2017年1月27日金曜日

松本の北アルプス降ろしの風は、とても冷たかった。




 国宝松本城は松本市のシンボルとなる歴史遺産として保存され、曇り空に五層天守閣がそびえたっていた。
手前は赤塗りの埋橋、黒塗りの下見板で覆われた城壁が戦国時代の名残を残して勇壮な佇まいだった。
All Photo by TAKA



さて、古稀同級会の前日のことだが...信州長野と言っても、長野市を中心とする北信と上田・小諸の中信、中信西

の松本、それと飯田などの南信とでは、風土も気候もかなり違う。戦国時代までは、各地に国主がいて国を治めていたし、

武田氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏の統治後、明治維新で長野県に統一されたという歴史的経緯がある。私自身も同じ

県下と言っても松本を訪れた機会は少なく、大学(信州大)受験や旅行の折に数回でしかない。今回、上田でのクラス

会を契機に、本当に何十年振りに松本の街を訪れてみた。新宿のバスタから3時間15分で松本駅横の松本バスタに着く

から、なかなか便利になっていた。実際は首都高に乗ったときに事故渋滞で30分程ノロノロ運転だったのだが、運転

手はスピードを上げ、途中双葉SAでの休憩時間も縮めたので、定刻通りに着いてしまった。




 冠雪した北アルプス連峰の山々を背景に松本城が見られるかと期待していたが、雲が空を覆っていたので、
北アルプスと城の絶景は見られなかったのは残念! しかし、とても美しい城であることを再認識した。


松本バスタで出迎えてくれたAさんと息子さん・お孫さんと、直ぐ近くのショッピング・センターで娘さんの誕生祝い

のためのシャンペンを買い、自宅まで市内を抜けて歩いて行った。市の中心街は、まだ古い建物が残っていたり、

若い店主が開いた洒落たお店が混じりあう街並みで、高層ビルがない景観は空が広く高く、開放感があった。道路

には雪がなかったが、脇に片付けられた雪の塊りがしばらく前の積雪を感じさせた。晴れていれば、西の方角に連な

る北アルプスの山々が臨めただろうが、生憎の曇り空で北アルプスは見えなかった。ただ、風はひたすら冷たく、

かなり着込んできた身にも寒さが沁みてくる思いだった。聞けば、朝方はマイナス10度位になる厳寒の時期とのこと。

クラス会の折でもなければ、こんな寒い時期に来ることはなかっただろう。しかし、夏はとても過ごしやすいという

から、また気候のいい時期に訪れる機会があるかもしれない。




城址公園の中では色々なイベントが催されていて、氷の彫刻祭・温か鍋祭・アイドルコンサートなど、
とても賑わっていた。観光客で駐車場も一杯、これら厳冬の風物詩として来場者も多いとのこと。


松本城の黒壁(実際は黒塗りの下見板)は、別名「烏城」とも呼ばれており、実戦本位の豊臣時代の築城術を残す数少な

い城となっている。熊本の熊本城(加藤清正築城)、島根県松江の松江城(堀尾吉春)、岡山城(宇喜多秀家)などが知られ

ているが、高層の天守閣を残しているのは、白壁漆喰塗りの姫路城と黒壁の松本城の2つだけのようだ。お孫さんが

苑内特設の氷製滑り台の順番を待つ間、資料館で松本城の歴史をちょっと覗いてみたら、明治維新の折一度は取り壊

し・売却となる危険に見舞われたけれど、地元有志の保存運動によってそれを免れたとのこと。昭和30年代に城

内部の柱が傾き、倒壊の恐れが出たため、またも有志の運動によって全面的に解体・再建築が成され、現在の姿

残している。何か、松本市民の底力を見た気がするが、旧開智小学校(明治6年開校の洋風2階建て校舎として保存)

とともに、松本の歴史遺産のシンボルであり、それに魅かれて訪れる観光客も多いのだ。


その夜は、Aさん宅で食事をご馳走になり、近くの洋菓子やさん特製のケーキで娘さんの誕生日祝いをし、お孫さん

を囲んでトランプやどらえもん麻雀などをして遊んだ。泊めて頂いた翌朝南側の前庭を見ると、かなり広いスペース

の畑があり、「これだけあれば、トマトやナス・キュウリなど野菜が沢山作れるね!」と話した。空気はいいし水は

きれいだし、冬の寒さは如何ともしがたいが、いい環境に住み替えされたのを感じた。お城の周りで写真を撮った

り、鍋祭の食べ物に寄ってみたりしてから、松本駅に向かった。お城から15分位の距離だったが、古い城下町の

静かな佇まいが心地よく感じられた。

松本から上田までは、JR篠ノ井線の各駅停車に乗って行く。ワンマンのローカル電車は、運転手兼車掌は女性駅員

だった。途中で冠着トンネルを抜け姨捨駅に着くと、何と、昔ながらの「スウィッチ・バック」が残っていて、

車両は一旦姨捨駅に停車後バックして下り線路に入り直すのだ。とても懐かしい思いがしたが、車窓の外は一面の

積もった雪で、「田毎の月」で有名な姨捨山斜面の棚田は何も見えなかった。篠ノ井駅でしなの鉄道に乗り換え、

上田駅に向かったが、しばしのローカル線各駅停車の旅は、約1時間半の運行だった。そして、上田の街で小学校の

クラスメイトと合流することが出来た。



最前列車両の車窓から見た「スウィッチ・バック」の線路、懐かしいあの日に帰っていくような、
不思議な思いが胸を過ぎった。

58年目(卒業以来)の小学校クラス会は古稀会だった。




しのはら先生を囲んでの記念撮影、14名のクラスメイトが集まって、懐かしい話や近況を伝えあって楽しい時間を過ごした。
All Photo by TAKA


大寒(1月20日)のこの時期に、JR上田駅前のホテルにてクラス会を開催するとの案内をもらったのは、昨年の10月
 
半ばだった。折しも「古稀同級会」と名付けられた会に参加をしたい気持ちは十分にあったが、何にしろ一年で一番
 
寒い時期なので、はたと迷ってしまった。しかし案内の葉書によると、恩師は90歳を迎えてお元気であるというし、
 
ご自身から「何時まで生きていられるかわからないので、年明け早々にしてほしい!」との希望が出され、この日取り
 
(1月22日)となったとのこと。私自身は一昨年の秋(2015年10月末)に、8人のクラスメイトと一緒にクラス会兼ミニ
 
ライブを開いていたので、その時に「古稀同級会」には必ず参加する、と伝えていた。今回は寒い時期にも係わらず
 
に上田行きを決め、そのついでに昨年秋に松本に引っ越ししたAさん宅を訪れることにした。
 
 
夕方5時から始まった会は、恩師を入れて15名のメンバーで始まり、長年に亘り信州の教育界に貢献された恩師の瑞宝章
 
叙勲をお祝いし、小学校校歌斉唱・乾杯(私の音頭指名)で和やかな雰囲気となった。1階のホールで記念撮影後は、お酒・
 
飲み物・料理をいただきながら、各自の近況紹介や 昔の思い出話が次々と飛び出し、私にとっては半数の方は58年振り
 
だったから、とても懐かしい思いがした。おぼろげな記憶ではあるが、各自の話を綴ってみる。
 
 
けんちゃん:高校は野球の名門松商学園に行き、甲子園には2度出場した。現在は地元のトヨタ系自動車販売会社で、
 
広く車を扱っている。つい最近、前立腺の検査をして、とてもとても痛い思いをしたとのこと。趣味はゴルフ。
 
まったかちゃん:小学校近くの昔からの住所で、会計事務所を営んでいる。やはり前立腺ガンの手術を7時間にわた
 
って受けたが、すっかり回復した。そして、けんちゃんとまったかちゃんの二人は「前立腺コンビ」と名付けられた。
 
きみおちゃん:地元で保険会社を営んでいて、時々東京の人形町に打ち合わせ(と称して?)に出てくる。私と今度旨い
 
ものでも食べようよ! と乗り気だった。しばらく前に奥さんを失くされ、只今再婚活動中。
 
えいこちゃん:結婚した旦那さんが地元の伝統工芸の職人さんで、すでに紫綬褒章を叙勲された。40数年間毎日お
 
弁当を作って主人送り出すとのこと。えらい! ナッツが沢山入った手作りのパウンドケーキを皆に持参してくれた。
 
くらちゃん:現在横浜市在住だが、度々長野には遊びに来る。山菜取り・キノコ採りが楽しみ、海釣りも好きでヒラ
 
メなどを狙ってよく繰り出すとのこと。日焼けしてがっちりと元気そうだった。
 
みっちゃん:冬季オリンピック会場だったエムウェーブで今も仕事をしている。色々なイベントやスポーツ競技会
 
があるので楽しくて、これからも続けたいそうな。
 
みえこさん:昨年98歳の母を看取った。娘と二人の孫の面倒を見るのに毎日フーフー言っている。地元FM局の番組や
 
子供たちへのボランティアで、本の読み聞かせをするのが楽しみとなっている。
 
えみこさん:以前からみえこ&えみこのコンビで、クラス会を仕切ってきた(ご苦労様です!)。最近フリー・ツアーに
 
嵌まっていて、ついこの間もオーストラリアに長期滞在してきた。自由に話したり行動できるのが良いとのこと。頼も
 
しい限り!
 
ジンちゃん:ヨガとストレッチにご執心で、身体に良いポーズをやって見せてくれた。善光寺裏の高台にある禅寺で、
 
毎朝4時から座禅を組み修行中。戒名の欲しい方は声をかけて下さいとのこと。これで終活もやりようがあるか?
 
こうじくん:ジンちゃんと同じ寺で毎朝座禅を組む仲、2人を「坐禅コンビ」と呼ぶことにした。何やら風貌も禅僧の
 
様な趣きが漂ってきている。
 
よしこちゃん:現在川越市在住、川越の銘菓「ぽくぽく」を皆に持参してくれた。韓流ドラマにすっかりはまってしま
 
い、ハングル語を覚えて時折韓国に旅するのが楽しいと話してくれた。
 
やえこちゃん:小学校裏の自宅にずっと住んでいる。雰囲気も、小学校の頃とほとんど変わっていないのに皆ビックリ。
 
かずおちゃん:一度救急車で運ばれて以来、健康には大分気を付けている、とのこと。
 
しのはら先生:現在上田市在住、外出には車椅子と杖が必要なので、幹事が家までの送り迎えをしてホテルまで来て
 
いただいた。クラス会で皆と逢えるのがとても楽しみと話された。現在入院中の奥様を心配されていた。「瑞宝章
 
は一番下の勲章だからね!」と謙遜されていたが、とても誇らしいことだと皆で喜んでお祝いをした。
 
私・タカ:狛江市に住み、地域福祉と趣味生活半々の現在を紹介。バンド活動の話をしたら、今度やる時はぜひ案内が
 
欲しいと声かけられた(よしこちゃん)!
 
 
 
今回、来る予定だった人で来れない方もいたが、やはり健康である程度時間の余裕もないと、なかなかクラス会には
 
出てこられないようだ、と幹事のえみこさんも言っていた。また、気持ちの上でも、小学校のクラス仲間にまた会う
 
気にならないと、なかなか出席しにくいのだろうと思う。段々同じ様なメンバーになってしまうかもしれないが、元気
 
なうちは昔仲間の顔を見て、懐かしい話が出来るのも嬉しいことだと思う。次回は、3年後ではなく2年後にしようと
 
いう計画で、ホテルに宿泊しながら次回幹事を決めようという皆さんを残して、私は予約した新幹線に乗るために、
 
道路脇に雪が残る上田を後にして、お先に失礼した。私は3月生まれなので、実際は古稀手前なのだが、昔のクラス
 
メイトに会えた楽しい古稀同級会だった。
 
 
皆さん、また元気なお顔に会えるのを楽しみにしています。
 
 

2017年1月12日木曜日

BOSE SoundLink Mini Bluetooth Speaker Ⅱ と『黒いオルフェ』(その2)

 
 
 
 
手のひらに収まる超コンクトサイズ(5,1H×18L×5,9W ㎝)のスピーカーは、バッグに入れて持ち歩くにも便利(670g)、
画像はボ―ズ社の公式HPより。
 
 
何故に、このポータブル・スピーカーとボサノヴァの名曲『黒いオルフェ』のリンクなのか? については、少々説明
 
しなければならない。
 
話は遡るが、私が本格的にボサノヴァの歌(ポルトガル語)とギター演奏を習得しようと思ったきっかけは、ボサノヴァ・
 
アーチストの中村善郎氏(後に我が師匠となる)の弾き語りを、渋谷の教会地下にあるライブハウスで聴いたことだった。
 
忘れもしない2007年夏のことだ。その時、10数曲のボサノヴァ曲のラストで歌い演奏した曲を聴いて、私の頬には思わ
 
ず涙が流れた。師の艶やかなヴォイスと哀愁に満ちたメロディ、そしてGtの情感あふれるコード進行に魅せられてしま
 
った。その曲が『黒いオルフェ』(カーニヴァルの朝)だった。その後、中村師匠に多くのボサノヴァ曲を習い、自分自身
 
でもレパートリーを増やしていく中でも、この曲は常に私のボサノヴァ・サウンドの中心にあり、自身のソロ弾き語り
 
やデュオ・トリオでの共演、バンドライブの中でも必ず歌っている曲となった。言わば今も私の音楽の「ライフワーク」
 
ともいえる曲となっている。(師匠との出会いの経緯はこのブログの『BOOSA NOVA 入門』2008年5月20日に載せて
 
います。)
 
 
『ザ・タペストリー』と言う名の、高校同期生の音楽仲間で作ったバンド(2010年~2014年の4年間活動後解散)の選曲
 
の中で、フルート吹きのシロー(昨年の10月急逝)がこの曲を吹きたい、と言いだした時には、正直言って私は大いに
 
戸惑った。出来れば他の人(ピアニストなど)に伴奏してもらいたい、と思ったが、私のギターの他に伴奏できるメン
 
バーは居なかったので、何とかできる方法はないかと必死で考えた。と言うのも、彼自身フルートを演奏し始めてまだ
 
日が浅く、初めてのボサノヴァ曲『大いなる愛(O Grande Amor)』ートムジョビンとヴィニシウスのラブ・バラードー
 
を1年間かけてやっとものにしたばかりだったからだ。しかも、原曲のメロディライン(1コーラス)を吹き、次の2コー
 
ラス目のインプロビゼーション(アドリブと言ってもいい)を、アドリブ演奏を載せた曲集の譜面で吹いていたから、これ
 
は前曲にも増して大変だ、と頭を抱えた。いろいろ考えた結果、『黒いオルフェ』の原曲(作曲はルイス・ボンファ)を
 
リスペクトしたメロディラインを新たに私が創り、それをインプロビゼーションとして彼に演奏してもらおうと思い、
 
心を込めてフルートのためのソロ演奏譜面を作った。2014年の4月のことだった。
 
 
その譜面を彼に送って、「こんな風に吹いてみたらどうか?」と提案したのだが、彼からは何も返事がなかった。もう
 
あちら側に逝ってしまったから今では確かめようもないのだが、そのメロディラインが難しかったのか? あるいは、
 
他に自分で吹きたいメロディがあったのか? はたまた、人にそのように言われること自体が気に入らなかったのか? ...
 
そしてそのまま、リハスタジオで一度バンドメンバーたちと彼のフルート演奏とのこの曲の音合わせをしたのだが、
 
まだ仕上がりには程遠かった。それで私は、せめてもう少し情感を込めて吹いてくれたら良くなるから! と、この曲の
 
テーマである「愛の悲劇」の成り立ちを、シェークスピアの『ロメオとジュリエット』や、ジュローム・ロビンス
 
の『ウェストサイド・ストーリー』などを例に、リオのカーニヴァルを舞台とした「オルフェとユリシーズ」の物語
 
を紹介したが、その結果は突然に彼がバンドメンバー止める、というものだった。
 
 
解散してしまったバンドの2年以上前の話を今更しても始まらないが、私の手元には彼のために書き下ろしたフルート
 
ソロの未演奏譜面だけが残った。この譜面については、今まで誰にも話してこなかったが、もう時効だと思うので
 
オープンにしてもシローは怒らないと思いここに載せた。今回、「シローを偲ぶ会」をバンドメンバー達でやろうと
 
いう話が持ち上がり、QP村山とヨッシー・ナッケンの3人が幹事となり、1月の10日に9人メンバー(原ちゃんはやむを
 
得ない用事で欠席)が新宿の蔵元酒場に集い、彼の生前の思い出を語り合った。彼の死に際については、タカオちゃん
 
から紹介があり、介護施設への訪問演奏でステージに上がり、フルートを構えたそのまま前に崩れ落ちたということ
 
だった。心臓大動脈解離で即死という、まことに急激でもあり、また好きなフルートを咥えたままあの世に行くという、
 
ミュージシャンとしては幸福な死に様だったことが明かされた。
 
 
 
 
 2014年4月11日作成の、フルート・ソロのためのインプロビゼーション譜面の一部。今回、譜面再生音を
ポーズのポータブル・スピーカーによってメンバー達に聴いてもらうことが出来た。
 
 
偲ぶ会は、トオルちゃんの献杯の音頭から始まり、会が進むに連れて美味しい料理とお酒が入り、久し振りの顔合わ
 
せにメンバー達は大いに談笑し、盛り上がっていった。順次彼への思い出話をするメンバーの中で奇しくも、前日
 
弟を病気で失ったヨッシー(バンジョー弾き)が横に来て酒を酌み交わしながら、何故か今やっているデキシーランド・
 
ジャズのバンド活動の話をし始めた。ひとつの曲を演奏する際の各楽器のセッションの中で、アドリブの「リスペクト」
 
と「カバー」と「コピー」の違いをどうとらえたらいいのだろう? という話だった。
 
私はシローとはバンド活動の際しか交流がなく、今回彼を偲ぶためのどんな話をしようかと思案した結果、彼のために
 
つくった未発表の譜面を音源化して皆に聴いてもらうことで彼を弔おうと思っていたから、『黒いオルフェ』のメロ
 
ディラインが、まさに作曲家ルイス・ボンファをリスペクトしたインプロビゼーションだったので、ヨッシーの話と
 
のあまりに合った符丁に内心びっくりしていた。
 
 
私から、「この会のためのアトラクションを今日は用意してきました。あの世から今夜シローに来てもらい、フル
 
ートを吹いてもらおうというものです。」と言って、用意してきた音源をテーブルの上に乗せたスピーカーで音出し
 
した。曲はもちろん『黒いオルフェ』、2コーラスの中1コーラスはマンドリンソロ(原ちゃん)とピアニカ(hirokoさん)
 
のカウンターメロディ、伴奏をアコースティックギター(TAKA)の共演で。これはその日来れなかった原ちゃんに登場し
 
てもらうためだった。そして、2コーラスはシローのフルートソロとオーボエのカウンターメロディ、そしてアコー
 
デオンの伴奏による共演だった。この共演の音源作成は、①プリントミュージック(作譜ソフト)による3楽器のパート
 
譜作成、②譜面のオーディオファイル化(WAVファイル)、③WAVファイルを一般的なMP3ファイルに転換(変換ソフト
 
Switchによる)、④デジタルレコーダーに収録、➄それを繋いで、BOSE ポータブル・スピーカーで再生音、という
 
少々面倒なPC操作の上で完成させたものだった。
 
 
酒場の別室にクリアなボ―ズサウンドが流れ、メンバー達は静かに聴き入ってくれたが、すっかり出来上がっている
 
彼等と彼女等に、ここに至った経緯とシローのために作った未発表の譜面のことを話すのも億劫になってしまい、
 
シローにフルートを今夜演奏してもらうという設定だけを話した。しかし私の中では、想定のフルート演奏をその夜
 
具現化できたことで、長年の心残りが和らげられ心は満たされたのだった。そして、それが私なりの彼に対する弔い
 
であり、同時にザ・タペストリーと言うバンドへのオマージュ(鎮魂歌)でもあった。これが実現できたのは、今回入手
 
したボ―ズのポータブルスピーカーのお蔭であることに違いはない。このスピーカーがなかったら、この演目は実現
 
できなかったのを思うと、何か天が与えてくれたラッキーチャンスだった気もしている。
 
 
 <この項終わり>
 
 

BOSE SoundLink Mini Bluetooth Speaker Ⅱ と『黒いオルフェ』(その1)




ボ―ズ社のワイアレスのポータブル・スピーカー「SoundLink Mini Bluetooth Speaker Ⅱ」は、小型(本体670g)・高音
で、各種モバイル機器の音声とレコーダーの再生音に対応できる優れものだ。 画像はボ―ズ社公式ページより。


長らく日常使っている音声機器の環境を変えてみようと思い、色々検討した結果このスピーカー(無線のBluetooth
 
対応)を入手した。それまでは、好きな音楽のCDは聴きたいもの(CDアルバムや楽曲をインターネットでダウンロード
 
したもの)をPCに取り込み、音声再生は「BOSE Sound System 」(CDプレイヤーとAM・FMラジオ付き)を繋いで
 
使っていた。この小型で高性能のスピーカー音は、低音の響きもよく高音と中音域の抜けもよく、全体にとてもクリア
 
な音質が気に入っていて、PCで再生する動画やインターネットの動画(YouTubeなど)もこのシステムで楽しんでいた。
 
もう10年以上前に入手したものなので、途中でCDプレイヤーのモーターが故障してしまったままだが、ラジオもほと
 
んど聞かないので専らスピーカーとして使用していた。音質的にはこれで充分なのだが、BOSE社から新しいタイプの
 
同型製品の買い替えを促すお知らせが度々来るので、そろそろ買い替えようかな、などと思っていた。
 
 
しかし、時代の流れと言うか、あらゆるものが小形・軽便化し、通信機器では携帯電話がスマホやタブレット(持ち歩
 
きパソコン)に大変わりしつつある。私の周りでもスマホ1台あれば、通信も検索も充分だ、という人が増えている
 
し、SNSやツィーター、インスタグラムやフェイスブックなどを利用する人が増え、デスクPCは不要と言う人も増え
 
ている。まことに便利な時代ではあるが、これからの10年程を考えてみると、私自身には大きめの画面で見えるデスク
 
PCは手放せないと思っている。撮影した写真の画質調整では、等ピクセルの拡大画像で細部を確認しながら、明度・
 
彩度・色バランス・保存データ品質を調整する必要がある。また、撮影動画の編集でも、動画の切り貼り・タイトル
 
やナレーションの挿入・データ保存の品質・動画サイトへのアップ・ロードを大きめの画面で確認しつつ作業すること
 
が必要だ。また、10年目に入ったブログの作成でも、画像や文字入力・動画サイトへの案内なども、大きめの画面で
 
することが望ましい。加えて、デジタル・レコーダーで録音した音源(ライブやリハの演奏音)の編集:個々の楽曲を
 
取り出すなど、にも大きな画面で見る方がやり易い。まあ、こういった使い方は、とてもスマホではできないし、
 
スマホの小さな画面で見られる画像や動画も、大きなスクリーンで拡大して見ると、データが荒過ぎてとても見られ
 
るものではないのだ。メーカー側は高性能を詠っているが、それはあくまであの小さな画面上・対抗メーカーとの
 
比較上に過ぎない。でも、友達や家族との日常のやり取りはそれで充分なのだから、私があれこれ言う筋合いでは
 
なかろうと思うが。







このスピーカーの優れている点は、Bluetoothに対応できるPC・スマホ・タブレットなどの再生音をどこでも高品質で
聞けることだ。充電タイプで連続10時間の使用可能、ワイァで接続しデジタルレコーダーやウォークマンなど、イヤ
フォンで聴けるものはすべて使用可能なのもいい。コピーや転送してもデータが劣化しない「デジタルサウンド時代」
゛申し子゛と言えるだろう。
 
 
昨年末にポータブル・スピーカーの種類をネットで色々比較検討し、ビックカメラの売り場も覗いて担当店員と話して
 
みたが、売り場もポタブル・スピーカーの専門コーナーが大きく取られていたのにはビックリした。店員の持っていた
 
スマホでYouTubeをチェックしたり、Jazz・Bossa Nova・バロックサウンドの音楽ファイルを聴き比べてみたが、紛れ
 
ないBOSE Soundであることに我が意を得たり! で、購入を決定した。実際は価格的にも、ボ―ズ社公式通販ページで
 
特価販売をしているのが同じ様な価格だったので、そこで買うことにした(送料・代引き手数料込みで23,760円)。 年明け
 
早々の5日に製品が届いたが、PC設定のBluetoothをこのスピーカーとペアリングしてみると、この小さなスピーカーの
 
実力を確認し、クリアでとても気持ちのいいサウンドであることに大いに満足している。当面、PC内蔵の音楽ファイル
 
や動画の再生音をこのスピーカーを使って聞いたり、インターネットラジオを聞いたりするのに使おうと思う。手持ち
 
のデジタル・レコーダーの音楽ファイルも有線で繋いで聞くこともOKだ。モバイル通信は、まだ使用中の携帯電話と

E.メールが何の不都合もなく使えるので、専ら連絡用には活用するとして、そろそろスマホとタブレットへの買い替えも

視野に入れているので、その時はこのスピーカーを持ち歩いて、スマホとタブレットとの無線接続再生音を楽しみたい

思っている。書斎のデスクにいる時はこのスピーカーで「Bossa Nova Hit Radio」を聴きながら色々とワークし、その後

台所に持ち移って料理しながら「The Jazz Grove:Laid Back Jazz」を聴く、という使い方は、私にとってもすごく新鮮で

新しい分野の楽しみが増えた気がしている。
 

<この項つづく>
 
 

2017年1月6日金曜日

年初めのトピックス




今年も変わらぬ我が家のお節、丸いお重に詰め込んでお正月のお料理を楽しんだ。All Photo by TAKA


毎年暮れの2日をかけてお節料理を作る。10日ほど前から食材を集め、乾物や調味料は早目に、野菜や生ものは直前
 
に分けて揃えておく。黒豆用のさび釘も作っておくのだが、昨年暮れは何かと忙しくて作り忘れてしまい、黒豆の
 
煮色がやや浅くなってしまった。煮物五品(黒豆・昆布巻き・田作り・数の子・海老)は27日に作り、生もの三品(紅白な
 
ます・紅白蒲鉾のサンド・スモークサーモンと鯛のミルフィーユ)は30日に健康オタクのYKさんに手伝ってもらって
 
作り、2家族分のお節料理がお重にきれいに収まった。これで、年越しから三が日は、お屠蘇やお酒を飲みながら、
 
ゆっくりとお節を味わうのだ。
 
 
一日じっくりと煮物に取り組んだせいか、素材本来の味を引き出すことが出来、「今年のお節はよく出来ましたね!」
 
と好評だった。何時も行く食品スーパー・オオゼキで生きた小振りの国産車海老を入手できたので、海老煮のおい
 
しさも味わえた。頭の角を取って丸ごと食べられるので、美味しさこの上なしだった。お節を作り始めたきっかけは、
 
近くの老人ホームに入っていた母親に、正月は家に帰ってもらい、私が作ったお節を食べてもらったことだったの
 
だが、それ以来毎年自分で作るのを続けている。お節料理には、日本古来(江戸中期以来)の和食=日本の家庭料理の基本
 
とエッセンスが詰まっているので、素材のうまさを引き出す手順を確認しながら作ることになる。市販されている高価
 
で豪勢(に見える)な品々は、一ケ月以上も前から作り置きされたものだし、日持ちさせるために味付けも(塩味・甘味・
 
醤油味など)濃い目だ。自宅で出汁をしっかりととり(昆布や鰹節)、お酒・味醂・醤油で好みの味を丁寧に整えると、
 
飽きの来ない美味しい味に仕上げられる。正月に来た弟も、「旨い、旨い。料亭の味だぁ~!」などと言って、大方平
 
らげていった。私もゆっくりと、お酒や焼酎に合わせて、味を楽しむことが出来た。三が日ほとんど外出もせずに、
 
ゆったりとしたお正月だった。YKさんが持参してくれたキンピラごぼうも、ゴマとさつま揚げを入れて煮合わせてあり
 
美味しく味わった。
 
 
一応8品を紹介しておきます。

黒豆:まめに健康で生きられますように、の願いを込めて。前夜から水戻しし水差ししながら1~2時間煮上げる。

田作り:カリッとした歯触りが身上、豊作を願う縁起物。

海老のうま煮:ひげが伸びるほど、腰が曲がるほど長生きが出来ますように願う長寿のシンボル

紅白なます:紅白の色は、太古の昔から平和のシンボル、お節料理には欠かせない。

紅白蒲鉾(2色サンド):赤蒲鉾にはナチュラルチーズと紫蘇の大葉を挟み、白蒲鉾には明太子と酢橘の皮細切りを挟む。

昆布巻き:昆布は「よろこぶ」に繋がり、一家の繁栄を願う縁起もの。日高昆布で生鮭を巻いて、かんぴょうで縛って

からゆっくりと煮上げる。

数の子:無漂白の数の子を使用、子孫繁栄を願う縁起ものです。

サーモンと白身魚のミルフィーユ:生魚のお造り(刺身)を、オードブルのようにしつらえた一品。板状の切身を薄く

刺身にし、紫蘇・サーモン・おぼろ昆布・白身(鯛や鰤など)の順に重ねたもの。刺身に香味と旨味が加わった味の

ハーモニーが楽しめる。



YKさん宅のお節は、四角いお重にぎっしりと収まった。
 
 
 
正月の2日は、珍しい景色が見られた。「月と金星の大接近」だ。夕方暗くなってから程なく、南の空に三日月と金星
 
が、今までになく近くにくっついていた! その情報は、趣味友HIさんのメールで解ったのだが、雲一つない冬空に輝く
 
月と金星のペアリングはとてもきれいだった。新年早々、とても素敵な光景を眺められ、「こいつは春から縁起がいい
 
わい!」と喜んだ次第。すぐにデジカメと三脚をベランダに設置し、珍しいショットを撮ることが出来た。見た目には、
 
もっと接近しているように見えたのだが、周りの深黒の闇の広がりの中で画像に切り取ると、まだ離れているようにも
 
見えるのが不思議だ。
 
 

1月2日夜撮影の「月と金星の大接近」、しばらく冬空に浮かぶ光景を眺め続けた。
 
 
 
 毎年、カレンダーは輸入のアートタイプを選び、1点は「ジョージア・オキーフ」の花作品、もう1点は「マーク・
 
ロスコ」とか「ポールク・レー」とか、抽象画タイプをネット通販で取得し、1年中書斎と食堂に飾ることにしている。
 
11月中に2017年版でオキーフのものはいいのが見つかったのだが、他のものは気に入ったものがなく、今年版は手作り
 
の「マイカレンダー」を作ることにした。私のインターネットのフォト・ストックサイトに登録販売している作品から
 
12枚を選びカラー印刷したものを、MUJIの玉カレンダーに貼って作った。1点オリジナルだが、気に入ったいい写真を
 
見ながら、これで1年間楽しめる。興味ある方は覗いてみて下さい。(詳細の閲覧については、ユーザー登録が必要です。)
 
 
 
 

1月: 「陽に透けたスイセン」 神代植物園 2011年
 
 

5月: 「バラ・サムライ」神代植物園 2012年
 
 

7月: 「花菖蒲田」明治神宮御苑 2012年
 
 
 
12月:「河口湖の朝焼け富士」2015年