2012年3月18日日曜日

楽曲のコード進行は、その人の個性と気分の現われだ(コードその1)

ウクレレでボッサを弾き語り(過去のライブからin Alcafe '09秋) Photo by Yoshizawa

今回の話は、ある意味ではとても些細なことなのだが、実際に曲の表現(歌ったり演奏したり)をする場合には切実に大事なことなので、取り上げてみようと思った。それは、曲のコード進行の話だ。

私自身は、音楽学校で作曲や編曲を学んだとか、高度なジャズ理論を学んだとかいう経験が全くないので、理論的なことには詳しくない。ただ、音楽が好きで、歌うことや弦楽器(ギターやウクレレ)を弾くことが日常生活の一部になっているので、「この曲をどう表現しようか?」という課題は絶えず身近にある。ブラジル音楽(ボサノヴァやサンバ)については、師匠についてみっちりと学んだので、テンション・コードについては、かなり自由自在に操れるようになったのが、唯一の専門的なベースかもしれない。

自分ひとりの曲表現(Gtソロの弾き語り)から、デュオやトリオ(ピアノ・フルート・サックス・ベースなど)との共演、そして最近はバンドを組んでの共演が多くなり、必然的に表現する曲の譜面作成がミュージック・ワークとして増えてきている。キー設定にはじまり、イントロ・間奏・エンディングのメロディライン、メインヴォーカルとコーラスのカウンター・メロディ、全体の曲の流れとソロ楽器のアドリブ演奏のベースになるコード作り、それを乗せるリズムの設定...色々な要素が一体となってその曲に味付けがされて、曲の性格というか個性が際立ってくる。

歌い手として、またギタリストとして、時にはハモリのコーラス・メンバーとして楽曲に参加しているのだが、最近の私自身は、作詞・作曲・編曲者としてのワークも増えてきている。メイン・レパートリーはボサノヴァやサンバ(ポル語)だが、ジャズやワールド・ポップスも手がけるし、懐かしのJ-POPSやオリジナル曲も加わって、なかなか賑やかになっている。高校同期生バンド(ザ・タペストリー)では、カントリー・ミュージックやハワイアンも入るので、それぞれの曲をどう味付けするかが大事な課題となる。時折思うのだか、目の前にある食材を使って、その食材の持つ本来の味を如何に引きだし、また調味や盛り付けを工夫して、如何にお客さんに満足してもらうかを苦心する料理人になった心境になる。

もっぱら PrintMusic のソフトを使って、習い覚えたボサノヴァ曲も少しづつ自分の譜面を作っているが、最近面白かったのは、Drval Caymmi の『Saudade da Bahia』の譜面作り。手元には中村教室で扱った譜面はあるのだが、以前私はウクレレ用のバージョンを作りデュオで歌っていたことがあった。バンド用のコーラスを入れたバージョンを作ろうと思い、ブラジルの音楽サイトを覗いてみたら、ドリバゥ・カイミとジョアン・ジルベルトの2つのバージョンを見ることが出来た。

http://www.cifraclub.com.br/dorival-caymmi/saudade-da-bahia/

http://www.cifraclub.com.br/joao-gilberto/saudade-da-bahia/

興味のある方はYou-TUBE の動画で聴けるので覗いて見ていただきたいが、D.カイミのバージョンは CMaj でかなりPOPS的な明るい音のコード、J.ジルベルトのバージョンは珍しいBMajでかなり複雑なニュアンスのあるコード。動画では、トム・ジョビンのファミリーとカイミがスタジオで練習している珍しい画像が付載されている。ジルベルトのものは、若い頃の録音と思われるが、詳細はわからない。
基本は、Tonic(主和音)、 Subdominant(下属和音)、 Dominant 7th(属7和音)だが、主和音に何を選ぶか(CMaj or CM9 or CM7 or C69...)でも、すでに曲のニュアンスは変わってくる。これは他の和音も同じだ。細かなところは書ききれないのだが、何を選んでもOKといっても過言ではない。大切なのは、メロディラインに沿って、和音が滑らかに流れること、そして、メロディラインを滑らかに導くことだ。当然、次のメロディに移る゛間゛の和音も大切になる。

故郷のバイーアを想う懐かしさと、故郷を出て富と栄光を求めた果ての惨めさと悔恨の想いが交錯するこの名曲は、「乗りの良いリズムと明るいコード」のカイミ版がより゛懐かしさ゛にウェイトがあるとすれば、ジルベルト版の「複雑なコードとしみじみとした歌」は、はより゛悔恨の苦さ゛にウェイトがあるように私は感じる。それは、表現する人の個性と想い(気分といっても良い)によって変わってくるのだ。歌い手は歌い手なりに、また演奏者は演奏者なりに、その曲と向き合って如何に自分を表現するかに腐心するのだが、編曲者としては自分のスタンスを明確にしながら、コードを如何つけていくかに苦心する。和音の繫がりの結果として作られた曲の゛ストリーム(流れ)゛が、その曲の性格を形作るように思う。「たかがコード、されどコード」ではある。

結局私の作った譜面はどうなったかというと、ボサノヴァとサンバが混じった軽快なリズムをベースに、メイン・ヴォーカルに上3度のハモリを入れて歌はデュオとし、コードは明るいメジャー系、つなぎに7th 系13やb13を入れてニュアンスを出す形となった。Sax やPf のソロにも対応できる(単音楽器はメロディラインで和音を作るからね)コードになっている。

コードのことでは、同期生バンドのドラマー:QP村山とも「Sunny」の曲で話したことがあった。この曲は、半音づつキーが上がっていくのを4回繰り返す、という珍しい曲なのだが、曲の終わりに近い小節のコードは、譜面作成した私が付けたコードとは別のコードなのでは? という指摘がある方(ジャズのベースマン)からあったれけど、どうなの、というもの。その時、「コードは付ける人によって違ってくるから、なんでもありだよ。」と答えた。コードに正しいとか間違いということはない。「なんか合ってるとか、合ってない」ということはある。合わないコードは違和感を感じるし、合ってるコードは心地よい気持ちになる。それを如何選ぶかは、コード付けする人の感性に係わってくる。実際、ボビー・へブのオリジナルも、演奏した年によってコードは違うしキーも違うし、それをあるサイトで確認してちょっと面白かったので、参考のため以下に載せておきます。興味ある方は覗いてみてね。

http://www.ultimate-guitar.com/search.php?search_type=title&value=Sunny

この項続く

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