2011年9月21日水曜日

佐伯泰英の「酔いどれ小藤次留書」・新作を読む(その2)

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文庫シリーズ本のタイトル一覧表(佐伯泰英ウェブサイトより)

さて、「酔いどれ小藤次」だが、16巻+読本を今夏の猛暑の日々に読み通した。今は最後の読本の一部を残すだけとなったが、この旧主への忠義と思い人への思慕を心の支えとする五十男の物語はメチャ面白いと再認識した。これだけ読者をワクワクさせてくれる小説も珍しいのではないかと思う。異形の主人公・赤目小藤次は五尺一寸(153cm)の矮躯、大頭、禿げ上がった額、大目玉、団子鼻、大耳のいわゆる醜男、本人も自分を゛もくず蟹顔゛と称している。しかも、柳橋の万八楼で開かれた大酒の催しで、一斗五升を飲み干し二位になったほどの大酒飲みで酒には目がない。ただし、初老(御鑓拝借当時49才ー現代では団塊エイジか?)の爺様侍ながら、父伊蔵に仕込まれた先祖伝来の来島水軍流の達人で、剣にはめっぽう強い。小藤次を巡って登場する人物達は多士多彩だが、幻冬舎時代小説文庫の『酔いどれ小藤次留書公式サイト』に登場人物略図が載っているので、それに添って魅力のポイントを挙げてみたい。
http://www.gentosha.co.jp/kotouji/about.html



まず、豊後森藩主・来島道嘉が江戸城内にて他の四藩主(讃岐丸亀藩・京極長門守高朗、播州赤穂藩・森忠敬、豊後臼杵藩・稲葉擁道、肥前小城藩・鍋島直尭)から、「城なし大名」との辱めを受けたことに端を発し、これを知った小藤次は主君の仇を討つことを決意し、脱藩して参勤交代の途につく四藩の行列を次々に襲い、行列シンボルの御鑓を切り落として奪い取る。これが゛御鑓拝借事件゛〔冒頭の文庫①〕、なかなか痛快だ。事件はいったん収束を見るが、御鑓を切り落とされたことを根に持つ四藩の復讐者たちが、次々と刺客を小藤次に放つ〔文庫②〕。この戦いを来島水軍流の剣技(正剣10手脇剣7手)を駆使して次々と退ける、この剣戟は手に汗握るものだ。

この、行列を窺う最中、箱根の山中で山賊に襲われようとした芝口の紙問屋・久慈屋昌右衛門一行を小藤次が助けたことから〔文庫①〕、久慈屋の人々との交流が始まり、後に久慈屋家作の新兵衛長屋に小藤次が暮らすことになる。父伊蔵に仕込まれた刀研ぎを生業にして、久慈屋の一角に作業場を作って店の様々な刃物を研ぐこともしばしば。また、昌右衛門と大番頭の観右衛門を助けて、旗本への貸し金回収の用心棒役や、西の内和紙の生産地に紙仕入れに行く道中を警護したり、番頭や使用人の面倒を見て後見人を務めるうち、両者の信頼関係が深まっていく様は、武士と商人の垣根を越えてとても微笑ましい。

新兵衛長屋の差配(大家)・新兵衛は認知症が段々ひどくなり、娘のお麻は飾り職人の夫圭三郎と孫のお夕(お麻の娘)とともに、他の長屋から移り住んで新兵衛と同居して面倒をみることになる。この辺りも要介護の爺様・ばあ様が急速に増える現代の世相を濃く反映していると思う。後に、赤穂藩が放った刺客・須藤平八郎を小藤次が倒し、武士の約定で一子駿太郎を自分の子として育てることになるのだが〔文庫⑦〕、駿太郎のお乳やりや急な外出の際、お麻とお夕に面倒を見てもらうようになる。長屋の隣住まいの勝五郎は、読売屋(現代の新聞屋)の版木を彫るのが仕事、版元の空蔵(腕利きの文章家で゛ほら蔵゛の異名を持つ)とともに、小藤次の解決する事件を追いかけ次々と読売を売りまくる。この長屋の住人達とは、夜食のおかずを融通しあったり、朝風呂を一緒に浴びたり、酒が手に入れば皆で集まって酒飲みしたり、相身互いの助け合いで貧しくとも元気に暮らす゛長屋住まい゛が続く。

小藤次の日々の暮らしを支えるのは研ぎ仕事だ。父伊蔵に仕込まれた刀研ぎの腕は秀逸で、紙問屋久慈屋の多種な刃物、足袋問屋京屋喜平の細々とした刃物だけでなく、大川を渡った深川界隈の料理屋(歌仙楼の女将おさき)・蕎麦屋(竹薮蕎麦の亭主美造)・畳屋(浅草寺御用達畳職・備前屋梅五郎)・魚問屋(魚源の主人永次)・曲げ物屋(万作と倅太郎吉)などの専門刃物、そして長屋のおかみさんたちのなまくら包丁まで、あらゆる刃物を研いで廻るのだ。豊後森藩下屋敷当時に習い覚えた゛竹細工゛の腕も半端でなく、その細工を生かして竹とんぼや独楽を作って、研仕事の挨拶に無料で提供するなど、無欲で誠実な仕事ぶりが評判を呼びお客が増えていく様は目を見張るものがある。この辺りは、日銭は少なくとも日々の職人仕事を手抜きせずにしっかりとこなし、職人同志がお互いの技量を磨きながら助け合っていくという、作者の職人好き(憧憬)が顕著に出ていて心温かくなる。

作者によると、小藤次は言わば企業成績の冴えない小規模会社をリストラされて世の中に放り出されたサラリーマン、家族なく住む家なく蓄えもない、ないない尽くしで風采のあがらない初老の独身男みたいなものだ。でも日々生きていかなくてはならない。手に覚えのある研ぎと竹細工で、一生懸命周囲の人たちのお役に立ち、彼等が理不尽な苦境におちいっているのに遭遇すると、腕に覚えの来島水軍流の剣捌きで助けたり、また、彼等から日々助けてもらいながら供に生きる姿が読者を惹き付けるのだと思う。特に、リストラされたり定年退職した多くの゛団塊の世代゛にとっては、身近で切実な課題だと思う。

しかしながら、その様な困難なまた気苦労な毎日を、小藤次は何故か楽しむように活き活きと暮らしている。そこには、旧主来島道嘉への忠誠という精神的な支柱があって、なにか事起きた時は生涯一君主のために命を懸けるという強固な意志が息づいている。この矜持とともに、小藤次が唯一思慕を寄せる女性「おりょう」は、彼女が16才のときにすれ違った小藤次が一目ぼれした女性であり、旗本水野監物家の奥女中でもある。おりょうの難儀を再三救い、彼女に「おりょう様は小藤次にとって、生涯たったひとりの女性」と告白したことから、おりょうと小藤次は互いに心寄せる仲になっていくのだが、この複線のストーリーがなかなか良い。おりょうは、鎌倉での歌会を期に、御歌学者の父・北村舜藍の後を次いで歌人としての道を進もうとするのだが、その拠点となる郊外のお屋敷「望外山荘」を小藤次のバックアップで入手し、新春歌会〔文庫⑮〕を成功させる。小藤次と一子駿太郎、そしておりょうの三人の物語は、これからどう展開していくかとても楽しみだ。

小藤次の腕を頼みに、難事件を次々と解決する南町奉行所の定廻り同心・近藤清兵衛と難波橋の秀治親分、小藤次の商売の師匠で深川蛤河岸に野菜舟をつけて平井村の野菜を売る若い女性うづ、小藤次を庇護する老中・青山下野守忠保と美人密偵のおしん、眼千両と謳われた当代一の立女形・五代目岩井半四郎...などなど、レギュラーの登場人物はまだまだ居るけれども、これらの人々と小藤次の織りなす物語が、これからも続くように、作者の健筆を願うばかりである。

単行本→文庫本→全集、という従来の出版界の刊行サイクルとは違い、゛文庫本書下ろし゛というユニークな出版形式をとりながら、大ベストセラー作家になった佐伯泰英だが、今後も電子出版や携帯小説など新しい波が出版界を覆って行くと思う。しかし、「自分の小説を読む読者は、仕事に追われ疲れながらも、移動の電車内の中でひと時気分転換に読むような方が大半だと思う。読者が読み終わってちょっと気分がすっきりするような、そんなエンターテイメントが提供できたらと思って書き続けている」という趣旨のことを彼がコラムで書いていたのを覚えている。そんな職人作家の今後の新作に期待したいと思っている。

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