2020年11月26日木曜日

ウクレレで、ジプシー・キングス 『ヴォラーレ』(Volare) 弾き語りカバー

 



長年の愛好曲をウクレレ1本で弾き語りできて、とてもスッキリした気持ちになれたのは嬉しい限り。今回の音入れは

サウンド・レコーダーを使ったので、私のウクレレ(Chai Yukinobu Concert)も切れの良い音を収録できた。 Photo by Roco



YouTubeにアップロードした動画です。


今年1月初めに、ジプシー・キングスの名曲『バンボレーオ』(Bamboleo)をウクレレ弾き語りでカバーし YouTube 

に動画投稿した折、このブログにも曲紹介を載せた(2020.1.11 「ウクレレで ~ ~ 弾き語りカバー」)。日本でのジプ

シー・キングスのヒット曲『インスピレーション』(Inspiration) ー人気TVドラマ「鬼平犯科帳」のエンディング・テー

マ曲と、長年にわたり生ビールのCMソングとして親しまれてきた『ヴォラーレ』(Volare)の他2曲のうち、ギター

ソロ曲の『Inspiration』はちょっと敷居が高い。かなり高度なギター演奏テクニックがないと弾きこなせないだろう。

この曲は、ギター演奏者にとっても人気の曲『スターダスト』(Stardust) ーロス・インディオス・タバハラスととも

に、憧れの双璧を為すかもしれない(個人的感想だが . . .)。




『Volare! The Very Best of Gipsy Kings』のCDジャケット(1999年 ソニー・ミュージック・エンターテイメント)、

『Bamboleo』・『Djobi Djoba』・『Inspiration』など珠玉の名曲が収録されたアルバム。



ご存じの方も多いと思うが、『Volare』の原曲は1958年のイタリア・サン・レモ音楽祭でドメニコ・メデューニョ

(Domenico Modugno)が歌い、グランプリを得たカンツォーネの名曲だ。イタリアの抜けるように高い青空を見上げて、

空を飛ぼう  オ~ォ 歌おう  オ オ オ オゥ~ ♪  と、ゆったりとそして朗々と歌い上げる曲調は明るさに満ちてい

る。後に多くのシンガー達がカバーし、世界的なヒット曲となったこの゛晴れ歌゛を、ジプシー・キングスは、フ

ラメンコギターを連ねて疾風のごときリズムで「ルンバ・フラメンコ」の曲に仕上げた。1982年に「ジプシー・キ

ングス」という名を冠したバンドを結成する以前から、メンバー達はストリート・バンドあるいはジプシー・バンド

としてこの曲を好んで演奏していたというから、得意のレパートリーだったのだろう。




さて、この曲をウクレレで弾き語りすることは以前からやっていたのだが、私の二つのバンド活動(Jovial TAKA 

Band と The Tapestry)では実現が叶わなかった。というのは、ジプシー・キングスの原曲では、フラメンコ・ギター

を連ねての圧倒的なサウンド表現なので、ジャズやポップスの通常バンド構成では土台無理があったためだ。今回

ウクレレ1本の表現にアレンジしてみて、改めてこの曲のスピード感や唄の楽しさに気づかされた。サビに移る時

の3連符の弾き方は、とても早いのでちょっと難しいが、その他はコードもわかりやすい簡単なものだし、ルンバ・

フラメンコの雰囲気を醸し出すリズム・カッティングを表現できれば、この曲を大いに楽しめること請け合いだ。




ジプシー・キングスの原曲はスペイン語の早口唄なので、スパニッシュ・ワインを一杯引っかけてからでないと上手

く口が回らないかもしれない(joke!)。この歌はルンバ・フラメンコのリズムに乗って歌えれば、とても楽しくなる

と思う。16ビートのスピード感を大事にして皆さんもチャレンジしてみてください。

2020年11月20日金曜日

筒美京平トリビュート 『たそがれマイ・ラブ』

 



Takaのギター弾き語りと Rocoのピアニカソロ・オブリガードにアレンジした(Jovial Takaによる)『たそがれマイ・ラブ』、
難しい曲ではあるが長年の愛好曲を録画できてとても楽しかった





【 この動画の公開は終了しました。替わりに、フランス語詞版「Tombée du Jour, Mon Amour」をUPしてあります。】

この曲のシンコペーション(後ろ乗り)とアンティシペーション(前乗り)をくりかえすメロディラインを歌いこなす
には、なかなか力量が要る。リズムもラテン系の乗りなので、ギターを細かく刻んでいる。前奏・間奏・終奏、
唄に重ねるオブリガードのフレーズもなかなか難しいのだが、なんとかハーモニーが得られた。小さなミスもある
が、トライしてみて良かったと感じている。




作曲家筒美京平(10月に享年80歳で死去)が作曲した数多くの曲の中では、この『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠)

が一番好きだ。リリースされてから40年以上も経ってはいるが、未だにその輝きを失わない名曲だと思う。ミリオ

ンセラーを数多く生み出した筒美氏の曲中では、シングル売り上げ15位(52万枚)であり、またこの年(1978)には、ミ

リオンセラーを排出したピンクレディーのヒット曲(『サウスポー』・『モンスター』など)もリリースされているから、

歌手大橋純子の中では代表曲ではあっても、あまり目立たない存在だったかもしれない。加えて、メロディの節回し

も難しい部類に入るので、かなりの歌唱力も要る曲だ。知人の娘さん(40代)などは、曲の存在さえ知らなかったとも聞

いた。



『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠/作曲:筒美京平)のシングル盤リリースは1978(昭和53)年、大橋純子の圧倒的な
歌唱力と伸びやかな歌声でヒットし、その年のレコード大賞・金賞を得ている。レーベルは日本ホノグラム、発売は
フィリップスレコードだった。



この曲をカバーして歌うに際して、改めて譜面を起こしてみると、随所に筒美氏が散りばめた作曲家ならではの

「仕掛け」に気づかされた。例えば、1番歌詞の歌い出しの部分(原曲Gmを Amに変えている)


「えぇ~!  曲の頭がいきなりミ(E)のフラットかよぅ~?!」(コードはB7)、こんな曲に出会ったのは初めてだった。また、

節回しでは後ろ乗りと前乗りが随所にあるので、初めの頃はカラオケで歌っても、なかなかタイミングが合わなかっ

た。例えばラストの部分


しかも5度・6度の音階でメロディが展開されている。当時の音楽界ではかなり「ぶっ飛んでいた!」曲だった。

バート・バカラックがお好きで、ジャズ・ボサノヴァ・ラテンなど世界の先進的音楽をよく研究されていた氏は、

曲のコードについてもテンションコードを駆使した奥行きのあるニュアンスを表現された。マイナーとメジャーを

行ったり来たりするような繊細なサウンドを作り出している。それは、当時主流だった歌謡曲(演歌など)やフォーク

ソングにない曲調を目指していたからだろう。TVの追悼番組の中で、一緒に仕事した編曲者の一人が、イントロ・

間奏・エンディングについても「これでもか! これでもか!」というこだわりがあり、1曲仕上げるのに10曲分のパワ

ーが必要だった、と言っていたのがとても印象的だった。


Jovial TAKA 2020.11.17



筒美京平氏が亡くなられて以来、各テレビ局の作曲家特集やトリビュート音楽番組で、歌手やアーティストに提供

した作曲数が日本一であるとか、レコード大賞各賞(大賞やその他の賞)を数多く受賞しているとか、曲を提供した相

手は歌手やアイドルのみならず、グループ・サウンズやアニメソングなど多岐にわたっていること等々、、、すでに

色々ご存じの方も多いと思われる。

今どきの音楽シーンからすれば、筒美氏が活躍した時代はパソコンもスマホもまだ無く、LPとCDレコード・「ベス

トテン」などのTV音楽番組・ラジオや有線放送の音楽番組が主体だったから、作詞家・作曲家・編曲家と歌手とい

うプロ達の領域が明瞭に存在した時代でもあった。原盤制作(レーベル)・レコード会社(プレスとレコード販売)・所

属プロダクションと歌手などの、音楽産業を構成する担い手達の良き時代でもあった。しかしその隆盛は、シンガー

ソング・ライターの登場(ニュー・ミュージック) → 歌えて踊れるパーフォーマーたち → インターネットの普及に

よる楽曲提供の環境激変(好みのアーチストの曲を、自らスマホにダウンロードする、あるいはYouTubeで視聴する)

などにより、退潮を余儀なくされ過日の勢いはもはやない。

筒美氏作曲のヒット曲トップ6を見ても、『魅せられて』(ジュディ・オング/詩:阿木燿子)、『スニーカー・ぶるーす』

(近藤真彦/詩:松本隆)、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ/詩:橋本淳)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦

/詩:阿久悠)、『ロマンス』(岩崎宏美/詩:阿久悠)、『木綿のハンカチ』(太田裕美/詩:松本隆)は、歌手も作詩家もみな

昭和歌謡の世界なのだ。しかし当時のミュージックシーンにおいては、ひと味もふた味も違うメロディラインと曲

アレンジの素晴らしさを持って、今も輝いていると私は思っている。今回、筒美氏をトリビュートして『たそがれ

マイ・ラブ』をTaka & Rocoで演奏し動画投稿出来たのは、長年の愛好曲に表現の一つの区切りをつけられたと思

い、とても幸せな気持ちでいる。つたない演奏と歌ではあるが、この名曲の存在を知られる方が増えることを望ん

でやまない。


<付記>なお、歌手大橋純子さんは長年ライブツアーを中心に活躍していたが、一昨年から去年に渡り早期食道がん

の治療に専念し、昨年3月に現役復帰したとのこと。あの素晴らしい歌声が再び聞かれるのはとても嬉しいことだ。


2020年11月1日日曜日

観光スポットとなった御射鹿池と秋の巻雲 (奥蓼科探訪 その3)

 



紅葉が始まった蓼科の山々をバックに、ひっそりと佇む御射鹿池(みしゃかいけ)。緑がかった湖水に映り込む山や木々
の影も神秘的だったが. . . 道路嵩上げと駐車場設置のため湖の岸辺には鉄柵が巡らされ、立ち入り禁止となってしまった。
All Photo by Jovial TAKA




さて、目的地の一つだった御射鹿池については、やや複雑な思いでいる。これは、人々にとって絶えず問われる課題

だからだ。曰く、開発による経済効果か? あるいは環境保全なのか? ということだ。この池の歴史を見ると、昭和8年

(1933)に農業用温水ため池として造成され(貯水量26,000t / 水深8m / 標高1,528m)、その後の護岸工事を経て2,016年

8月に、道路改修(嵩上げ)・駐車場設置(普通車30台・大型バス10台程)の工事を行って、増える観光客への便を図って

きた。東山魁夷の絵画「緑響く」の制作舞台となっていることや、吉永小百合のTVCM(Sharp Aquos)の背景イメージに

使われたこと(私も見た記憶はあるが、YouTube動画では検索できない)、これらの知名度を観光客誘致に使わない手は

ないと、行政や業者も考えたのだろう。

東山魁夷がこの池をテーマに作品を描いたのは、今から約40年程前だが、元々諏訪神社の神事としてこの地区で

奉納のための鹿を射ったことから池の名前がつけられたと言われている。さほどの山奥の静寂な環境だったから、

作者も画欲を刺激され作品につながったのだろう。その当時は歩いて小1時間(車では5分程度)かかる宿に一週間

滞在し、取材を続けた宿がなんと渋辰野館だったことを知った。それは、当館にこの作品のリトグラフが飾られて

おり、宿泊取材の経緯を紹介してあったからだ。この、奇しき一致に驚きはしたものの、現在の御射鹿池にやって

くる観光客の混雑振りを知ったら、作者はなんと言うだろうか?




東山魁夷作「緑響く」1982(昭和57)年 作者74歳 濃美術館蔵 、深山・幽谷の湖水に映り込む新緑の木々と、画面左
に向かってゆっくりと歩む一頭の白馬が、幻想的な静寂さを漂わせている。作者自身によると、その時モーツァルト
のピアノ協奏曲第二楽章の旋律が聴こえきて、「白い馬はピアノの旋律で、木々の背景はオーケストラです。」と
語っている。この年、パリにて「白い馬の見える風景」展開催。当美術館HPより



同様な状況は日本各地で見られるものだろう。京都しかり、軽井沢しかり、博多しかり。ここ数年続いたインバウ

ンドの外国旅行者の激増は、大きな経済効果を我が国にもたらしたけれど、大きな弊害ももたらした。それも未だ

に収まらないコロナ感染の拡がりで一変してしまった。あの、中国人観光客でごった返していた富士の裾野の湧水

池:忍野八海は、今どうなっているのだろう。サイクリング用舗装道路が作られて環境が一変し、梅花藻が枯れ果て

てしまった姫川湧水は、元の美しさに戻れるのだろうか? 4年以上前に撮影し、動画投稿した姫川湧水の豊かな環境

と美しい梅花藻の開花は、もはや過去の映像でしか見ることが出来ない。

舗装道路嵩上げと大型駐車場が出来る前の、御射鹿池の貴重な映像が残されている。4Kの高画質・色調整などはさ

れているが、もう二度と見られない風景かもしれない。多少不便さはあっても、貴重な自然体系を残していく方向

性と努力が、我々にも求められているのだと考えざるを得ない。自然環境や生態系に負荷のかからない暮らし方や

遊び方を心がけたいものだ。奥蓼科の自然環境をこれからも残していって欲しいし、自分たちに出来ることをして

いきたいと思う。




新緑の御射鹿池「死ぬまでに行きたい ! 日本の絶景」奥蓼科 Japan Mishaka Pond of Summer
https://www.youtube.com/watch?v=bZEBy7k_EFQ  






巻雲の一つ:肋骨雲(ろっこつうん)は、人間や動物・魚類のあばら骨のような形の雲で、北の高気圧が張り出してきて、
湿度が低く晴れた秋の空に現れる。



話はさておき、1日目の雲一つない快晴と翌日の晴天に恵まれ、高原(渋辰野館で1,700m程)の空気も朝方は5℃だった

から、放射冷却で抜けるような青空と、秋特有の巻雲や巻層雲(10.000m前後の上空に現れる)を見ることが出来た。

これらの雲は、都会や都郊外ではなかなか見られない種類なので、時を忘れて雲に見入ってしまった。紅葉とともに

このような秋景色を雲の形で見られたことも、奥蓼科ならではの贈り物だった様に思う。帰路は宿から横谷観音に

廻り、八ヶ岳東麓のエコーライン → 鉢巻道路を抜け、大平交差点から八ヶ岳高原ライン → クリスタルライン →

141号線を辿って、須玉インターから高速に乗って東京に戻った。立ち寄った蓼科自由農園の広さと品揃えに感激し、

信州から甲州に入ると空気や標高の違いからか、紅葉の進み具合や色合いがなんとなくくすんでいて、「やはり

紅葉は、信州の高原の方がずっときれいだね! 」と、連れとの意見が一致した。




鉤状雲(かぎじょううん)は、筋状の雲の先端が鉤のように曲がっていて、釣り針を思わせるを思わせる形をしている。




毛状雲(もうじょううん)は、毛髪や繊維を思わせる筋のある雲で、薄いベールのようにまとまって現れる。




初日に諏訪南で高速を降り、八ヶ岳山麓の道路を蓼科に向かう途中、原村の道路脇に見つけた満開の秋菊、豹紋蝶が
一匹飛来して花の上に止まった。





八ヶ岳の全貌を見ることが出来たのは初めてのことだ。快晴で雲一つない日、湿度が低くやや風がある日、幸運の
光景を南東方向から見ることとなったが、右から、編笠岳(2524m)・西岳(2398m)・権現岳(2716m)・赤岳(2899m)・
阿弥陀岳(2805m)・横岳(2829m)・硫黄岳(2760m)・天狗岳(2466m)。見る角度のため、後方の高い山が低く見えるの
わかった。中山(2496m)から蓼科山(2530m)に続く北八ヶ岳は、天狗岳の北方に連なっている。





旅のお土産は、原村にある「たてしな自由農園」で買い物した。地域クーポン券も利用出来たので、取れたて野菜・
地元日本酒・栃の実入り煎餅・ナチュラルチーズ・うずら豆など色々と入手した。「食用ほうずき」は、宿泊先の
夕食前菜にも出て、レモンイチゴが混ざったような美味しい実だったので、思わず買ってしまった。信玄の薬湯に
浸かり、紅葉と滝・地産の食と空高い雲を満喫したいい旅だった。



<この項終わり>