2014年11月5日水曜日

北斎 ボストン美術館・浮世絵名品展から(その2)





『花鳥図 朝顔に蛙』 横大判錦絵、朝顔の大振りな紫色花弁や絞りの入った青色花弁、咲き終わ
った薄紅色花弁などが美しく描かれている。葉色に溶け込んでいるような蛙を探すのにしばらく
時間がかかった。よくみると、蛙の左足が蕾の朝顔の弦にひょいとかかっている。誠に芸が細か
いのに感心してしまった。緑の葉色と花色のコントラストもすっきりしている。



今回の浮世絵展で見ることができた作品中、『諸国瀧廻り』シリーズ8作品と併せて、『花鳥図』シリーズ9作品

を見ることができたのはとてもラッキーだった。ともに、このような保存状態のいい版画をまとめて見る機会は

今までなかったからだ。残念ながら展覧会HPには掲載されていないので、画像は足立版画研究所のHP

からのもの(復刻版)だが、ややきれい目に刷り上がってはいるものの、原画の雰囲気をよく伝えていると思い

ここに載せてみた。北斎(1760~1849年)は90年の生涯中、美人画や役者絵、日本や中国の歴史画、風景

画や花鳥図、百人一首や六歌仙等々、あらゆる画題に挑戦しているが、この花鳥図シリーズは今までほと

んど見たことがなかったので、そのすばらしさに見入ってしまった。制作は天保4-5年(1833-43年)頃という

から、北斎70代半ばだ。う~む ! なんて元気な老人なのだ ! HIさんも、この花鳥画シリーズを初めて見て、

「ほんときれいね~ ! 」と感心していた。



『花鳥図 紫陽花に燕』 横大判錦絵、江戸時代後期の紫陽花はやや小ぶりの形だったようだが、
薄青から薄紅の花色がぼかしの様に続いていてきれいだ。燕が右上から飛来して、画面を引き
締めているのがいい。



『花鳥図 牡丹に蝶』 横大判錦絵、揺れる牡丹の花とふわりと舞う蝶の姿が一瞬の風を感じさ
せてくれる。牡丹の薄紅色の花弁は、原画ではもっと平面的に描かれているが、足立版画では
細かな縞模様まで密に表現されている。ただ、花の艶やかさはとても魅力的、日本人好みの
画題であることには相違ない。



『百物語』の版画シリーズは、江戸時代に流行した妖怪物語を題材にしたものだが、今回全5作品が出ていた。

北斎の妖怪画は一ひねりも二ひねりもしてあって、番町皿屋敷のお「岩さんは」提灯仕立てだし、「小はだ

小平治」は、その頃長崎に伝えられた西洋医学の解剖図みたいだし、ユーモラスな妖怪になっているのが

面白かった。しかしこのシリーズも天保2-3年頃の制作というから、北斎70代初めの作だ ! 全く元気老人を

地で行く壮健振りだと思う。



『百物語 お岩さん』 中判錦絵(T39㎝×Y27㎝)、怖面白い妖怪画も当時人気だったのだろうか?


『百物語』のテーマについては、現代のミステリー作家:京極夏彦も数々の作品で執筆しているが、私も一時、

『巷説百物語』や『続巷説百物語』など、妖怪シリーズ本を夢中になって読んだことがある。映画化もされた

のでご存知の方も多いと思うが、今も昔も怖面白い話には人気が集まるのだろう。


ボストン美術館の浮世絵コレクションの形成については、アーネスト・フェノロサ(明治初期に東京大学で

教鞭をとり、帰国後ボストン美術館東洋美術部長として日本美術の紹介に努めた)と、エドワード・モース

(動物学者として東京大学で教鞭をとった、大森貝塚の発掘者)、及びウィリアム・ピゲロー(日本美術の収集家、

帰国後ボストン美術館の理事に就任、自らの収集品をボストン美術館に寄付した)の名前が展覧会案内に

記されていたが、彼らの日本美術への深い理解と高い評価があってこそ、今の時代まで残された貴重な

作品群を再び見ることが出来るのを、大いに感謝せねばならないと思う。

その当時(明治初期)の日本は、廃仏毀釈や伝統的日本文化の否定に傾いており、貴重な日本美術、特に

江戸文化を代表する浮世絵や工芸品は海外に流出してしまい、膝元日本ではコレクションが少ないのが

現状だ。今になって、日本の伝統料理(江戸時代にルーツを持つ)に基づいた和食が脚光を浴び、大衆演劇

の歌舞伎や能が勢いを盛り返し、日本文化の幾つかのジャンルが世界の注目を集めてはいるが、美術に

関しては、北斎や広重のように世界中の人々を虜にするアーティストは出現してはいない。そのような稀有の

アーティストの珠玉の作品の数々を今回堪能できたのは、望外の喜びだった。

<この項終わり>


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