2015年11月3日火曜日

北信濃紅葉紀行【後編】56年振りの小学校・クラス会...<副題>古稀が来る前に(その1)




 MM君のギターを抱えて、同級生の皆さんと記念撮影。皆さんお元気でした!
Photo by TAKA


小学校卒業以来(加茂小A組)、56年振りの級友との再会だった。会場は、善光寺の北高台にある「いかほ別館」

というところで、高台から南側に長野市街と山並み(所謂善光寺平)が広く見渡せる眺めの良い場所にあった。

私が到着したお昼少し前には、すでに幹事のIM君とMA君が控室でお茶を飲みながら待っていてくれた。

2人に挨拶をすると、すぐに「あっ、TAくんだ!」とわかって声を上げた。不思議なものだが、ウン10年もたって

いるのに、子供の頃の面影を覚えているもので、私もすぐ2人がわかった。実は30代の頃、同級で高校も一緒

だったKD君に案内されて、長野のどこかで開かれた同級会に一度私は出たことがあるのだが、その時のこと

をほとんど覚えていないのだ。だから、今回が本当に久し振りの級友との再会だった。



 小学校高学年の頃に遠足で行った「素桜神社(すざくらじんじゃ:長野市芋井泉平)」のスナップ写真。
この桜は「神代ザクラ」と呼ばれる推定樹齢1,200年のエドヒガンの古木だ(天然記念物)。一番左端に
虫取り網を持っているのが私、同じ虫取り少年(立っている)がHO君。今回お会いできたTOさん・
YMさん・OMさん・TEさんも一緒に写っている。いやぁ、ほんとに懐かしいね。


事の発端は、ずっと連絡が取れずにいた私に、3週間前にIM君が突然電話をくれたことだった。彼によると、

2年後に予定している小学校古稀同級会(70歳)のため、いまだ連絡が取れずにいる何人かを当たっているうちに、

インターネットで得た情報で私に電話をかけてみたら、いきなり本人が出てきてびっくりした、とのこと。私自身

も56年も前に卒業以来、会ったことも話したこともない旧友の名前を聞いて、始めは何のことかさっぱりの理解

できなかった。とりあえず住所を教えたら、1週間後にIM君から手紙が来て、SH先生もご健在で、3年毎に開いて

いる同級会の様子と、前回開催の写真・旧友の住所録が送られてきた。古稀会には私にもぜひ参加してほしい

との案内も添えられていた。ここに至って、私も級友たちの存在と昔の面影が現実のものとして蘇えってきて、

私の近況とともに、ブログのアドレスやYou-Tubeの動画サイトを知らせたのだった。併せて、10月末に予定して

いる長野への小旅行の折、ちょっとお昼を一緒に食べようかと希望を伝えたところ、2日後に10人ほど連絡が取れて

集まることになったと電話で知らせてくれた。余りの速い展開に私も驚いたが、その折、私の歌とギター演奏が

聞きたいとの話が出て、もし知人かどこかからギターを借りて用意してもらえればOKと伝えたのだが... 



左より、TOさん・OMさん・OKさん・YMさん・TEさん の女性陣、「いやぁ~ きれいどころが揃って
婚活みたいだね~!」、HO君がすかさず「終活だよ、シュウカツ~!?」と言って、皆大笑い! 


さて、会食が始まり、ご無沙汰していた私の近況を話した後、8人の参加者各位の近況もお聞きした。68年の年輪

を経た後の皆さんのお話は、落ち着きの中に活き活きとした暮らしぶりがうかがえる内容だったので、私も皆も

とてもリラックスできて楽しかった。その後、IM君が手配して会場に持ち込んでくれたクラシック・ギターは、

4年前に、高校同期生バンド(ザ・タペストリー)が同期会でライブ演奏をしたときお世話になった楽器屋さんから

借りて来たものだと判り、不思議な縁の廻り合わせを感じたのだった。今回出席できなかったMM君からは、しば

らく弾いてない自分のギターに触ってほしい、とフォーク・ギターがMA君により持ち込まれていた。


「随分のご無沙汰なので、挨拶代わりに何曲か歌わせてもらいます。」という言葉で即席のミニライブが始まった。

「今日は譜面もマイクもなし。何時もいる私のバックバンドもなし。ついでに出演料もな~し!」と言ったら、

「わ~ぉ!拍手! 拍手! パチパチパチ!」でいきなり盛り上がってしまった(何が受けるか、よくわからないもん

!?)。曲の紹介をしながら、ボサノヴァの『コルコヴァード』・サンバの『オルフェのサンバ』をポル語と日本語

歌詞で歌い、次いでオリジナル曲の『あなたの側で』(あなそば)と最新曲の『あなたをずっと』(あなずー)を

歌った。途中手拍子を取ったりしながら、皆ニコニコと聞いてくれた。私はギターを弾き語りしながら、懐かしさの

あまり涙が溢れてしまった。こんな形で皆と再会するとは思いもよらなかったから、ほんとに思い出に残る時間と

なった。その後、持参した歌詞コピーで、『少年時代』(井上陽水)と『黄昏のビギン』(ちあきなおみ)、そして

『秋桜』(山口百恵)を一緒に歌った。MM君のギターは弦が伸び切っていたが、締めなおして伴奏に弾いてみた。

「皆さんも、弦をゆるめっぱなしでいると使い物にならなくなるから、時々ネジを巻いて弦を締めてやってくだ

さいね。」(笑)と言う落ちで、ミニライブは終わった。



左より、HO君、1席置いてIM君・MA君(幹事役ご苦労様でした。)


その後も歓談は続き、凡そわかった皆さんの近況を覚えているままに以下記します。IM君は、地元名産菓子会社を

長年勤め、定年後はシルバー・センターの仕事などをする日々。毎朝4時から、会場直ぐ近くの活禅寺で3時間坐禅を

組んでいる、とのこと。道理で坐禅僧のような風貌に見えたわけだ! そのIM君と毎朝一緒に座禅を組んでいる

MA君、現在駅近くの駐車場管理人として毎日仕事しながら、孫の遊び相手もしている。HO君は、つい最近救急車

で運ばれた話をしてくれた。夕食後急に高熱が出て、倒れて気を失い、気がついたら病院のベッドの上だった。

原因は、血液中に大腸菌が入ったため。まさか自分が救急車のお世話になるなんて思いもしなかったが、今後は

なにが起こるかわからないから、皆さんもできることは今のうちにやっておくべきだ、と話を結んだ。その話を

受けて、TEさんが、私も救急車で運ばれたことがあるのよ、と。スポーツ好きで、ある日午前中にスキーをやり、

お昼も食べないでテニスをやり、家に戻って梅酒を飲んで風呂に入ったら、出た途端ふらっと2度も倒れて、

裸のまま救急車に乗せらるところだった!(実際は着衣して運ばれた)<大笑い>。原因は「虚血性脳閉塞」、飲まず

食わずで体を動かしたから、一時的に脳に血が回らなくなってしまったのだ。現在はリゾートスキー場でレンタル

ショップを営む日々、皆さんもちゃんと水分や食べ物を取って、干からびないようにね、と話してくれた。

YMさんは、寿司職人のご主人と結婚し、その後独立して店を構えたが、彼が身体を壊してあっけなく他界。その後

ひとりで子育てし、今はエム・ウェーブ(長野オリンピックの時造られた総合スポーツ・イベント施設)で仕事の日々。

忙しいけれど、競技会やイベントでスポーツ選手やアイドルの顔を見られるのが楽しみ、とのこと。続いて、OKさん

は、農家に嫁いで毎日田んぼや畑を耕したり、ビニールハウスの花を育てている。花はトルコキキョウとストック、

半年ごとに出荷するが、朝は5時半起き、お昼後ちょっと昼寝して夕方また仕事、一日がすぐ過ぎてしまう。趣味で

陶芸とハンドベルをグループで楽しんでいる。音を合わせて1曲を仕上げるのがなかなか大変だ、とニコニコしながら

話された。



卒業アルバムに載っている旧加茂小学校・校舎、瓦屋根の平屋建物は、現在3階建ての鉄筋コンクリート
校舎に変わっている。すぐ後ろの山は郷路山(ごうろやま:右)と葛山(かずらやま:左)か?


OMさんは、父親の仕事で県内をあちこち移り住んだが、現在は東御市(上田市南)に在住。幼稚園の先生をした後

結婚し、現在は娘の孫たち2人と97歳になる母を見ている、とのこと。毎日孫たちの食事作りと宿題見で゛いまだ

貧乏ひまなしで!゛と笑っておられた。絵本の読み聞かせと地元FM局での朗読が息抜きになっているそうな。最後に

TOさんは、中学・高校と続けたバスケットボールで実業団にスカウトされ活躍したが、その後けがで現役を退き、

スキーの指導員となった。結婚したご主人は、同じ指導員だったとのこと。スキーをしながら、お互い゛好きー゛に

なったわけね!? ご主人は、伝統工芸の職人で、一昨年叙勲されたし、息子も一緒に仕事している。「43年間、毎朝

主人の弁当を作って送り出します!」に、皆「ワァ~ォ! パチ! パチ!」と歓声が上がったのだった。


2時間半程の会食時間はあっという間に過ぎ、引き続き歓談する皆さんを残して、私は一足先に失礼することになった。

再来年まで待てないので、来夏頃に゛打ち合わせ゛と称して同級会をやろうか、という話が持ち上がっているとの

こと。IM君が後からメールで知らせてくれたが、その時は恩師にもお会いできるかもしれないので、私も出席した

いと思っている。今回の旅の最後に実現した56年振りの同級会は、懐かしい人たちの元気なお顔を見られたことで、

私はとても嬉しかった。

<この項終わり>
 

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