▢手元に残された『詩集紫陽花』の第2号~15号の14冊(B6版本文B4四つ折り・創刊号はない)
ISさんは、後期の号には作品を載せることはなかったが、それまでは毎回詩を発表していた。『オルフェ』という詩を読んで
みた。「見よ、冷たい石肌の ウーリデスの墓の上に 今なお沈思にくれ 小さき白花をみつめ 永遠のロマンにふける
オルフェの姿 」...<なかなか格調高かったね! >、<ちゃんとフランス語読みでユーリデスを言ってたね!> など。彼女は
封書で送った会の案内に対し、「当日は予定がすでにあり欠席します」と葉書で連絡をくれた。併せて、「とても元気でやって
いますが、突然原因不明のめまいでダウンすることもあります。」と書き添えられていた。
この同人誌のアイドル的存在だったMRさんの詩を次に読んだ。『断想』という短編(このブログの続き゛中篇゛参照)だったが、
日常の中でふと湧き起こるフレーズに、みずみずしさが溢れていた。「ふと風が起こるように 机の片すみに置いたレモンが
とても眩しく見える日がある~」...<可愛かったよね、彼女!>、<創刊号から最後まで、ほぼ毎回詩を載せていたね!>。
大手文芸出版社に勤め、その後結婚してからはパリに移り住んだ彼女に、封書の案内を送ったが返信はなかった。無事で
暮らしているかと思うが...
『小菅ブルース』という作品を載せたHO君は、大学紛争の折バリケードに立て籠もり、警官隊導入時に拘留された。釈放後は
学業に戻り、卒業後経済書籍専門の出版社で仕事をしていたが、50代半ばで消化器系の難病で他界した。『雨は闇から』を
載せたYM君は、図書館の司書の仕事を長く続けていたが、今回の出席を電話で訊ねたら、「妻が脳血管系の病気で倒れて
しまった。残念ながら出られない。」と話してくれた。年を経るということは、こういうこともあるのだ、と暗然たる思い
だった。初期の号に『島』などの作品を載せていたFM君は、卒業後音信が途絶え、時折『はなみち』などの作品を載せて
いたKB君も会の案内に対し返信がなく、消息は分からないのだ。
次いで、現在神田で編集業を営んでいるMU君の詩『青春』を読んだ。「雨の日の 五月の糸のような雨の日の 夕暮れ ~
私 うれしい! 雨ににおう 青いトマトに 乳房のふくらむ音がする 」...<乳房のふくらむ音って どんな音だぁ?>、
<いいねぇ、青春だね!>...今回は都合がつかず欠席する、との電話で話した彼の声は元気だったので、また会う機会が
あるかもしれない。最後に、今回出席したHI君の『La Chanson de la Nuit』という詩を読んだ。「星一つ 月青く 木々の
間より 谷川を照らせり 流れきらめく 眼恋(まなこ)のごとくに ~」。...<いいねぇ、格調あるじゃん! >、<いやぁ、
当時ベルレーヌの詩に魅かれていたんだよ!(本人談)>。卒業後大学院に進み、つい最近まで芸術系大学と私学でフランス
文学を教えていた彼も、ようやく仕事から離れられると喜んでいた。
▢第13号(1969.6.13発行)の『生きる』(TAKA作)に載せられたカット
その後、やはり復刻なった『実験詩集 紫陽花第8号』(1967.12.10発行)のCDを、持参したPCの音声で聞いてみた。
『夕陽の中のおまえ』(TAKA作)は、この詩のために作曲したギター・メロディ(ソロと伴奏)と朗読を多重録音したもので、
哀切なメロディが詩情を膨らませる効果が感じられた。『街から』(KSさん作)は、朗読詩の背景に効果音(仏壇のチ~ン、
というような)をあしらったもので、荘厳さを演出していた。『岬』(MRさん作)は、伸びやかなピアノ・メロディ音
(クラシック音楽)をバックに入れたもので、静かな高揚感が感じられた。最後の『日曜日』(EB君作)は、効果音こそ
入っていなかったが、誰も訪れることもない日曜日の静寂が感じられる朗読だった。それらの詩は、今聞いても新鮮で
面白かった。<よくこんなこと考えてやったねぇ!>、<このTAKAの詩はよく覚えているよ!>など...
(クラシック音楽)をバックに入れたもので、静かな高揚感が感じられた。最後の『日曜日』(EB君作)は、効果音こそ
入っていなかったが、誰も訪れることもない日曜日の静寂が感じられる朗読だった。それらの詩は、今聞いても新鮮で
面白かった。<よくこんなこと考えてやったねぇ!>、<このTAKAの詩はよく覚えているよ!>など...
同人誌のメンバーとして詩を載せることはなかったが、今回の会合に参加してくれた同級生のKR君は、長らく金庫業の
会社に勤め、今回その社業を次いで新たな会社を興した、と張り切っていた。つい最近、軽い脳血管系の病気で倒れたが、
幸いに回復して元気な姿を見せてくれた。同じく、自動車産業の大手会社を務め上げ、ブラジルに渡って勤務したことも
あるSTくんは、退職後、絵画制作(油絵・テンペラ画)や古物業(古いカメラや機器を扱う)に精を出し、都内各所の
古物市に出店するのに忙しい日々だ、と話してくれた。
古物市に出店するのに忙しい日々だ、と話してくれた。
その後、会食を楽しみ、会食後も近くの珈琲店に場所を移してお互いの話が続いた。久し振りに食べたカレー料理は、
焼きたてのナンも美味しく、ビールとワインもたらふく飲んで食べて、会計は1人3,000円だった。皆その値段(コスト・
パーフォマンスの良さ)に驚いたが、HR君が「今回のTAKAの仕事は、詩集と言いCDと言い大変だったと思う。皆で
2,000円づつカンパしよう。」と言ってくれたのだ。この瞬間、長い時間と手間をかけて準備した私の苦労は、全て報われた
気持ちだった。金額の大小では決してない。同じ志で、ある時期文芸活動を共にした仲間と級友たちと、「古稀になる前に
再び集いたい!」との思いで画した会合を、皆が喜んでくれたこと、そしてその私の思いに応えてくれたことが何よりも
嬉しかった。そして、KRくんが、「会の案内に、今回が゛唯一無二゛ってあったけれど、そんなこと言わないでまた
集まろうよ!」と宣言したのだ。3時間半近く、詩を読み朗読詩を聞き、お互いの近況や仲間たちのあれこれを話し合って、
最後はやや話疲れてしまったが、それも心地よい疲れだった。私自身は、これが最初で最後かもしれない、という覚悟で
この会を準備したが、幸運の女神が微笑めば再び会い見える事ができるかもしれない。しかし、それを保証出来るものは
何もないのが世の常だと思っている。
集まろうよ!」と宣言したのだ。3時間半近く、詩を読み朗読詩を聞き、お互いの近況や仲間たちのあれこれを話し合って、
最後はやや話疲れてしまったが、それも心地よい疲れだった。私自身は、これが最初で最後かもしれない、という覚悟で
この会を準備したが、幸運の女神が微笑めば再び会い見える事ができるかもしれない。しかし、それを保証出来るものは
何もないのが世の常だと思っている。
【 付記 】 現在私は、ボサノヴァやジャズを楽しみ、自分でギターを弾き語りするオリジナル曲の作詞・作曲も手掛けているが、
バンドを組んでのライブも時折開催している。地元の音楽愛好者たちと、毎週土曜日に椿珈琲店に集まり、歌い楽器を弾く
楽しい日々でもある。高校・大学時代に楽器(ギター・ウクレレ)に親しみ、詩集紫陽花の同人誌活動で詩作を試みたことが、
時を越えて今の私に繋がっていることを確認した今回の機会でもあった。『Beside You あなたの側に』・『ブラッド・ムーン』
・『one Side Love 片想い』・『愛とも知らないで』・『君に酔ってしまいそうな夜』・『あなたをずっと 夏の終わりのサンバ』
・『ときめきの夜』などの楽曲動画は、YouTubeのサイト名:Takasantafe neo で見られるので、興味ある方は覗いて
みて下さい。
<この項終わり>
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