第1回 Enrico Macias・Solenzara その4 ピエ・ノワール成功者としての光と影
▢Inner French(YouTubeのフランス語学習サイト・Hugo Cotton主催)の記事「France-Algérie : une histoire inachevée」(フランスとアルジェリア:未完の物語)の掲載画像より
Inner FrenchはインターネットのPodcast(音声コンテンツ)であり、そのテキスト版でフランスとアルジェリアの歴史を学ぶ機会があった。アルジェリアがフランス植民地であった時代(1830~1962年;132年間)と独立戦争(1954~1962年)を紐解くキーワードとして、以下のものがある。
Pied-Noir(ピエ・ノワール) ー フランス語の〈黒い足〉の意味、ヨーロッパ(フランス・イタリ ア・スペイン・ポルトガルなど)からアルジェリアに入植した人々の呼称。当初、黒い靴を履く軍人と現地人と区別するのに使われたと言う。
Arkis(アルキ) ーフランス軍に徴集されたアルジェリア人達
FLN(Le Front de Libération National) ーアルジェリア民族解放戦線
OAS(Organisation Armée Secrète) ー独立反対の右翼組織
アルジェリア独立戦争により、この四つの組織と人々が戦い合い、結果アルジェリアは植民地から独立するのだが、フランス人もアルジェリア人も入植した人々も、様々な運命に翻弄されることになる。E.マシアスがこの「ピエ・ノワール」だったことを知り、大きな驚きと興味を抱かされたことが、この考察を載せる切っかけとなった。
The Times of Israelの画像よりー「The Jewish French-Algerian Singer」と紹介されている。
ー11 February 2014
Enrico Macias、本名Gaston Ghrenassia(ガストン・グレナッシア) 1938年フランス領アルジェリア・コンスタンチーヌ生まれ(本年87歳)、フランスシャンソン歌手・作詞・作曲家。父シルヴァン・グレナッシアは、スペイン・アンダルシアの古典音楽のグループ:シェイク・レイモンド(Cheikh Raymond)楽団のバイオリン奏者。母スザンヌと共に、家族はセファルディム系ユダヤ人(19世紀に宗教裁判によりスペインから追放され北アフリカに移住を余儀なくされた)。マシアスは15歳の頃にはギター演奏に秀で、父の楽団でギター演奏を担当。マシアスの妻Suzy(スージー・2008年心臓病で没)は、シェーク・レイモンドの娘。
義理の父シェーク・レイモンドは、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の共存・共栄を願う平和主義者(融和主義)だったが、すでに始まっていたアルジェリア戦争中に、FLN(アルジェリア・民族解放戦線)によって暗殺された(1961年)。これを機に、コンスタンチーヌ在の入植者やユダヤ人たちは、祖国を捨てて地中海沿岸他国への亡命が始まった。マシアスも1961年7月に妻と共にフランスに亡命した。
彼のデビュー曲『Adieu, Mon Pays』(さらば、わが祖国ー発表時は J'ai Quitte Mon Payのタイトル)は、アルジェリアからフランスに逃れる船の上で作詞・作曲した曲で、翌年(1962年)リリースしたデビューアルバムは、フランスで大評判となった。それ以来、エンリコ・マシアスを名乗り、多くの曲をフランス語で発表し、ヨーロッパ音楽界で次々にヒット曲をリリースした。TV出演・オランピア劇場での公演・沢山の海外公演(トルコ・ギリシャ・イスラエル・エジプトのみならず、モスクワ、アメリカ・カーネギーホール・日本など)を実現し、現在も活発な音楽活動を続けている。1985年フランス・レジオン・ドヌール勲章授与。
Enrico Macias - J'ai Quitte Mon Pays
1962年発売のレコードジャケットより。上のタイトルをクリックすると動画が見られます。
主な楽曲(他・他・多数)
1961年 Adieu Mon Pays 作詞・作曲 Gaston Ghrenassia
1965年 L’amour C’est Pour Rien 作詞 Pascal-René Blanc 作曲 Enrico Macias
1966年 Solenzara 作詞:Enrico Macias & Dominique Marfisi
作曲:Dominique Marfisi & Catherine Darbal & Bruno Bacara
原曲はコルシカ島のデュオ・レジーナとブルーノの歌
1966年 Chanter 作詞 Jaque Demarny & pascal René-Blanc 作曲 E. Macias
1983年 Zingarella 作詞 :Enrico Macius & Didier Barbelivie
作曲: Djordje Novkobic 原曲はクロアチアの歌手ダルコ・ドミアンの歌
ピエ・ノワールの成功者としての光と影
世界のポピュラー音楽界、そしてフランス音楽界での成功者として、彼の名声は確固たるものとなったが、23歳の時故郷(祖国)を捨てざるを得なかったマシアスは、片時も故郷を思わない日はなかった。彼の作った曲には、度々故郷コンスタンチーヌの思い出が、時には恋人の様に、時には海や太陽の風景として、懐かしく歌われている。
1979年、エジプトのサダト大統領に招かれ、ピラミッドを前に2万人の聴衆の前で平和のために歌った。しかし1981年10月、イスラム復興主義過激派によって彼は暗殺された。マシアスは彼の死を悼んで、Un Berger Vient deTomber(羊飼いが今倒れた)を発表した。
2002年、アルジェリア大統領・ブテフリカからの特別招待を受け、主要6都市でコンサートを予定していた。マシアスはアルジェリアを離れてから40年間故国には戻れないでいた。大統領はアルジェリア人とピェ・ノワールとの和解を意図していたが、多数のイマーム(イスラム教指導者)と元FLN首領のべデルガムの反対にあい、公演はキャンセルされた。
2007年、フランス大統領ニコラ・サルコジに同行して、再びアルジェリアを訪問しようと試みたが、ベルガデム大統領はじめ多くの組織や個人の激しい反対に直面し頓挫した。理由は彼がイスラエルを支持していたため。以来、彼のアルジェリア帰還は実現していない。
【参考資料】
Wikipedia フリー百科事典「Enrico Macias」
エンリコ・マシアスの素晴らしき世界 ブログサイト名
https://www.enrico macias.net
〈 この項続く 〉





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