□日中の暖かい日差しの中で、春を告げるロウ梅の黄色い花(狛江周辺にて) Phot by TAKA
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1月下旬から2月初めにかけて、日本海側では豪雪が続き、東京には寒波が居座った。例年にない低温続きのため、重ね着や着膨れをして寒さ対策に余念はなく、エアコン・ホットカーペット・温熱器などはフル稼働、暖房費がグーンと跳ね上がった。今日は、南から温かい低気圧が吹き込み、春の雨が降っている。゛冬将軍と゛春ちゃん゛はここ当分押しくら饅頭をくり返し、゛三寒四温゛が続く中、一雨ごとに寒気が緩んでいく季節だ。立春を過ぎて、ようやく春の訪れが近いのを感じられるようになった。ほんとに、今年の冬は長くて寒かった。
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蝋梅の花は、春に先駆けて1月中旬に咲き始めるのが例年だが、今年はかなり遅れて咲いた。黄色の透明プラスチックのような花は余り目立たないのだが、彩りがほとんどない冬の景観の中では、その愛らしい黄色がくっきりと目に入ってくる。花が下向きに咲き開くことと、花弁が透けていることもあって、この花の写真撮影はけっこう難しい。下から空を背景に撮影すると逆光で色合いが出ないし、透けた花弁も黄色が捕らえにくい。けれども、この花に出会うと春の訪れを感じて心が和むのだ。
私の印象では、春は黄色。蝋梅・福寿草に始まり、サンシュユ・マンサク・黄水仙も黄色、山吹きやレンギョウが咲き、三椏やミモザの花が春風に揺れれば、桜はもうすぐだ。みな、春を告げる黄色の美しい花たちだ。
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体調いまひとつだった私の身体も、ようやく元に戻ってきた。昨年10月半ばに腰を痛め、これを快復させるのに1月ほど掛かった。そして腰が治ったと思ったら、年明けの1月上旬に、倒れた自転車が右足甲を直撃し足に打撲を負った。整形外科でレントゲンを撮ったら、医師に「親指にヒビが入っている可能性がある。石膏で固めて松葉杖を使いなさい、全治1ヶ月。」と脅された。腫れあがった足を湿布し、抗生物質と消炎剤を飲んで様子を見たら次第に腫れは治まリ、痛みも和らいでいった。再度の診断で、ヒビが入っている可能性は消えたが、3週間ほどは痛みがとれず、きつい靴は履けずにちゃんと歩けなかった。医者の見立てもなかなかのもので、ちょうど一ヶ月ほどで全快だ。まだ、右足親指に力が掛かると違和感があるが、痛みは消えて真っ直ぐ歩けるようになった。
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この春は、自身の体調のことではなく、以前このブログにも書いた国家試験のために、ライブ出演は控えている。なかなか難しい試験なので準備が大変だったが、1月29日に一次試験が終わり、次の3月初めの二次試験が残っている。もう一頑張りだが何とかクリアしたい。
ただ、ライブに出ない代わりに音楽に費やす時間は結構あるので、我等がバンド(ザ・タペストリー)のための新曲楽譜作成はかなり進んだ。もっとレパートリーを増やし、曲表現の質を上げていきたいので、色々な曲に挑戦したいとおもっている。
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例えば、ジャズ・スタンダード・ナンバーの「Stella By Starlight」や「Autumn Leaves(枯葉)」をボサノヴァ・アレンジにしたり、ボサノヴァ・スタンダードの「Samba De Verão'(Summer Samba)」をジャズ・アレンジにしたりして、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトが追求した<Jazz Bossa>の雰囲気を表現してみたいと思っている。
また、QP村山が歌ってみたいという ボビー・へブのR&B曲「Sunny」も加えた。ヨッシーからは、ルイ・アームストロングの「Billy Baby Wan't you Please Come Home」、AYAさんからは、ハワイアン・バラードの「Ahi Wela」の希望が出ているので、作譜しレパートリーに加えていくつもりだ。
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そしてもうひとつ、私とQP村山のコンビでオリジナル曲が2曲出来上がった。きっかけは、私の「愛ともしらないで」の歌詞が出来た時点で、彼に作曲をやって見ないか、と投げかけたところ、やってみたいと返答があったことから。詞の内容は、「若かりし頃、女性の私に何くれとなく声を掛けてくれた彼が、亡くなった後思い起こしてみたら、やはりあれは私を愛していてくれた言葉だったのに。幼い私はそれに気がつかなかった...いま込み上げる懐かしさと悔恨のおもい...」というものだ。
2日程して曲が出来上がってきたので、ギター弾き語りで歌ってみるとなかなかいいのだ。彼自身は、60年代のアメリカン・ポップスのような(例えば、ヘイ・ポーラ)つもりで作曲したと言っていたが、心地よいメロディラインを生かして、私はボサノヴァ・コードで編曲し、陰影のあるゆったりとしたラブ・バラードに仕上げた。
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もう一曲は、゛お返しに゛ということで送ってくれた、彼作詞の「君に、酔ってしまいそうな夜」という曲。シチュエーションは高層ビルのライブ・バーで、彼と彼女がデートし、ワインを楽しみながらチークダンスを二人で踊っている。お酒に酔う前に君に酔ってしまいそう ! というもの。「東京ナイトクラブ」(フランク永井と松尾和子ー古い!)みたいなムーディなラブソングになるかと思いきや、作曲した私は、アップテンポのサンバに仕上げた。これには彼も驚いたようだが、面白い、といって喜んでくれた。
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この二曲は出来がなかなか良いので、今後のライブで皆さんに披露していくつもりだが、一度二人で曲作りの打ち合わせをレストランでした以外は、Print Music の作譜ソフトをメールでやり取りして曲作りを進めていった。その後、お互いのソフトを同一規格にすることで(QP村山の協力による)その進行はますます便利になった。お互いの自宅に居ながら、曲のメロディラインや再生音(音声や楽器音)を確認できることは、以前なら考えられなかったことだ。必要な情報を共有できるということが、どれほどコミュニケーションを促し、お互いの思考や趣向を確認し共通の方向に進んでいけるかを体験できた良い機会だった。決して情報を軽んずべからず、である。
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私の印象では、春は黄色。蝋梅・福寿草に始まり、サンシュユ・マンサク・黄水仙も黄色、山吹きやレンギョウが咲き、三椏やミモザの花が春風に揺れれば、桜はもうすぐだ。みな、春を告げる黄色の美しい花たちだ。
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体調いまひとつだった私の身体も、ようやく元に戻ってきた。昨年10月半ばに腰を痛め、これを快復させるのに1月ほど掛かった。そして腰が治ったと思ったら、年明けの1月上旬に、倒れた自転車が右足甲を直撃し足に打撲を負った。整形外科でレントゲンを撮ったら、医師に「親指にヒビが入っている可能性がある。石膏で固めて松葉杖を使いなさい、全治1ヶ月。」と脅された。腫れあがった足を湿布し、抗生物質と消炎剤を飲んで様子を見たら次第に腫れは治まリ、痛みも和らいでいった。再度の診断で、ヒビが入っている可能性は消えたが、3週間ほどは痛みがとれず、きつい靴は履けずにちゃんと歩けなかった。医者の見立てもなかなかのもので、ちょうど一ヶ月ほどで全快だ。まだ、右足親指に力が掛かると違和感があるが、痛みは消えて真っ直ぐ歩けるようになった。
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この春は、自身の体調のことではなく、以前このブログにも書いた国家試験のために、ライブ出演は控えている。なかなか難しい試験なので準備が大変だったが、1月29日に一次試験が終わり、次の3月初めの二次試験が残っている。もう一頑張りだが何とかクリアしたい。
ただ、ライブに出ない代わりに音楽に費やす時間は結構あるので、我等がバンド(ザ・タペストリー)のための新曲楽譜作成はかなり進んだ。もっとレパートリーを増やし、曲表現の質を上げていきたいので、色々な曲に挑戦したいとおもっている。
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例えば、ジャズ・スタンダード・ナンバーの「Stella By Starlight」や「Autumn Leaves(枯葉)」をボサノヴァ・アレンジにしたり、ボサノヴァ・スタンダードの「Samba De Verão'(Summer Samba)」をジャズ・アレンジにしたりして、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトが追求した<Jazz Bossa>の雰囲気を表現してみたいと思っている。
また、QP村山が歌ってみたいという ボビー・へブのR&B曲「Sunny」も加えた。ヨッシーからは、ルイ・アームストロングの「Billy Baby Wan't you Please Come Home」、AYAさんからは、ハワイアン・バラードの「Ahi Wela」の希望が出ているので、作譜しレパートリーに加えていくつもりだ。
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そしてもうひとつ、私とQP村山のコンビでオリジナル曲が2曲出来上がった。きっかけは、私の「愛ともしらないで」の歌詞が出来た時点で、彼に作曲をやって見ないか、と投げかけたところ、やってみたいと返答があったことから。詞の内容は、「若かりし頃、女性の私に何くれとなく声を掛けてくれた彼が、亡くなった後思い起こしてみたら、やはりあれは私を愛していてくれた言葉だったのに。幼い私はそれに気がつかなかった...いま込み上げる懐かしさと悔恨のおもい...」というものだ。
2日程して曲が出来上がってきたので、ギター弾き語りで歌ってみるとなかなかいいのだ。彼自身は、60年代のアメリカン・ポップスのような(例えば、ヘイ・ポーラ)つもりで作曲したと言っていたが、心地よいメロディラインを生かして、私はボサノヴァ・コードで編曲し、陰影のあるゆったりとしたラブ・バラードに仕上げた。
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もう一曲は、゛お返しに゛ということで送ってくれた、彼作詞の「君に、酔ってしまいそうな夜」という曲。シチュエーションは高層ビルのライブ・バーで、彼と彼女がデートし、ワインを楽しみながらチークダンスを二人で踊っている。お酒に酔う前に君に酔ってしまいそう ! というもの。「東京ナイトクラブ」(フランク永井と松尾和子ー古い!)みたいなムーディなラブソングになるかと思いきや、作曲した私は、アップテンポのサンバに仕上げた。これには彼も驚いたようだが、面白い、といって喜んでくれた。
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この二曲は出来がなかなか良いので、今後のライブで皆さんに披露していくつもりだが、一度二人で曲作りの打ち合わせをレストランでした以外は、Print Music の作譜ソフトをメールでやり取りして曲作りを進めていった。その後、お互いのソフトを同一規格にすることで(QP村山の協力による)その進行はますます便利になった。お互いの自宅に居ながら、曲のメロディラインや再生音(音声や楽器音)を確認できることは、以前なら考えられなかったことだ。必要な情報を共有できるということが、どれほどコミュニケーションを促し、お互いの思考や趣向を確認し共通の方向に進んでいけるかを体験できた良い機会だった。決して情報を軽んずべからず、である。
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