2015年3月20日金曜日

3.15 ジョビアゥ・タカバンド ライブから その2.続・バンドの推移とメンバーたち



立ち聞きも混じった満席のお客様を前にライブがスタート、オープニングはクワルテットによる軽快なジャズ
・ナンバー『You and Night and the Music』だった。 Photo by Teruo


第3回のライブ開催(2012年10月)は、色々な困難が伴ったあげくの開催だった。メンバーのベース:千秋が、

仕事のため地方に赴任しバンド参加が難しくなり、替わりにウッチーの推奨でチャーリーが入った。彼はこの

後の4回目開催もベースを受け持ってくれた。もう一つ、狛江の地元でライブやセッションを楽しんできた

add9thでの開催が見込めなかった。PA環境がなかなか充分に整わなく、それを巡っての店主との意思疎通

も上手くいかなくなり、やむを得ず他の会場を探さねばならなかったのだ。その時の会場:音楽酒場ピックは、

アコースティックなPA環境が整った頃合いの広さで、私の目指すライブの雰囲気を備えていたので、第3回目

以降は、今回(6回目)まで同じ会場をホーム・グランドとして使わせてもらっている。ただ、地元を離れ、経堂に

出てきたその時ライブは、私のオリジナルを中心とした第1部と、来場者もステージに上がって歌と演奏を披露

してもらう第2部の構成で、食事付き4,000円の参加費による「音楽会」形式を取った。予約者が15名とバンド

メンバー3名でまあまあの入場者を見込んでいたのだが、当日は家族に不幸があったり、悪性の風邪を

ひいたりが続出し8名のお客さんしか来られなかった。気落ちする心を奮い立たせて、本当に心を込めて

トリオ<TAKA(Vo/Gt)・ウッチー(Pf)・チャーリー(Ba)>とキリ(飛び入りのDr)で歌い演奏した曲が、今までに

ない素晴らしい出来だったのを、今でも不思議な気持ちで思い出すのだ。ボサノヴァ曲は、「アントニコ」・

「コルコヴァード」の2曲にTAKA訳の日本語詞を付けて歌ってみた。それは、ポルトガル語のボサノヴァ詞の

世界を、何とか解りやすく日本語で伝えたいという私のチャレンジであったが、今もその思いは続いている。

その時演奏した数曲は今でもYouTubeに残されて、ビジターのアクセスが続いているのだが、私は、半分も

埋まっていない客席を見ながら、何時かここで、満員御礼のライブをやりたい! と強く心に願ったのだった。




゛ファンキーでごきげんな゛ベースを聞かせてくれるKAZA、『黒いオルフェ』のソロ弾きを演奏中。
今回ライブの録画DVD・静止画像より。 編集 by TAKA

【 高校生の時にボサノババンドをくみ、ヤマハライトミュージックコンテスト全国大会のフォーク
部門グランプリで優勝。当時のヴォーカルとピアニストはその後プロに、自身は保険会社に
就職するが1999年に脱サラ、現在都心を中心に演奏活動をしている。(本人によるプロフィル)


第4回目のライブ(2013年7月)は、とても賑やかな歌会となった。メンバーのクワルテット<TAKA(Vo/Gt・ウッチー

(Pf))・チャーリー(Ba)・キリ(Dr)>にリュウヤ(Ts)が加わり、ゲストが喜多見のシンガー・ソング・ライター:西河泉

とコーラスのhirokoで、13名の来場者たちで会場も大変盛り上がった。イズミちゃんは、独特なブルースの

味付けで、オリジナルソングを歌って会場を沸かせてくれた。演奏曲の構成は、ジャズ・ボサノヴァ・J-POPS・

オリジナル・ゲスト(3曲)で計18曲と盛りだくさん、アンコールを1曲やったらもう貸し切り時間一杯だった。

前回5回目(2014年7月)から、ベースはチャーリーに替わってプロ・ベーシスト・KAZAがウッドベースで参加

となった。バンドのリズムの中心に本格的なプレイヤーを迎えて、バンドの音作りはより質的に深まり、ウッチー

のピアノ演奏も私の歌とギターも、キリのドラムも、安心してリズムに乗れる体制になった。演奏曲の構成は

タカバンドのスタイルが出来上がり、新曲を加えながら(毎回数曲を入れる)16~18曲を毎回のライブで披露

する形になっている。1回目から6回目のライブで、数えてみたら計44曲のレパートリーができ上がっている。

オリジナル12曲・ボサノヴァ他洋楽曲32曲のラインアップだ。よくまあ、皆で歌い演奏してきたものだと、私

自身も感心してしまった。




第2部で、『The Nearness of You』を歌で披露するKemmy、゛縦横無尽の太鼓゛スティックを置いて、
マイクを持ち゛歌ドラ゛に変身。同じく、今回ライブの録画DVD・静止画像より。

小学校米軍マーチバンドが来てその音に衝撃を受け、学校選抜の器楽演奏Team小太鼓奏者としてバチを
持ったのが小学校6年。高校ではヴェンチャーズに感化、大学は、早大ダンモ研に属し、卒業後もアマチュアーとして
オヤジバンド、Jazz演奏を継続。表参道Jazzbirdでは毎月自身のリーダーバンドKemmyTheYummy)で活動中です。
ピアノの内田さんはダンモ研の1年先輩、狛江で足掛け8年、うちだばんどメンバーとしてご一緒しました。演奏しながら
歌える「歌ドラ」が得意技です。(本人によるプロフィル)

そして今回(6回目)から、ドラムはKemmyの参加となった。Kemmyとウッチーはともに早稲田のダンモ研出身、

大学時代からの長~い音友、しかも『内田バンド』(ウッチーをバンマスとするジャズ・バンド)で10年近くピアノ

とドラムのコンビを組んでいた仲なので、あ・うんの呼吸は他に比類がないのだ。また、ベースのKAZAは、

Kemmyがバンマスのジャズバンド『Kemmy The Emmy』で、10年以上DrとBaのコンビを組んでいる仲だ。

Kemmyの話によると、「俺が走っちゃうときはKAZAが抑えるし、KAZAが走っちゃうときは俺が抑える、

そういう呼吸がお互いにできるんだよ。」とのこと。私は、6回目のライブにしてPf・Dr・Baの素晴らしいトリオ

を迎えられたことに抑えられない喜びを感じた。音楽プレイヤーは演奏の技術面においても、曲表現の感性

においても、お互いに自分にはない素晴らしさに対しリスペクトできる関係が一番望ましい。信頼できる関係が

一番望ましいのだ。不思議な繋がりによって、その得難い音楽仲間と一緒にパーフォマンスできる幸せを、

私はライブ前のリハの時から確かな手ごたえとして感じていた。

そしてここに、ゲストの若いヴァイオリニスト・みほこんが、愛くるしい笑顔とともに加わってきたのだから、

ライブの成功は約束されたようなものだった。30年以上ヴァイオリンを弾いているみほこんにとって、今回

ジャズやボサノヴァはほとんど初体験に近かったが、リハでおじさんたちのしごきに耐え、自らも工夫して

メロディとアドリアブ表現にチャレンジしてライブに臨んだのは、なかなかの頑張りだった。彼女も、ウッチーの

構想(やわらかなヴァイオリン・サウンドとタカの歌声とのコラボ)と、紹介の労を取ってくれたダイスケの繋がり

で、このバンドに加わってきたのだった。




第2部で、『11時の汽車』の間奏をソロ弾きする゛ボランティア・ハート゛のみほこん、終始笑みが絶えな
かったが、この時はちと真剣風。同じく、今回ライブの録画DVD・静止画像より。

4才よりヴァイオリンを始め、阪神大震災、中越地震の被災地路上生活者へのボランティア
活動の中から自作曲が生まれる。以後中川五郎氏、さこ大介氏、故笠木透氏と共演。
CD『山にかえれば』、『派遣切りキリキリマイ』を発表。】(本人によるプロフィル)


<この項つづく>

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