2008年11月9日日曜日

再会は一本のテープから


                      □ 満天星ツツジの紅葉(戸隠神社一の鳥居にて)Photo by TAKA
そのテープが送られてきたのは、昨年の暮れのことだった。永らく交流が途絶えていた長野の高校時代のマンドリン・ギタークラブ(M.G.C)班長だったMZ君が送ってくれたものだった。それは、金鵄祭(高校の文化祭)で市民会館ホールを会場とした音楽祭が開催され、M.G.Cメンバーによる演奏録音を再録したものだった。そのテープから、なんと、40年以上前のあの時の懐かしい音楽が聞えてきた。当時の録音技術なので雑音がかなり入っているが、紛れもないあのマンドリンとギターの音だった。
「ムーン・リバー」、「キサス・キサス」、「浜辺の歌」、クラブのテーマ曲「第三の男」等々...当時夢中になった懐かしい曲の中に、私が編曲した「ルンバ・ドナウ」も入っていた。楽聖ヨハン・シュトラウス作曲のワルツの名曲「ドナウ川のさざなみ」をルンバのリズムに曲調を変え、なおかつ自分で作った間奏曲をはさむ、という、大胆にも不適な編曲であった。三拍子を四拍子にしたり、ラテンのリズムを入れたり、シュトラウスさんはいい迷惑だったろうが、若気の至りであった。でも、演奏の間々に何か熱気のようなものが伝わってきて、不思議な酩酊感を味わった。


M.G.C総勢64名の演奏(第14回金鵄祭・上)と、ハワイアンクラブの演奏(下・左から4番目がTAKAー♪あのころ私は細かったぁ♪)
当時、私はM.G.Cのマネージャーをしながらクラシックギターに親しむとともに、ハワイアンクラブにも席を置いていて、ウクレレを弾いていた。私の音楽好きのルーツはこの時代に形成された。そして今も再び、楽しみの多くの時間をギター・ウクレレの弾き語りに費やしている。MZ君から同期会のクラス幹事ST君を教えてもらい連絡を取るとともに、その年すでに終わっていた同期会に来年は出席することを約した。

この日、私は早起きして長野新幹線に乗り、JR長野駅に着いたらすぐにバスで戸隠高原に向かった。高原の景色と紅葉を見たかったのと、長野にきたら必ず寄る゛戸隠岩戸屋゛の蕎麦を堪能するためだ。高原はすでに初冬の気配で空気は冷たかったが、なだらかな稜線を糸杉の黄色や広葉樹の赤が彩る景色は美しかった。ちょうど、新そばの時期で、今年取れた実を轢いて手打ちにした蕎麦の味は格別だった。゛そば屋で軽く一杯゛というのは私の好きなスタイルで、揚げたてのてんぷらと熱燗のお酒も美味しくいただいた。そば粉100%の蕎麦は、4~5時間しか旨さが持たない。轢きたてのスルスルっというのど越しの良さは、時間の経過とともにぼそぼそ味に変わってしまう。都会では、゛小諸゛なんとか、とか、゛そじ゛なんとか、とか、信州そばをうたってチェーン店を展開しているそば屋があるが、あれは信州蕎麦とはまったく別物であ~る!! 信州そばの名誉のために言っておきたい。
こんな写真はお宝物かも?
戸隠からの帰路、善光寺の北側高台にある花岡平に寄り、教会の共同墓地の一角に静かに眠る父と母の墓参りをした。それから、同期会の会場であるホテルに向かった。地元で開かれる同期会に私は一度も参加したことがなく、40年以上たって初めてのことだった。だが、白髪が交じった風貌や、恰幅が良くなった体型の中から、紛れもない高校生の顔が浮かび上がり、近況を話しながら懐かしくも楽しいひと時を過ごすことができた。同じクラスの仲間と壇上で挨拶するのに、持参したウクレレで、ザ・ピーナッツの懐かしい曲「恋のヴァカンス」を唄うというおまけつきであった。

□上ひと口大に盛られた戸隠そば独特の盛り方
□左再会したM.G.Cの面々:左より班長のMZ君、マンドリンの名手HN君・MY君とマネージャーとは名ばかりだったTAKA
□下おなじ9組の面々:左よりTM、OG、ST、MD、TU、MY、の各君たち


年を重ねるにつれ、健康不安や病気に見舞われることも多くなる。現にMZ君は一年前に軽い脳梗塞に遭ったと言うし、WN君は去年大腸がんの手術をしたという。個人差はあるが、お互いに健康であることがとても大切な年代に入っていると思う。私も健康に留意しながら、また元気な顔で皆と会えるのを楽しみにしつつ、久し振りの小旅行を終えて長野を後にした。




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