2017年12月16日土曜日

高蔵寺の無患子と三輪の里




花の御寺高蔵寺(真言宗豊山派)の山門と階段を上がった先の本堂、ちょうどお正月を迎えるための工事中で、
本堂と境内の一部は立ち入り禁止だった。All Photo by Jovial TAKA



師走とは言え一足早い寒波の到来で、日本海側は大雪、太平洋側の関東地区は冬晴れと底冷えが続いている。冬の

陽射しを良いことに、町田市三輪町の高台にある高蔵寺を訪れてみた。実は11月に一度ここに来ているのだが、

の時は境内でスケッチのグループの方々があちこちで画帳を広げていたので、ゆっくり見られなかったのと、境内

にある巨樹の名前を確かめたくて再度来たのだった。スケッチグループの年配の女性(おばはんです!)が、「この樹

゛くろもじ゛と言って楊枝にしたり、黒い実は羽子板の球にするのよ!」とわざわざ教えてくれたのだが、後調

べてみたらくろもじ(黒文字)の実は黒くて小さいので、実際境内の庭で拾った実と違うし...気になっていたのだ。



樹高10数m・幹直径80㎝にも及ぶ御神木の「無患子(むくろじ)」は、すっかり葉を落とし、天辺の枝に幾つかの
実を残していた。下から上まで見上げないと、全身像がつかめないほどだった。



一対の枯葉と皮に包まれた実が樹の頂上に残っていた。



御神木の横に案内板が掲げられていた。名前の由来も記載されていたので今回はすっきりした。



結局分かったのは、枝が高級楊枝に使われる「黒文字(くろもじ)」はクスノキ科の落葉低木で、成木で5m位、葉や

枝に芳香があり秋に成る実は黒い実だということ。これに対して「無患子」は、ムクロジ科の落葉高木、実が羽子

突きの羽根球や数珠に使われ、成木で15m位、果皮(飴色)はサポミンを含むので石鹸代わりとなる、と言うことだっ

た。親切心で教えてくれたおばさんの説明が、「くろもじ」と「むくろじ」がごっちゃになっていたわけで、4文

字中3文字が同じなので間違いやすかったのかもしれない。



家に持ち帰った皮つきの実と、中から取り出した黒い実を並べてみた。黒い実はとても硬く、硬い床に落とすと
カチンッ、と音がして跳ね返ってくる


高蔵寺は「花の御寺」と謳われるだけに、シャクナゲ・サクラ・睡蓮・ハナショウブ・曼珠沙華・モミジなど、四季

折々の花が楽しめるように広い境内に遊歩道が巡らされ、湧き水を溜めた池々には、カワニナが生息しており、夏は

ホタルも観察できるそうだ。このお寺の縁起を見ると、「足利将軍家代々の武運長久祈願所として康安二年(1362年)

4月、権大僧都法印定有によって開山。650年あまりの歴史を持つ寺院です。」と紹介されているから、とても由緒が

あるお寺と分かる。興味ある方は以下のHPをご覧あれ。http://www.kouzouji.or.jp/index.html

また、「むくろじ」の樹や葉・花や実に付いて興味ある方は「季節の花300」と言うサイトに詳しく写真入りで載って

いるので覗いてみて下さい。http://www.hana300.com/mukuro.html



さて、「むくろじ」問題が解決したので、小高い山の上にあるこのお寺の周りを少し散策してみた。東南方向には

丹沢の山並みが望まれ、畑や山斜面には緋寒桜の樹が10本程、枝垂れサクラの巨木も配されている。春ならば、と

てもいい里山の景色が楽しめそうだった。何処か、いにしえの里山に囲まれたようなゆったりとした雰囲気がある。

いわゆる宅地開発の手が及んでいない一角なのだ。所々に手書きの看板があって、「万葉の里をお楽しみください」

とあったり、中には「団体の方はお帰り下さい」とか「テレビの取材はお断りします」とか記されていた。高蔵寺

に並ぶ大きなお屋敷には、この土地の個人所有者らしき「荻野」の表札があり、門前には2本の榧(かや)の巨木がそび

えたっていた。なんだか、「となりのトトロ」の世界に迷い込んだような感があった。その場では、春になったら

花見にまたここに来てみよう、ということで引き揚げたのだが、とても不思議な景色だった。




冬晴れの里山の景色、遠くに丹沢の山並みがくっきりと見えた。後で調べて分かったことだが、この画面左の
小高い山の上に、北条氏治世時代に三輪城があった、と伝えられている。




家に帰ってから、少し調べてみたが、歴史書や古文状などは何も手元にないので、以下のことはあくまでネット内

の情報やHPの記事から類推したものであることをお断りしておく。日本古代の律令時代には、大和国(現在の奈良県)

の三輪山に大物主大神(おおものぬしおおかみ)が祀られて、日本最古の神社(現在の「大神神社」:おおみわじんじゃ、

と読む)として人々の信仰を集めていたという。三輪素麺の発祥の地(奈良時代と言われている)としてもこの地は名高

いが、「三輪」の名称は古代からの神的トップブランドだったのだろう。相模の国だったこの地(現在は町田市と川

崎市麻生区と横浜市青葉区が入り組んでいる)の小高い台地と谷戸が複雑に入り組んでいる領地に、古来奈良の三輪

地方からの人々が移り住んだことは、高蔵寺の縁起にも紹介されている。高蔵寺の総本山は奈良県桜井市にある真言

宗豊山派長谷寺だが、三輪町は合併されて今は桜井市に属しているから、高蔵寺も三輪町と深い縁があるのだろう。

隣接する青葉区の地名には「奈良」と「奈良町」が今でも残っているし、TBS緑山スタジオがある町田市の一角は、

「三輪緑山」と新しく名づけられたと聞く。

三輪町の高台に、中世には三輪城(沢山城の別名がある)が築かれだが、今は城址のみ残り、本郭があったと思わ

る頂上には、七面神社が祀られているのみだ。個人所有の地なので、通例ある地元教育委員会の歴史調査や仔細

に手が及んでいないのかもしれない。ただしご厚意で静かに見学ができるので、また春の季節に訪れてみたいと

思っている。戦後、鉄道系開発会社や大手不動産会社が造成したニュータウンでは、「~丘」とか「美し~」とか

「~野」とか、他のニュータウンでも同様な地名の街が数多く誕生したが、何故か親しみが湧かないのは私だけ

だろうか。歴史と固有の個性に彩られた地名は、なかなか忘れ難いものだと思う。「三輪」という名前の魅力

を、考えさせられた今回の里山訪問だった。




この案内板の主は、古奈良の趣を伝える里山の景色を、静かに楽しんでいってください、と伝えているように
思った。春の素晴らしい風景は以下のHP「三輪の里の春」に載せられているので、ご覧になってください。
http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/12032/12032.htm  

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