2012年9月30日日曜日

故郷の川で、魚に遊んでもらった母の七回忌




裾花川の水量は今も変わりなく、夕暮れ時に釣り糸を垂れてみた。Photo by My Brother
母の七回忌を期に、久し振りに兄弟三人が集まって墓参をし、夜は温泉宿に泊まって会食を共にした。私の母は94歳の長命を全うし、今はあちら側にいるが、長野在の長兄は、難病と共に生きる日々なので、つれあいの義姉と一緒に温泉宿に来てもらい、私と弟は東京から長野に向かい、墓参を済ませてから宿に向かった。
七回忌と言っても、別段式を執り行うことはなく、久し振りに3人と義姉とで、母のことや来し方を語り合おうというだけだが、せっかくだから温泉にも浸かろうという、まことに気楽な集まりだった。
 善光寺さん(地元の人は親しみを込めてそう呼ぶ)の北側にある高台の一角、花岡平に教会墓地があり、母は(父も)そこに眠っている。芝生が敷かれた中に、黒御影石だけのシンプルな墓石だが、明るい景観と高台からの長野の街並みがきれいで、私はここが気に入っている。弟と墓石をきれいに洗った後、黙祷して母の霊に挨拶した。
待たせたタクシーで再び市内に降りて、軽く昼食の蕎麦を食べてから、温泉宿に向かった。

教会墓地にある当家の墓(下)と、裾花川で釣れたヤマベ(オイカワ)、パールマークがきれいな魚体だ(左)
「裾花郷・天然温泉宿・うるおい館」は、カルシウムと鉄分を豊富に含む泉質の湧き湯で、岩塩の地層から湧き出していることから、舐めるとかなり塩っぱい味がする。色も鉄分のせいか、やや茶色に濁っている。適応効果は、筋肉痛や腰痛、貧血や慢性腎臓病、婦人病や慢性皮膚病など、処々に良いというそうな。市内からも近く、日帰り入浴や、時間入浴、足湯などのサービスがあるので、近隣から訪れる人も多い。
午後の早めの時間に宿へ着いたので、弟を誘って、宿のすぐ側を流れる裾花川で釣りをしてみた。この川は、私が小学生時代に夏休みの毎日を、釣りと川泳ぎで遊んだ川だった。
゛♪ 小フナ釣りし、かの川 ♪゛なのだ。温泉宿が、この川の脇にあることを知って、私はグラス製の折りたたみ竿と毛鉤を2組用意してきていた。岸辺に立ち、竿を振って毛鉤を流れに乗せ、ポイントに誘導すると、2~3投目に当たりがあって銀鱗かがやく小さな魚体が上がってきた。ヤマベ(オイカワ)だった。その後も次々と毛鉤に当たりがあり、ウグイやヤマベが掛かった。少し下の岸辺で竿を出している弟も、「釣れる、釣れる!」と言って、釣りに夢中になっていた。釣れた10数匹の小魚は、すべて川に放した。
そういえば、温泉宿がある辺りは、昔はトウモロコシや野菜畑が広がっていて何もなく、畑の間の小さな土道を縫うようにして川べりに歩いていったのを思い出した。鬼無里に水源を発するこの川は、上流こそ透明度のある澄んだ清流だが、市内に入ると生活用水も流れ込んで、今は水質はさほどきれいではない。しかし、子供の頃遊んだ川で、再び釣りが出来て、魚たちに遊んでもらえたのは望外の喜びだった。故郷の川で釣りをしたいという私の思いは、深く満たされた。
 夜の食事は、部屋に運んで給仕してもらい、4人で色々語りながらゆっくりと取った。子供たちの近況を伝えたり、孫達の写真を見せ合ったり。また、食後に4人でカラオケをしたり、楽しい時間が過ぎていった。母が亡くなる前に、4人と一緒に箱根の温泉旅行をした時、夜のカラオケで母が「♪白い花が咲いてた♪」を歌ったことなどが楽しい話題となった。兄の身体状況に合わせて、車椅子の備えや、部屋での食事、貸し切り風呂の利用など、宿の配慮も良かった。
温泉には、小スペースの貸し切り風呂、大浴場、露天風呂と入り、夕べ・夜・朝と楽しませてもらった。ゆっくりとお湯に浸かると、日頃の疲れや、身体のコリが徐々にほぐれていくようで、とても気持ちが良かった。


宿の食事は美味しかったのだが、品数がとても多く、ほんとに満腹となってしまった。普段そんなに食べれないのに、なぜかお腹に収まってしまった。朝食も、ボリュウム満点。いやはや、驚いたが、これが通常の温泉宿のもてなしか、と納得した。

茶色の湧き湯が掛け流しの朝の野天風呂。「あ~極楽、極楽!」(左上)
朝食も、品数沢山。でも、ご飯をお代わりしてしまった!(左下)



翌日は、自宅に戻る兄と、知人を訪ねて市内に行く弟と別れ、この温泉宿から程近い場所にある私が卒業した小学校と中学校を歩いて訪ねた。日曜日の午前中という静かな時間帯だったが、木造三階建てで外壁が板張りだった小学校(私立加茂)は、コンクリート作りの立派な校舎になっていたし、中学校(私立西部)も、きれいな外観のコンクリート作りに立て替えられていた。もう、50年以上たっているのだから当然だろうが、私の記憶はその当時に留まったままだ。学校近くの賀茂神社は、相変わらず茅葺屋根のままで、入り口の2本の欅が巨木となっていた。

学校近くにあったAMくんやKOさん、KRくんの家も、建て変わってしまい、見知らぬ住民の住まいとなっていた。高校時代の友たちとは、同期生バンドを組んだのを期に、多くの友たちと再び交流ができているが、東京に移り住んではや50年近くが経ってしまい、小・中学校の友たちとは交流が途絶えたままだ。機会があれば、また再会したいな、と思っている。
何時もお土産を買う、善光寺大門前の゛ハ幡屋磯五郎゛で、七味と粉山椒の入れ替えパックを入手してから、新幹線で帰りの途に着いた。


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