2012年4月6日金曜日

結晶性記憶の片隅からよみがえるものは、

桜をテーマにしたAさんの大作を前に、4人揃ってパチリ、私もちょっと入れていただいて。Photo by Gallery Staff
住宅街が拡がる私鉄沿線駅前にある公設ギャラリーで、Aさんの絵画グループ展があるということで、出かけてみた。Aさんは、絵画歴5年とお聞きしたが、大作をふくむ4点を出品されており、グループ40人で計147作品という充実した展示会だった。具象画あり抽象画あり、モチーフも花あり山あり街並みありで、出品者が創意を込めて描かれている゛熱気゛が感じられ、また、これだけ作品が集まると色々なタイプの作品を見ることが出来て楽しかった。桜の作品(油彩)は、色を重ねるのが難しかった、とAさんは言っておられたが、どうしてどうして、なかなかの力作と拝見した。
その中に、Aさんの゛ダリアの花゛を描いた小作品があり、私はこの絵が気に入った。他にも何点か同じ花を描いた作品があったのだが、Aさんの絵は、構図が大胆で花や葉の色にもメリハリがあり、画面から花が乗り出してくるような力があった。Aさんとは3月末に高校の在京同期会で何十年振りにお会いしたばかりなので、高校卒業以来どんな人生を歩まれてきたかほとんど知らないのだが、波乱万丈の中を逞しく生き抜いてきた片鱗を感じさせてくれる花の絵だった(ちと、大袈裟かも! )。しかし、ご他聞にもれず、結局女性の方が強いことは皆さん承知であろうから、私の懐いた感慨もあながち間違いではないと思う。
春の嵐一過、青空が広がったその日、Aさんの高校時代の学友がお三方集まっておられ、そのまま私の同期生でもあるので、私は実にウン十年ぶりに皆様にお会いしたことになる。絵画展をゆっくり見た後、Aさんの案内で近くのレストランのランチをご一緒することになり、美味しい魚料理と飲み物をいただきながら、歓談が続いた。
Bさんは、やはりこの私鉄沿線駅近くにお住まいで、最近娘さんが出産され、お孫さんが出来たと喜んでおられたが、遅いお孫さんの誕生を皆で祝福した。高校時代に多くの男子生徒から熱い視線を浴びていたBさんから、「TAKAさんは、結構有名人だったわよ!」と言われて、一瞬目が点になった。「そんなはずはないですよ!」と身に覚えのない話を打ち消したが、Aさんからも「そうだったわよ。」と言われて、私の記憶は一気に17歳当時に駆け戻った。
人の記憶というものは、ご存知のように流動性のもの(短期記憶)と結晶性のもの(長期記憶)がある。結晶性のものでも、骨董屋の表戸棚に陳列されているような周知の物と、裏の倉庫から埃をハタキで払いながら出してくるような物もある(例えがなんですが、)。高校生のその当時、私は聖職者だった父と教団代表から、遠い長崎にある神学校入りを強く勧められており、自分が学びたいフランス語とフランス文学を修めるため東京の大学にいくかの選択を迫られていた。そのため、人生をあれやこれや思い悩んで、半ば゛隠遁者゛のような心持ちで生きていたから、゛有名人なんてとんでもない゛ことだった。結局私は自分の意志を押し通し、文人たらんと四谷のキャンパスで学生生活を送ったが、それが私の堕落の始まりであった。(何のことやら?)
しかし、埃をたたいて倉庫の中の記憶を引っ張り出してたどってみれば、たしかに、クラス対抗の全校弁論大会で私が優勝し、ご褒美に黒蜜カリントウ大袋を3つもらい、クラス全員でたらふくカリントウを食べたことや(食べ過ぎて気持ち悪くなったやつが居た! )、学校祭の仮装大会で忠臣蔵・松の廊下をやり、進行実況アナウンスを私がやったり、昼休みに校舎中庭でウクレレを弾いて私の伴奏で仲間と歌っていたり...アレレ、結構目立っていたかなぁ~! と思い当った。人の記憶というものは不思議な物だ。自分の記憶以外に、共に時間を過ごした仲間や知人が記憶していることに刺激されて、過去の記憶が脳の片隅からよみがえってくる事があるのを、人はしばしば体験する。
Aさんから、大学生になって間もなく、Aさん・Cさんと私・私の友達4人でデートしたわよ、と聞いて一瞬思い出せなかったのだが、Cさんから、゛N町に住んでる背の高い彼゛と聞いたとたん、幼馴染のM君のことが鮮明によみがえって来た。あれは確かM君がお膳立てしてくれたデートで、故郷から上京し大学生になった4人が、居酒屋に繰りだし色々話しては盛り上がったように思い出した。当時私は、学校でのフランス語を神父の教授にしごかれていて、毎日課題のレポートに追われつつ、アルバイトもしていたので、なんだか気もそぞろの日々だった。せっかくのデートだったのに、お二人とはその後交流もできず、そのままウン十年が経ってしまった。あれが、もしかすると運命の分かれ目、お二人と交流が続いていれば私の人生が大分変わっていたかも知れない(何を言うやら!)。
件のMくんは、当時私が住んでいた県人会の学生寮近くのアパート住まいで、一緒にアルバイトしたり、夜は当時流行の゛コンパ(洋風居酒屋)゛で「ジンライム」とか「モスコー・ミュール」なるカクテルを飲みながら、ジュークボックスにコインを入れて、流行り歌を聞いたりして遊んだものだった。その頃彼には年上の綺麗な恋人がいて、彼女も一緒に時折3人で飲んだりしていたのだが、やんごとなき事情から二人は別れなければならなくなり、M君はがっくり来ていた。ジュークボックスにコインを放り込んで、石原裕次郎の『粋な別れ』を何度も聞きながらため息をついていた彼の姿を思い出す。卒業後、しばらく彼とは会う機会があったが、何時しか音沙汰がなくなり今に至ってしまった。今頃、何処でどうしていることやら。
Cさんは、現在気候の良い温泉リゾート地にお住まいで、お琴や三味線を趣味としてお弟子さんにも教えておられるとのこと。お仲間との発表会や老人ホーム・介護施設でのボランティア演奏会にも時折出演しながら、音楽を楽しんでいらっしゃる。そして、Dさんは、ついこの3月一杯で名門女子大学の教授を退官されたばかり、定年退職4日目の彼女には、趣味生活に多忙な他の出席者の話は大分刺激があった様で、ボチボチと自分も好きな物を見出してやっていこう、という気になられたご様子だった。
もう一人の同期生Eさん(今回は来られなかった)も加わった女子会を時折開いて、会食したりしておられるとのことだったが、今回はAさんのグループ絵画展を口実に無粋な男が一人闖入し、会食にも同席して楽しませていただいてしまった。皆さんと色々話していたら、高校時代のことが次々と思い出され、記憶が記憶を呼ぶようなことが続いている。かけがえのない同期のお友達として、これからも機会があればご一緒したいと思った。皆さんのご健康をお祈りしつつ、夕刻の仕事に間に合うように一足お先に失礼したが、もう少しあれやこれやお話していたい気持ちが残った会合だった。

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