年は「秋映(あきばえ)」から始まって、「紅玉」・「新世界」・「王林」・「シナノゴールド」・「ふじ」、そして最後に「グラニースミス」の予定だが、すでにグラニースミスを残すのみとなった。りんごは玉の゛かたち゛(扁平・細長・尻デカなど)と゛色゛(深紅・朱赤・黄色・緑色など)にそれぞれ特徴があるけれども、果肉の゛硬さ゛(パリパリ・シャリシャリ・シャコシャコなど)と果汁の量に加えて、糖度と酸度もそれぞれに違いがあり食べ較べるのが楽しみだ。


私は生まれも育ちも信州長野なので、子供のときから身近にりんご畑の風景に馴染んで来た。夏の終わりから初冬にかけて早生から晩手のりんごが次々と登場してくるのはとてもワクワクしたし、おやつ代わりに皮ごと食べていた。酸っぱ甘い深紅の「紅玉」は大好きだった。「印度」とか「ゴールデン・デリシャス」とか、「国光」など、今はもう生産されず市場から消えてしまったおいしい種類がたくさんあった。



大地を守る会が作ってくれた゛りんご七会通信゛によると、交配によって作られた品種の親子・親戚関係が一目でわかる。確かに「王林」は、色と果肉の硬さと爽やかな甘味で「印度」を彷彿とさせるし、皮・果肉の黄色と香り・果汁の多さで、「シナノゴールド」は「ゴールデン・デリシャス」のDNAを受け継いでいるのがわかる。



食品スーパーの店頭では、「ふじ」を中心
に販売されるりんごの種類も限られているが、生産者と直結した販売で色々な種類のりんごが食べられるこの企画はとてもいいと思う。


大地を守る会は今年の夏に会社組織とCIが一新されて、また次なるステージに向かって進もうとしている。会員85,ooo人、143億円規模の売り上げ、というからずいぶんと立派な組織になったものだと思う。安心安全を求めて、食に対する意識の変化から、新規に加入する会員が増えているというが、けっこうな事だと受け止めている。これからも初心を忘れずに、゛おいしいオーガニックライフ゛を求めて邁進してほしいと思う。

2008年11月9日日曜日

再会は一本のテープから


                      □ 満天星ツツジの紅葉(戸隠神社一の鳥居にて)Photo by TAKA
そのテープが送られてきたのは、昨年の暮れのことだった。永らく交流が途絶えていた長野の高校時代のマンドリン・ギタークラブ(M.G.C)班長だったMZ君が送ってくれたものだった。それは、金鵄祭(高校の文化祭)で市民会館ホールを会場とした音楽祭が開催され、M.G.Cメンバーによる演奏録音を再録したものだった。そのテープから、なんと、40年以上前のあの時の懐かしい音楽が聞えてきた。当時の録音技術なので雑音がかなり入っているが、紛れもないあのマンドリンとギターの音だった。
「ムーン・リバー」、「キサス・キサス」、「浜辺の歌」、クラブのテーマ曲「第三の男」等々...当時夢中になった懐かしい曲の中に、私が編曲した「ルンバ・ドナウ」も入っていた。楽聖ヨハン・シュトラウス作曲のワルツの名曲「ドナウ川のさざなみ」をルンバのリズムに曲調を変え、なおかつ自分で作った間奏曲をはさむ、という、大胆にも不適な編曲であった。三拍子を四拍子にしたり、ラテンのリズムを入れたり、シュトラウスさんはいい迷惑だったろうが、若気の至りであった。でも、演奏の間々に何か熱気のようなものが伝わってきて、不思議な酩酊感を味わった。


M.G.C総勢64名の演奏(第14回金鵄祭・上)と、ハワイアンクラブの演奏(下・左から4番目がTAKAー♪あのころ私は細かったぁ♪)
当時、私はM.G.Cのマネージャーをしながらクラシックギターに親しむとともに、ハワイアンクラブにも席を置いていて、ウクレレを弾いていた。私の音楽好きのルーツはこの時代に形成された。そして今も再び、楽しみの多くの時間をギター・ウクレレの弾き語りに費やしている。MZ君から同期会のクラス幹事ST君を教えてもらい連絡を取るとともに、その年すでに終わっていた同期会に来年は出席することを約した。

この日、私は早起きして長野新幹線に乗り、JR長野駅に着いたらすぐにバスで戸隠高原に向かった。高原の景色と紅葉を見たかったのと、長野にきたら必ず寄る゛戸隠岩戸屋゛の蕎麦を堪能するためだ。高原はすでに初冬の気配で空気は冷たかったが、なだらかな稜線を糸杉の黄色や広葉樹の赤が彩る景色は美しかった。ちょうど、新そばの時期で、今年取れた実を轢いて手打ちにした蕎麦の味は格別だった。゛そば屋で軽く一杯゛というのは私の好きなスタイルで、揚げたてのてんぷらと熱燗のお酒も美味しくいただいた。そば粉100%の蕎麦は、4~5時間しか旨さが持たない。轢きたてのスルスルっというのど越しの良さは、時間の経過とともにぼそぼそ味に変わってしまう。都会では、゛小諸゛なんとか、とか、゛そじ゛なんとか、とか、信州そばをうたってチェーン店を展開しているそば屋があるが、あれは信州蕎麦とはまったく別物であ~る!! 信州そばの名誉のために言っておきたい。
こんな写真はお宝物かも?
戸隠からの帰路、善光寺の北側高台にある花岡平に寄り、教会の共同墓地の一角に静かに眠る父と母の墓参りをした。それから、同期会の会場であるホテルに向かった。地元で開かれる同期会に私は一度も参加したことがなく、40年以上たって初めてのことだった。だが、白髪が交じった風貌や、恰幅が良くなった体型の中から、紛れもない高校生の顔が浮かび上がり、近況を話しながら懐かしくも楽しいひと時を過ごすことができた。同じクラスの仲間と壇上で挨拶するのに、持参したウクレレで、ザ・ピーナッツの懐かしい曲「恋のヴァカンス」を唄うというおまけつきであった。

□上ひと口大に盛られた戸隠そば独特の盛り方
□左再会したM.G.Cの面々:左より班長のMZ君、マンドリンの名手HN君・MY君とマネージャーとは名ばかりだったTAKA
□下おなじ9組の面々:左よりTM、OG、ST、MD、TU、MY、の各君たち


年を重ねるにつれ、健康不安や病気に見舞われることも多くなる。現にMZ君は一年前に軽い脳梗塞に遭ったと言うし、WN君は去年大腸がんの手術をしたという。個人差はあるが、お互いに健康であることがとても大切な年代に入っていると思う。私も健康に留意しながら、また元気な顔で皆と会えるのを楽しみにしつつ、久し振りの小旅行を終えて長野を後にした。




2008年11月3日月曜日

石蕗・杜鵑・紫式部


関東地区にも木枯らし一号が吹き、晩秋
から初冬へと 季節は移っている。石蕗(ツワブキ)、杜鵑(ホトトギス)、紫式部、ともにこの季節を彩る地味な花だが、私はこの花たちが好きだ。
山茶花(サザンカ)は初冬を告げる花で、庭や生垣、公園の常緑樹としてどこでも見られるし花期も長いのでお馴染みだが、石蕗の花は庭の下草や根締めとして植えられるので、半日陰でひっそりと咲いている。葉は蕗に似た形と光沢ある厚みが特色で、長く伸びた葉柄の先に、菊のような鮮やかな黄色の花をつける。分類上はキク科ツワブキ属なのだが、花も紅葉も終わり、彩りが消えた景色の中に、この花を見つけるとちょっと嬉しくなる。
次々と花を開く石蕗の花(狛江自宅周辺)
All Photo by TAKA
杜鵑の名前は、野鳥のホトトギスの胸にある斑に似るところから付けられたというが、名付け親はずいぶんと連想をたくましくしたものだと思う。この鳥を近くで見ることはめったにないので、図鑑やIT写真で見るしかないのだが、野鳥の方は斑がシマ模様に近く、一方花の方は斑点である。色も灰色と紫色の違いがある。
赤紫の斑点が美しいホトトギスの花
側道や庭の下草として植えられるが、長く伸びた葉柄にびっしりと花を咲かせる様は見ごたえがある。でも、花自体が小柄なのでややもすれば見過ごしてしまいそうな地味な花だ。ユリ科のホトトギス属に分類されるが、花の形が゛触手を伸ばすイソギンチャク゛のような、また゛正体不明の宇宙人゛のような、不思議な形状をしている。思わず見入ってしまうようなシュールな姿だ。私自身、この花はユリよりも欄(ラン)に近いという印象を持っている。
そして、紫式部。日本最古の小説「源氏物語」の作者
にして、今年はこの物語の上奏から1,000年目に当るという、平安時代の才女の名前である。この花は、゛ちょっと名前負けしてるんじゃないかい?゛、と私は思っていた。
だが、女流作家・歌人と宮廷仕えの女房という毀誉褒貶とは別に、彼女の人生は、地方官僚の父と越後で幼少時代を過ごしたり、親子ほど年の違う初婚の夫に先立たれ残された二人の娘を育てるなど、なかなかしたたかなものだった。その中で、後世に残るあの長編小説を書き続けたのだから、その創作意欲と男女の愛の諸相をとらえた艶やかな感性は、賞賛に値すると思う。
そろそろ葉も実も落ちる頃の 紫式部
花の紫式部は、美しい実花で、初夏にうす桃色の小花を枝にびっしりと咲かせ、秋に球形の実の塊りを枝に連ねる。すっと伸びた枝と実紫の塊りが、すっきりとバランスがとれていて見た目に心地よい。クマツヅラ科ムラサキシキブ属に分類されるが、実が白い゛白式部゛もある。庭木の下植えや根締めに植えられることが多いので地味な花ではある。でも、その艶やかな紫色は風情があり、高貴な色とされた古代紫は、小説家・歌人の紫式部になぞられたのも、今は納得できる花の名と感じている。名づけた人の感性にも賛同できるというものだ。