2012年6月30日土曜日

第2回 ザ・タペストリー ライブ(その⑥人生の夏、そして一期一会)



ライブの後、すぐ近くの゛倉ちゃん゛のやっているお店での打ち上げ会 Photo by Kura's Mama
ライブの演奏内容でも、集客・運営の面でも、またゲスト出演者との共演でも、会場の出席者と一体になった楽しみ方でも、今回のライブは他に例を見ない大成功だったと思う。あんなに楽しくて中身の濃いライブは、これから2度と出来ないかもしれない。あの日・あの時集ったそれぞれの人たちの胸には、爽やかで温かい風が吹いていたように思う。
このブログへは、簡単なライブ報告と写真掲載をしようと思い書き始めたのだが、ICレコーダーに録音した当夜の様子を聞いているうちに、大変な盛り上がりだったことを再確認し、ドキュメンタリー風に載せ始めたら、何時の間にか6回の連載になってしまった。こんなことは、私がブログを始めてから(2008年~、4年半で199回の掲載)始めてのことだ。

世話役タケちゃんと軽井沢から駆けつけてくれた長野世話役・友(ユウ)ちゃんはじめ、金四会の皆さんたちには、本当にお世話になった。また、普段、同期会にはなかなか出席できない方たちも、万障繰り合わせて集まっていただいたことにも感謝したい。
正直言って、今回のライブの盛り上がりは、我々バンド・メンバーの予想をはるかに上回っていた。「一体、どうなっちゃったの、この賑やかさは!」と言う位、皆さんの楽しみ方と参加の仕方が素晴らしかった。
また、我ら「ザ・タペストリー」のメンバーたちにも心からお礼を言いたい。非力のバンマスである私は、あれやこれやない知恵を絞って、如何にバンドの音楽表現を高めるか、また一緒に楽しく出来るかを考えながらの日々だった。このバンドの良さは、各人が思っていることをその場でどんどん言い合うことだ。選曲にしても、曲の進行にしても、良いと思ったらその場で決めてみんなでやっていく、といスタイルはとても風どおしがいい。それぞれの分野で活躍しているメンバーだからこそ、多様性で奥行きのある音楽表現にチャレンジできているのだと思う。
それと、今回の成功の大きな要因であるゲストの皆さんにもお礼を言いたい。トオルちゃんとタケちゃん、そしてまっちゃんと当日加わってくれた原ちゃん、達ちゃん、みんな素敵でした。会場の友たちも、この共演にはびっくりしたと思うが、一気にステージと客席の距離がなくなり、共に音楽を楽しむ素晴らしい空間を生むことが出来たと思う。
それと、ここに掲載した写真のほとんどは、Nakazawa 君が撮ってくれたものだ。薄暗いライトの中で動きながら歌い演奏する出演者を撮影するのは、プロでもかなり難しい。素敵なショットを捉えてくれた彼には、感謝の気持ちで一杯だ。私の手で画質やトリミングの編集を経て、沢山の写真を載せさせてもらった。ありがとう!
会場を提供してくれたレストラン・パペラの、シャカ店長・スタッフの加山さん、そしてPAコントロールをしてくれた中畑さんにもお礼を言いたい。美味しい生ビールとカレーとナンを食べながらのライブは、寛げてよかったです。前回のライブ(メルパルク長野の同期会)では、会場の音響効果の面で大分苦労したが、今回は中畑さんに専任PAをやっていただいたお陰で、とてもいい音響バランスの中でライブ演奏が出来た。本当に感謝であります。
昨日のニュースで、゛ちいちい゛こと地井武男(享年70歳・心不全)と小野やすし(享年72・ガン)の訃報が伝えられた。我々とさほど歳の離れていない2人のタレントの死は、今日は健康で元気でいる我々も、「近い将来、それがわが身に及ぶかもしれない」という現実を思い起こさせるに充分の知らせだった。
あの日あの時、ライブに集まることが出来た同期生の皆さんも、次回はどうなるのか誰も保証してはくれない。奇しくも集うことが出来た我々のバンドとて、3年後・5年後はどうなっているかわからないのだ。健康に留意して、ぜひ70代に入るまでは続けたいなぁ、という希望はあるが、明日のことは誰にもわからない。ただ、ライブ活動が出来る間は、いつも「一期一会の出会い」であることを肝に銘じて、それでも元気なお顔に接しながら、皆さんと楽しいひと時を一緒に過ごすことができるのを願って、再び集いたいと思う。
大学で教えているTS君が、休憩の近況報告の中で、今回のライブ演奏について「人生の夏を感じた」との話があった。ライブ後の打ち上げ会で、たまたま私とAo くんの隣に座った彼としばらく話が出来た。私が「愛とも知らないで」の作詞内容について背景を説明しようとしたら、途中で話をさえぎり、「そんなことは聞かなくても充分だよ、詞とメロディがすべてを語っているよ。」と言ってくれた。詞に込めた想いを、メロディを通して理解してもらったことに私は感動した。
そう、「人生の夏」は、「青春の日々の輝き」と同意語であり、あの頃を思い出す時も、また、追体験した想いを歌にして唄うときも、心の内にあって熱さがよみがえるのですよ。
ライブに集ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。
また、近い将来、元気なお顔でお会いしましょう!
(第2回 ザ・タペストリー ライブ 終わり)


<後日追記>ライブの後でTS君とメールのやり取りがあり、今回のライブが「こころの芯から楽しめた。」という感想と共に、私がうろ覚えで書いた彼の話は、「人生は夏休みより早く過ぎる。」という言葉だったことが判明した。この言葉は、アンディ・ガルシャ主演の映画『デンバーに死す時』に出てくるセリフで、この秋に出版する彼の著書・「やまと言葉の倫理学」(春秋社)でも取り上げているということなので、その1部をメールから転載させていただく。


 ――子どものころ、楽しみにしていた夏休みはまたたく間に過ぎてしまったが、人生はそれよりもはやく過ぎ去ってしまうものなのだ、と。
 この妙な時間感覚は、むろん物理的なそれではないし、また、10歳の子どもの1年は自分の生きて来た時間の10分の1であるの対して、70歳の老人のそれは70分の1に過ぎないといわれるような相対時間感覚でもない。
 夏休みというものには、それが来るまでの待ち遠しい時間があり、始まれば最初はたっぷりある時間をなかば持て余しもしながら、あれも過ごしこれも過ごし、いつの間にか残り少なくなった最後の数日で必死に宿題をやっつける、そしてまた、なつかしい、まぶしいような級友たちの顔と再会して日常に戻っていく――といった、いわばメリハリと輪郭がはっきりとある時間感覚がある。
 ならば、人生はどうなのか。この言葉はそのことを問いかけている。この映画では、だから人生はむなしいと言っているのではなく、だからそれを夏休みのように楽しめと言っているのである。

    洋の東西を問わない共有の思いというものはある。繰り返し引くことになるが、『徒然草』ではこう言っている。
    世は定めなきこそいみじけれ。…飽かず惜しと思はゞ、千年を過すとも、一夜の夢の心地せめ。(吉田兼好『徒然草』)
 世は定めがない、あっけないからこそ「いみじ(すばらしい、興趣がある)」なのだ、もう少しもう少しと、「飽かず惜しと思はゞ(満足せずに惜しいと思うならば)」、たとえ千年経ってもそれは一夜の夢のごときものだ、と。
あの頃に流行った懐かしい歌や、あの頃を思い起こすよう歌を、今バンドを組んで演奏し楽しんでいる我々の姿を見て、彼が「夏休み」のように感じてくれたとしたら嬉しいことだ。
僕等の青春色のタペストリーは、これからも織り続けられていくと思う。



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