2016年3月16日水曜日

古稀が来る前に(その3):高校マンドリン班の音楽の集いと同期会<後篇>



「音楽の集い」の後、スタジオ近くの飲食店(六文銭)で開かれた同期会、地元料理をいただきながら、皆で
高校時代の話に花が咲いた。(幹事はHNくん) Photo by TAKA and Ishida


音楽スタジオ(ウィンナー楽器)での集いを終えて、引き続き近くの飲食店に席を移して同期会を開いた。スタジオの担当KT

さんによると、現在の長野高校マンドリン班は同好会として活動しており、会員は8名だと電話で後から知らせてくれた。往年

の班員数からすれば随分と淋しくなったものだと思うが、マンドリンという楽器自体がすでに中古楽器店に並んでしまうような

存在(ちょっとごめんなさい!)なので致し方ないかとも思う。しかし、現在の音楽シーンでも、他に比類のない澄んだ音色を表現

できる楽器として存在感はあるし、コラボの仕方とアレンジの仕方次第では、今でも輝きを持っている楽器であることは間違い

ない。同期生として会に参加してくれたISくんは、写真を撮ったり動画を撮ったりして、会後に皆宛にデータを沢山送ってくれ

たが、ゴルフ関係や他の仕事に忙しく飛び回る合間に今回の催しに加わってくれて、大いに楽しんでいた。ANくんからも、フォト

を多数送ってもらい、お2人には感謝している。そのうちに何枚かをこのブログにも掲載させてもらった。



AN君のギターを借りて、カルカッシの教則本メロディ(?)を弾きだしたMZくん、ANくんの演奏や今回の
楽器演奏コラボ・歌やコーラスなどは大いに刺激になったようだ。


色々と懐かしい話が飛び交った中で、金鵄祭・音楽祭の話が出た。その時のマンドリン班演奏の司会は、総合司会を務めた

KSくん(長身で甘いマスクと良く通る声で人気があった:放送部所属)にやってもらったのだが、MZくんからは、「MCはTAKAに

やってもらいたかったのに! 」と、また苦言を呈されてしまった。50年以上の前のことを昨日のことのように覚えていてくれる

のも、いやはやである。私自身は、彼(KSくん)がやってくれた方が盛り上がると思っての判断だったが、今となっては申し訳

ない限りだ。


班長だったNI君の墓参の後で、市内の居酒屋で集った班員のメンバー達。今をさかのぼる5年5ケ月前のことだ。
(2010年10月2日)


今回の企画は、5年5ケ月前の会合にさかのぼる。2007年の12月にMZくんから音楽祭の録音テープを送ってもらってから、

何時かマンドリン班の同期会を開きたいものだと私は思っていたのだが、班長だったNIくんが2009年の春に急逝してしまった。

朝のウォーキング(サイクリング?)中の出来事で、見つかった時はすでに事切れていたのだった。彼の音頭取での同期会を

当てにしていた私は、開催のすべを失ってしまった。翌年の2010年10月2日に、母の命日で長野市善光寺の高台(花岡平)

にある母の墓を訪れた時、メンバーたちに声をかけて午後からNIくんの実家を訪れ(HNくん・KDくんが同行)、すぐ近くにある

彼の墓をお参りした。その時の様子は、このブログの2010年10月11日付:『母の墓参と高校音楽クラブの友たち』にも

載せている。久し振りの飲み会で一献を傾けながらの近況としては、その当時ギターもマンドリンも、再び手にして楽しんで

いるメンバーがなかった。わずかにMRくんが、Gtをまた習い始めた、という状況だった。その当時、ボサノヴァに傾倒し、

ライブやバンド活動に精を出していた私は、「ギターとマンドリンの合同演奏をいつか一緒にやりたいな!」と、心密かに願った

のだった。そして、ようやく、今回の「音楽の集いと同期会」が実現したのだ。長年温めてきた企画が日の目を見たのは、

HNくんはじめ、メンバーたちの協力のおかげだし、会の趣旨を汲み取って快く参加してくれた同期生たちのおかげだった。

願わくは、再びメンバー達で音楽の集いができたら、これに勝るよろこびはないが、明日のことを知る人は誰もいない。古稀に

なる前に、この様な機会を作れただけでも、幸せなことだと喜ぶばかりである。皆様の健康を祈って、70歳になる前にできた

一会に感謝したいと思う。

<この項終わり>

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