2008年5月16日金曜日

飽食(ほうしょく)の五段活用

この一文は、何年か前に山本一力氏が食の雑誌に
書いたコラム記事の記憶に基づいていることをまずお断りしておく。全体はもう忘れているが゛飽食の五段活用゛という言葉は今も鮮明に覚えている。

戦後も、はや60年を超えた。カツどんを例にとって話せば、子供の頃家族で外出してデパートの食堂や料理屋さんでカツどんを食べれるのはほんとに年に何回もなかった。豚肉のカツ揚げと玉ねぎを醤油出汁ごと溶き卵で煮、甘辛く包んでご飯に乗せた丼は、もう、お宝:「宝食」という位に輝いていて、無我夢中で平らげてしまうのが常だった。

豆茶飯と白魚の澄まし汁 調理と撮影 by TAKA


そのうち、お肉屋さんやスーパーで豚肉が買えるようになり、夕食に母の作ってくれたカツどんも登場するようになった。゛やったぁ~、今夜はかつどんだぁ~!゛と言うわけで、戦後の高度成長時代の豊かさを実感することとなる。はや、「豊食」の時代となった。
やがて、近所の蕎麦屋でも、定食やさんでも、家庭でもごく当たり前にカツどんが食べられるようになり、サラリーマンのお昼のメニューでは、゛またかつどんかよぉ~!゛ と、「飽食」のランクにカツどんも下がってしまう。

核家族化が進み、家族の生活時間もバラバラになっていく。亭主は仕事付き合いと称し深夜の帰宅、お兄ちゃんは塾通い、お姉ちゃんはサークル活動でまた夜遅く、女房どのは一応レトルト・カツどんは用意するものの゛レンジでチン゛して食べて、と言うわけで、まったくのほったらかし:「放食」と成り果ててしまった。
ある日電車の中で、私は異様な光景に出くわした。運動部活の帰りらしい男子高校生グループ数名が、コンビニで買ったカツどん弁当を電車の床に座り込んで食べていたのだ。不潔な環境で、周りの迷惑顧みずワイワイ言いながらカツどんを食っている男子たち...もはや阿呆の域に達している。「呆食」の時代。

宝ー豊ー飽ー放ー呆、これがほうしょくの五段活用である。

中国輸入食材の農薬漬け、米国輸入牛肉の狂牛病不安、輸入食材に頼り食料国内自給率が先進国中世界最低の国日本、と言うような外的要因だけでなく、マスコミが取り上げるグルメ情報や健康に良いという特定食材のみを追い求める視聴者のわれわれ自身、食に対する基本的なスタンスもあやふやでメタボ症候群の解消に一喜一憂する年配者たち。この国の「食」を考えるとき、私はほんとにテンションが上がってしまう。

罪深い我等人間たちは、大地や海洋の生きとし生きるものたち(動物・魚介類・海藻類・野菜・果物・穀類など)を殺戮し、そのエネルギーを体内に取り込むことでしか生命を維持できない。食材となる自然の恵みにまず感謝することから「食」は始まる。そして食材を生産し届けてくれる生産者への感謝がそれに伴う。安ければよいという名目で、食材輸入のために膨大な燃料を消費し世界中にCO2を撒き散らして地球温暖化のトップを走るような方法はやめて、安全で、大地のエネルギーたっぷりの季節の食材を届けてくれる国内生産者を応援することがなぜ出来ないのか!?

呆食、にまで落ちてしまった「食」のコンセプト(何が健康に良くておいしいのか)と「食」に対するスタンス(姿勢)を回復しなくてはならない。日本の伝統食の素晴らしさを再認識し日々の食生活に生かすことに、ひとつの大きな鍵があると私は思っているのだが...

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